学位論文要旨



No 212271
著者(漢字) 永野,紳一郎
著者(英字)
著者(カナ) ナガノ,シンイチロウ
標題(和) CFDを利用した室内の流れ場・拡散場制御に関する研究
標題(洋)
報告番号 212271
報告番号 乙12271
学位授与日 1995.04.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12271号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村上,周三
 東京大学 教授 小林,敏雄
 東京大学 教授 鎌田,元康
 東京大学 助教授 加藤,信介
 東京大学 講師 持田,灯
内容要旨

 建築環境工学における室内気流の乱流数値シミュレーション技術は、建築・設備設計者および研究者の快適な室内環境を構築しようとする強い情熱に支えられて発展してきた。現在、CFD(計算流体力学:Computational Fluid Dynamics)による室内乱流場の予測手法は、気流設計者のイメージを具現化するための有力なツールとなりつつある。

 建築環境工学における乱流数値シミュレーションは、解析における空間スケールが他分野におけるCFD解析に比べ比較的大きいことが問題となる。これは、流れ場の現象を追跡するための計算時間の増大を招くとともに計算機の利用可能な記憶容量の制限により常にメッシュサイズと空間解析精度のトレードオフの問題に直面することを意味する。それゆえ、これらを考慮してその結果を適切に評価・判断する手法を構築することは極めて重要な作業になる。複雑な建築空間の形状を現実的な計算機資源の制約の下でモデル化し、"所定の精度"でその流れを解析することが可能であるならば、CFDによる気流解析技術は、建築設計の場において極めて提案的かつ戦略的なツールとなる。そのためには、解析結果が"所定の精度"であるための判定基準が必要となる。

 そこで本研究では、はじめに標準k-モデルを室内気流解析に用いる際の解析手法の検討および解析結果の診断により、CFDをツールとして用いる際の精度の把握を合理的に行う方法を検討する。さらに、数値シミュレーション結果と実験結果の比較検証を行った後、得られた知見を基にしてCFDによる拡散場と流れ場の効果的な制御手法の提案を行う。

 本研究の特徴は、以下の5つに要約される。

 (1)標準k-モデルを用いた数値解析手法および解析結果の診断手法を提案する。

 (2)より高精度な非等温解析を目的として標準k-モデルに高精度なWETモデルを組み込む。

 (3)クリーンルーム内で重力沈降の影響が問題となる浮遊微粒子の拡散場予測シミュレーション手法を検討し、実験結果からその精度を検証する。

 (4)乱流型クリーンルームにおいて天井面上で給排気風量をバランスさせて換気効率を向上させた流れ場の制御手法を検討する。

 (5)吸込み渦を利用した室内の流れ場の制御手法を検討する。

 本論文は、以下の序論,本論(三編構成),結論から構成されている。

 序論では、本研究の目的と内容を述べる。

本論 第一編CFDの解析手法並びに解析結果の診断:

 第1章では、空間の差分化に伴う数値誤差を定量的に把握するために、Solution ErrorおよびTruncation Errorの誤差評価方法を提案する。さらに、この手法をO方程式モデルおよび標準k-モデルに適用し、室内空間のメッシュ分割の粗密に伴う誤差の定量的把握を行う。

 第2章では、運動方程式を差分近似した場合の移流項等における輸送項の運動エネルギーの保存性に関して検討する。標準k-モデルにおいて一次精度風上差分,中心差分,Quickの各スキームを対象として運動エネルギーの収支を評価する方法を示し、実際に評価した結果について述べる。

 第3章では、標準k-モデルを室内気流解析に適用する際に問題となる固体壁面の境界条件について、壁関数を用いた場合の取り扱いを検討する。まず、速度,乱流エネルギーkおよび散逸率の各種壁面境界条件について、過去に提案された境界条件モデルを整理する。その上で、妥当とみなされる境界条件モデルの組み合わせを用いて新たに解析を行い、流れ場およびkとの乱流量の挙動について検討する。

 第4章では、非等温乱流のシミュレーションにおいて重要な乱れによる熱フラックスに対して勾配輸送モデルに代わるLaunderの提案するWETモデルを組み込み、これを2次元および3次元の流れ場に適用するための検討を行う。このため2次元流れ場では、壁面の熱的な境界条件として熱フラックスー定の場合と温度一定の場合に関し、WETモデルと勾配輸送モデルを比較検討する。3次元流れ場では、噴流のある居室モデルを対象に実験およびASM(代数応力方程式モデル)の結果と比較し、その有効性を示す。

本論 第二編CFDによる室内拡散場の制御:

 CFDをクリーンルームの拡散場解析に適用する場合に問題となる、重力沈降を伴う浮遊微粒子の拡散現象に関して、実測,模型実験および数値シミュレーションを行い、予測手法の確立を目的とする検討を行う。まず、室内における浮遊微粒子の拡散性状について実験的検討を行い、対象浮遊微粒子の粒径・初期濃度によっては、重力沈降や凝集などの浮遊微粒子固有の特性を無視できることを確認する。つぎに、粒径0.31mの微粒子に関して数値シミュレーション結果と実験結果との照合を行う。最後に、実験技術上の問題により、模型実験で確認が困難な粒径5.0m以上の浮遊微粒子の室内全体の拡散状況をCFDを適用して検討する。その上で、浮遊微粒子濃度の計測法の改善に関して新たな提案を行うとともに、クリーンルーム内全体における重力沈降を考慮した浮遊微粒子拡散場の数値シミュレーション手法の有効性を示す。

本論 第三編CFDによる室内流れ場の制御:

 第1章では、"一つの給気口を単位とした吹出し気流とその周囲の上昇流、およびその天井面にある給気口への収束流により形成される気流単位"の概念を乱流型クリーンルームに適用し、この気流単位の形成が容易である天井面での局所給排気方式のクリーンルームについて流れ場・拡散場を検討する。まず乱流型クリーンルーム内の流れ場の形成に関してLLS(Laser Light Sheet)による可視化手法を用いて定性的な比較を行い、汚染質排出性能の点で天井面給排気方式が従来型の天井吹出し・壁面吸込み方式に劣らないことを確認する。次に、模型実験により吹出し口の位置と個数を固定し、吸込み口の位置と個数を変化させた場合について、気流障害物の影響と給排気風量のアンバランスの影響を検討する。さらに、模型実験との対応を確認した上で、数値シミュレーションにより給排気のアンバランスや気流障害物設置の影響を詳細に検討する。以上の検討から、気流単位を形成させた天井給排気方式のクリーンルームが汚染質拡散を局所的に限定させ、換気効率の極めて高いシステムであることを示す。

 第2章では、吸込み渦の持つ吸引力を利用した室内換気システムの数値シミュレーション手法に関して検討を行う。まず、CFDによる吸込み渦の特徴の再現のためには、乱流モデルとして標準k-モデルが不適であることを確認するとともに、LES(Large Eddy Simulation)により解析を行う際に問題となるメッシュサイズおよびスマゴリンスキー定数に関して検討を行う。さらに、アトリウムのように空間容積が大きい建築空間内で吸込み渦を効率良く発生させるために、吹出し口位置に関する検討を行い、吸込み渦を利用した換気システムの可能性を述べる。

 結論では、全体のまとめを行い、本研究の成果と今後の課題を総括する。

審査要旨

 本論文は、「CFDを利用した室内の流れ場・拡散場制御に関する研究」と題し、CFD(Computational Fluid Dynamics)により室内の気流分布と汚染質拡散性状を予測・制御する手法について基礎的並びに応用的研究を行ったものである。

 本論文は、乱流モデルとして一般的によく用いられるk-モデルを用いる場合の室内気流および汚染質拡散場のCFDによる解析手法を検討対象としている。室内の流れ場の予測精度を定量的に把握するため、計算グリッド分割の粗密による誤差の性状、差分スキームによる運動エネルギーの保存性、各種の壁面境界条件の検討を行っている。さらに簡便で高精度な温度場予測手法の開発を目的として、新たな乱流熱フラックスモデルの提案を行っている。次にこれらの成果に基づき実用的な室内の流れ場・拡散場の制御の問題に関して詳細な検討を行っている。すなわち工業用クリーンルーム内の流れ場・拡散場に関し、実験との比較によりCFD手法の精度、信頼性を確保して室内発生汚染質の拡散制御手法の提案を行っている。またCFDにより、効率的な建築空間の換気システムを実現するため室内全体にわたる吸込み渦を発生させて室内換気を行う方法に関する系統的な検討を行い、実用的な設計資料を得ている。

 論文は、序論以下、本論(三編)、結論よりなる。

 本論第一編は、CFDの解析手法並びに解析結果の精度の診断方法の検討を行っている。

 第1章は、CFDによる流れ場解析において差分化に伴う数値誤差の定量的な把握法を検討している。そのため計算グリッドによる離散化誤差であるSolution ErrorおよびTruncation Errorの評価方法を検討している。この手法をO方程式モデルおよび標準k-モデルによる気流解析に適用し、室内乱流場の解析で特に重要となる吹出し口周辺および吹出し噴流が衝突する領域におけるグリッド分割の粗密による誤差の定量的な把握を用い、実用的な精度を確保するためのグリッド分割の目安を提案している。

 第2章は、CFDによる流れ場解析で予測される運動エネルギーの収支並びに圧力損失に関して検討を行っている。運動方程式の差分近似スキームとして比較的よく用いられる一次精度風上差分,中心差分,Quick等の各移流項差分スキームに関して各種の流れ場で解析を用い、これらの精度を検証し、圧力損失の精度の良い予測のためにはこれらスキームの選択が重要であることを示している。

 第3章は、標準k-モデルを用いて室内気流解析を行う場合に問題となる壁面境界条件の取り扱いについて検討している。ここでは壁関数を用いる境界条件に関し、全部で25種類以上にものぼる壁面境界条件を整理するとともに、これらの問題点を数値解析結果と実験結果との比較から検討している。これにより実用上の精度を確保するために必要な境界条件を提示している。

 第4章は、非等温乱流場解析において特に重要となる乱れによる熱フラックスのモデルに対して検討を行っている。すなわちこの項に関しk-モデルで通常よく用いられる勾配輸送モデルに代えて、より精度の高いWETモデルの開発を行っている。開発されたWETモデルに基づく結果を模型実験結果等と比較し、WETモデルが比較的簡易なモデルでありながら熱フラックスの精度を格段に向上させる実用的なモデルであることを示している。

 本論第二編は、CFD手法を用いた室内の換気設計に関する応用研究の結果を示している。まずクリーンルーム内の重力沈降を伴う浮遊微粒子の拡散性状の予測手法に関して検討している。そのため、重力沈降や凝集などの浮遊微粒子固有の特性を実験的に確認し、粒径0.31m以下の微小粒子に関する室内の拡散性状に関しては数値シミュレーション結果が実験結果と良く対応することを検証している。さらにCFDにより模型実験では確認が困難な粒径5.0m以上の浮遊微粒子の室内全体の拡散性状を検討し、換気によるこれら微粒子の除去の問題に関して詳しく検討している。

 本論第三編は、本論第二編に引き続き、室内流れ場および汚染質拡散場に関する応用研究の結果を示している。

 第1章は天井面局所給排気方式クリーンルームに関して検討している。多数の吹出し口が連続する室内では吹出し噴流の条件より、吹出し噴流毎に定まる気流パターン(これを気流単位と称する)の合成として室全体の流れ性状が説明されるような流れ場ができる。このような流れ場を乱流型クリーンルームで実現し、効果的な汚染質拡散制御を行う方法に関して検討している。そのため室内拡散現象に関し独立性の高い気流単位の形成が容易である天井面で局所給排気を行う方式のクリーンルームを提案し、その流れ場・拡散場を検討している。まず提案された天井面給排気方式の流れ場を実験により解析している。次に基礎となる流れ場に関して模型実験との対応を確認した上で、汚染質の拡散場に関して数値シミュレーションにより詳細に検討している。その結果、気流単位を形成させた天井給排気方式のクリーンルームは、少々の給排気のアンバランスや気流障害物が存在しても汚染質拡散が室内で局所的に限定され、換気効率の極めて高いシステムとなることを明らかにしている。

 第2章は、室内全体にわたる吸込み渦を発生させ、その吸引力を利用する換気効率の高い室内換気システムを提案し、その性状をCFDにより検討している。吸込み渦の特徴の再現のためには、標準k-モデルよりもLarge Eddy Simulationによる解析が有効であることを確認した上で、Large Eddy Simulationによる系統的な解析を行い、アトリウムを対象として吸込み渦を効率良く発生させるための吹出し口位置条件を明らかにしている。

 結論では、全体のまとめを行い、本研究の成果と今後の課題を総括している。

 以上を要約するに、本論文では、まず等温の室内乱流場の予測にCFDを適用する場合の解析結果の精度を具体的に評価・診断する手法を提示している。これは、実験が容易でない建築空間の流れ場を精度よく解析する際の基本的な指針となるものであり、定量的な誤差評価が行える優れた提案となっている。さらに、CFDによる重力沈降の伴う拡散場の予測手法と気流単位の概念から導いた新しい気流制御手法を開発し、その有用性を確認している。これらの成果は実際の工業用クリーンルームの設計に資するところが極めて大きい。これらCFDによる流れ場・拡散場の予測評価・制御手法の開発は、今後の実用上の応用に関して極めて有用であり、建築環境工学に寄与するところ大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50936