学位論文要旨



No 212275
著者(漢字) 小森谷,徹
著者(英字)
著者(カナ) コモリヤ,トオル
標題(和) 自動車室内の温熱環境に関する熱流体数値解析の研究
標題(洋)
報告番号 212275
報告番号 乙12275
学位授与日 1995.04.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12275号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,敏雄
 東京大学 教授 村上,周三
 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 助教授 荒川,忠一
 東京大学 助教授 谷口,伸行
内容要旨 1.序論

 近年、自動車の空調に関しても『人に優しい空調』への対応が必要になり、パーソナル空調の時代を迎えようとしている。このような空調空間を創り出すためには、車両の開発初期段階から乗員にとって快適な空調空間について検討しておく必要がある。数値計算はこのための有力なツールであり、自動車室内の温熱環境を予測する数値解析法の開発が急がれている。

 従来より乗員のいない空車状態での計算例は数多く報告されているが、これらの計算結果からでは乗員まわりの空調状態を評価することはできない。本研究は、流れ場に大きな影響を与える乗員を考慮したものであり、自動車室内における温熱環境を予測・評価するのに適した熱流体数値解析法の開発と検証、および数値解析における問題点の摘出を行い、今後の研究課題を整理することを目的としている。特に、人間の温熱快適性に影響を与える4つの環境要因(気温,気流,湿度,輻射)のうち、気温と気流に着目したものである。

2.数値解析法の構成

 研究対象としている流れ場は、流速の速い領域から遅い領域まで存在しており、数値解析的には乱流現象を考慮しなければならない。乱流を表すモデルとして、数値計算上における実用性や工学的な流れ場への適用性等を考慮し、Launder&Spaldingによる標準k-モデルと浮力による乱れ性状への影響を考慮したViollet型k-モデルを用いた。

 物体近傍の表現として、流れ場および温度場に壁法則を適用する。すなわち、境界層の対数速度分布則あるいは対数温度分布則に基づき、運動方程式,温度,乱れエネルギーおよびエネルギー散逸率の輸送方程式を壁近傍点で修正して境界条件を与える。特に、衣服の熱抵抗として、衣服の伝熱効率を考慮した温度場壁関数を新たに設定した。

 基礎方程式の離散化には有限体積法を用いた。一般座標系の適用においては、Malinらの方法を基に速度ベクトルの補間などについて改良を加え定式化を行った。対流項,拡散項の離散化にはHy-bridスキームを、計算アルゴリズムにはPatankarのSIMPLE法を用いた。

3.検証実験手法および実験結果

 本研究では、数値解析結果の検証のためにセダンタイプの自動車室内形状を対象とした2種類の車室内モデルを用いた実験を行った。

 最初の実験は、図1に示す1/5サイズの車室模型内の流れ場を可視化する実験である。乗員も車室内形状寸法に合わせ、JSAE規格の平均的な日本人男性を1/5に縮尺した。流れの計測には、3ビーム2次元レーザードップラ流速計を後方散乱方式で使用し、信号処理にBSA(Burst Spectrum Analyzer)を用いた。シーディング粒子は、中位径2mのJIS規格11種(関東ローム)である。吹き出し速度は14m/sであり、吹き出し口相当直径を代表長さとするRe数は1.8x104である。

 図2に吹き出し風を運転者に向けた場合の運転者中心断面内における速度ベクトルを示す。車室内流れ場の特徴として、運転者顔面前方ににおいてフロントウィンドウに沿った縦長の渦や後席に大きな渦を形成する。また、コンソールやフロアー上方には後席から前席への逆流が生じている様子が見られる。

 2つ目の実験は、図3に示す1/1サイズの簡易車室模型内の温度分布を可視化する実験である。被験者として生身の人間を乗せ、60分間の冷風暴露後における雰囲気温度および人体17部位の皮膚温度を熱電対にて計測する。吹き出し風速は1.7m/s(吹き出し口相当直径を代表長さとするRe数は8600)であり、吹き出し温度は15℃と23℃の2条件である。

 同一条件にて5回の実験を行ったが、実験の再現性は良好であった。計測された温度では窓近傍の雰囲気温度が高く、窓からの流入熱量が大きいことがわかる。車室内はほぼ均一温度になっているが、車室内における窓以外の熱源は被験者のみであるため、被験者側の計測温度の方が助手席側よりも約1℃高くなっている。

4.数値解析結果の検討

 前項の2つの実験装置を計算対象として、数値解析結果の検討を行う。

 最初の検討は、1/5サイズの車室内模型による流れ場についてである。図3の実験条件に合わせて計算した結果を図4に示す。この図より、吹き出し風が運転者に当たり後方への流れが阻止されるため顔面前方に渦が生じている様子がわかる。また、後席には大きな渦が形成されている。実験結果と比較して定性的に良く一致していることがわかる。ただし、顔面に当たる風速は実験結果よりも小さく、偽拡散の影響が現れている。一般に、吹き出し風は壁面に対してある角度をもって吹き出されるため、計算格子と吹き出し方向は必ずしも一致しない場合が多い。さらに吹き出し口近傍では流速が大きく、十分な格子解像度がないとセルペクレ数が大きくなり偽拡散が生じ易くなる。

 次の検討は、1/1サイズの簡易車室内模型による温度場の検証である。まず、空車状態における最適な乱流プラントル数を調べた結果Prt=0.7が良いことがわかった。したがって、本研究ではPrt=0.7で計算を行うことにした。

 車室内温度場の計算における乗員の熱境界条件として、以下の2つについて検討した。

 (1)皮膚熱流束設定条件:活動量に伴う対流放熱量を人体表面に一定値として設定した場合

 (2)皮膚温度設定条件:実験結果における17部位の皮膚温度を各部位表面に設定した場合

 図5は(1)の条件、図6は(2)の条件による乗員まわりの温度分布図である。図中における印は温度計測点であり、上の数字が計算値で下が実験値である。また、表1に車室内平均温度の比較を示す。これらの図表より、両計算結果とも車室内温度分布は定性的に実験結果と一致し、しかも車室内平均温度は実用上十分な精度で予測できていることがわかる。ただし、流れの淀む股間部や足元付近において(1)の条件のほうが雰囲気温度が高く、人体皮膚温度も約50℃に上昇しこれらの部位からの放熱量が大きくなっている。これは、全身を等熱流束としていることによるもであり、乗員の熱境界条件の設定に関しては、人体を数部位に分割する必要がある。

図表図1 1/5車室内模型の形状寸法 / 図2 簡易車室内模型の形状寸法 / 図3 LDVによる運転者まわりの速度ベクトル図 / 図4 数値計算による運転者まわりの速度ベクトル図 / 図5 皮膚熱流束設定条件による被験者まわりの温度分布図 / 図6 皮膚温度設定条件による被験者まわりの温度分布図 / 表1 乗員の熱境界条件の違いによる車室内平均温度の比較

 以上のように、本計算法はいくつかの課題はあるものの自動車室内の流れ場や温度場を定性的に予測できることがわかった。本計算結果を基に運転者まわりの流れ場を可視化することで、後席からの逆流がフロアー面上のホコリを巻き上げて運転者まで到達するかどうかの確認やその対策方法の検討に本手法を役立てることができた。さらに、運転者のみでなく複数の乗客が乗車している場合にも本計算法を適用できることを確認した。

5.結論

 本研究では、一般座標系を導入することによって乗員を考慮した自動車室内の温熱環境を数値計算することを試みた。これにより、従来計算例の少なかった自動車室内における乗員まわりの3次元流れ場や温度場に対して一連の計算結果を示すことができた。本研究により得られた結論を以下にまとめる。

 (1)漂準k-モデルおよび壁法則を適用した定常流れ解析により、乗員有無や吹き出し条件の違いに対する自動車室内の流れ場を定性的に予測可能である。

 (2)上記計算法において定量的な予測を不十分にしている点として、吹き出し風が計算格子と大きな角度で交差する場合に生じる偽拡散による影響が挙げられる。吹き出し口近傍に計算格子を集中できるような離散化法の導入や対流項における偽拡散の影響を少なくするような離散化スキームの使用が必要である。

 (3)浮力による乱れ性状への影響を考慮したViollet型k-モデルおよび速度場,温度場に壁法則を適用した定常熱流体解析により、自動車室内のマクロ的な熱収支を評価したり温度分布を定性的に把握することが可能である。

 (4)温度場における定量的な予測を不十分にしている部位は壁面近傍である。この原因として、k-モデルの壁面境界の表現方法に起因するもの、熱境界条件の設定方法によるものなどが考えられる。本研究で行った実験ではこれらの原因を解明するまでには至らず、より基本的な流れ場における研究が必要である。

 (5)乗員まわりの温熱環境は部位ごとに著しく異なるため、乗員の熱境界条件として均一な値を設定することは不適当である。少なくとも人体を数部位に分割して熱境界条件を設定する必要がある。

 最後に、本研究では湿度と輻射については扱わなかったが、自動車室内の温熱環境の予測においてはこれらも考慮する必要がある。本研究で扱ったベント吹き出し以外の空調モードも含めこのような数値解析を系統的に行い結果を評価することにより、自動車室内の温熱環境の数値予測という最終的な目的に対する数値解析法の問題点がさらに明らかにされるものと考えられる。

審査要旨

 本論文は「自動車室内の温熱環境に関する熱流体数値解析の研究」と題し、自動車室内にいる乗員まわりの流れ場および温度場を数値解析によって解明した研究である。

 第1章では、まず序論として自動車室内の温熱環境評価の現状ならびに本研究の目的について述べている。従来より、自動車室内の不均一な温熱環境場を事前検討するために、数多くの数値計算が試みられている。しかし、その多くは乗員のいない空車状態での計算であり、このような計算結果からでは乗員まわりの空調状態を評価することはできない。本研究は、流れ場に大きな影響を与える乗員を考慮したものであり、乗員まわりの温熱環境を予測・評価するのに適した熱流体数値解析法の開発と検証、および数値解析における問題点の摘出を行い今後の研究課題を整理することを目的としている。特に、人間の温熱快適性に影響を与える4つの環境要因(気流,気温,湿度,放射)のうち、気流と気温に着目したものである。

 第2章では、数値解析法の構成について説明している。乱流モデルとして、Launder&Spaldingによる標準k-モデルと浮力による乱れ性状への影響を考慮したViollet型k-モデルを取り上げ、有限体積法によって離散化する手法について述べている。また、物体近傍の表現として流れ場および温度場に壁法則を適用し、特に乗員表面においては衣服の伝熱効率を考慮した温度場壁関数について説明を加えている。次に、複雑な幾何学形状を有する流れ場へ展開するために一般座標系を導入し、積分セルを座標系に沿って離散化する手法について述べている。最後に、本手法が抱えている一般的な問題点について事前に整理している。

 第3章においては、数値解析結果を検証するための実験手法と実験結果について述べている。本研究では、セダン系小型車の室内形状を研究対象として2種類の車室内モデルを用いた実験を行っている。最初の実験では、1/5サイズの車室模型内の流れ場を2次元レーザードップラ流速計により多点計測している。この車室内にJSAE規格の平均的な日本人男性を1/5サイズに縮尺した運転者モデルを乗せ、車長方向と車高方向の速度成分を求めることにより運転者まわりの流れ場を観察している。吹き出し風を運転者の顔に向けた場合の流れ場の特徴として、運転者顔面前方に縦長の渦や後席上に大きな渦が形成されるとともに、コンソールやフロアー上方には後席から前席への逆流が観察されることを指摘している。2つ目の実験では、1/1サイズの簡易車室内模型に生身の人間を乗せ、60分間の冷風暴露後における温度場を熱電対によって計測している。同一実験を5回行い、実験の再現性が良好であることを確かめている。乗員有無や吹き出し温度を変えた実験を行い、それぞれの結果を提示することによって計算結果との比較を行う際の着眼点についてまとめている。

 第4章においては、前章の実験に対する数値計算を行い、計算結果と実験結果とを比較することにより本数値解析法の有効性について検討している。流れ場の検証より、吹き出し風が計算格子と大きな角度で交差する場合には数値拡散を生じ、運転者顔面前方に生じる渦を定量的に捕らえることは難しく、吹き出し口近傍に計算格子を集中できるような離散化法や数値拡散を少なくするような離散化スキームの必要性を指摘している。本数値解析法は乗員有無や吹き出し条件の違いに対する流れ場の定性的な傾向を把握するには有効であることを示している。また温度場の検証より、車室内温度分布は定性的に一致し、しかも車室内平均温度に関しては実用上十分な精度で予測できることを明らかにしている。自動車室内の熱移動過程を調べるために熱流束ベクトルを定義し、車室内の熱移動が主に対流によって行われていることを明らかにしている。また乗員の熱境界条件の設定に関し、人体を数部位に分割する必要性を述べている。最後に、本計算法を実際の空調開発に役立てる方法について提案すると共に、運転者のみでなく複数の乗員がいる場合にも本計算法を適用できることを確認している。

 第5章では、全体のまとめを行っており、本研究による成果と今後の課題が総括されている。

 以上を要約するに、浮力を考慮したk-モデルによる複雑幾何形状をもつ流れ場用数値解析手法を構築し、従来実験例の少なかった運転者まわりの3次元流れ場や温度場に対し一連の結果を示すとともに、乗員温度境界条件として衣服を考慮した壁法則を設定する等の新たな工夫を加えることにより運転者まわりの流れ場や温度場を予測することに成功している。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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