工学修士尾川茂提出の論文は「縦渦による剥離・再付着を伴う物体の空力騒音に関する研究」と題し、7章および付録から成っている。 流れに対して前縁線が傾斜角を有するような剥離物体には通常強い縦渦が発生するが、自動車のフロントピラー周りの流れもそのような流れの代表的なもの一つである。車体の前方部上を流れ正面の窓に当たる流れの一部は左右に別れ、フロントピラーで剥離して強い縦渦を形成し、側方窓に再付着した後、斜上方屋根側に抜けて流れ去る。この剥離・再付着を伴う縦渦は側方窓上で強い乱れと圧力変動を誘起するが、側方窓は開閉を行う必要から完全な気密性を保持することはできず、この縦渦が車室内の騒音源の大きな要素の一つとなっている。この点に注目した著者は、実車並びにモデル翼を用い、剥離・再付着を伴う縦渦周辺の流れ場、物体表面上の圧力場および放射音場を詳細に調べることにより、このような縦渦による騒音発生機構の解明を試みている。 第1章は序論であり、本研究の背景を述べ、関連したこれまでの研究を概観している。特に従来の剥離流騒音と異なり、本研究の対象が縦渦の剥離・再付着流による騒音である点を強調し、論点を明確にしている。 第2章は「相関面積法」と題し、本研究で用いた騒音レベル評価法の根拠を説明している。物体表面の圧力変動が相関のある微小面積部分毎に分割され、各部分同志は互いに無相関であるとすれば、遠距離場における音響強度は、個々の微小面積部分を独立な音源とした場合の音響強度の総和で表現されることを導き、本方法は物体表面の圧力変動が計測可能な場合の騒音レベルの評価法として有効であると主張している。 第3章は「縦渦と物体の干渉による騒音の特性」と題し、実車における縦渦の影響だけを抽出するように工夫されたモデル翼を用い、再付着を伴う縦渦によって放射される騒音の特性を調べている。頂角90°の三角翼の翼端を切り落とした平板翼モデルを迎角15°で流れの中に置くとき、頂点から発する縦渦による流れの様相が、実車の縦渦周りの流れに酷似していることに着目し、このモデル翼について計測している。その結果、騒音は低周波数から4kHz程度までの広帯域のスペクトルをもつこと、また、放射音場はモデル翼に垂直な軸をもつ双極子音源的な指向性を有すること、流速の増加に対し、ほぼその6.4乗に比例して騒音レベルが増加すること等を明らかにしている。このような結果に基づき、著者は騒音源として翼面上の圧力変動による双極子音源が主体であるとの立場を取っている。 第4章は「前縁剥離による縦渦を伴う流れ場の特性」について述べている。実車の風洞試験により、側方窓上に発達する縦渦を可視化によって定性的に把握すると共に、流速や全圧、静圧を計測することにより、流れ場の構造を解明している。その結果、縦渦は先端近傍部の渦度が強く、下流側に広がる円錐形状を呈し、回転方向が逆の二次渦を伴っていること、側方窓壁面を縦渦の位置する剥離域と、その外側を回り込んだ流れが壁面に付着する再付着域に分けた場合、剥離域における流速変動が再付着域の10倍程度に達すること、壁面の圧力変動は再付着線付近ではなく、縦渦先端部付近で最大となること、などを明らかにしている。そして、速度変動は壁面圧力変動やその時間微分値とかなり高い相関を有することを確認している。 第5章は「相関面積方の検証」と題し、モデル翼面上で計測された変動圧力分布から第2章で記述された手法によって騒音レベルを予測することの妥当性を検証している。周波数帯ごとの変動圧力分布は全体的に再付着域よりも剥離域の方が高く、かつ支配的な面積部分が存在することを示し、その代表的な面積部分における変動圧力振幅と相関面積を用いることにより、かなり高い精度で放射騒音レベルの予測が行えることを示している。 第6章は「縦渦による剥離・再付着を伴う物体の騒音の発生機構」と題し、これまでに得られた結果をもとに流れ場の状況と騒音発生機構を総合的に考察している。縦渦先端近傍では渦心の断面積は小さく、壁面付近の速度勾配が大きくなって強い剪断流れが誘起される。この剪断流れは強い速度擾乱をもたらし、この速度擾乱が壁面での圧力変動に結びつくものと予測している。縦渦自身は拡散と対流によってその断面は円錐形状に拡がって行くが、この間に低周波数の乱れが中・高周波数の乱れに移行する傾向のあることを示唆している。 第7章は結論で、これまでに得られた結果を要約している。 なお、付録はナビエストークス方程式の直接解法により「縦渦と物体の干渉による騒音の数値解析」を試みた結果について述べている。 以上を要するに、本論文は剥離・再付着を伴う縦渦が物体と干渉して発生する空力騒音の重要性に着目し、詳細な計測を通じて流れ場や音場の性質を明らかにし、その発生機構に対して新知見を加えたもので、工学上貢献するところが大きい。 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |