学位論文要旨



No 212280
著者(漢字) 潟岡,泉
著者(英字)
著者(カナ) カタオカ,イズミ
標題(和) 散乱波位相制御法による高精度リングレーザジャイロの研究
標題(洋)
報告番号 212280
報告番号 乙12280
学位授与日 1995.04.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12280号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田邊,徹
 東京大学 教授 保立,和夫
 東京大学 助教授 鈴木,真二
 東京大学 助教授 堀,浩一
 東京大学 助教授 中須賀,真一
内容要旨

 慣性航法あるいは航空機、船舶等の自動姿勢制御の分野では高感度でダイナミックレンジの広い角速度センサーの開発は同加速度計と同様に常に属望され、その時代の先端的な技術を基礎に様々な方式のものが開発されて来た。

 光を用いたジャイロもその構想は1913年のSagnacにまで溯る事が出来るが、アクティブ型リングレーザジャイロ(RLG)はガスレーザの出現にその開発の基礎が有る。

 RLGは対向して閉光路内を伝播する進行波間の周波数差を検出して入力角速度を計測する為、本質的にダイレクトデジタル出力の角速度センサーで、優れたスケールファクタ直線性及び高安定性、広いダイナミックレンジ等ストラップダウン方式の制御系にとって理想的な角速度センサと考えられて来た。

 しかし、この様な優れた特性は理想的な光共振器によってのみ実現されるものであって、現実のリングレーザジャイロの開発はリングレーザを構成する様々な部品からの擾乱の為に起こる進行波間の周波数同期(ロックイン)による入力角速度の不感帯をいかに克服するか、またこの不感帯に起因する様々な誤差をいかに小さくするかに有ったと言って過言ではない。現在実用に供せられているRLGは、リングレーザを上記ロックインしきい値以上の角速度で回動するいわゆるメカニカルディザにより不感帯を避けて使用されている。

 しかしメカニカルディザを加える事による新たな問題も発生し、対向して伝播する進行波間の同期周波数を可能な限り小さくする事は高精度RLGが存在し続ける限りの研究テーマと言える。

 通常リングレーザは3枚もしくは4枚のミラーにより構成された閉光路を共振器に用いており、同ミラー面で発生する後方散乱波(レーザ光の進行方向と逆方向に散乱されたもの)がロックイン現象の主な要因となっている。従って、ロックインしきい値(不感帯の大きさ)を小さくするためにミラーの高精度化を進める一方で様々な手法が試みられて来た。それらの手法のうち、散乱波の位相関係を調整して合成散乱波の振幅強度を低減させようとする手法は、ミラーの散乱率を現状より極度に減少させるという大きな開発過程を経る事なくRLGのロックインしきい値を著しく低下させる事が出来る可能性がある。

 本研究は従来明確になっていなかったこの手法のメカニズムを解明し、ロックインしきい値低減のために最適な制御を行うのに必要な条件を明らかにし、散乱波の位相関係の制御技術をより高度化する事により、RLGの最大の問題であるロックインしきい値の低減化技術を確立しようとするものである。そのために以下に示す内容の研究を行った。

 1.リングレーザのロックイン及びウィンキング現象に対する従来の知見を見直し、両者の関係をより詳細に調査検討し、散乱波位相制御法を行う上で必要な両者の対応関係を明らかにする。

 2.反射鏡面の粗さをその空間波長成分に分けて評価し、粗さの特徴付けを行い、散乱特性との関係を明らかにする。合せて反射膜の粗さの発生機構を究明し極低散乱ミラーを試作評価し、同ミラーにより構成したRLGのロックインしきい値限界を求める。

 3.上記散乱特性とロックインしきい値及びウィンキング特性との関係を散乱波の位相関係より解明する。

 4.3.の結果に基づき散乱波位相制御法により得られる真の最小ロックイン状態を作り出す新しい手法を提案する。

 5.メカニカルディザーと散乱波位相制御法を併用した高精度RLGの設計法を確立し、同設計に基づいて試作したRLGの特性を評価し、同RLGの実用限界性能を求める。

 その結果以下に示す研究結果を得た。

 1.従来報告されていたウィンキング現象とロックインしきい値の間に新らたな関係を見い出し、従来の例はより広い現象の一部である事を示した。またその中でロックインしきい値の大きさとウィンキングの大きさが対応しない例のある事を見い出し、散乱波の位相制御を行いロックインしきい値を低下させる上でウィンキング強度をその指標と出来ない例のある事を示し、解決すべき問題点を明らかにした。

 またRLGの動作解析に用いるリングレーザの発振強度と位相に関する自己無撞着方程式に、ミラー面上の散乱源と散乱波の位相関係をミラーの動きをパラメータに取り入れ、RLGの動作解析を行い、散乱波位相制御を行う上で必要な条件を明らかにした。

 2.ミラーの研磨面の粗さと散乱特性の関係について調べ、RLGにとって重要な後方散乱について、面粗さの空間波長と散乱率の関係を明らかにし後方散乱の大きさを決める要因を特定した。同時に粗さの空間分布は人為的に形成された面では必ずしも一様でない事を示した。

 また散乱の大きな要因となる多層反射膜の粗さの発生メカニズムの解明を行い、膜面の粗さがアモルファス組織の無定型度に強く関係している事を明らかにした。その中で極低散乱ミラーを試作し、後方散乱率約8ppm/4srを実現し、この計測値を基にRLGのロックインしきい値を見積った。

 3.RLGに用いられるミラー面の粗さの特性や欠陥の状況を詳細に検討し、RLGの動作解析に用いるミラー面のモデル化を行った。この過程で粗さの非一様な空間分布及び散乱率が入射光の方向に対し異方性を持つ例のある事を示した(図1参照)。

図1 散乱率マップaは前方散乱、bは後方散乱を表わす。また左右の図は互いに逆方向のレーザビームで見た図に相当する。左図の左上の散乱源が右図では右下に来ているがその読み取り値が半分以下になっている。しかし左図右中下の散乱源は右図左中上に来ているがその読み取り値は変化していない。

 次にモデル化した散乱源を持つミラーにより構成されたRLGの入出力特性を自己無撞着方程式を用いて解析し、ミラーの変位による各散乱波間の位相変化によるウイング特性及びロックインしきい値のミラー変位依存性を明らかにした。この中で散乱波位相制御を実行する上で必要なロックインしきい値の大きさとウインキング強度が対応関係を持つために必要なミラーの条件を明らかにした。

 4.上記解析の中で従来提案されている散乱波の位相制御を行う手法では全てのミラーからの散乱波の位相関係を制御する事が出来ず、真の最小ロックインしきい値状態を必ずしも作り出すことが出来ないことを示し、その解決法を例示した。

 5.上記散乱波位相制御法を取り入れたメカニカルデイザバイアス方式の高精度RLGの設計、試作を実施し、その性能を評価した。その結果散乱波位相制御法が有効に働き、メカニカルデイザバイアスという実用的なバイアス方式のRLGが理論的角速度検出限界と考えられる量子ノイス限界に達する事が出来る事を示した(図2参照)。

図2 ランダムウォーク係数の蓄積時間依存性○印は各データ蓄積時間に対するランダムウォーク係数の実測値を表わし、実線は1/√Tを表わす。この例のランダムウォーク係数は本RLGの量子ノイズ限界に相当する3×10-4deg/√hrである事がわかる。

 以上の主な成果によって、RLGの実用上の最大の問題であるミラーの後方散乱によるロックイン現象を極端なミラーの高品位化に頼ること無く、著るしく低減させる手法を確立し、安価高性能のRLGの実現を可能ならしめる意義ある研究であることを明らかにした。

審査要旨

 理工学士潟岡泉提出の論文は「散乱波位相制御法による高精度リングレーザジャイロの研究」と題し、本文8章と付録からなっている。

 本論文はロケットや航空機、船舶等の慣性航法あるいは自動姿勢制御の分野で重要なリングレーザジャイロ(RLG)の高精度化に関する研究である。RLGはダイナミックレンジの広い、ダイレクトデジタル出力の角速度計で、ストラップダウン方式の慣性航法に適したものであるが、主として閉光路共振器を構成するミラーの散乱に起因するロックイン現象により、低入力角速度領域で角速度情報を失うという問題があった。

 本論文では上記の問題の解決に当たってミラーの超高精細化にのみ依存する事なく、各ミラーからの散乱波の強度を小さくし、ロックインしきい値の低減化をはかり、RLGの高精度化を実現するために必要な条件を明らかにしようとしたものである。

 第1章は序論であり、本研究を行うことになった背景や、これまでの研究を示し、本研究の意義と目的を述べている。

 第2章においてはまず本論文で取り扱う現象の理解を助けるためにウィンキングパターンとロックインしきい値の観測例を中心に現象の概要を示した。その中で従来報告されていなかった観測例を示し、ここで扱おうとする現象が、従来知られている現象の特異な例ではなく、従来の報告例をも含むより広い現象であることを示した。

 第3章においては散乱波位相制御法によるロックインしきい値の低減法についてPodogorskiにより提案された例を用いて説明し、RLGを回動させる時に現れるレーザビームのウインキング現象とロックインしきい値の制御がどの様に結びつくと考えられてきたのかを明らかにした。

 第4章においてはRLGの解析に用いるリングレーザの発振強度と位相に関する自己無撞着方程式をMaxwellの方程式より導出する過程を概観し、次にリングレーザを構成する3枚のミラー面上の散乱源と散乱波の位相関係をミラーの動きをパラメータとして同式に取り入れた。この過程で反射面に一様に分布した散乱源と、人為的加工面のような非一様分布の散乱源による散乱はそれぞれロックイン現象に対して異なる効果を持つことを示した。最後に実際のリングレーザの発振状態に近い条件下で、自己無撞着方程式がロックイン内外で安定解を持つことを示し、またRLGの入出力特性を記述できることを確認した。

 第5章ではまずミラーの研磨面の粗さと散乱の関係について述べ、粗さを空間波長別に評価する必要性を明らかにした。またRLGにとって重要な後方散乱および前方散乱について、表面粗さの空間波長と散乱率の関係を明らかにし、ロックイン現象の主要な原因である後方散乱の大きさに強く影響を与えるのは、RLGの発振波長程度の空間波長領域の粗さであることを明らかにした。同時に、表面粗さの空間分布は人為的に形成された面では一様でないことを示した。

 次に現在の加工技術で達成され得る最も低散乱なミラーを試作し、評価を行った。この中でアモルファス状態の膜の組織度を定量的に評価するために、RHEED(Reflection High Energy Electron Difraction)パターンの動径分布解析により得られる相関関数からオーダリングファクタを定義し、その大きさが成膜中にアシストするイオンのエネルギーに依存し、また膜面の粗さと良い相関を持つことを示した。これにより膜面の粗さがアモルファス組織の無定型度に強く関係していることを明らかにした。

 次にこれらにより決定された成膜条件の下で形成した多層膜ミラーにより後方散乱率8ppm/4srを実現した。またこの計測値を基にRLGのロックインしきい値を見積もった。

 第6章においては、RLGに実際に用いられているミラー面の粗さや点欠陥状態を明らかにし、解析に用いる散乱源をモデル化した。この過程で粗さの非一様な空間分布および散乱波の強度が入射光の方向に対し異方性を持つ例のあることを示した。次にモデル化した散乱源を持つミラーにより構成されたRLGの入出力特性を自己無撞着方程式を用いて解析し、ミラーの変位依存性を明らかにした。次に従来の散乱波位相制御法では真の最小ロックインしきい値を得ることはできないことを示し、その解決法の例を示して明らかにした。さらにこの方法により散乱波が互いに相殺され、その大きさが無視できるようになった場合、次に問題になるのはミラー面上等に局在する微少な欠陥(損失源)に定在波の節がロックするロスロックインであることをミラーの評価結果より明らかにし、散乱波位相制御法のみでは慣性誘導レベルには至らずメカニカルデイザバイアス等の補助手段が必要であることを示した。

 第7章においてはメカニカルディザバイアス方式のRLGの性能設計を行う上で考慮しなければならない各種の誤差要因を示した。それらの表式を用いて所要の要求性能を実現するためにRLGの各部の設計を行い、RLGを試作し、その性能を評価した。

 その結果散乱波位相制御法が有効に働き、所要の要求性能を満足していることが明らかになった。すなわちランダムウォーク係数、バイアス安定性、スケールファクタ安定性、スケールファクタ直線性はいずれもロックインしきい値により決まる限界近くに達しており、またロックインしきい値そのものもミラーの後方散乱値の合計より予測される値の約1/19にコントロールされており、その値はレーザビーム径内に含まれるであろう点欠陥(1mに換算して2〜3個分)に相当する値であることを示した。

 またミラー特性のばらつきの範囲内で選択可能なミラーにより構成したRLGに散乱波位相制御法を適用しメカニカルディザバイアス法によりRLGの理論的角速度検出限界と考えられる量子ノイズ限界に達することができることを示した。

 以上を要するに、RLGの実用上の最大の問題であるミラーの後方散乱によるロックイン現象を極端なミラーの高品位化に頼ることなく、著しく低減させる方法を確立し、小型高性能RLGの実現の可能性を示したことは工学上貢献することが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

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