本研究は老年者糖尿病患者の予後に大きく影響する糖尿病性網膜症と虚血性心疾患の発症頻度とその危険因子を8年間のretrospective studyにて検討したものであり、下記の結果を得ている. 1.老年者糖尿病患者189例において糖尿病性網膜症の発症頻度を検討したところ年間約8%で一定であった.これは若年者糖尿病患者の発症頻度と殆ど同じであった. 2.外来初診時の臨床検査所見のうち、老年者糖尿病患者での糖尿病性網膜症発症と有意に関連していたのは空腹時血糖値のみであり、推定糖尿病発症年齢・高血圧・肥満度などとは有意の関連を認めなかった. 3.Cox回帰による検討では、空腹時血糖値が100mg/dl上昇すると発症のリスクは1.39倍(95%信頼区間1.02-1.88)となった. 4.生命表分析で検討したところ、初診時空腹時血糖値140mg/dl以上の群では8年間の追跡期間中に実に約6割に糖尿病性網膜症の発症を認めた.なお140mg/dl未満の群でも約3割に糖尿病性網膜症の発症を認めた. 5.追跡期間中の2ヵ月ごとの外来での臨床検査所見を調査し、これと糖尿病性網膜症の発症との関連を検討したところ、血糖コントロールの指標であるHbAlcのみが有意に関連していた.血圧値や体重などとは有意の関連を認めなかった. 6.追跡期間中のHbAlc値が2%上昇すると、糖尿病性網膜症の発症リスクは1.68倍となった.追跡期間中のHbAlc値の変動と糖尿病性網膜症の発症頻度との関連を検討したが、有意の関連は認められなかった. 以上の結果より、老年者糖尿病患者の診断を糖尿病性網膜症の発症という観点から考察すると、空腹時血糖値で140mg/dl以上として問題ないと考えられた. また老年者の糖尿病性網膜症の発症頻度は若年者と同じであったことから、老年者においても血糖コントロールは重要で、そのコントロールの指標としてはHbAlc値でできれば7.5%以下であると考えられた. 7.今回の老年者糖尿病対象者424例のうち、8年間の追跡期間中に133例の死亡を認めたが、虚血性心疾患死が40例(30%)を占めた. 8.そこで追跡開始時までに虚血性心疾患を認めなかった343例において、虚血性心疾患の発症とその危険因子について検討した. 追跡期間中に虚血性心疾患の発症を43例(12.5%)に認めたが、追跡開始時の臨床検査所見のうち、収縮期血圧値・血清総コレステロール値そしてHbAlc値が虚血性心疾患の発症における独立した危険因子であった.喫煙歴・拡張期血圧値・HDL-コレステロール値・肥満度などとは関連を認めなかった. 9.収縮期血圧値が10mmHg上昇すると、虚血性心疾患の発症リスクは1.26倍(95%信頼区間1.06-1.50)となった.血清総コレステロール値が50mg/dl上昇すると、虚血性心疾患の発症リスクは1.43倍(95%信頼区間0.98-1.50)となった.またHbAlc値が3%上昇すると虚血性心疾患の発症リスクは2.38倍(95%信頼区間1.29-4.39)となった. 10.追跡期間中の2ヵ月ごとの臨床検査所見の平均値と虚血性心疾患の発症との関連を検討したところ、やはり収縮期血圧値と血清総コレステロール値が独立した危険因子であった.HbAlc値は追跡期間中の変動が大きく、傾向は認めたものの有意ではなかった. 以上のことより、老年者糖尿病患者においても高血圧・高脂血症そして高血糖が虚血性心疾患の危険因子であることが明らかになった. 以上、本論文は老年者糖尿病患者の予後に大きく関係する糖尿病性網膜症そして虚血性心疾患の発症頻度とその危険因子を検討した疫学的研究である.わが国では急速な高齢化社会を迎えている.特に老年者での糖尿病患者の罹病率は1割を越えようとしている.老年者糖尿病患者のコントロールの目安はどの程度であろうか.本研究ではこの点で重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる. |