学位論文要旨



No 212298
著者(漢字) 小田,秀明
著者(英字)
著者(カナ) オダ,ヒデアキ
標題(和) 腎癌の肉腫様転換における増殖能とp53遺伝子変異
標題(洋)
報告番号 212298
報告番号 乙12298
学位授与日 1995.04.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12298号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒木,登志夫
 東京大学 教授 渋谷,正史
 東京大学 教授 森,茂郎
 東京大学 教授 河辺,香月
 東京大学 助教授 村上,俊一
内容要旨 はじめに

 腎癌(腎細胞癌)は腎に発生する悪性腫瘍でヒトの癌の中でも代表的腫瘍であるが、その発生、遺伝子変異、発癌に関わる環境因子など未解決の部分の多い腫瘍である。癌化の過程はin vitroの発癌実験や動物を用いた実験発癌の知見から大きくイニシエーション、プロモーション、コンバージョン、プログレッションの4段階に分けることができる。最近の分子生物学の進歩により、各段階に対応した遺伝子変異が次第に明らかになり、特に大腸癌では組織学的に過形成病変、腺腫、早期癌、進行癌が認められ、それぞれに対応した複数の癌遺伝子、癌抑制遺伝子の変異が検出されている。しかし、大腸癌で見いだされるような癌化の過程に対応した遺伝子変化がヒト癌の全てに共通して認められるわけではない。腎癌においては細胞遺伝学および分子生物学的解析により染色体3p領域の欠失がその発生に重要であると考えられている。腎癌のステイジでみると3p領域の欠失は早期のものにもステイジの進んだものにも認められることから腎癌のイニシエーションに関連する変化であると考えられている。一方、腎癌のプログレッションに関わるメカニズムについてはほとんど分かっていない。

 癌におけるプログレッションには組織学的に腫瘍の脱分化を伴うことが知られている。腎癌の場合も脱分化を伴いつつ癌化の過程において進展し、興味深いことに、比較的希ではあるが肉腫様にトランスフォームする。腎腫瘍で通常の腎癌部位と肉腫様部位を単一腫瘍内に有し、両者が相接して存在し、両者の間に組織学的に移行像が認められる腫瘍は肉腫様腎癌と呼ばれ、腎癌の中でも極めて悪性度が高いことが知られている。

 本研究では肉腫様腎癌に注目し、腎癌のプログレッションについて検索した。肉腫様腎癌は腎癌のプログレッションを検索する上で良いモデルとなり得る腫瘍であるが、比較的希な腫瘍であることや組織学的に充分な検索を要するためパラフィン包埋材料を利用する必要がある。最近、パラフィン包埋材料を用いて細胞増殖能の解析が可能となり、polymerase chain reaction(PCR)で増幅することによりパラフィンブロックから抽出したDNA上の変異の解析も行えるようになった。本研究では肉腫様胃癌が通常の腎癌に比べ悪性度が高いことはその増殖能の高さによるか否かを、銀染色で同定できる核小体形成領域(AgNOR)数および抗proliferating cell nuclear antigen(PCNA)抗体による免疫組織化学により評価したPCNA-Labeling Index(PCNA-LI)を指標に調べた。つぎに、肉腫様腎癌において単一腫瘍内の形態的に異なる部位すなわち肉腫様部位と通常の腎癌部位において増殖能の違いを明らかにした。これらの研究により肉腫様腎癌は単一腫瘍内で直接プログレッションを検索できるモデルであることを確認し、通常の腎癌が肉腫様にトランスフォームすることに関与する遺伝子変異をp53遺伝子およびHa-ras遺伝子について検索した。

対象症例、材料と方法A.肉腫様腎癌と通常の腎癌における増殖能の比較検討

 対象症例:1970年から1989年の間に東京大学医学部附属病院にて切除された原発性腎腫瘍198例の全スライドを再検討し12例の肉腫様腎癌を見いだした(肉腫様腎癌の定義および症例の臨床病理データは本文参照)。12例は全て男性で平均年令56.3才、TNM分類では2例を除いてpT3以上であった。また、対照として通常の腎癌で代表的な組織学的異型度を示す部分に組織学的に変性壊死が少なく増殖能の評価に耐え得るという条件を満たす症例32例を抽出した。この内訳はGrade(以下Gと表す)1腎癌12例、G2腎癌12例、G3腎癌8例である。

 材料:上記12例の肉腫様腎癌の肉腫様部位と対照32例の腎癌のG1からG3のそれぞれ代表的な組織学的異型度を示す部位のパラフィン切片数枚を用いた。

 PCNA免疫組織化学およびPCNA-LI:PCNAは10%ホルマリン固定、パラフィン切片を用いてavldin-biotin-peroxidase complex法にて免疫組織化学的に検出した。PCNA-LIは少なくとも300個(300個から1000個)の腫瘍細胞核を数え陽性細胞数の割合を算定した。

 AgNOR染色と算定法:核小体形成領域(NOR)はPlotonらの1段階の銀染色法を用いた。すなわち、ゼラチンを1%蟻酸に溶解し最終濃度2%とした溶液と50%硝酸銀溶液を容量比1:2で混合し、この溶液にて25分間暗室中で反応させた。AgNOR数は核内の暗褐色から黒色のドットを200個の腫瘍細胞核について数え1核当りの平均AgNOR数を算定した。

 統計的解折:各グループ間の平均AgNOR値およびPCNA-LIの検定にはWilcoxon rank-sum testを用いた。AgNOR数とPCNA-LIとの相関はPearsonの相関係数とone-way analysis of varianceを用いた。

B.肉腫様腎癌の単一腫瘍内で組織学的に異なる部位(肉腫様部位と通常の腎癌部位)における増殖能の比較検討

 材料:Aで用いた12例の肉腫様腎癌の単一腫瘍内の肉腫様部位と通常の腎癌部位各々について増殖能の検討を行った。方法はAと同一である。

C.p53遺伝子およびHa-ras遺伝子変異の検索

 材料:A,Bで用いた12例に1990年以降に経験した2症例の肉腫様腎癌を加え計14症例を対象とした。

 DNA抽出:対象症例14例のフォルマリン固定パラフィンプロックから15ミクロンの切片数枚を作成し、これより肉腫様部位、通常の腎癌部位、非癌部を各々別個に顕微鏡下で切り出しパラフィンをキシレンにて除いた後proteinase K,フェノール・クロロフォルムにてDNAを抽出し、計42カ所からのDNAサンプルを得た。

 PCRによる増幅:PCRプライマーはp53遺伝子のエクソン5から8を含むようにイントロン内に、またHa-ras遺伝子のエクソン1のコドン12、13およびエクソン2のコドン61が増幅するようにイントロンおよびエクソンに設定し、通常のPCRを行った。

 クローニングとDNA塩基配列の決定:PCR産物を精製後pBluescritにサプクローニングし、少なくとも50個のrecombinant coloniesを混合培養したものから得られたDNAをサンガー法にてシークエンスし塩基配列を決定した。

 制限酵素による解析:以下に述べるごとくホットスポットとして変異の集積のみられたp53遺伝子のエクソン7(コドン244を含む)、エクソン8(コドン278を含む)について、肉腫様部位から得られたDNAをPCRし、PCR産物を直接制限酵素にて消化した。エクソン7についてはNsp Iを、エクソン8についてはEco RIIを制限酵素として用いた。

 p53タンパクの免疫組織化学的解析:一次抗体として抗ヒトp53タンパクのマウスモノクロナール抗体(DO-7),ポリクロナール抗体(CM-1)を用いABC法にてp53タンパクの過剰発現の有無およびその局在を調べた。

結果

 A.肉腫様腎癌と通常の腎癌における増殖能の比較検討: PCNAに対する免疫染色では腫瘍細胞核に陽性所見を認めた。PCNA-LIは、G1腎癌で2.1から9.2(mean±S.D.,4.8±2.7)、G2腎癌で12.0から31.4(19.8±5.6)、G3腎癌で25.8から45.4(37.8±6.6)であり、肉腫様腎癌では27.5から64.7(45.5±13.3)であった。PCNA-LIの平均値の差はG1またはG2腎癌と肉腫様腎癌との間で統計学的に有意であった(p<0.005)。肉腫様腎癌のPNCA-LIはG3腎癌よりも高い傾向にあるが、その平均値の差は統計学的に有意の差はなかった。AgNOR染色での反応産物は核内に暗褐色ないし黒色のドットとして認められた。腎癌におけるAgNOR値はG1腎癌では1.20から2.10(mean±S.D.,1.5±0.2)、G2腎癌で2.13から3.10(2.6±0.3)、G3腎癌で3.78から6.88(5.7±1.1)であるのに対し、肉腫様腎癌では4.25から11.68(7.8±2.0)であった。AgNORの平均値は肉腫様腎癌で最も高く、G1からG3および肉腫様腎癌における平均AgNOR値の差は各グループ間で統計学的に有意であった(p<0.01)。またPCNA-LIとAgNOR数の相関をみると相関係数0.845をもって直線関係にあることが分かった(p<0.01)。

 B.肉腫様腎癌の同一腫瘍内で異なる形態部位(肉腫様部位と通常の腎癌部位)における増殖能の比較検討: 対象とした12例の通常の腎癌部位はG1からG3まで各種の組織学的異型度を示すがいずれの症例も、AgNOR数,PCNA-LIを指標にした増殖能は肉腫様部位の方が高かった(p<0.01)。

 C.p53遺伝子およびHa-ras遺伝子変異の検討: 肉腫様腎癌14例中11例にp53遺伝子のエクソン5,7,8にミスセンスミューティションを認めた。これは、78.6%におよぶ極めて高率な変異頻度であった。11例の遺伝子変異を認めた症例の内1例を除く10例に単一腫瘍内でgenetic heterogencityが認められた。肉腫様部位では11例中8例にコドン278(エクソン8)の第2塩基の点突然変異(C→T)がみられた。また,11例中6例でコドン244(エクソン7)の第1塩基がGからTへの点突然変異を示した。また,5症例で肉腫様部位にダブルミスセンスミューテイションが認められた。この内4症例はコドン278と244に,1症例はコドン278と248の2ヶ所に点突然変異を生じていた。一方,通常の腎癌部位では2症例にのみ変異を認めダブルミューテイションは一例もなかった。全ての症例の非癌部から抽出したサンプルにはp53遺伝子のエクソン5から8には変異がなかった。False positiveな結果を除外し、ホットスポットとして認められた変異を確認するため制限酵素で直接PCR産物を消化した。制限酵素による切断パターンはシークエンスの結果と一致した。つぎに、p53タンパクに対する二種類の抗体を用いて免疫組織化学を行いp53タンパクの発現とp53遺伝子変異の関係を調べた。p53遺伝子に変異の認められた13ヶ所の部位(肉腫様部位11カ所、通常の腎癌部位2カ所)のうち12ヶ所の部位には腫瘍細胞の核に陽性所見を得た。 Ha-ras遺伝子にはコドン12,13,61を含むエクソン1,2における遺伝子変異は肉腫様部位,通常の腎癌部位,非癌部いずれにも認められなかった。

考察

 以上,肉腫様腎癌に注目して腎癌のプログレッションについて検討した。肉腫様腎癌は通常の腎癌に比べ増殖能が高く,単一腫瘍内でも肉腫様部位と通常の腎癌部位では増殖能に違いがあることを明らかにした。腎癌の増殖能についてはこれまでAgNOR数と腎癌の予後及び病期,DNA含量と組織学的異型度との関係,Ki-67免疫組織化学と核異型度との関係などの論文があり,これらは本研究の結果と一致している。しかし,肉腫様腎癌に注目しその増殖能を検討した論文はこれまでなかった。本研究の結果,肉腫様腎癌は腎癌のプログレッションを単一腫瘍内で検索できる良いモデルであることを確認した。さらに,肉腫様にトランスフォームする際に生じる遺伝子変異をp53遺伝子,Ha-ras遺伝子について検索し、p53遺伝子に2ヶ所のホットスポットを含むミスセンスミューテイションを高率に認めた。これまで,腎癌におけるp53遺伝子変異の報告は少ないが,染色体17p領域の欠失が腎癌のステイジの進んだ症例で多いこやp53遺伝子変異がステイジの進んだ症例からの腫瘍細胞株に多いことから腎癌のプログレッションへの関与が示唆されていた。本研究は腎癌のプログレッションにp53遺伝子変異が重要な役割を果たしていることを初めて明らかにしたと考える。本研究で認められたホットスポットについては環境因子の関与の可能性や肉腫様腎癌の組織学的特異性が考えられた。また,肉腫様部位に限局してダブルミューテイションが高率に認められたことはp53遺伝子変異の集積により腫瘍細胞の増殖能がさらに高まったことを示しており,これまでのダブルミューテイションのもつprogressive potentialの増加という仮説を支持するものである。p53免疫染色の結果はp53遺伝子にミスセンスミューテイションのみられた部位とほぼ一致して核内に過剰発現を認めた。このことはこれまで報告のある変異p53タンパクの性質と一致する結果であった。Ha-ras遺伝子についてはいずれの症例,いずれの部位にも変異は認められず,腎癌においては点突然変異によるrasタンパクの活性化の頻度は低いと考えられた。

審査要旨

 本研究はヒト腎癌のプログレッションに関与する遺伝子変異を明らかにするため、腎癌の肉腫様転換に注目し、肉腫様転換における増殖能とそれに関与する遺伝子変異に関してまとめたものであり下記の結果を得ている。

 1.肉腫様腎癌と通常の腎癌における増殖能の比較を、Proliferatlve nuclear antigen(PCNA)に対する免疫組織化学と核小体形成領域を銀染色で検出するAgNOR染色を用いて解析した。通常の腎癌では組織学的異型度が高くなるに従ってPCNA-Labeling indexとAgNOR数は統計的に有意の差をもって増加し、肉腫様腎癌では通常の腎癌と比べ最も高い値をとることが示された。

 2.肉腫様腎癌では単一腫瘍内に通常の腎癌部位と肉腫様部位が存在するが、単一腫瘍内で増殖能に違いがあるのかをPCNA-LIとAgNOR数を指標に検討したところ、何れの症例も増殖能は統計的に有意の差をもって肉腫様部位で高い事が分かった。

 3.腎癌の肉腫様転換に関与する遺伝子変異を検索するため、まずp53遺伝子に注目して解析した。肉腫様腎癌の肉腫様部位、通常の腎癌部位、非癌部それぞれからDNAを抽出し、p53遺伝子のエクソン5から8の領域を各エクソン毎にPCRにて増幅しサブクローニングの後塩基配列を決定した。この結果、肉腫様部位では78.6%(14症例中11例)にp53遺伝子のエクソン5、7、8にミスセンスミューテイションを認めた。ミューテイションのみられた11例中8例はコドン278に、6例はコドン244に同一の点突然変異がみられた。これらのホットスポットとして認められた変異に関しては制限酵素で直接PCR産物を消化する事によりFalse positiveではないことを確認した。また、5症例の肉腫様部位にダブルミスセンスミューテイションが認められた。通常の腎癌部位では2症例でp53遺伝子に変異がみられたに過ぎず、検索した14症例中10例に単一腫瘍内でgenetic heterogeneityが認められた。非癌部にはp53遺伝子に変異はなかった。

 4.肉腫様腎癌においてp53タンパクに対する2種類の抗体を用いて免疫組織化学を行いP53遺伝子変異とp53タンパクの過剰発現の関係を調べた。この結果p53遺伝子変異の認められた部位にほぼ一致した部位の腫瘍細胞核に陽性所見を得た。

 5.p53遺伝子と同様の方法でH-ras遺伝子の変異を肉腫様腎癌の肉腫様部位、通常の腎癌部位、非癌部それぞれから抽出したDNAについて解析したが何れの部位にも変異は認められなかった。

 以上、本論文は腎癌の肉腫様転換に注目して細胞増殖能と遺伝子変異の解析を行い、肉腫様部位では増殖能が他の通常の腎癌に比し著しく高く、肉腫様転換にp53遺伝子変異が重要な働きをしている事を明らかにした。本研究はこれまで報告のなかった癌の肉腫様転換に関するメカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50939