学位論文要旨



No 212300
著者(漢字) 菅原,康志
著者(英字)
著者(カナ) スガワラ,ヤスシ
標題(和) ラット頭蓋顔面骨の成長制御機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 212300
報告番号 乙12300
学位授与日 1995.04.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12300号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 養老,孟司
 東京大学 助教授 佐々木,富男
 東京大学 助教授 中村,耕三
 東京大学 助教授 高戸,毅
 東京大学 講師 須佐美,隆史
内容要旨 研究目的

 親子兄弟の顔貌が通常よく類似するように、頭蓋顔面骨格の成長には遺伝的因子が深く関与している。しかし、一卵性双生児であっても全く同一の顔貌を呈すわけではなく、そこには環境的因子の作用も関わっているのであろう。これら遺伝的因子、環境的因子が、骨形成結合組織(骨膜、軟骨膜、軟骨、縫合など)に、それぞれどのようなメカニズムで作用し、骨格形成を制御しているのか、これまで種々検討が行われてきたところであるが、未だよく解明されていない。現在までのところ、Van Limborghのいう、成長制御機構は骨形成結合組織に存在する遺伝的因子(intrinsic genetic factor)に負う部分が多いが、その周囲組織からの制御因子や、局所での機械的な力(epigenetic factor)も影響を与えており、環境的因子を含めた多くの因子による、きわめて複雑な相互関係の上になり立っているとする考えが支持されている。

 これまで成長制御機構の解明には、成長に関わるであろう因子を単独であるいは複数で制限したり、取り出したりして、その結果からその因子の機能を推測してゆく方法が採られてきた。しかし、これらの因子のいくつかが、脳組織の機能(組織の増大も含めた)や、咀嚼運動といったそれ自身が重要な生命維持の役割を担っているため、因子のいくつかを機能させない状態のモデルを得ることが難しかった。著者は、頭蓋顔面が呼吸、咀嚼など生力学的影響を受けず、また脳実質が成長および機能しない状態のモデルである近交系ラット異所性頭部移植モデルを用いて、頭蓋顔面骨の成長の過程を詳細に分析することにより、頭蓋顔面骨成長における軟部組織の果たす役割について、新たな知見が得られるのではないかと考え、以下に述べる研究を行った。

実験材料および方法

 生後10日の雌ルイスラットをdonorに、生後8週の同ラットをrecipientとして使用した。donorは、頭部を前肢とともに第3胸椎のレベルで体幹より切離したのち、顕微鏡下にrecipientの大腿動脈とdonorの下行大動脈、recipientの大腿静脈とdonorの下大静脈と血管吻合する(図1)。そののち室温下(22-25℃)に放置し、graftの脳虚血時間が150分になるまで待った上で、血流を再開する。吻合部の開存が確認されたらgraft頭頂部がrecipientの背側になるようにdonorを固定、閉創する。

図1

 以上のようにして18匹のモデルを作製した。このうち10匹を連続X線写真撮影の対象に、残りの8匹を非脱灰研磨標本とし組織学的観察の対象とした。また同様に飼育した雌ルイスラットを同数用意し、移植頭蓋との比較対照として用いた。

 X線写真撮影は頭部固定装置を用い、移植直前の生後10日より移植後10,20,30,40日目と経時的に行った。対照詳として雌ルイスラットを用い同様に生後10,20,30,40,50日巨と撮影を行った。得られた頭部X線規格写真から次に述べるような実測分析を行った。

1.座標分析

 測定は基底蝶形骨と前蝶形骨との縫合部の最下点を基準点Sとし、ここを通り大後頭孔最下縁を結ぶ直線およびこれに垂直な交線を座標軸X、Yとして設定した。ついで次に示す5つの計測点からX,Y軸までの距離すなわち座標値を計測した(図2)。

図2

 Ba:大後頭孔最下縁

 Oc:後ラムダ縫合

 Fr:frontal sinus hemologue

 Na:鼻骨先端

 Pr:上顎唇側歯槽突起先端

 ついで各計測点の平均値、標準偏差を求め、さらに両群の成長のばらつきを比較するために、F検定による等分散の検定を行った。また成長様式を把握するために、各日齢における座標値の平均値をSを原点とするX,Y軸座標上に記入し、それぞれの点を結びいわゆるProfilogramを作成して検討した。

2.実測長分析

 次の6項目の実長を計測し、それぞれの平均値、標準偏差を算出した(図3)。

図3

 Fr-Na:上部顔面の深さ。

 S-Na:全顔面の深さ。

 S-Pr:上顎の深さ。

 Pr-FrNa:歯を除いた顔面の高さ。

 S-Ba:頭蓋底の深さ。

 Ba-Oc:後頭蓋の高さ。

3.角度分析

 次の3項目の角度を計測し、それぞれの平均値、標準偏差を求めた(図4)。

図4

 ∠S-Ba-Oc: 頭蓋底に対する後頭蓋の成長方向。

 ∠Ba-S-Fr: 頭蓋底に対する前頭蓋の成長方向。

 ∠S-Fr-Na: 前頭蓋に対する顔面部の成長方向。

 組織学的観察の対象として8匹の実験モデルを2匹ずつ4群に分け、それぞれ移植後10日、20日、30日、40日目にgraftをrecipientより切離し、アルコール系で脱水を行いメチルメタクリレート樹脂中に包埋する。次に前頭鼻骨、冠状、ラムダ縫合の切り出しを行ったのち約10の研磨標本を作製した。まず偏光顕微鏡を用いて、直交ニコル下で対物ステージを縫合部構成線維が最も明るく見える位置にあわせ検鏡した。ついでこの薄片を0.05%トルイジンブルー液で染色し光学顕微鏡下で検鏡した。

結果1.座標分析の結果

 対照群、移植群とも、基準点Sより離れるにつれて標準偏差値は大きくなる傾向にあるが、標準偏差値は比較的小さく、頭蓋は比較的ばらつきの少ない安定した成長をしているといえる。またF検定の結果、全ての計測点において有意水準5%で測定値の分散には差が認められなかった。

 Profilogramについては、対照群50日齢のものと移植後40日のものを比べてみると(図5)、移植群の方が明らかに頭蓋が高く、顔面部においてもより傾斜が強く、頭蓋の長さに対して頭蓋の高い未成熟のラットの頭蓋に似ているといえる。さらに移植群においては頭蓋骨は、基準点を中心に時計回りに回転した形態を呈している。ただFr点の座標値の変化は少なく、対照群と移植群では、頭蓋の後方、後上方への拡大の低下および鼻尖Naの下方変位の2つの点が大きく異なっていた。

図5
2.実測長分析の結果(図6)

 有意の差を認めた計測値はPr-FrNaとS-Baの2項目のみであった。

図6
3.角度分析の結果(図7)

 有意の差を認めた計測値は∠Ba-S-Frのみであった。

図7
4.非脱灰研磨標本による組織学的観察

 移植後10日目にあたる冠状縫合、前ラムダ縫合で、膠原線維の伸張と線維芽細胞の紡錘形の形態変化がみられるが、移植後40日目では対照群と組織学的にはほとんど違いがみられていない。前頭鼻骨縫合では、全期間を通じて群間の差は認められなかった。また縫合間の基本的組織構造に差はなく、縫合が癒合する所見もないため、ほぼ正常に近い環境下での成長がなされていると考えられる。

考察1.本実験モデルの特性について

 本実験モデルにおいて、脳の発育増大という頭蓋に与える拡大緊張の力学的因子、および筋肉の収縮や緊張圧迫といった生力学的因子、そして脳を介したフィードバック機構についてはその機能を持たないと考えられる。

 しかし、移植に伴う重力の力学的影響および異なったホルモンバランスや栄養バランス、酸素濃度により特定の部位の成長量の違いを生じる可能性がある。それ以外については正常ラットの成長に関わるであろう因子とほぼ同程度の機能を持っているものと考えられた。

2.研究結果に対する検討

 移植頭蓋は一定の方向、量を持って成長し、しかも成長のばらつきは正常頭蓋のばらつきと差がなく、安定した成長をするといえる。

 移植頭蓋の実測長および角度分析では、(1)頭蓋底の後方への成長量が抑制されたこと、(2)前頭蓋の成長方向が頭蓋底に対して大きな角度を示したこと、(3)歯槽骨の成長量が増加したことの3点において差が生じたが、その他の計測項目については差は認められなかった。この原因は、移植に伴うホルモンの変化、脳実質の発育による力学的因子の欠如および歯牙の過成長によるものであると思われた。

 組織学的には、移植頭蓋において頭蓋内圧上昇が原因と思われる変化が移植後に、冠状縫合、前ラムダ縫合にみられたが、速やかな修復がなされ、移植40日目には正常頭蓋のものと違いはみられなかった。また頭蓋内圧の影響下にない前頭鼻骨縫合部では、正常と組織学的に差が認められず、ここを含む骨の成長量(Fr-Na)にも差がみられなかった。

3.成長制御機構について

 本実験モデルにおいて、脳の発育増大という頭蓋に与える拡大緊張の力学的因子、および筋肉の収縮や緊張圧迫といった生力学的因子、そして脳を介したフィードバック機構については機能しない因子となっている。従って、移植頭蓋が一定の方向と、量を持って成長し、しかも成長のばらつきが正常頭蓋のばらつきと差がなかったこと、前頭鼻骨縫合部では正常のそれと組織学的に差が認められず、ここを含む骨の成長量にも差がみられなかったことから、頭蓋顔面骨の骨添加と転位の量と方向は、少なくともこの機能しない因子に依存しない所で決定されている可能性がきわめて高い。また、咀嚼運動などの筋肉の力学的影響や神経伝達物質などによる脳を介したフィードバック機構についても、頭蓋骨の骨添加と転位をもたらす一次的な要因とはならないことが示された。ただ移植頭蓋の歯槽骨の成長量が増加したことから、歯槽骨などは咬合による力学的要素のフィードバックを受けていると思われる。

 以上のことから、頭蓋の成長は脳組織の発育増大や筋肉の収縮により受動的になされるのではなく、頭蓋顔面骨に存在する骨形成結合組織の自律的成長能に基づき能動的になされていると考えることができる。いいかえれば、genetic preprogrammingつまりintrinsic genetic factorが基本的な頭蓋顔面のパターンを決定しており、軟部組織つまりepigenetic factorの役割は比較的少ないといえよう。

審査要旨

 本研究は、近交系ラット異所性頭部移植モデルを用い、いくつかの機能が影響しない状況下での頭蓋顔面骨の成長様式を、正常頭蓋顔面骨のそれと形態分析法および組織学的観察法を用い比較検討することで、成長制御のメカニズムにのうち頭蓋顔面骨成長における軟部組織の果たす役割、つまりintrinsic genetic factorとepigenetic factorとのバランスを検討したもので、以下の結果を得ている。

 1)移植頭蓋は一定の方向、量を持って成長し、しかも成長のばらつきは正常頭蓋のばらつきと差がなかった。

 2)移植頭蓋の実測長および角度分析では、(1)頭蓋底の後方への成長量が抑制されたこと、(2)前頭蓋の成長方向が頭蓋底に対して大きな角度を示したこと、(3)歯槽骨の成長量が増加したことの3点において差が生じたが、その他の計測項目については差は認められなかった。

 3)移植頭蓋において、頭蓋内圧上昇が原因と思われる組織学的変化が移植後に、冠状縫合、前ラムダ縫合にみられたが、速やかな修復がなされ、移植40日目には正常頭蓋のものと違いはみられなかった。頭蓋内圧の影響下にない前頭鼻骨縫合部では、正常と組織学的に差が認められず、ここを含む骨の成長量(Fr-Na-)にも差がみられなかった。

 5)移植頭蓋において形態的な差を生じた原因は、脳実質の発育による力学的因子の欠如および歯牙の過成長によるものであると思われた。

 6)頭蓋顔面骨の成長は脳組織の発育増大、および咀嚼運動などの筋肉の力学的影響により受動的になされるのではなく、頭蓋顔面骨に存在する骨形成結合組織の自律的成長能に基づき、能動的になされると考えられた。いいかえれば、genetic preprogrammingつまりintrinsic genetic ractorが基本的な頭蓋顔面のパターンを決定しており、軟部組織つまりepigenetic factorの役割は比較的少ないといえる。

 以上、本論文は頭蓋顔面が呼吸、咀嚼など生力学的影響を受けず、また脳実質が成長および機能しない状態での成長におけるintrinsic genetic factorとepigenetic factorとのバランスを明らかにした。本研究は頭蓋顔面骨の成長制御のメカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50940