学位論文要旨



No 212302
著者(漢字) 高木,道人
著者(英字)
著者(カナ) タカギ,ミチト
標題(和) 成人腰椎黄色靭帯の立体構造 : 肉眼解剖による
標題(洋)
報告番号 212302
報告番号 乙12302
学位授与日 1995.04.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12302号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山内,昭雄
 東京大学 教授 町並,陸生
 東京大学 教授 養老,孟司
 東京大学 助教授 長野,昭
 東京大学 講師 丹下,剛
内容要旨

 黄色靭帯の肉眼解剖は二つの意味で今日の脊椎外科の盲点である.

 第一に外科的侵襲の前提として,術者は自らが扱う器官・組織の立体構造および隣接組織との位置関係について,少なくとも肉眼解剖のレベルでは熟知しているべきである.しかし,実際には脊柱管への進入法のうち最も多用される後方進入法の際侵襲を加える黄色靭帯について,これらの知識がない.

 第二に疾患の概念の少なくとも主要部分は確認された事実に基づくべきである.しかるに,頻度の高い疾患である腰部脊柱管狭窄症の狭窄要因の一つとされる黄色靭帯の肥厚は,いまだにそれが実在するか否か不明である.この原因は,黄色靭帯の正確な形態が不明なため,それが異常か否か判定できないばかりか,たとえ厚さを測定しても,測定部位すら明確に表現できないためである.すなわち,黄色靭帯の肥厚の有無が不明のまま,この疾患の原因を靭帯の肥厚に求めている.

 以上のように,黄色靭帯の病態の解明や脊椎外科の進歩には,この靭帯の形態を熟知する必要がある.しかし,これまでの成書や論文には,黄色靭帯を一個の構造体として全体を認識させる記載はなかった.

 本研究の目的は成人腰椎黄色靭帯の立体的全体像を隣接組織との関係を含めて知る事である.

材料と方法

 材料は,15体(男性12体,女性3体)の病理解剖屍体(18歳-94歳,平均59歳)の第1腰椎から第5腰椎の後方部分を一塊として,前面が硬膜外脂肪組織,後面が固有背筋におおわれた状態で採取した.

 観察は,脊椎外科への応用という目的から方法と視点が手術に近い採取材料を用いた肉眼解剖法(10体)と黄色靭帯の全体像を観察する目的で骨から分離した状態でも原形に近い形態を維持させるためにポリエステル樹脂に包埋した黄色靭帯(5体)を用いて肉眼的に行った.

 まず採取材料を用い,黄色で弾性硬の線維組織を黄色靭帯の指標として,黄色靭帯とその周囲の軟部組織および骨との関係を観察した.軟部組織との関係は,硬膜外脂肪組織,固有背筋,椎間関節包靭帯,棘間靭帯との位置関係を調べた.骨との関係は,まず材料の前面において黄色靭帯を骨の付着端から切離することにより,骨への付着部位を観察した.ついで後面において黄色靭帯をおおう骨を掘削してこの靭帯を残し,黄色靭帯の輪郭と椎骨の後面構造との関係を観察した.

 次に黄色靭帯を骨に付いたまま先の樹脂に包埋し,先と同様に色と硬度を黄色靭帯の指標として,余分な樹脂と骨・軟部組織を掘削して樹脂に包埋されたこの靭帯を取り出し観察した.

 さらに黄色靭帯の部分構造および異なる椎間高位での形態の差を観察した.

結果I.採取材料の肉眼解剖による観察結果(1)隣接する軟部組織との関係

 黄色靭帯はその前面を硬膜外脂肪組織におおわれていた.しかし,両者の間には移行する線維束はなかった.

 固有背筋との間には脂肪組織が介在していた.

 椎間関節包靭帯および棘間靭帯とは連結しており,椎間関節をとりまく一個の構造体をなしていた.三者の関係を前面から後面へ観察すると,黄色靭帯は上下の椎弓間を連結し,その外側部分は椎間孔の後縁をへて椎間関節の上面に伸び,椎間関節の上面と後面との境界部で椎間関節包靭帯を後方からおおうようにこの靭帯に移行していた.椎間関節の後面をおおった椎間関節包靭帯は,椎間関節の下面でこの靭帯と棘間靭帯とを連結する線維束に移行していた.この線維束は,椎間関節包靭帯の下部で後方からこれをおおい横走する線維(関節包部)と下位椎弓の外側から関節包部を後方からおおい内上方に斜走する線維(椎弓部)とからなり,棘間靭帯の表層に移行していた.すなわち,黄色靭帯は上下の椎弓間の後面で外側はこの線維束に,正中は棘間靭帯におおわれていた.

(2)骨との関係

 黄色靭帯と椎骨との前面からの位置関係は容易に観察できるのに対し,黄色靭帯の後面の大部分は複雑な形をした椎骨におおわれているので,この靭帯を骨から切離したり骨を掘削しなくては,黄色靭帯の骨への付着部位や後面からの両者の位置関係は観察できなかった.

 まず前面から観察すると,黄色靭帯は上位椎弓の下縁と下位椎弓の上縁との間に存在していた.骨への付着部位をみると,上位脊椎へは正中では棘突起の基部の下端に,その両外側では,椎弓板の前面下縁の稜線から下関節突起の前面に付いていた.下位脊椎へは正中では棘突起の基部の上端に,その両外側では,椎弓板の上縁に前方と後方とからこれをはさむように付いていた.さらにその外側では,上関節突起の椎間関節面の内縁から上縁に沿った溝に付いていた.椎間関節の前面からみると,黄色靭帯は関節裂隙を前方から跨ぐように上下の関節突起のそれぞれの椎間関節面の外周に沿った溝に付いていた.以上の観察から,黄色靭帯の上位脊椎への付着面積と下位脊椎へのそれとを比べると,上位脊椎への付着面積がより大きかった.

 次に黄色靭帯の輪郭と椎骨の後面構造との関係をみると,黄色靭帯は正中では上下の棘突起の間,その両外側では上下の関節突起の間を占めていた.すなわち,黄色靭帯の上方付着点を正中から外側へたどると,上位脊椎の棘突起の上・下端の中央からその両外側の下関節突起の基部,さらにその外側では肋骨突起の基部の下縁に達していた.黄色靭帯の下方付着点は,下位脊椎の棘突起の上縁からその両外側の椎弓板の上縁,さらにその外側では上関節突起の内縁から上縁に達していた.

II.合成樹脂に包埋された黄色靭帯の観察結果

 黄色靭帯の全体像は,正中を対称軸に左右に羽をひろげた蝶の形をした立体的な靭帯であった.

 正中は蝶の体部にあたる部分であり,前方からみると縦に細長く窪んでいた.その両外側に蝶の前羽にあたる部分があり,前方凸のゆるやかな曲面を描いて外方にむかって伸びており,先端は湾曲が強くなっていた.前羽の内側下後方に後羽にあたる部分があった.前面と比べて後面は付着する椎骨の形を反映して起伏に富んでいた.側面からみると,前羽にあたる部分と後羽にあたる部分は共に後方の体部にあたる部分から前方にむかって伸びていた.上方または下方からみると,この靭帯はV字形をしていた.

III.黄色靭帯の構造の区分

 黄色靭帯の各部分は,その大部分が付着する骨の形を反映しているので,骨への付着部位に基づく形の差からそれを区分し名称を付けた.

 前面は棘突起間部,椎弓板間部,椎弓根間部,椎弓板窩部の4部分に区分した.後面は棘突起部,椎弓間部,下関節突起部,関節突起間部,上関節突起部,椎間孔部の6部分に区分した.

IV.椎間高位の違いによる形態の比較

 黄色靭帯は,上位から下位にいたるほど蝶の左右の羽にあたる部分がなす前方開角が大きくなり,縦と横の長さが長くなっていた.また下位にいたるほど,側面では蝶の羽にあたる部分の上方への傾斜が小さく,後面では蝶の左右の羽にあたる部分の上縁のなす角が大きくなっていた.さらに下方からはV字形にみえるV字の腕が長くなり,左右の腕が前方でなす角も大きくなっていた.

考察

 本研究で得られた黄色靭帯の形態および隣接組織との関係の知識は,腰椎後方進入法の改良および黄色靭帯の病態研究の基礎として有意義であると考える.

 例えば腰椎々間板ヘルニアの手術の際,従来は椎弓間の後面をおおう線維組織を一塊として切除し脊柱管内に進入していた.しかし,今後は,黄色靭帯の後面をおおう椎間関節包靭帯と棘間靭帯とを連結する線維束の外側だけを骨から切離反転して黄色靭帯を露出し,その一部を切除して脊柱管内に進入後,先の線維束を修復する事で,術後,腰椎後方要素の支持性を維持できる可能性がある.

 また,脊椎後面から黄色靭帯全体の立体的輪郭を念頭に置く事が出来るので,椎弓切除術の際,術前から骨の掘削範囲を従来より的確に決定でき,実際の掘削操作もより安全になると考える.

 さらに黄色靭帯の全体像および部分構造が認識できるので,黄色靭帯の形態異常の有無の判断が以前より容易になった.同時に,黄色靭帯は従来考えられていたような平板な構造ではなく立体的な構造であり,しかも各部分および高位によりその形態に微妙な差があるので異常の有無の判定は慎重にすべき事も明らかになった.そこで,実際に肥厚があるか否かの判定には,黄色靭帯の各部分が表現可能になったので,肥厚していると思われる部分の厚さを測定したり,組織学的検査を併用して他の標本と比較するのが良いと考える.

審査要旨

 本研究は,脊椎疾患および脊椎手術にたずさわる著者がその必要性を感じつつも未解決であった,成人腰椎黄色靭帯の立体構造を隣接組織との関係を含めて肉眼解剖学的立場から明らかにすることを目的としたものである.

 この問題が未解決であった理由は,黄色靭帯を骨から分離した状態でその原形を維持できる方法がなかったからである.すなわち,黄色靭帯の大部分は骨に付いており,骨の形がこの靭帯の形態に大きな影響を与えているので,骨に付いたままの状態で黄色靭帯の全体像を観察するのが理想である.しかし,実際に黄色靭帯の全体像を観察するにはこの靭帯を骨から分離せざるをえず,この靭帯を骨から分離すると骨による支持を失うと共に,この靭帯特有の弾性により線維方向に短縮するので,その原形を維持できなくなるからである.

 この問題を解決するために,本研究では解剖屍体から骨を含めた隣接組織と共に黄色靭帯を採取してこれを二群に分け,一方は隣接組織との関係を知るためにそのまま肉眼解剖法で観察し,他方は黄色靭帯の全体像を観察するために骨から分離した状態でも原形に近い形態を維持させるためにポリエステル樹脂に包埋後,余分な樹脂を掘削して樹脂に包埋された黄色靭帯をとりだし肉眼的に観察するという方法を用いて,下記の結果を得ている.

 1.黄色靭帯の全体像は,正中を対称軸に左右に羽をひろげた蝶の形であり,前額面ばかりでなく矢状面にも広がりを持つ立体的な靭帯であることが明らかにされた.すなわち,正中は蝶の体部にあたる部分であり,その両外側に蝶の前羽にあたる部分が,前羽の内側下後方に後羽にあたる部分があり,共に前方凸のゆるやかな曲面を描いて前外方に向かって伸びていることが示された.

 2.黄色靭帯は,前面における棘突起間部,椎弓板間部,椎弓根間部,椎弓板窩部の4部分,および,後面における棘突起部,椎弓間部,下関節突起部,関節突起間部,上関節突起部,椎間孔部の6部分に区分するのが適切であることが示された.

 3.椎間高位の差に基づく形態の比較では,黄色靭帯は上位から下位にいたるほど蝶の左右の羽にあたる部分がなす前方開角が大きくなり,縦と横が長くなっていることが明らかにされた.また,従来の腹面からの観察だけでなく,多方向からの観察像が得られたことにより,高位の違いによる形態の差も立体的に提示された.

 4.隣接する軟部組織との関係では,黄色靭帯は硬膜外脂肪組織および固有背筋と近接しているが,これらの組織との間には互いに移行する線維束はないことが明らかにされた.また,黄色靭帯は椎間関節包靭帯および棘間靭帯とは連結しており,三者は椎間関節をとりまく一個の構造体をなしていることが明らかにされた.

 5.骨との関係では,前面からの黄色靭帯と椎骨との関係は容易に観察できるのに対し,黄色靭帯の後面の大部分は複雑な形をした椎骨におおわれているので,この靭帯を骨から切離したり,骨を掘削しなくては,黄色靭帯の骨への付着部位や後面からの両者の関係は観察できないことが明らかにされた.まず前面からの観察により,黄色靭帯は上位脊椎へは正中では棘突起の基部の下端に,その両外側では,椎弓板の前面下縁の稜線から下関節突起の前面に付いており,下位脊椎へは正中では棘突起の基部の上端に,その両外側では,椎弓板の上縁に前後からこれをはさむように付くことが明らかにされた.また,上位脊椎への付着面積が下位脊椎へのそれよりも大きいことが明らかにされた.次に背面からの観察により,黄色靭帯の輪郭と椎骨の背面構造との位置関係が明らかにされた.それによると,黄色靭帯の上方付着点は,上位脊椎の棘突起の上・下端の中央からその両外側の下関節突起の基部,さらにその外側では肋骨突起の基部の下縁に達しており,下方付着点は,下位脊椎の棘突起の上縁からその両外側の椎弓板の上縁,さらにその外側では上関節突起の内縁から上縁に達することが示された.

 これらの新知見により,黄色靭帯の全体像および部分構造が認識可能になり,この靭帯は従来考えられていたような平板な構造ではなく立体的な構造であり,しかも各部分および高位によりその形態に微妙な差が存在するので,黄色靭帯の形態の異常の有無の判定は慎重にすべき事が示された.また,脊椎後面から黄色靭帯全体の立体的輪郭を念頭に置くことが出来るので,椎弓切除術の際,術前から骨の掘削範囲を従来より的確に決定でき,実際の掘削操作もより安全になった.さらに隣接組織との関係の知見をもとに手術法を改良することにより,術後,腰椎後方要素の支持性を維持できる可能性が示された.

 以上,本論文は解剖屍体を用いて,成人腰椎黄色靭帯の立体構造を隣接組織との関係をふくめて明らかにした.本研究の結果は,腰椎後方進入法の改良をはじめとする脊椎外科の進歩および腰部脊柱管狭窄症をはじめとする脊椎疾患の病因の一つと考えられる黄色靭帯の病態研究に貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考える.

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