学位論文要旨



No 212317
著者(漢字) 山口,宏二
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,コウジ
標題(和) 神経成長因子生産促進物質の研究
標題(洋)
報告番号 212317
報告番号 乙12317
学位授与日 1995.05.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12317号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,紘一
 東京大学 教授 小野寺,一清
 東京大学 教授 舘,鄰
 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 教授 福井,泰久
内容要旨

 神経成長因子(NGF)は中枢コリン作動性神経、知覚神経および交感神経の分化、成長、生存維持、機能維持に不可欠な蛋白質として知られている。そのため、NGFは中枢コリン作動性神経の変性が顕著なアルツハイマー型痴呆症や糖尿病性末梢神経障害などの治療薬として期待されており、動物実験などでその有効性が示されている。しかしながらNGF自体を治療薬として用いる場合にはいくつかの問題点がある。一つはNGFは高分子であるために末梢から投与しても血液脳関門を通過できず中枢神経系に到達できないという問題である。中枢神経系の治療に用いる場合、脳内に直接投与しなければならず臨床応用が非常に困難である。もう一つの問題点は、神経障害をNGFで修復しようとした場合、障害の局所に高濃度で投与しなければならないことである。つまり神経障害の部位をかなり厳密に特定しなければならず、多発性の神経障害の場合には応用が難しいと考えられる。これらの問題を解決する一つの手段として、生体内のNGF生産能を高める方法が考えられる。末梢から投与して血液脳関門を通過し脳内でNGF生産を高めるような低分子化合物であれば、NGFを脳内に直接投与するのと同様の効果が期待できる。末梢神経系の疾病に用いる場合には血液脳関門を通過しない方がよいが、低分子化合物ならば誘導体化することにより中枢移行性を制御しやすいという利点もある。また全身的にNGF生産を高めることができれば多発性の神経障害にも対応し得ると考えられる。以上のような理由で、低分子NGF生産促進物質はNGF自体よりも臨床的に有用であると考え、低分子NGF生産促進物質の研究を行った。

 L-M細胞(マウス末梢由来線維芽細胞)を用い天然化合物および合成化合物からNGF生産促進物質の探索を行った結果、fellutamide(FE)類、pyrroloquinoline quinone(PQQ)類、kansuinin A(KA)、ingenol triacetate(IT)、およびjolkinolide B(JB)(図1)という5種類のNGF生産促進物質を発見した。これらのNGF生産促進物質は化学構造やNGF生産促進活性の特徴がそれぞれに異なった、違うタイプのNGF生産促進物質であった。FE-AはL-M細胞のみでなくラット脳初代培養細胞、アストログリア細胞でもNGF生産を促進した。PQQ類はこれまで報告されているquinone化合物より広い濃度範囲で非常に強力にNGF生産を促進した。KAは100倍以上もNGF生産を促進し、現在知られているNGF生産促進物質の中では最も強い活性である。ITは非常に広い濃度範囲で高いNGF生産促進活性を示し、高濃度での活性の低下が見られず、このような活性を示すものは他に報告されていない。JBはITとは逆に非常に狭い濃度範囲でのみNGF生産を促進した。これら5種類の化合物のL-M細胞におけるNGF生産促進活性を図2に示す。

【図1】NGF生産促進物質の化学構造【図2】NGF生産促進物質の活性(L-M細胞)NGFの定量は抗NGF抗体を用いた酵素免疫測定法で行った。

 次にNGF生産促進物質のin vivoでの作用を調べた。ラットにNGF生産促進物質であるPQQ誘導体を投与し、大脳新皮質、海馬、および顎下腺のNGF含量を測定した。In vitroで強力なNGF生産促進活性を示したPQQ-trimethylester(PQQ一TME)投与で顎下腺のNGF含量がわずかに増加したが、脳ではNGF生産促進活性が見られなかった。一方、in vitroでほとんど活性の見られなかったoxazopyrroloquinoline(OPQ)-trimethylester(OPQ-TME)投与で大脳新皮質および顎下腺のNGF含量が増加した(図3)。この結果からOPQ-TMEは血中蛋白質などと結合しやすいPQQ-TMEのプロドラッグとして作用していることが示唆された。NGF生産促進物質の投与により、生体内でNGF生産促進作用が確認されたのは本研究が初めてである。また、坐骨神経切断-再生試験において、PQQ類の全身投与でNGF局所投与と同様の強い神経再生促進作用が見られ(図4)、NGF生産促進物質がNGF自体と同等の末梢神経障害治療効果を持つことが判明した。

図表【図3】OPQ-TMEのin vivoでのNGF生産促進活性(ラット) Neocortex:大脳新皮質、Hippocampus:海馬、Submax.Gland:顎下線 NGF定量は酵素免疫測定法で行った。 / 【図4】PQQ誘導体の坐骨神経再生促進作用(ラット) 切断した坐骨神経をチューブで接続しNGFはチューブ内投与。 PQQ誘導体は腹腔内投与。4週間後、再生神経線維の本数を比較した。

 更に、これまで不明な点が多かったNGF生産促進物質の作用機構の解析を行った。L-M細胞において4-methylcatechol、PQQ、KA、およびITのNGF生産促進作用にアラキドン酸カスケードが関係することを発見し、種々の解析を行った結果、NGF生産促進作用はcyclooxygenase活性の増加、およびprostaglandin D2、J2生成促進を介して発現していることが示唆された(図5)。

【図5】NGF生産促進物質の作用機構(L-M細胞)

 以上のように本研究において、FE類、PQQ類、KA、ITおよびJBという5種類のNGF生産促進物質を発見し、NGF生産促進物質がin vivo脳内NGF量を増加させることを初めて示した。さらにPQQ誘導体の全身投与によりNGF局所投与と同等の末梢神経障害治療効果が得られることを示した。また、これまで明らかでなかったNGF生産促進物質の作用機構に関する新たな知見を得ることができた。

審査要旨

 本論文は,中枢及び末梢神経障害の治療薬として期待される神経成長因子生産促進物質を探索した結果5種類の活性物質を見出し,その培養細胞における活性,動物における活性,及び作用機構について述べたものであり,5章よりなる。

 第1章で研究の背景や意義について概説した後,第2章では神経成長因子生産促進物質の探索及びその活性について述べている。マウス末梢由来線維芽細胞株であるL-M細胞を用い神経成長因子生産促進活性を指標にスクリーニングを行った結果,fellutamide類,pyrroloquinoline quinone類,kansuinin A,ingenol triacetate,及びjolkinolide Bの5種類の活性物質を見出した。これらの神経成長因子生産促進物質は化学構造や神経成長因子生産促進活性の特徴がそれぞれに異なった,違うタイプの神経成長因子生産促進物質であった。Fellutamide類はL-M細胞のみでなくラット脳初代培養細胞,アストロダリア細胞でも神経成長因子の生産を促進した。Pyrroloquinoline quinone類はこれまで報告されているquinone化合物より広い濃度範囲で非常に強力に神経成長因子の生産を促進した。Kansuinin Aは100倍以上も神経成長因子の生産を促進し。現在知られている神経成長因子生産促進物質の中では最も強い活性であった。

 Ingenol triacetateは非常に広い濃度範囲で高い神経成長因子生産促進活性を示し,高濃度での活性の低下が見られなかった。Jolkinolide Bはingenol triacetateとは逆に非常に狭い濃度範囲でのみ神経成長因子の生産を促進した。

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 第3章では神経成長因子生産促進物質のin vivoでの作用について述べている。ラットに神経成長因子生産促進物質であるpyrroloquinoline quinone誘導体を投与し,大脳新皮質,海馬,および顎下腺の神経成長因子含量を測定した。In vitroで強力な神経成長因子生産促進活性を示したpyrroloquinoline quinone trimethylester投与で顎下腺の神経成長因子含量がわずかに増加したが。脳では神経成長因子生産促進活性が見られなかった。一方,in vitroでほとんど活性の見られなかったoxazopyrroloquinoline trimethylester投与で大脳新皮質および顎下腺の神経成長因子含量が増加した。この結果からoxazopyrroloquinoline trimethylesterは血中蛋白質などと結合しやすいpyrroloquinoline quinoneのプロドラッグとして作用していることが示唆された。また,坐骨神経切断-再生試験において,pyrroloquinoline quinone誘導体の全身投与で神経成長因子局所投与と同様の強い神経再生促進作用が見られ,神経成長因子生産促進物質が神経成長因子自体と同等の末梢神経障害治療効果を持つことを明らかにした。

 第4章では神経成長因子生産促進物質の作用機構について述べている。これまで不明な点が多かった神経成長因子生産促進物質の作用機構の解析を行った結果,L-M細胞における4-methyl-catechol,pyrroloquinoline quinone,kansuinin A,およびingenol triacetateの神経成長因子生産促進作用にアラキドン酸カスケードが関係することを発見し,シクロオキシゲナーゼ活性の増加,およびプロスタグランジンD2,J2生成促進が関与していることが示唆された。最後に第5章で総括的な考察を述べている。

 以上本論文は,神経成長因子生産促進物質としてfellutamide類,pyrroloquinoline quinone類,kansuinin A,ingenol triacetate,及びjolkinolide Bを見出し,その培養細胞および動物における活性,作用機構を明らかにしたものであって,学術上,応用上寄与するところが少なくない。よって,審査員一同は,申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判断した。

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