学位論文要旨



No 212321
著者(漢字) ターサック,スバサラム
著者(英字) Terdsak,Subhasaram
著者(カナ) ターサック,スバサラム
標題(和) タイ国東北部における塩害地を改良する簡単で効果的な方法
標題(洋) Simple and Effective Techniques to Ameliorate Salt-Affected Areas in Northeast Thailand
報告番号 212321
報告番号 乙12321
学位授与日 1995.05.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12321号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,聰
 東京大学 教授 茅野,充男
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 助教授 小柳津,広志
内容要旨

 タイ国東北部では、農業の発展が遅れ、農民が著しく貧しい生活を強いられている。この原因として、熱帯モンスーン帯に属し、雨期と乾期が交代が明瞭で、雨期の降雨が少なく、年変動が大きいことと、土壌が悪いことが通常挙げられている。事実、大部分の耕地土壌は、世界の中でも最も肥沃度が低い砂質の酸性土壌であり、そのかなりの部分が塩害の脅威に曝されている。また、ここでの塩害は森林伐採などの人間活動で強化・拡大している。

 この塩害問題の解決を目指して、タイ国政府は独力ないしは先進諸国と協力して、これまでにも幾つものプロジェクトを実施してきた。これらのプロジェクトは、多くの"新技術"を生みだした。一部のプロジェクトでは土木事業を実施した。しかし、大部分の"新技術"は農民に受け入れられず、土木事業も塩害を減少させずに、農民の飲料水になる井戸水を枯らしたと非難されている。"新技術"が普及しないのは、貧しい農民にとって"新技術"が複雑、高価であり、効果が不明確で、しかも短期的利益を生みださないためであった。また、土木事業の失敗は塩害の発生過程の理解が不十分なためであった。

 本研究は、塩害の発生過程の深い理解を基礎として、簡単で安価、しかも顕著な効果を示し、直ちに農民の利益に結び付く方法を開発することを目的として実施されたものである。この目的を達成するために、著者が参加して、これまでに得られた知見を野外観察で確認・補強するとともに、代表的な塩害地帯にあるプラユン村に試験地を設け、幾つかの野外試験を実施した。

試験地の概要

 試験地には斜面の上部近くから麓までが含まれており、塩害は斜面中腹部から下方に広がっていた。試験地の下縁の外側には、塩害で放棄された水田、一部塩害を受けている水田、塩害が見られない水田の順に並んでいた。

 試験地の元植生は森林であり、森林を伐採し、畑や水田として利用し始めて間もなく、塩害が始まり、耕作を諦めたと判断された。

塩害発生過程

 乾期に地表近くに集積した塩が、雨期には流去水によって土壌粒子と共に斜面下部に運ばれ、低地の水田にまで侵入し、稲に害を与えていることが確認された。また、塩害地で、裸地化が進む原因としては、(1)土壌表面近くに存在している、有機物と粘土に富む不透水層、(2)激しい侵食・堆積の二つが重要である事実とその機構も確認された。即ち、不透水層は、雨期に塩を保持し、還元状態に陥り、植物の生育を阻害しており、激しい侵食・堆積は種子の定着、発芽を不可能にしている。なお、裸地化した部位はsalt patchと呼ばれている。

雑草の生育状況

 塩害地には、"雨期雑草"と"乾期雑草"があること、前者は土壌の還元状態に対する抵抗性が高く、塩害や乾燥に対する抵抗性が低いこと、後者は前者と逆の性質を備えていることなどが確認された。また両者の生育部位の異同が明かになった。

不透水層破壊の効果

 上述したことから、不透水層の破壊が植物生育にとって望ましいと推論された。この推論は、試験地内に不透水層がたまたま破壊されている部位での植生の観察により確認された。例えば、試験地の上縁近くのsalt patchに、乾期に"雨期雑草"の枯死体が散在していた。これは農民が以前に不透水層に切り込む溝を堀り、現在は砂質土壌で埋積されている場所であった。また、試験地上縁近くの別のsalt patchで実施した、外来植物の選抜試験区では、耕作の際に不透水層が部分的に破壊され、外来植物の大部分が枯死した後に乾期雑草と雨期雑草が侵入した。両雑草の比率は、その場所での不透水層の破壊程度と還元状態の発達程度に支配されていると判断された。

コア挿入試験

 塩害地の脱塩を促進する方法の一つは、雨水を浸透水に振り向け、流去水を減らすとともに、土壌表面からの蒸発を抑制することにあると推測された。この推測を確かめるために、salt patchで、コアを地表面に差込んだだけの区(A区)、それに籾殻をマルチした区(C区)、雨水がコア内に入らないようにした区(D区)、雨水を遮断し、蒸発も遮断した区(B区)を設けた。それぞれのコアの外側の土壌を対照として、コア内土壌の塩類濃度、水分などを経時的に追跡した。その結果、土壌の塩類濃度は水の動きによって大きく規制されていること、C区で脱塩が最も急速に進むことがなどが確認された。

 また、この試験の一部で、種子の発芽試験をし、C区のコア内の土壌表面に播種した種子は発芽できることが見いだされた。

植物栽培予備試験

 コア挿入試験結果に基づき、salt patchにローズグラスの栽培試験を行った。即ち、籾殻をマルチしただけの区(UD区)、不透水層を破壊し、籾殻マルチをした区(D区)、不透水層を破壊し、牛糞を施用し、籾殻マルチした区(D+C区)を設け(区の大きさ:1mx1m)、それぞれの区にコア(径、15cm)3個を土壌に挿入し、Rhodes grassの種子を各区の全面に播種した。その結果、種子の発芽、植物の生育がともに、コア外<コア内、UD区<D区<D+C区、の順に良くなること、D+C区のコア内では、ローズグラスの生育が著しく良く、乾期にも緑色を保ち、翌年の雨期に生育を再開することが見いだされた。

 なお、斜面上の各位地にあるsalt patchで、D区とUD区を設け、ローズグラスを播種した試験の結果、コア挿入の効果は、斜面麓の地下水位が高い場所では現れないことが確かめられた。

植物栽培試験

 斜面中腹部から下部にかけて、salt patchが全面的に広がっている場所で、ローズグラスとP.repensの栽培試験を行った。不透水層破壊、籾殻マルチ、牛糞あるいはコンポスト施用の処理を、単独あるいは組合せた区(2mx2m)を設け、中央に直径約1mの竹製枠(鶏飼育用の篭を細工し、枠の表面をプラスチックシートで被って作成)を土壌中に挿入し、ローズグラスの種子を播種、あるいはP.repensを移植した。その結果、各種の処理を組み合わせれば、塩害が最もひどい場所にも、これらの植物が雨期に良く生育し、乾期に生残し、翌年生育を再開し、区の外に広がることが確かめられた。なお、植物生育に対するそれぞれの効果の中で、雨が少ない場合は、籾殻マルチの効果が、雨が多い場合にはコア内部の効果が、それぞれ現れ易いと判断された。なお、コア挿入を中核とした塩害地改良方法をCore Techniqueと総称することにした。

水田改良試験

 塩害地では畦が流去水で壊れ易く、塩と土壌粒子の混合物が壊れた畦を越えて流れ込み、水田での塩害の範囲を広げていた。この種の水田で、壊れた畦の位置にcellocreteの板を打ち込み、それを土壌で覆った畦を作った。この畦は丈夫で、塩害の進行を防ぎ、稲の生育を助けることが確認された。

塩害地の有効利用案

 同一斜面でも位置毎に、塩害の程度と塩害を直す手法が異なっていると判断された。斜面上部では、不透水層を破壊するだけで、雑草が侵入し、数年後には緑化がほぼ完成できたが、斜面中腹部から下部にかけてはCore Techniqueの導入が不可欠であった。これは、斜面中腹部で、塩性の地下水が局所的に供給されていることに起因していると考えられた。本研究の結果とその他の知見に基づいて、塩害地を有効に利用する案を提出した。

 本試験地周辺の農民は試験の内容を十分に理解し、各自が利用できる方法を採用し始めている。

審査要旨

 タイ国東北部での農業の発展を阻害している要因は,大部分の耕地土壌が,砂質の酸性土壌であり,そのかなりの部分が塩害の脅威に曝されていることにある。この塩害問題の解決を目指して,タイ国政府はこれまでに幾つかのプロジェクトを実施し,多くの新しい技術の導入をはかったが,この新技術の多くは農民に受け入れられることなく,失敗に終わっている。新技術が普及しないのは,貧しい農民にとって新技術が複雑な上に,高価であり,その効用が不明確で,短期的利益を生み出さないものであったからである。

 この論文は本地域の塩害の発生過程の深い理解を基礎として,簡単で安価であり,しかも顕著な効果を示し,直ちに農民の利益に直結する塩害防止方法の開発を目的として,塩害地帯に試験地を設営し,現場での試験を通して具体的に検討したもので,序章と結章を含め8章より構成されている。

 研究の背景を述べた序章に続き,第2章では試験地の概要と本地域での塩害の発生機構を述べている。試験地を設営した場所は元は森林であったところで,森林を伐採し,畑や水田として利用し始めて間もないが,塩害が大きく,耕作を諦め,放置されている。本地域での塩害の発生は乾期地表面近くに集積した塩が,雨期には流去水によって土壌粒子とともに斜面下部に運ばれ,低地の水田に侵入し,稲に多大の塩害を与えることを確認した。塩害により土地の裸地化(salt patch)が進行する原因としては,1)土壌表面近くに存在している有機物層と粘土に富む不透水層,2)激しい侵食・堆積,の二つが重要であることを認め,その機構を解析した。すなわち不透水履は,雨期には塩を保持し,還元状態に陥り,植物の生育を阻害しており,激しい侵食・堆積は種子の定着,発芽を不可能にしていることを確認した。上記の事実から,不透水層の破壊が植物生育にとって望ましいと推論し,この推論が,試験地内において偶然,不透水層が破壊されている部位での植物生育が優れて良好であるという観察からも支持された。

 第3章では塩害地の脱塩を促進するための方法の一つとして,雨水を浸透水に振り分け,流去水を減らすとともに,土壌表面から蒸発を抑制するためにコア(core)を土壌表面に差し込んだ種々の試験について述べている。この試験により,著者は土壌の塩類濃度は水の動きによって大きく影響を受けること,土壌表面に籾殻のような孔隙量の多い素材をマルチすると土壌からの脱塩が急速に進行し,播種した種子は容易に発芽することを認めた。

 第4章および第5章では,第3章のコアの土壌挿入試験結果を受けて,salt patchでの牧草栽培試験(第4章)と,斜面の中部および下部にかけて大規模にsalt patchが広がっている場所での牧草栽培試験(第5章)とについて,それぞれ述べている。不透水層を破壊し,家畜のコンポストを施用し,籾殻でマルチしたコア内の植物はきわめて順調に生育し,乾期でも緑色を保ち,翌年の雨期に生育を再開した。また,salt patchが大規模に広がっている部分には,大型の竹製の枠を土壌に打ち込み,枠の周囲をビニルシートで被ってコアに相当するものを作成して,同様の試験を行った結果,小規模の salt patchでの牧草栽培試験と同一の効果が得られ,乾期に生残した植物は雨期にきわめて旺盛な生育を再開することを認めた。なお,コアまたはこれに相当する大型枠を土壌に打ち込んで塩害地を改良する方法を以下の論述では core techniqueと総称した。

 第6章は塩害を受けやすい水田において,その対応策について述べている。当地域の塩害地では畦(あぜ)が流去水で壊れやすく,塩と土壌粒子の混合物が壌れた畦を越えて流れ込み,水田での塩害の主たる原因を作っていた。そこで,壌れた畦の位置に現地に自生する繊維質の植物資材(cellocrele)を編んで板状とし,それを土壌で被った畦を作ると畦の崩壊が完全に阻止され,塩害の進行を防ぎ,稲の生育を助けることを明らかにした。

 第7章は丘陵地が多いこの地域で,斜面の上.中および下部で塩害の程度と塩害防止手段が異なるという判断から,斜面上部では不透水層を破壊するだけで,十分に緑化が可能であること,斜面中部および下部では core techniqueの導入が不可欠であることを明らかにし,他の塩害地への具体的な提案を行った。結章では,本試験地周辺の農民がこの技術を十分に理解し,各自が利用できる方法ですでに塩害対策を行っていることを言及している。

 以上を要するに本論文は,タイ国のもっとも重度の塩害地において,その発生機構を明らかにし,その具体的で実行性の高い防止技術を開発したもので,学術上,応用上貢献するところが少なくない。よって,審査員一同は,申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判定した。

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