審査要旨 | | タイ国東北部での農業の発展を阻害している要因は,大部分の耕地土壌が,砂質の酸性土壌であり,そのかなりの部分が塩害の脅威に曝されていることにある。この塩害問題の解決を目指して,タイ国政府はこれまでに幾つかのプロジェクトを実施し,多くの新しい技術の導入をはかったが,この新技術の多くは農民に受け入れられることなく,失敗に終わっている。新技術が普及しないのは,貧しい農民にとって新技術が複雑な上に,高価であり,その効用が不明確で,短期的利益を生み出さないものであったからである。 この論文は本地域の塩害の発生過程の深い理解を基礎として,簡単で安価であり,しかも顕著な効果を示し,直ちに農民の利益に直結する塩害防止方法の開発を目的として,塩害地帯に試験地を設営し,現場での試験を通して具体的に検討したもので,序章と結章を含め8章より構成されている。 研究の背景を述べた序章に続き,第2章では試験地の概要と本地域での塩害の発生機構を述べている。試験地を設営した場所は元は森林であったところで,森林を伐採し,畑や水田として利用し始めて間もないが,塩害が大きく,耕作を諦め,放置されている。本地域での塩害の発生は乾期地表面近くに集積した塩が,雨期には流去水によって土壌粒子とともに斜面下部に運ばれ,低地の水田に侵入し,稲に多大の塩害を与えることを確認した。塩害により土地の裸地化(salt patch)が進行する原因としては,1)土壌表面近くに存在している有機物層と粘土に富む不透水層,2)激しい侵食・堆積,の二つが重要であることを認め,その機構を解析した。すなわち不透水履は,雨期には塩を保持し,還元状態に陥り,植物の生育を阻害しており,激しい侵食・堆積は種子の定着,発芽を不可能にしていることを確認した。上記の事実から,不透水層の破壊が植物生育にとって望ましいと推論し,この推論が,試験地内において偶然,不透水層が破壊されている部位での植物生育が優れて良好であるという観察からも支持された。 第3章では塩害地の脱塩を促進するための方法の一つとして,雨水を浸透水に振り分け,流去水を減らすとともに,土壌表面から蒸発を抑制するためにコア(core)を土壌表面に差し込んだ種々の試験について述べている。この試験により,著者は土壌の塩類濃度は水の動きによって大きく影響を受けること,土壌表面に籾殻のような孔隙量の多い素材をマルチすると土壌からの脱塩が急速に進行し,播種した種子は容易に発芽することを認めた。 第4章および第5章では,第3章のコアの土壌挿入試験結果を受けて,salt patchでの牧草栽培試験(第4章)と,斜面の中部および下部にかけて大規模にsalt patchが広がっている場所での牧草栽培試験(第5章)とについて,それぞれ述べている。不透水層を破壊し,家畜のコンポストを施用し,籾殻でマルチしたコア内の植物はきわめて順調に生育し,乾期でも緑色を保ち,翌年の雨期に生育を再開した。また,salt patchが大規模に広がっている部分には,大型の竹製の枠を土壌に打ち込み,枠の周囲をビニルシートで被ってコアに相当するものを作成して,同様の試験を行った結果,小規模の salt patchでの牧草栽培試験と同一の効果が得られ,乾期に生残した植物は雨期にきわめて旺盛な生育を再開することを認めた。なお,コアまたはこれに相当する大型枠を土壌に打ち込んで塩害地を改良する方法を以下の論述では core techniqueと総称した。 第6章は塩害を受けやすい水田において,その対応策について述べている。当地域の塩害地では畦(あぜ)が流去水で壊れやすく,塩と土壌粒子の混合物が壌れた畦を越えて流れ込み,水田での塩害の主たる原因を作っていた。そこで,壌れた畦の位置に現地に自生する繊維質の植物資材(cellocrele)を編んで板状とし,それを土壌で被った畦を作ると畦の崩壊が完全に阻止され,塩害の進行を防ぎ,稲の生育を助けることを明らかにした。 第7章は丘陵地が多いこの地域で,斜面の上.中および下部で塩害の程度と塩害防止手段が異なるという判断から,斜面上部では不透水層を破壊するだけで,十分に緑化が可能であること,斜面中部および下部では core techniqueの導入が不可欠であることを明らかにし,他の塩害地への具体的な提案を行った。結章では,本試験地周辺の農民がこの技術を十分に理解し,各自が利用できる方法ですでに塩害対策を行っていることを言及している。 以上を要するに本論文は,タイ国のもっとも重度の塩害地において,その発生機構を明らかにし,その具体的で実行性の高い防止技術を開発したもので,学術上,応用上貢献するところが少なくない。よって,審査員一同は,申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判定した。 |