学位論文要旨



No 212323
著者(漢字) 国生,純孝
著者(英字)
著者(カナ) コクショウ,ヨシタカ
標題(和) 放線菌によるホスホリパーゼDの生産とその転移反応に関する研究
標題(洋)
報告番号 212323
報告番号 乙12323
学位授与日 1995.05.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12323号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 児玉,徹
 東京大学 教授 山崎,眞狩
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 助教授 五十嵐,泰夫
内容要旨

 ホスホリパーゼDの研究は半世紀程前に始まり今日に及んでいる。本酵素はリン脂質のリン酸と塩基の加水分解を触媒するが,それ以外に,受容体アルコールの共存下でリン脂質に反応させると,ホスファチジル残基が受容体アルコールへ転移するユニークな性質を有する事で注目されている。

 第1章「序論」では,まずこれ迄に知られている動植物由来のホスホリパーゼDの酵素化学的研究と酵素の性質について概説し,これらの酵素では転移反応が起こる範囲が炭素数5以下の単純な受容体アルコールに限られていること,及び酵素安定性が欠如していることを指摘し,酵素資源としての問題点が多いことを述べた。

 微生物に於いては最初に病原性細菌にホスホリパーゼDが発見され.その後1973年に高い加水分解力を示すホスホリパーゼDを生産する放線薗が分離され,臨床用酵素として初めて産業的に利用された。しかし,この時点では高い転移活性を示すホスホリパーゼDは知られておらず.ホスホリパーゼDの転移機能を,物質生産に利用することを目的とした酵素生産の研究はなかった。

 著者は,大量に存在する未利用レシチン資源の有効利用に着目し,ホスホリパーゼDによる転移反応を産業に利用する目的でホスホリパーゼD生産菌の検索を行い,1981年に極めて広範囲のアルコール化合物を受容体となし得るホスホリパーゼD生産菌を分離し,この事を報告した。

 これを契機としてその後,多くの放線菌に同様の酵素が次々に発見され,この転移酵素を用いた各種のリン脂質誘導体が報告され,その誘導体は化粧品,医薬品への応用が提案されている。

 第2章「ホスホリパーゼD生産菌の検索」では,工業的に大量生産可能なホスホリパーゼD生産菌を分離する事を目的として,レシチン寒天培地を用いて土壌より菌を分離し,そのホスホリパーゼD生産能を検索した方法について述べた。

 この様にして分離し,一定の酵素活性を示した放線菌200株から細胞壁にメソ型ジアミノピメリン酸を有する18株を選別し,更に,この中から活性の高かったstrain No.362菌とNo.779菌に絞って菌の同定を行った。

 細胞壁糖組成,リン脂質タイプ.メナキノン等の分析結果からNo.362菌はActinomadura属であり,No.779菌はNocardiopsis属に分類される放線菌と同定した。ここでは,その酵素的性質から判断して、Actinomadura sp.No.362菌を研究対象として取上げた。

 第3章「ホスホリパーゼDの生産」では,本薗を用いたホスホリパーゼDの生産条件と回収方法に就いて述べた。本菌を用いた培地組成,培養温度,通気攪拌条件等を検討し,工業的酵素生産条件を決定した。更に酵素生産性を高める目的で菌の変異処理を行い.酵素生産は60u/mlまで上昇した。

 培養液上清よりの活性回収率は硫安沈殿で60%,アセトン沈殿で80%であり,牛アルプミンの添加は活性回収率を改善した。しかし,これらの沈殿物にはメラニン色素の他、若干のホスホリパーゼCとホスファターゼの混入が認められた。

 転移反応により改質したリン脂質の利用分野が医薬,化粧,食品分野である事を考慮し,イオン交換樹脂や膜濾過による培養液からの簡易精製回収法を検討し,混在酵素,放線菌臭,メラニン色素を除去する実用的な精製回収法を見出だした。

 第4章「Actinomadura sp.No.362菌ホスホリパーゼDの酵素化学的性質」では,ホスホリパーゼDの活性測定法として,卵レシチンを基質とし,加水分解により遊離するコリン量をコリンオキシダーゼを用いて測定する方法により,本酵素に適した測定条件と基質組成を検討した。

 測定法として,TritonX-100とトリスマレートバッファー(pH5.5)を用いた測定法I及びTritonX-100無添加でトリス塩酸バッファー(pH7.2)を用いた測定法IIを設定した。酵素単位は37℃,1分間に1モルのコリンを遊離する酵素量を1単位と定めた。

 酵素精製はDEAE-cellulose,palmitoylguaze affinity chromatography,chromato-focusing.Sephadex G-75の順に行い,SDS-PAGEで単一バンドになるまで精製した。

 酵素は分子量58000で,等電点は6.4を示した。又,精製時の活性回収率は37%,精製倍率は440倍であった。酵素の至適pHと至適温度は測定法IではpH5.5と50℃を示し,測定法IIではpH7.0と55〜80℃を示した。酵素安定域はpH4〜8と温度30〜40℃以下に認められ,60℃,30分で殆ど失活した。基質特異性はホスファチジルコリンに最も良く作用したが,-レシチン,リゾレシチン,ホスファチジルエタノールアミン,スフィンゴミエリン,カルジオリピンにも作用した。ホスファチジルコリンを基質として測定法Iで求めたKm値は0.7mM,リゾレシチンでは1.07mMを示した。本酵素の活性発現に金属イオンやジエチルエーテルの存在は必要としないが,これらの添加効果は認められ,TritonX-100,デオキシコレートによっても賦活された。

 Cetylpyridinium chlorideやモノヨード酢酸により阻害され,活性中心にSHを有する酵素と思われる。

 又,本酵素は各種リン脂質を基質とする転移活性を示した。

 本酵素のアミノ酸組成を従来報告されているホスホリパーゼDの組成と比較すると疎水性アミノ酸の比率が高い結果を示した。

 第5章「Actinomadura sp.No.362菌の生産するホスホリパーゼDの機能評価」では,本酵素利用上重要な性質となる転移機能を中心に検討した。グリセロリン脂質,スフィンゴリン脂質など10種類の精製リン脂質を基質として,本酵素のアルコール化合物への転移能力を詳しく調べた。

 本酵素は10種類全てのリン脂質を基質とする転移能を示した。又,ホスファチジルコリンを基質とした場合,ホスファチジン酸残基が転移する範囲は脂肪族アルコール、芳香族アルコール、多価アルコール、糖類,各種複素環アルコール、核酸類、-ヒドロキシ酸,ステロール類など.試験した一級アルコール化合物の殆を受容体として転移し,その際,置換基の多くは転移の大きな障害とはならない事が分かった。二級アルコール化合物へは脂肪族、芳香族,複素環アルコールなどに転移がみられるが,一般に転移しにくく,三級アルコール化合物へは転移が認められなかった。

 次に精製レシチンを基質とし各種アルコール化合物への転移率についてイアトロスキャン分析により定量的に調べた結果,殆どの化合物でレシチンの60〜90%が転移した。又,グルコースを受容体として最適転移反応条件を調べた結果,レシチンに対し過剰モルのアルコール化合物を用い,水/有機溶媒=1:1,pH4〜8.温度37℃.酵素量を50〜100u/g,レシチンとして24hr攪拌反応する条件が最適である事が判明した。この条件では,グルコース以外のアルコール化合物への転移反応に於いても高い転移率を示した。その他,レシチンからホスファチジルセリン等の希少リン脂質への変換,リポソーム形成能に優れるホスファチジン酸の2残基を転移するビス誘導体への変換.更に合成アルキルリン脂質の変換も高い転移率で生起する事を示した。

 又,コージ酸及びグルコースへのホスファチジン酸残基の転移位置を分析した結果,いずれも一級アルコール基に転移している事を示した。

 本酵素によるレシチンの加水分解は,水/有機溶媒混合系中では高い分解率を示したが,水単独の系では低い分解率に止まった。

 第6章「工業的なリン脂質転移物製造法の検討」では,転移活性を利用した機能性レシチン誘導体を工業規模で生産する方法として,実用的な転移反応装置や反応溶媒の選定などを検討した。その結果,反応溶媒は水/ジクロロメタンを用い,基質に酵素を添加攪拌する回分反応を採用する事とし,80Lの反応槽を備えた転移物質生産装置を製作した。本装置を用いて転移反応,転移物の回収方法を検討した結果,水層とジクロロメタン層の分離やリン脂質のジクロロメタンへの移行も効率よく行え,転移率,回収率ともフラスコでの実験値と殆ど変らなかった。

 転移物の保存安定性について検討し,各種保存条件においてリン脂質純度,POVなどの変化を測定した結果,8℃と-20℃で保存した場合,6ケ月以上純度は変わらなかった。しかし,POVの上昇を完全に押さえる為には,-20℃に保管する必要が認められた。

 第7章「リン脂質誘導体の利用」では受容体をその構造からグループ分けをし,各グループより代表的化合物を選んで転移反応を行い,反応物は精製を行ってリン脂質誘導体を作成した。これらの誘導体について,リン脂質利用分野の一つであるリポソーム形成能を調べるため,単純水和法での保持容積、バリアー能を測定した。

 適度の大きさの疎水基へ転移したリン脂質誘導体は大きな保持能を有するリポソームを形成し,バリアー能も高い事が判明した。一方,糖,ヌクレオチドなどの高極性物質誘導体の多くは単独で水に溶解し,リポソームを形成しないか,小さな保持能しか示さないが,ピリドキシンやポリエチレングリコールのビス誘導体は,単独でも大きな保持能を示した。しかし,単独ではリポソームを形成しにくい高極性物質リン脂質誘導体もリポソーム調製法として凍結融解法を用いた場合は高い保持能を示した。又,単純水和法でもコレステロールを添加するとリポソームを形成し,バリヤー能に対する改善効果も見られた。

審査要旨

 地球上では現在,大量のレシチンが未利用のまま放置されている。本研究はこの点に着目し,酵素反応により新たな機能を有するリン脂質を誘導し食品,化粧品,医薬品へ応用することを目的として,幅広い基質の転移力を持つホスホリパーゼDの開発と工業的転移反応を成功させたもので7章よりなる。

 第1章では,従来のホスホリパーゼDの酵素的性質について述べるとともに,その転移反応の受容体アルコールの範囲や酵素安定性の欠如を指摘.酵素資源としての問題点くついても述べている。

 第2章では,レシチン培地を用いて土壌よりメソ型ジアミノピメリン酸を有する放線菌18株を分離,さらに酵素生産性や性質面についての検討からNo.362株を選定し,その細胞壁糖組成,リン脂質タイプ,メナキノン分析等の結果からActinomadura属と同定した。

 第3章では,本菌のホスホリパーゼD生産条件を検討し,菜種粕を主体とする培地でのタンク培養により約20u/mlの生産条件を決定,ついで菌の変異処理を行い酵素生産性を60u/mlに向上させている。さらに転移リン脂質の利用分野を考慮し,フセトン酵素粉末から共雑酵素や色素を除去する簡易大量精製方法を検討している。

 第4章では活性測定法と酵素のクロマトによる精製ならびに酵素化学的性質について検討している。酵素の分子量は58,000,等電点は6.4であり,至適pHと温度は測定法Iでは5.5と50℃,測定法IIでは7.0と55〜80℃であった。酵素の安定pH範囲は4〜8,安定温度範囲は30〜40℃以下に認められた。基質特異性は広く,ホスファチジルコリンに最も良く作用し,アルコールへの転移は各種リン脂質において起こることを明らかにしている。金属イオンやジェチルエーテルは活性発現に必須ではないが,デオキシコレート,Triton X-100と同様に酵素活性を賦活した。一方,CPCやモノヨード酢酸により阻害されることから活性中心にSH基を有する酵素と推定している。また,本酵素のアミノ酸組成は疎水性アミノ酸の比率が高いことを示している。

 第5章では,本菌ホスホリパーゼDの転移能を定性的および定量的方法で検討している。各種グリセロリン脂質,スフィンゴリン脂質など10種類の精製リン脂質を基質とし,広範な受容体アルコールへの転移能力を定性的に調べたところ,本酵素は調べたすべてのリン脂質に対する転移能を示した。また,ほとんどすべての受容体アルコールの一級アルコール基に転移し,置換基の多くは障害とはならなかった。一方,多くの二級アルコール基とすべての三級アルコール基への転移は認められなかった。

 レシチンを基質とし,各種受容体アルコールへの転移率について,イアトロスキャン分析により定量的に調べたところ,ほとんどの転移物でレシチンの60〜90%が転移した。また,グルコースを受容体とし最適転移反応条件を調べた結果,レシチンに対し過剰モルのグルコースを用い水/有機溶謀=1/1,pH4〜8,30℃,酵素量50〜100u/gレシチンとして24時間攪拌反応する条件を決定,この条件でグルコース以外の受容体も高い転移率を示すことを明らかにしている。ホスファチジン酸転移位置をNMRにより分析した結果,コージ酸,グルコースでは一級アルコール基に転移することを示している。

 第6章でけ80L容の転移装置を用い工業的リン脂質転移物製造法の検討を行っている。水/ジクロロメタン系で基質を酵素と共に攪拌する回分反応で,反応後リン脂質のジクロロメタンへの移行もよく,転移率,回収率とも実験室規模の値とほとんど変らないことが示された。転移物の純度は8℃,6か月保存では変らないが,POVの上昇を完全に抑えるには-20℃に保存する必要を認めている。

 第7章ではリン脂質誘導体の構造とリポソーム形成能について調べている。疎水基を転移したリン脂質誘導体は単独で大きな保持能を有するリポソームを形成しバリアー能も高いが,糖などの高極性物質の誘導体は単独でリポソームを形成しないか,小さな保持能しか示さないものが認められた。しかし,ピリドキシンやポリエチレングリコールのビス誘導体は単独でも大きな保持能を示した。また,コレステロールの添加で,単独でリポソームを形成しにくいリン脂質もリポソームを形成するようになり,バリアー能に対する改善効果も見られることを明らかにしている。

 以上要するに,本研究は多量に存在する未利用レシチン資源に着目し,ホスホリバーゼD生産菌を得て,酵素の生産条件を決定するとともに,酵素を精製して転移機能等の性質を明らかにし,転移機能を利用した機能性レシチン誘導体の工業的生産に成功したもので学術上,応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)として価値あるものと認めた。

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