学位論文要旨



No 212327
著者(漢字) 青木,不学
著者(英字)
著者(カナ) アオキ,フガク
標題(和) ハムスターおよびマウス精子におけるhyperactivationのメカニズムについて
標題(洋) Mechanism of hyperactivation in hamster and mouse sperm
報告番号 212327
報告番号 乙12327
学位授与日 1995.05.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第12327号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河本,馨
 東京大学 教授 森澤,正昭
 東京大学 助教授 奥野,誠
 東京大学 助教授 酒井,仙吉
 静岡大学 教授 森,誠
内容要旨

 哺乳類の精子は、雌性生殖道内あるいは体外での培養において、著しい運動性の変化を起こす。この現象は、hyperactivation(以下、HAと略す)と呼ばれ、活力が増し運動が激しくなるが、直進性を失うという特徴がある。しかしながら、そのメカニズムについては現在、十分に解明されていない。すなわち、HAを起こした精子の運動パターンについての知見は数多くあるが、その鞭毛の波形についてのものは数少ない。また、その発生にカルシウムイオンの関与が示唆されているが、それがどのような役割を演じているかについては、明らかになっていない。そこで、HAのメカニズムを明らかにする目的で、本研究では主として、HAによる鞭毛の波形の変化と、その発生におけるカルシウムイオンの役割について調べた。

 第1章では、ハムスターとマウス精子のHAによる波形の変化を調べた。その際、鞭毛の波形を定量的に解析するために、鞭毛に沿って、すべての屈曲についてその角度を計測する方法を考案した。その結果、両方の種において、HAを起こしたものは、頭部の鍵の曲がりと同じ方向へ、屈曲角度が増加していることが解った。この増加に伴い、鞭毛の波形は、同様の方向へ、著しく非対称になっており、これが運動において直進性を失う原因になっているものと考えられた。また、カルシウムイオンは、鞭毛の波形の対称性に関与していることが知られていることから、HAの調節にカルシウムイオンが関与していることが示唆された。

 これまで、細胞内のカルシウムイオン濃度の上昇がHAの原因であるという仮説が有力であったが、第2章のマウスを用いた実験結果はそれとは一致せず、むしろ反対のものであった。すなわち、第1章でも示したように、HAを起こした精子は、頭部の鍵方向への屈曲角度の増大がその特徴であるが、カルシウム存在下でイオノマイシン(カルシウムイオノフォア)処理をした精子は、頭部の鍵の反対方向への屈曲角度が増大した。これとは反対に、イオノマイシンとEGTAを同時に作用させたものは、HAを起こした精子と同様に頭部の鍵と同じ方向への屈曲角度が増大した。また、W-13(カルモジュリン阻害剤)によっても、同方向への屈曲が増大した。この結果より、細胞内のカルシウムイオンによって調節されている機構のいずれかが、機能低下することにより、HAが起こるということが示唆された。

 HAの調節に関与していると考えられているカルシウムやcAMPは、リン酸化反応を介して機能することが多いため、第3章では、HAによるリン酸化蛋白質の変化を調べ、前章でHA様運動を誘起した試薬により同様の変化が起こるかどうかを調べた。その結果、HAを起こしたマウス精子は、そうでないものにくらべ、分子量45Kのリン酸化蛋白質が増加し、逆に74Kと42Kのものが減少した。上記の試薬のうち、イオノマイシンとEGTAの同時作用は、74Kのリン酸化蛋白質を減少させたが、その他の蛋白質には変化を起こさなかった。一方、W-13では、いずれの蛋白質も変化がなかった。また、プロカインは、細胞内のカルシウムイオン濃度を低下させる作用を持つが、この試薬をマウス精子に作用させると、頭の鍵方向の屈曲が増大し、74Kのリン酸化蛋白質が減少した。以上より、一部において、細胞内カルシウムイオン濃度の低下によるものと同様の変化が、HA精子に起こっている事が示唆された。また、カルモジュリンは、リン酸化反応を解しないメカニズムでHAに関与している事が考えられた。

 第四章において、カルシウムを除いた培養液にハムスター精子を加えたところ、精子は、頭部の鍵と反対方向に強く屈曲したまま運動を停止した。精子のcAMP濃度を維持するのに、培養液中にカルシウムイオンが必要であることが知られていることから、この時のcAMP濃度を測ったところ、カルシウムを含んだ培養液で運動している精子に比べて、著しく低い値が得られた。そこで、カルシウムを除いた培養液にcAMPの誘導体である8-bromo-cAMPを加えたところ、精子は運動を開始した。さらに、cAMPの代わりに、W-13を加えることにより、同様に精子は運動を開始したことから、cAMPは、鞭毛の波形の調節に関与しており、カルシウムとは反対方向の屈曲を強める作用があることが示唆された。また、培養液中のカルシウムイオンは、cAMPを介して、精子の運動性に関与していることが考えられた。

 以上により、HA運動は、波形が頭部の鍵方向へ非対称になることが、その原因の一つである事が示された。また、この様な波形はカルシウムにより調節されている機構のいずれかが機能低下して生じる可能性が示された。さらに、cAMPもカルシウムと共に、波形調節に関わっている可能性があり、培養液中のカルシウムイオンは、このcAMPを介して作用していることが考えられた。

審査要旨

 哺乳類の精子は,雌性生殖道内において,受精能力を獲得するための一連の変化を起こす。とくに,卵管膨大部に到達した精子は活力が増し,激しく運動するが,直進性を失う。これを超活性化(hyperactivation)という。この現象は,卵管膨大部で卵を待機し,受精するという点から合理的な挙動であるが,その発生の機序は,なお十分には解明されていない。超活性化した精子は鞭毛運動の振幅を拡大するが,その波形を解析した研究はみられない。また,その発生にカルシウムやサイクリックAMPの関与が示唆されているが,それがどのような役割を演じているかについては,明らかでない。そこで,超活性化の機序を明らかにする目的で,本研究では、超活性化による鞭毛の波形の変化と,その発生におけるカルシウムの役割について調べた。

 第1章では,合成培養液中でハムスターとマウス精子に超活性化を誘起し,鞭毛の波形を解析した。精子を写真撮影し,鞭毛のすべての屈曲の角度と屈曲点間の距離を計測した。この2つのパラメーターによって鞭毛の波形を解析した結果,超活性化した精子は,頭部の彎曲と同方向への屈曲の角度が増加していることが明らかになった。この屈曲に伴い,鞭毛の波形が著しく非対称となり,直進性を失うと考えられる。

 従来の研究では,細胞内のカルシウムを増加するカルシウムイオノフォアで処理した精子が直進性を失うので,細胞内のカルシウム濃度の上昇が超活性化の原因であると考えられていた。そこで,第2章では,細胞内のカルシウムを調節する薬物を用いて超活性化におけるカルシウムの作用を検討した。カルシウムイオノフォアで処理すると,精子の鞭毛は,頭部の彎曲と反対方向へ屈曲した。また,キレート剤を用いてカルシウムを除くと,超活性化した精子と同様に頭部の彎曲の方向への屈曲角度が増大した。さらに,カルモジュリン阻害剤によって細胞内のカルシウムの作用を抑制すると,精子頭部と同方向への屈曲が増大した。この結果は従来の定説と異なり,細胞内のカルシウムの機能の低下により超活性化が起こることを示している。

 超活性化を調節するカルシウムやサイクリックAMPの細胞内情報伝達経路には,特定の蛋白質の燐酸化反応が介在していることが多い。第3章では,燐酸化蛋白質の変化を調べ,カルシウムやサイクリックAMPの作用に関与する蛋白質の特定を試みた。超活性化した精子では,分子量45,000燐酸化蛋白質が増加し,74,000と42,000の蛋白質が減少した。キレート剤で精子を処理すると,74,000の燐酸化蛋白質が減少した。一方,カルモジュリン阻害剤では,いずれの蛋白質も変化がなかった。超活性化した精子においては,細胞内カルシウム濃度の低下した精子においてみられる燐酸化蛋白質の変化と同様の変化が観察され,一榛に分子量74,000の燐酸化蛋白質が減少した。また,カルモジュリンは。蛋白質燐酸化反応を活性化せず,異なる機序により超活性化に関与していると考えられる。

 精子の運動開始にはサイクリックAMPが関与しているので,第4章では,サイクリックAMPの作用を調べた。カルシウムを除いた培養液中ではハムスター精子は頭部の彎曲と反対方向に強く屈曲して運動を停止する。この時の精子のサイクリックAMP濃度は著しく低下していた。精子のサイクリックAMP濃度を維持するのに,培養液中のカルシウムが必要である。カルシウムを含まない培養液にサイクリックAMPの誘導体である8-プロムサイクリックAMPを加えると,精子は運動を開始した。サイクリックAMPは,鞭毛の波形を調節しており,カルシウムとは反対方向への屈曲を強める作用があることが明らかになった。培養液中のカルシウムは,サイクリックAMPを介して,精子の運動に関与している。

 以上のように,本研究では,精子の鞭毛の波形を解析し,カルシウムとが超活性化を調節していることを明らかにした。すなわち,従来の研究では,精子の鞭毛運動の波形が詳細には解析されておらず,超活性化の際にみられる波形と似ているが全く逆の運動をするものを超活性化と判定したために細胞内カルシウムの増加によって超活性化が起こると考えられていたものを,鞭毛波形の解析から,細胞内カルシウムの減少により超活性化が誘起されることを明らかにした。さらに,細胞内カルシウムの減少による情報伝達には分子量74,000の燐酸化蛋白質が関与することを明らかにした点で学術に貢献するところが大きい。

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