学位論文要旨



No 212331
著者(漢字) 福島,健
著者(英字)
著者(カナ) フクシマ,タケシ
標題(和) D-アミノ酸の高感度高速液体クロマトグラフィーの開発と応用
標題(洋)
報告番号 212331
報告番号 乙12331
学位授与日 1995.05.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第12331号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 客員助教授 岩坪,威
内容要旨

 -アミノ酸には化学構造上D体とL体の光学異性体が存在する。高等動物の生体内にはL-アミノ酸のみが存在すると考えられ、一方、D-アミノ酸は微生物にその存在が認められていた。近年、クロマトグラフィーによる光学異性体の分離技術の進展に伴い、ヒトを含め哺乳類からも、D-アミノ酸が検出されるようになった。いずれも個体の成長や老化、疾患との関連が示唆されており、生体内D-アミノ酸の生理的あるいは病理学的意義が注目され始めている。これらの研究には簡便な操作性と高感度検出能を兼ね備えた分析法が嘱望されるが、現在までに報告されたD-アミノ酸の分析法はいずれも煩雑な前処理行程を含み、回収率や検出感度に改良すべき点が残されている。本研究は生体内D-アミノ酸の新規分析法の開発および応用研究に関するものである。

 現在までにD-アミノ酸は酵素法、ガスクロマトグラフィー(GC)および高速液体クロマトグラフィ-(HPLC)によって測定されている。中でも、HPLCは試料を揮発性誘導体に導く必要がなく、良好な再現性が得られ、また、存在するD-アミノ酸を個別に定量できるので、本研究ではHPLCを採用した。HPLCの高感度検出法として、蛍光検出法がある。4-Fluoro-7-nitro-2,1,3-benzoxadiazole(NBD-F)(図1(a))は無蛍光であるが、第一および第二アミンと反応し長波長域に蛍光を持つNBD誘導体(ex.470nm、em.530nm)を生成し、HPLCのプレおよびポストカラム誘導体化試薬として汎用されている。一方、NBD骨格は電子吸引性(-acid)である2,4-dinitrophenyl基と構造上類似性がある。2,4-dinitrophenyl基は電子供与性(-base)である芳香環を持つPirkle型キラル固定相と-相互作用する部位として誘導体化に利用される構造である。そこで、Pirkle型キラル固定相であるSumichiral OA-2500(S)(図1(b))を用いて、NBD化したD,L-アミノ酸の光学分割をはじめに検討した。

図1 NBD-F(a)、およびSumichiral OA-2500(S)のキラル部位(b)の化学構造

 NBD化したD,L-LeuおよびD,L-Pheは、移動相として20mM酢酸アンモニウムin MeOHを用いた場合に良好に光学分割された。このときの分離係数()は1.10および1.18で、検出限界(S/N=3)は約30fmolであった。L-LeuおよびL-Pheを同様に処理した場合、各々単一のピークが得られ、誘導体化反応時にラセミ化は生じていないことが判明した。しかし、この系ではNBD-Fの弱蛍光性水解物であるNBD-OHのピークがクロマトグラム上に大きく存在し、D-アミノ酸検出を妨害する可能性がある。そこで、酸性条件下ではNBD-OHの励起波長が短波長側にシフトする性質を利用し、移動相のMeOH中に酢酸アンモニウムの代わりにクエン酸を溶解した。その結果、NBD-OHのピークは著しく小さくなり、一方、D,L-LeuおよびD,L-Pheの分離係数には影響がなかった(図2、各1pmol当量)。このときの検出限界は約10fmol(S/N=3)であり、また、femtoモルオーダーの注入量と得られた蛍光強度との間に直線性が示された。この条件下で他のD,L-アミノ酸の値を調べたところ、1.09-1.21で良好に光学分割が達成きれ、D-アミノ酸の高感度検出に利用できることが判明した。

図2 NBD-D,L-LeuおよびNBD-D,L-Pheのクロマトグラム固定相;Sumichiral OA-2500(S) 移動相;5mM citric acid in Methanol 流速;1.0ml/min 検出波長;470nm(ex.)530nm(em.)

 Leu、Ile、Val、Alaなどのアルキル側鎖をもつアミノ酸の保持係数(k’)は小さく、Asp、Gluなどのカルボキシル基を持つ酸性アミノ酸のk’は大きかった。この結果から、NBD-D,L-アミノ酸と固定相の相互作用には疎水的相互作用よりも水素結合やイオン結合が寄与していると思われる。そこで、NBD-D,L-アミノ酸のカルボキシル基の影響を調べるために、D,L-Pheのメチルエステル体およびアミド体で同様に検討したところ、どのクエン酸濃度においてもほとんど保持されず、光学分割が達成されなかった。このことから、遊離型カルボキシル基の存在がNBD-D,L-アミノ酸の保持および分離に必須であると考えられる。

 LysやTyrは大きなk’を示したが、これはNBD骨格が2ヵ所に導入されるため、-相互作用がより強く働いた結果であると思われる。そこで、溶出過程における-相互作用の寄与を調べるために、固定相中に-baseとなる芳香環を全く持たないキラル固定相OA-3000(S)で検討したところ、NBD-Lysのk’は他の中性アミノ酸のk’に近くなった。したがって、NBD骨格は蛍光発色団としてだけでなく、-acidとして、固定相中の-baseと-相互作用していると考えられる。また、NBD化体と同様にベンゾフラザン骨格を持つDBDおよびABD化D,L-Leuはともに光学分割されたが、Dansyl化体では不可能であった。

 NBD化したペプチドや-アラニンのk’値は-アミノ酸のそれに比べて小さく、ペプチドの光学異性体は分割されなかったが、-アミノ酸の部分構造を持つD,L-チロキシンは光学分割された。以上の結果から、本高速液体クロマトグラフイーはNBD化-アミノ酸に選択性を持つと考えられ、生体試料中のD-アミノ酸分析の際、既存の方法で行われるような煩雑な前処理操作を省略できる可能性が示唆された。

 そこで、ヒト血清10Lをメタノール添加により除タンパクし、遠心後の上清をNBD化し、この反応液を1%酢酸-メタノールで希釈後、一定量をHPLCに注入した。こうした簡単な前処理操作であるが、ヒト血清のクロマトグラム上の各ピークの保持時間は、L-アミノ酸標準混合液をNBD化し得られたクロマトグラム上のピークとほとんど一致し、本高速液体クロマトグラフイーのNBD化-アミノ酸に対する選択性が示された(図3(a),(c))。そのため、L-アミノ酸混合標準液に存在しないピーク(矢印)はD-アミノ酸であると思われ、ピークの保持時間からD-Alaであると推測された(図3(b),(c))。Sumichiral OA-2500(R)をキラル固定相として用いた場合にもD-Alaと同じ保持時間に検出され、両固定相を用いて得られた濃度も同値であり、D-Alaであることが確認された。

図3 NBD化したL-アミノ酸標準混合液(a)、D,L-Ala(b)、およびヒト血清(c)のクロマトグラム固定相;Sumichiral OA-2500(S) 移動相;5mM citric acid in Methanol 流速;1.0ml/min 検出波長;470nm(ex.)530nm(em.)

 本高速液体クロマトグラフィーによるD-Alaの添加回収率は98%であった。

 健常人ボランティア8名の血清中D-Ala濃度は0.48-3.10Mであったが、腎障害を持つ患者のその濃度は健常人のものよりも著しく高かった。D-Ala濃度と腎機能の指標として使われるクレアチニンおよびBUNとの相関を患者20名および健常人5名で調べた結果、D-Ala濃度は正の相関を示し、一方、L-Ala濃度は負の相関を示した。腎障害に伴う血清中アミノ酸濃度の減少は尿細管における再吸収率の低下によることが報告されている。尿細管細胞にはD-アミノ酸オキシダーゼが存在し、腎障害によりこの酵素活性が低下し、血清中D-Ala濃度が上昇すると考えられる。一方、キラル固定相としてSumichiral OA-4600(S,S)を用いた場合、ヒト血清からD-Serが検出され、その濃度は腎障害患者で上昇が見られた。D-Serの場合、BUNに対しても良く相関した(%D;r=0.920(P<0.001))。BUNは腎障害以外にも組織タンパクの代謝回転などによっても上昇することから、血清中D-Ser濃度は腎以外の組織の状態にも影響されると考えられる。

 ラット脳組織を部位ごとに区分けし、それらに存在するD-アミノ酸を分析した結果、ラット松果体にD-Aspが高濃度で存在し、その濃度はL-Aspよりも高かった(図4)。松果体以外の大脳や小脳、脳幹ではD-Aspは検出されず、L-Aspが大量に存在していた。また、松果体中のD-Asp濃度は、加齢に伴い減少することが見い出された(図5)。

図表図4 D,L-Asp(a)およびラット松果体(b)のクロマトグラム 固定相;Sumichiral OA-2500(S) 移動相;5mM citric acid in Methanol 流速;1.0ml/min 検出波長;470nm(ex.)530nm(em.) / 図5 ラット松果体中D-,L-Asp濃度の加齢による影響

 松果体は日内変動を司る器官であることから、昼間と夜間でD-Asp濃度の変動を調べてみた。その結果、夜間にその濃度の有意な上昇を認めた。

 以上のように、本研究によりD,L--アミノ酸に選択的な保持特性を持ち、しかも高感度検出の可能なD-アミノ酸の高速液体クロマトグラフィーを開発した。本高速液体クロマトグラフイーは、簡便な操作性と高感度検出能を兼ね備えており、生体内D-アミノ酸の分析研究に有用であると考えられる。

審査要旨

 従来、哺乳類にはL-アミノ酸のみが存在すると考えられていたが、最近、ヒトを含めその体内にD-アミノ酸が検出されるようになった。いずれも成長、老化、疾患時に上昇すると言われているが、その存在意義については明かではない。一方で、これらの研究に必要とされる簡便な操作性と高感度検出能を兼ね備えた分析法が嘱望されている。そこで、福島は、まず生体内D-アミノ酸の簡便で高感度なHPLCを用いる分析法を開発し、ついでそれを実際試料に適用し、その有用性を確認することを試みた。

 高感度検出のために、4-Fluoro-7-nitro-2,1,3-benzoxa diazole(NBD-F)をD,L-アミノ酸と反応、蛍光誘導体とし、HPLCにて分離、蛍光検出することにした。NBD骨格は電子吸引性(-acid)であり、2,4-dinitrophenyl基(電子供与性、-base)を持つPirkle型キラル固定相と-相互作用をすると考え、市販のSumichiral OA-2500(S)を用いて、NBD化したD,L-アミノ酸の光学分割を検討した。

 NBD化したD,L-LeuおよびD,L-Pheは、移動相として酢酸アンモニウムまたはクエン酸/MeOHを用いた場合に良好に光学分割された。このときの分離係数()は1.10および1.18で、検出限界(S/N=3)は30fmolまたは10fmolであった。この誘導体化反応時にラセミ化は生じなかった。この条件下で他のD,L-アミノ酸の値を調べたところ、1.09-1.21であり光学分割が達成されることが判った。一方、NBD-D,L-Pheのメチルエステル体およびアミド体で同様に検討したところ、保持されず(保持係数、k’〜0)、光学分割も達成されなかったので、遊離型カルボキシル基の存在がNBD-D,L-アミノ酸の保持および分離に必須であると考えられた。

 NBD骨格が2ヵ所に導入されたNBD-LysやTyrは大きなk’を示したが、これは-相互作用がより強く働いた結果であると思われた。そこで、固定相中に-baseとなる芳香環を持たないキラル固定相OA-3000(S)で検討したところ、NBD-Lysのk’は他の中性アミノ酸のk’に近くなった。したがって、NBD骨格は発蛍光団としてだけでなく、-acidとして固定相中の-baseと-相互作用していると考えられた。

 NBD化したペプチドや-アラニンのk’値は-アミノ酸のそれに比べて小さぐ、ペプチドの光学異性体は分割されなかったが、-アミノ酸の部分構造を持つD,L-チロキシンは光学分割された。

 以上の結果から、本HPLCはNBD化-アミノ酸に選択性を持つと考えられ、生体試料中のD-アミノ酸分析の際、従来法のような煩雑な前処理操作を省略できる可能性が示唆された。そこで、ヒト血清10Lをメタノール添加により除蛋白し、遠心後の上清をNBD化し、この反応液を1%酢酸-メタノールで希釈後、一定量をHPLCに注入したところ、そのクロマトグラムはL-アミノ酸標準混合液とほぼ同じピークを与え、本HPLCのNBD化-アミノ酸に対する選択性が示された。この際、保持時間からD-Alaであると推測されるピークが検出された。次に逆配位の固定相を持つSumichiral OA-2500(R)を用いた場合にもD-Alaと同じ保持時間にピークが検出され、両固定相を用いて得られた濃度も同値であり、D-Alaであることが確認された。 D-Ala 2.5Mに於ける本法の変動係数は、4.5-4.9%であった。

 健常人の血清中D-Ala濃度は0.48-3.10Mであったが、腎障害を持つ患者のその濃度は健常人のものよりも著しく高かった。D-Ala濃度と腎機能の指標として使われるクレアチニンおよびBUNとの相関を患者および健常人で調べた結果、D-Ala濃度は正の相関を示した。一方、ヒト血清にはD-Serも検出され、その濃度は腎障害患者で上昇が見られた。D-Serの場合、BUNに対しても良く相関した。

 次にラット脳組織を部位ごとに区分けし、それらに存在するD-アミノ酸を分析したところ、ラット松果体にD-Aspが高濃度で存在し、その濃度はL-Aspよりも高かった。松果体以外の脳組織ではD-Aspは検出されず、L-Aspが大量に存在していた。また、松果体中のD-Asp濃度は、加齢に伴い減少し、夜間にその濃度が有意に上昇することを見い出した。

 以上のように、本研究はD,L--アミノ酸に選択的な保持特性を持ち、メタノール除蛋白のみという簡便な操作性と、高感度検出能を兼ね備えたD-アミノ酸のHPLCを開発し、それが生体内D-アミノ酸の分析に有用であることを実証していることから、今後の薬学、医化学に於けるD-アミノ酸研究への寄与が大と考えられ、博士(薬学)に相応しい研究であると判断した。

UTokyo Repositoryリンク