学位論文要旨



No 212333
著者(漢字) 伊藤,修
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,オサム
標題(和) 日本の金融システム・歴史的分析
標題(洋)
報告番号 212333
報告番号 乙12333
学位授与日 1995.05.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 第12333号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,正直
 東京大学 教授 堀内,昭義
 東京大学 教授 神野,直彦
 東京大学 教授 橋本,壽朗
 東京大学 助教授 岡崎,哲二
内容要旨

 資本主義各国はそれぞれ多少とも独自な体系としての経済システムをもち,そして日本型経済システムはそのうちの1つの有力なタイプである,という認識の仕方がなされるようになっている。日本型経済システムの構成要素とされるのは,高度な「法人資本主義」化,企業経営の視野,企業間関係,企業・労働者間関係,企業・銀行間関係の長期的性格,社会階層構造の流動性などである。しかし,重要なのは,これらの要素がいずれかの時点で形成されたという歴史性をもつことである。それらは,一定の諸国にほぼ共通して現われてきた経済の現代的特徴や,世界経済の長期変動の影響といった側面を含みながら,日本の独自の具体的歴史過程の中で形成された。本論文は,金融分野を対象にして,今日認識される日本型金融システムの諸要素が,それぞれ,どの時点で,なぜ形成され,どのように存続し,あるいは変化してきたかを分析しようとするものである。以上の意味で歴史的パースペクティブをもった包括的かつ明確な日本の金融システム像はいまだ与えられていないので,本論文でそれを試みる。骨子は以下の通りである。

 日本における近代的金融システムは,1880年代後半以降の通貨システムの確立,20世紀初頭の「預金銀行」を中核とする金融仲介機構の成立,という順序でその原型が形成された。それは第二次大戦後とは異なり,多面的に《個人資本主義》的性格を強く帯びていた。所得分配のジニ係数の高さにも示されるように資産家の存在が大きく,そのことによって金融資産の構成も金融チャネルも多様であったし,企業や銀行等の所有・支配構造も個人的性格が濃く,それが「機関銀行」性といわれる問題をも生んでいた。このような性格をもった金融システムが両大戦間期に成熟を示した。資金移動が活発な世界経済に対してオープンな体制のもとで,金融資産の蓄積水準と構成の多様性は高まり,高度化した。他方,近代的金融仲介システムの成立とは同時にパニック発生の危険をビルドインすることでもあり,危険は戦間期に現実のものとなる。多くの銀行が,大戦時の拡張の反動としての系列事業を中心とする不良債権の累積,店舗設置や高利預金吸収での拡大競争などの結果,経営を悪化させ,しばしばパニックに至った。

 このことへの対応として,政府当局(主として大蔵省)は,19世紀末以来金融機関の発達を可能な限り引き出すために採ってきた原則放任の態度から,規制的スタンスに転換した。1927年の銀行法に至る一連の「業法」の制定をはじめ,参入規制および業務規制を開始する。それは詳細な法規定によらず,裁量的行政指導に大幅に委任するスタイルのものであった。導入された規制の内容は,銀行行政を例にとれば,統合の促進(大規模化,「機関銀行」性の希薄化,地域内競争の抑制),金利規制(主に高利預金競争の制限),店舗規制(拡張競争制限),貸出行動規制(リスク抑制)など,1920年代の経営悪化銀行の教訓から導き出された。こうして1920年代に導入された規制的行政とその結果(集約化された金融業産業組織など)はその後に継承され,その意味で以上が第二次大戦後の日本型金融システムへの転型の第一局面をなす。

 第二の局面は1937年以降の戦時経済である。閉鎖体制に転じたもとで,企業部門の投資水準(対GNP比)の大幅な上昇により資金不足幅が(政府部門とともに)拡大したというマクロ的条件が重要である。一方,ソ連やナチス・ドイツの影響も受けながら,新体制運動を背景に頂点に達した営利主義批判・金融統制のイデオロギーも,統制のもつ自己拡大メカニズムとともに大きな影響を残した。ただしそれを,しばしば図式化されるように,経済の計画化(利潤動機の排除,所有と経営の分離)のため株主主権を縮小し,メインバンクによるモニタリング・システムで代替させることにより,戦後日本型システムのコアの部分を作ったと理解するならば,それは事実とはやや異なるであろう。そのような意図に沿った体系的な成果がもたらされたわけではない。実際には,戦時下の切迫した要請から次のような再編成が行なわれた。重要なものとして,金融機関の統合がさらに劇的に進められたこと,企業の資金調達に対して個人の出資能力が不足し,外部資金依存に転じたこと(《個人資本主義》的性格の弛緩),業界団体への組織化や行政指導の経験が蓄積されたこと,(協調融資に支えられた)特定の企業・銀行間の結合が作り出されたこと--ただしこれは軍需融資の円滑化が目的であり,銀行の情報生産機能は極度に低下したから,「メインバンク・システム」とはいえない--などがある。これらの多くは利潤動機を否定せず,むしろ最大化原理を前提にし利用する形で実現したことに注意しなければならない。そして,これらの結果の一部は戦後の前提的枠組みとなる。

 第三の局面は戦後の変革期である。ここでは,ハイパー・インフレと社会階層構造の改革によって,金融資産ストックが極度に減価し,かつ分布が均等化した結果,資産選択と仲介チャネルの構成が預金-銀行貸出に集中するようになったことが最も重要である。また占領という事情のもとで,財閥解体などの重大な改革が行なわれ,また銀行・証券分離のようなアメリカ型の制度が導入された例もある一方,継承した基本構造は破壊されず,詳細に法規定された客観基準による規制というGHQ側の提案が「経営諸比率指導」に姿を変え,日本型の裁量的行政をかえって強化したようなケースもある。

 高度成長期を迎えると,受け継がれた枠組みが特定の性格を帯びながら典型的に機能することになる。特定の性格とは,閉鎖的体制,低ストック,高成長・高投資・高圧経済,貸越経済という条件のもとで,金融機関の《拡張行動の抑制》という目標に集中した裁量的行政が行なわれたという意味である。規制の項目は多数にのぼり,それらを通じて最大化原理利用型かつ可変的罰則賦課型の有効性の高い指導が実施された。すなわち,直接の法的根拠のない指導でありながら,指導に従わず「抜け駆け」的拡張行動をとる金融機関は《報復しようとするライバルに支持された当局によるペナルティの賦課》がもたらす長期的利潤への純損失を考慮しなければならないために,経済合理的な選択の結果として指導が有効となるという仕組みである。この際,規制基準をリジッドに適用するのでなく,基準未達成の幅に従って逓増するコストを賦課する(各金融機関のリスク負担能力に応じた)規制方式がとられた。

 以上でもみた通り,本論文の分析からは,ミクロ・システムとマクロ的条件の結びつきの重要性が強調されることになるが,そうだとすれば,マクロ的条件が大幅に変化したポスト高度成長期における日本型システムのあり方が問題になろう。これまでのところ,金融構造はもちろん大きく変化し,金融制度に(部分的な)改革が加えられた一方,金融機関の行動パターンや金融行政の領域においては,そのコアの部分は存続しているように思われる。

 当局は行政の目的として「預金者(等)保護」と「信用秩序維持」を掲げ,それを金融機関経営の保護を通じて追求してきた。これがその限りできわめて高い成果をあげてきたことは間違いない。しかし,上記の目的の定式が曖昧さを含むために,それは金融機関全般に対する保護的行政を正当化することとなる。金融の自由化が進み,バブルの発生と崩壊の経験をへた現在,それは根本的に問い直される必要がある。というのは,バブル期の拡張の負の遺産によって経営が悪化した銀行をはじめとする金融機関を防衛しなければならないという議論が根強く,その正当性やモラルハザード効果が問題として鋭く提起されているからである。

 この点に関し,金融業務の経済機能の解析を行なった結論として,以下を提案したい。理論的に正当な金融行政の基本目的として,《貨幣・決済システムの維持》と《不公正取引の排除》の二つを厳格に再定式化すべきである。そのためには,金融機関を《決済勘定》と《投資勘定》に勘定分離することが望ましい。決済勘定は原則100%保全されるべく,ここに必要な措置を集中する。一方その他の業務については,業務分野規制はいまや基本的に不要であり,原則完全自由化した上で,金融機関が多様な収益性と安全性の組合せの資産の供給を選択すればよく(ただし商品性の明示の保証が条件である),これらが投資勘定を構成する。

 日本型金融システムは今後,従来通り機能し続けることは困難であると展望されるとともに,以上を中心とする改革を必要としていると考えられる。

審査要旨

 1.伊藤修氏の博士論文「日本の金融システム・歴史的分析」は、近年注目を集めているいわゆる日本型経済システムないしは日本型経済システム論と関連させつつ、戦前・戦後を通じた日本の金融システムについて、包括的かつ体系的なシステム像を提示することを試みたものである。

 伊藤氏は、「今日認識される日本型金融システムの諸要素が、それぞれ、どの時点で、なぜ形成され、どのように存続し、あるいは変化してきたかを分析する」こと、さらにその分析の上にたって、上記のように歴史的パースペクティブをもった包括的かつ明確な日本の金融システム像を提示することを、本論文全体の課題とした。そして、この面で本論文は注目に値すべき分析結果をあげており、とりわけ戦時期と戦後改革期については新しい金融システム像を打ち出している。

 2.本論文の構成は、次のとおりである。

 第1章 課題と概観

 第2章 戦前日本の金融システム:〜1936

 第3章 戦時再編成のロジック:1937-1945

 第4章 戦後の変革:1945-1955

 第5章 戦後の金融構造:1955-1992

 第6章 戦後の金融行政(1):実績

 第7章 戦後の金融行政(2):行政理念

 第8章 金融制度改革-経過・再考察・提案-

 結び-まとめと展望

 以下、各章の内容を、要約、紹介する。

 3.第1章では、まず日本型経済システムに関する従来の研究動向をレビューしたうえで、従来の日本型システム論では、それを構成する諸要素の歴史性についての認識が弱いこと、ミクロ的・制度的側面よりもマクロ的条件がより考慮されるべきことが強調される。そして、こうした視点から、第2章以下の時期別分析に先立って、戦間期以前の経済発展、第二次大戦前と戦後の日本の社会経済の概括的対比、金融システムの前提となる国際資金移動、金融資産・負債ストック、貯蓄と投資、部門別資金過不足、マネーフロー、産業組織、不平等度等の長期動向がサーベイされている。

 第2章から第4章までは、1920年代から戦後改革期までが、時系列的に検討される。まず、第2章では、戦時統制が開始される以前の時期、すなわち1920年前後から1936年あたりまでを対象として、戦前日本の金融システムの包括的・体系的把握が試みられる。結論的には、(1)国際金融環境との関連では、この時期の日本は「開放体制下の小国」ともいうべき位置にあったこと、(2)金融のマクロ的動向については、従来の銀行独占化論に対し、より広い視野に立って銀行の比重の低下、金融資産の多様化こそが強調されるべきこと、(3)企業金融については、戦後とは対照的に、自己資本比率が高く外部資金調達では株式が中心という構造となっていたこと、(4)金融行政については、対外取引、資金配分、金利、金融機関経営等の面で「原則自由の体制」であったこと、1920年代になって法規定ではなく裁量的行政指導によっての規制が初めて導入されてくること、などが提示されている。これまで無視されてきた問題あるいは軽視されてきた問題を位置づけ直すことによって、戦後ともまた戦時期とも異なった戦時金融システム像を浮かび上がらせているといえよう。

 第3章では、こうした戦前の金融システムが、戦時経済の進展に伴って再編成されていくプロセスが、氏の発掘した新資料も含めて詳細に解明される。再編の焦点が1940〜41年の「金融新体制」にあったこと、再編は、包括的・計画的にではなく、戦時下の切迫した要請から個別・緊急措置的に具体化されていったこと、この結果、企業内部では個人的・閉鎖的支配の性格が弛緩し、金融業産業組織では集約化が進展し、それが戦後への遺産となったことなどが、本章の強調点である。そして、こうした把握から、メインバンク・システムの起源を戦時に求める見解についても批判的検討がなされている。氏は、メインバンク・システムを、1)融資額第1位行がある程度固定的であること、2)この第1位行は、広範な業務を行うとともに、融資行を代表して詳細な情報生産、緊急時の救済的活動などの機能を果たすこと、と規定し、機能としてのメインバンク・システムは、1950年代以降になって始めて成立すると結論づけている。

 第4章では、集中排除・銀行分割問題、金融業法、金融機関再建整備など、占領下のGHQおよび日本側の金融改革構想とその帰結、形成される戦後金融制度が検討される。とくに、戦時経済の負の遺産の処理としての金融機関再建整備に関しては、詳しい分析がなされ、金融機関は損失・利得双方の要素をもったが、巨額の旧勘定預金等の凍結からインフレ利得を得て、十分に損失を補填したこと、この金融資産の減価と分散化が戦後の新条件として決定的意味を持ったこと、が強調されている。また、銀証分離、信託分離、長期金融機関制度、中小企業金融機関制度、外為専門銀行制度などで特徴づけられる戦後金融制度についても、それを成立させた要素には、戦前から継承したもの、戦時期から継承したもの、戦後の新たな条件によるものが、それぞれ複合しているとし、とくに戦後の新条件に着目する必要性が主張されている。

 4.第5章から第7章までは、高度成長期から現在に至る戦後金融システムが、金融構造と金融行政の2つの面から検討される。また、第8章では、現状分析の視点から金融制度改革が取り上げられる。

 まず、第5章では、戦後40年間の金融資産・負債ストックと資金フローが俯瞰され、また、従来の「間接金融対直接金融」、「銀行と証券」、「オーバーローン」、「資金偏在」といった視角からの金融構造の類型化は有効でないこと、かわって「市場対相対」、「ボンド対ローン」といった視角を導入すべきこと、イギリス的なサウンドバンキング観念から脱却すべきこと、が提唱される。ここから、外部資金依存度が高く、しかも銀行借入比率が高いという戦後日本の企業金融についての分析がなされ、メインバンク制や銀行貸出中心型金融システムの合理性を主張しようとする研究への控え目な批判が行われる。すなわち、《借入れ→成長》の因果連関は明示的には見られないこと、資金配分への公的介入が成長促進的意味を持ったのは1950年代前半までであること、長期継続関係にあるといっても企業も銀行も長期的視野をもっていたかどうかは疑わしいこと、などが、氏の主要な批判点である。さらに、1980年代の、自由化、国際化、証券化とバブルについての検討も行われ、自由化の進展ではなくその不完全さこそが、金融取引の膨張=バブルの原因となったとしている。

 続く第6章では、戦後金融行政の実態が、第7章では、戦後金融行政を支えてきた理念が検討される。氏は、広義の金融政策のうちマクロ金融政策以外の分野、すなわち金融取引の制度やルールといったミクロの領域での公的介入を金融行政と定義する。そして、この定義から、参入規制や店舖行政、経常収支率規制・大口融資規制などの経営諸比率指導や資金配分規制等が分析され、1)参入や合併など、市場構造の基本を決定する要素については当局の管理・操作はほぼ完全であったこと、2)店舗行政は強制力をもって作用したこと、3)業務範囲規制はほぼ遵守されたこと、4)経営諸比率指導については評価はそれぞれ異なること、という結論を導きだした。また、戦後金融行政を支えた行政当局の理念=基本的考え方についても、歴史的に重点の置き方に変化はあったものの、預金者保護・信用秩序の維持・適切な資金配分の実現の3点からする「公共性」という当局の行政理念のコアの部分は、今日に至るまで変化はなかった、と結論づけている。

 そして、こうした金融行政が、直接の法的根拠を持たないにもかかわらず有効性を保持したのは、「日本株式会社」論的あるいは「文化的特性」論的特質によるのではなく、個々の金融機関の経済合理的選択の結果であったと主張している。つまり、個々の金融機関の、《報復しようとするライバルに支持された当局によるペナルティの賦課がもたらす長期利潤最大化という目的に対する純損失》への考慮の結果こそが行政指導を有効にした、というのが氏の論理である。

 第8章では、戦後の金融制度改革を概観した後、金融機能の合成体という視点から金融業務の経済機能の解析を行い、結論として以下の2点を提起している。第1に、金融行政の基本目的は、貨幣・決済システムの維持と不公正取引の排除の2つに再定式化されるべきこと、第2に、金融機関勘定を決済勘定と投資勘定に分離し、後者については完全自由化が図られるべきこと。

 最後の結びでは、これまでの分析が俯瞰的に要約されるとともに、マクロ的条件の変化により、日本型金融システムは、今後従来通り機能しつづけることはできず、システムの転換と行政改革が必要であることが再度強調されている。

 5.以上に要約したように、本論文は、歴史的分析と理論的把握を統一しようとする試みで一貫しているのみならず、いくつかの章においては新たなファクツ・ファインディングスとその理論的再把握を提示しており、意欲的力作ということができる。以下、評価と問題点についてまとめて述べる。

 評価すべき第1の点は、日本型経済システムのコアのひとつである日本型金融システムについて、戦前・戦後を通した分析を行い、ミクロ的システムとマクロ的条件の結びつきを強調することにより、その新しい形成モデルを提示したことである。戦間期、戦時期、戦後改革期に、日本型金融システムの構成要素がそれぞれ形成・再編され、高度成長期に典型的に機能するという把握は、氏の創見である。

 第2に、こうした仮説の提示にあたって、丹念な一次資料の収集・分析がなされ、さらにこうした一次資料の分析とマクロ的な統計分析との接合が意識的に行われていることである。とりわけ、戦時期の「金融新体制」に関するファクツ・ファインディングスは貴重なものであり、また戦後の金融行政とくに金融機関行動への行政指導は、氏によって初めて包括的に整叙されたといえよう。

 第3に、近年の研究のみならず、既存の研究史に対しても、広く目配りがなされていることである。氏は、大枠においては近年の日本型経済システム論を受容しているが、実態分析と歴史分析の両面にわたる研究への目配りの結果として、日本型経済システム論の内在的批判ないしはその相対化への道が開かれている。

 また、本論文の問題点をあげるとすれば、以下のとおりである。第1に、「金融という経済現象の全体からマクロ金融政策をめぐる問題領域を除いたもの」を金融システムと規定しこれを分析の対象としたためか、それぞれの歴史時点における重要な金融政策上の課題のいくつかが分析から欠落したことである。例えば、戦時期の税制改正、戦後改革期のGHQの特銀改廃などの政策措置、金融緊急措置、高度成長期の産業政策との関連などがそれである。これらは、当時の政策課題として重要であっただけでなく、氏のいう金融システムの形成・再編と密接に関連していたはずであり、その欠如が惜しまれる。

 第2に、氏は、ゲネシス論的視点を導入することにより、日本型経済システム論を相対化しようと試みているが、その射程が必ずしもその理論的背景にまで到達していないことである。取引費用論・情報の経済学・協調ゲーム論・比較制度分析などを、その背景にもつ日本型経済システム論を相対化するためには、歴史的視点を導入するだけでは不完全であり、氏自身による日本型金融システムの構成要素およびそのワーキングについての理論的に厳密な再規定が必要であろう。この点が瞹味であるため、戦時期の配当制限・協調融資などメインバンク制に関わる既存の研究史批判、同じくモニタリング機能の位置づけ、戦後の金融正常化やオーバーローンの位置づけ直しなどは、十分な説得力を持つに至っていない。

 第3に、各章それぞれの内部構成が緻密で体系的であるのに対し、本論文全体をとってみると、その構成がやや体系性や緊密性を欠くことである。とりわけ戦後高度成長期以降はやや駆け足の叙述となっており、戦後改革期までのそれと比べると手薄の感は否めない。本論文全体の構成になお推敲が加えられ、最終的には歴史叙述としてより緊密性を高めることが望ましい。

 6.以上のような問題点を残すとはいえ、これらは伊藤修氏にとっては今後の問題と考えられる。本論文により、戦前・戦後を通しての日本の金融システムに関する分析が、新しい地平に立ったことは間違いのない事実である。以上により、審査員は全員一致で本論文を博士(経済学)の学位を授与するにふさわしい水準にあると認定した。

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