学位論文要旨



No 212338
著者(漢字) 近藤,高志
著者(英字)
著者(カナ) コンドウ,タカシ
標題(和) 有機結晶の非線形光学特性とその波長変換素子への応用
標題(洋)
報告番号 212338
報告番号 乙12338
学位授与日 1995.05.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12338号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,良一
 東京大学 教授 花村,榮一
 東京大学 教授 清水,富士夫
 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 教授 黒田,和男
 東京大学 助教授 尾鍋,研太郎
内容要旨

 レーザと非線形光学の誕生から約30年が経ち,非線形光学効果を用いた波長変換技術はレーザ工学の中枢をなす重要な技術の一つとなっている。特に,可視光源の進歩には目覚ましいものがあり,相当な高効率波長変換が無機非線形光学結晶を用いて実現されている。しかしながら高い変換効率と動作安定性を両立することが困難であることがあきらかとなり,実用化への最後の一歩を踏み出せずにいるのが現状である。波長変換の性能指数の点で圧倒的に優位な立場にある有機結晶は,この問題点に対するもっとも直接的な解決策の一つであるといえる。有機非線形光学結晶を用いた導波路型波長変換素子の開発には,分子レベルから結晶レベルにわたる評価,さらには素子設計と素子作製やその特性評価まで,極めて広範な多くの研究を積み重ねていかねばならない。本研究では,有機結晶を用いて実用的な波長変換素子を実現することを目標として,有機分子・結晶の非線形光学特性とその波長変換素子への応用の可能性について,分子レベルから結晶レベル,さらにはデバイスレベルまで幅広く視野に入れて検討をおこなった。

 まず,有機非線形光学結晶の特性を評価するための総合的評価法を新たに提案しその有用性を実証した。理論計算による非線形光学結晶の性能予測をスクリーニングの手段として用いることによって,効率の良い材料開発が可能となる。図1にこの性能予測法を柱とした新しい材料評価の手順を示す。この性能予測では,改良型CNDO/S法による半経験的分子軌道計算と配向ガスモデルとによって,結晶構造のデータのみから非線形光学定数の値を定量的に見積もる。結晶構造と非線形光学定数とが知られている結晶について,この方法によって理論計算をおこなった結果と実験値との比較を図2に示す。約3桁にも及ぶ広い範囲で良好な計算結果が得られており,大きな非線形性を有する非線形光学結晶の性能予測の手段としてこの計算法が十分に有用であることがわかる。

図1 有機非線形光学材料の評価手順図2 非線形光学定数の計算値と実測値。基本波波長1.064m。

 次に,この新しい総合的評価法を用いてMBANP(2-(-methylbenzylamino)-5-nitropyridine)の2種類の非線形光学結晶((-)体エナンチオマー(-)MBANPとラセミ混合物(±)MBANP)の評価をおこなった。(-)MBANPは重要な非線形光学材料の1つで,本研究はその非線形光学特性の評価を初めて正確におこなったものである。一方,(±)MBANPの評価はラセミ混合物結晶についておこなわれた唯一の例で,当然のことながら同一の分子からなるエナンチオマー結晶とラセミ混合物結晶との比較をおこなったのは本研究が初めてである。

 MBANP分子は大きな分子非線形分極率を有しながら,短波長透過性の良い優れた非線形光学分子である。(-)MBANPは,MBANP分子の分子内電荷移動軸がb軸方向に配向した結晶構造を有しており(図3参照),その結果その非線形光学定数テンソルの最大成分d22の値は30pm/Vにも達する。一方,(±)MBANPは反転対称に近い結晶構造となっており,分子内電荷移動軸はその非線形性を互いに打ち消しあうような配列をしている(図3参照)ため,結晶の非線形光学定数はあまり大きくならない。また,両者の比較から,分子間相互作用が非線形光学特性に及ぼす影響が小さいことが再確認できる。

図3 (-)MBANP(左図)と(±)MBANP(右図)の結晶構造

 導波路型SHG素子の高効率化の指針についても理論的に検討を加えた。その成果を以下に手短にまとめる。まず,導波路型波長変換で高効率化を実現するためには,変換の形式によらず,"広義の位相整合"を達成しなければならないことを初めてあきらかにした。この広義の位相整合とは,縦方向と横方向の位相整合とファブリー・ペロー共振条件とから構成される。また,広義の位相整合を達成するためには,バルク位相整合可能な結晶を用いて複屈折位相整合を達成するか,バルク位相整合不能な結晶になんらかの周期構造を導入して縦方向あるいは横方向の疑似位相整合を達成するか,の2種類の選択があり得ることを示した。このことから,有機非線形光学分子の能力を最大限に引き出して波長変換に利用するためには,dテンソルの対角成分が最適化された結晶を用いて,周期分極反転構造を導入して疑似位相整合を達成しなければならないことが結論される。

 最後に,(-)MBANP単結晶導波路を実際に作製し,その波長変換特性の評価をおこなった。半導体を中心に用いられてきた各種の微細加工技術を適用することによって,従来不可能とされてきた有機物単結晶を用いた各種のチャンネル型導波路の作製に初めて成功した。また,(-)MBANP単結晶スラブ・チャンネル導波路でCerenkov放射型位相整合を達成してSHGの実験をおこなった。一例として,単結晶リブ型導波路素子の入出力特性(基本波=0.87m)を図4に示す。得られた第2高調波パワーは理論値にほぼ等しく,極めて良質の導波路が作製できていることがわかる。なんらかの疑似位相整合の機構を組み込むことによって格段の効率向上が期待される。

図4 (-)MBANPリブ型Cerenkov SHG素子の入出力特性

 以上のように,有機結晶の非線形光学特性とその波長変換素子への応用の可能性について,分子レベルから結晶レベル,さらにはデバイスレベルまでを幅広く視野に入れて研究をおこなった。これによって,有機結晶の持つ高い潜在能力を引き出して高性能素子を実現するための今後の研究の基礎を築き,開発の指針を示すことができたと考えている。

審査要旨

 本論文は「有機結晶の非線形光学特性とその波長変換素子への応用」と題し,有機非線形光学材料の総合的評価,ならびにその波長変換素子への応用についてまとめたものである.

 レーザと非線形光学の誕生から約30年が経ち,非線形光学効果を用いた波長変換技術はレーザエ学の中枢をなす重要な技術の一つとなっている.特に,可視光源の進歩には目覚ましいものがあり,相当な高効率波長変換が無機非線形光学結晶を用いて実現されている.しかしながら高い変換効率と動作安定性を両立することが困難であることがあきらかとなり,実用化への最後の一歩を踏み出せずにいるのが現状である.波長変換の性能指数の点で圧倒的に優位な立場にある有機結晶は,この問題点に対するもっとも直接的な解決策の一つであるといえる.有機非線形光学結晶を用いた導波路型波長変換素子の開発には分子レベルから結晶レベルにわたる評価,さらには素子設計と素子作製やその特性評価まで,極めて広範な多くの研究を積み重ねていかねばならない.

 本論文では,有機結晶を用いて実用的な波長変換素子を実現することを目標として,有機分子・結晶の非線形光学特性とその波長変換素子への応用の可能性について,分子レベルから結晶レベル,さらにはデバイスレベルまで幅広く視野に入れて検討をおこなっている.

 本論文は5章より構成されている.

 第1章は「序論」であり,本研究の背景と目的,および本論文の構成について述べている.

 第2章は「有機非線形光学結晶の評価」と題し,本研究で新たに提案した有機非線形光学材科の特性の総合的評価法と,これによって新規材料の評価をおこなった結果について記述されている.ここではまず,有機非線形光学結晶の特性を評価するための総合的評価法を新たに提案しその有用性を実証している.理論計算による非線形光学結晶の性能予測をスクリーニングの手段として用いることによって,効率の良い材料開発が可能としている.改良型CNDO/S法による半経験的分子軌道計算と配向ガスモデルとによって,結晶構造のデータのみから非線形光学定数の値を定量的に見積もることが可能であることが示され,非線形光学結晶の性能予測の手段としてこの計算法が十分に有用であることがわかる.次に,この新しい総合的評価法を用いてMBANP(2-(-methylbenzylamino)-5-nitropyridine)の2種類の非線形光学結晶((-)体エナンチオマー(-)MBANPとラセミ混合物(±)MBANP)の評価をおこなった結果が述べられる.(-)MBANPは重要な非線形光学材料の1つで,本研究はその非線形光学特性の評価を初めて正確におこなったものである.一方,(±)MBANPの評価はラセミ混合物結晶についておこなわれた唯一の例で,当然のことながら同一の分子からなるエナンチオマー結晶とラセミ混合物結晶との比較をおこなったのは本研究が初めてである.MBANP分子は大きな分子非線形分極率を有しながら,短波長透過性の良い優れた非線形光学分子である.(-)MBANPは,MBANP分子の分子内電荷移動軸がb軸方向に配向した結晶構造を有しており,その結果その非線形光学定数テンソルの最大成分d22の値は30pm/Vにも達することが示されている.一方,(±)MBANPは反転対称に近い結晶構造となっており,分子内電荷移動軸はその非線形性を互いに打ち消しあうような配列をしているため,結晶の非線形光学定数はあまり大きくならない.また,両者の比較から,分子間相互作用が非線形光学特性に及ぼす影響が小さいことを再検証している.

 第3章は「導波路型SHG素子の高効率化」と題し,導波路型SHG素子の高効率化の指針について理論的に検討を加えた結果について述べている.導波路における波長変換を支配する基本原理を新たにあきらかにし,素子や材料の最適化について議論した上で,有機非線形光学結晶を用いた素子の効率向上の指針を与えている.ここでの結論を手短にまとめると以下のようになる.まず,導波路型波長変換で高効率化を実現するためには,変換の形式によらず,「広義の位相整合」を達成しなければならない.この広義の位相整合とは,縦方向と横方向の位相整合とファブリー・ペロー共振条件とから構成される.また,広義の位相整合を達成するためには,バルク位相整合可能な結晶を用いて複屈折位相整合を達成するか,バルク位相整合不能な結晶になんらかの周期構造を導入して縦方向あるいは横方向の疑似位相整合を達成するか,の2種類の選択があり得ることが示される.このことから,有機非線形光学分子の能力を最大限に引き出して波長変換に利用するためには,dテンソルの対角成分が最適化された結晶を用いて,周期分極反転構造を導入して疑似位相整合を達成しなければならないことが結論されている.

 第4章は「有機結晶を用いた導波路型SHG素子」と題し,(-)MBANP単結晶導波路を実際に作製しその波長変換特性の評価をおこなった結果について述べている.半導体を中心に用いられてきた各種の微細加工技術を適用することによって,従来不可能とされてきた有機物単結晶を用いた各種のチャンネル型導波路の作製に初めて成功している.また,(-)MBANP単結晶スラブ・チャンネル導波路でCerenkov放射型位相整合を達成してSHGの実験をおこなっている.得られた第2高調波パワーは理論値にほぼ等しく,極めて良質の導波路が作製できていると結論されている.さらに,なんらかの疑似位相整合の機構を組み込むことによって格段の効率向上が期待できるとの見通しが示されている.

 第5章は「総括」と題し,本論文の内容を簡潔にまとめている.

 以上のように本研究は,有機結晶の非線形光学特性とその波長変換素子への応用の可能性について,分子レベルから結晶レベル,さらにはデバイスレベルまでを幅広く視野に入れておこなわれたものであり,有機結晶の持つ高い潜在能力を引き出して高性能素子を実現するための今後の研究の基礎を築き,開発の指針を示したものである.その成果は,有機結晶という新しい機能材料に関する基礎研究であるというにとどまらず,高性能波長変換素子への応用を通じて光記録・光情報処理などの分野へのインパクトが大であり,物理工学への貢献が大きい.よって,本論文は,博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50944