学位論文要旨



No 212355
著者(漢字) 大須賀,穣
著者(英字)
著者(カナ) オオスガ,ユタカ
標題(和) ヒト子宮内膜におけるplatelet-derived endothelial cell growth factor(PD-ECGF)の発現ならびに月経周期、妊娠初期における変動に関する研究
標題(洋)
報告番号 212355
報告番号 乙12355
学位授与日 1995.05.31
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12355号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川名,尚
 東京大学 教授 豊岡,照彦
 東京大学 助教授 福岡,秀興
 東京大学 助教授 多久和,陽
 東京大学 助教授 安藤,譲二
内容要旨

 ヒト子宮内膜は正常月経周期及び妊娠に際し形態学的、生化学的にダイナミックな変化を呈する。この生殖各期における組織構築の変化の過程で血管新生も活発に生起し血管系も大きく変化すると考えられる。これまで子宮内膜における血管新生因子に関する報告はいくつか見られるが、近年、宮園らにより単離精製、構造決定された血小板由来上皮細胞成長因子(platelet-derived endothelial cell growth factor,PD-ECGF)と子宮内膜との関連を検索した報告はない。PD-ECGFは強力な血管新生因子であると同時に他にもいくつかの作用を持ち子宮内膜において何らかの生理的役割を果たしていると推測できる。

 今回の実験では、子宮内膜におけるPD-ECGFの発現の有無、および月経周期ならびに妊娠初期におけるその発現の変動を検討した。さらに、プロゲステロンによる脱落膜化の過程でPD-ECGFの発現に変化があるかどうかを子宮内膜間質細胞培養系を用いて調べた

方法

 1、子宮内膜を、すべて患者の承諾を得た上で、人工妊娠中絶を受ける婦人もしくは子宮内膜の異常以外の理由で子宮摘出もしくは内膜除去術を受ける婦人より採取した。検体はNoyesらの診断基準により子宮内膜日付診を行った。検体はホモゲナイズし蛋白を抽出、宮園浩平博士(スエーデン、ルードビッヒ癌研究所)より供与された抗PD-ECGFマウスモノクローナル抗体を用いウエスタンブロットを行った。ウエスタンブロットは同量の蛋白量を含む検体を10%SDS-PAGEにかけポリビニリヂンヂフルオライド(PVDF)膜(ミリポア社)に転写した後行った。PD-ECGFのバンドをdensitometerにより測定し定量化した。

 2、子宮内膜組織の凍結切片を作成し、抗PD-ECGFマウスモノクローナル抗体を用い免疫組織染色を行った。免疫染色はベクター社のベクタステインABCキットをもちいアビジンービオチン複合体免疫ベルオキシダーゼ法により行い、最後にヘマトキシリンで対染色した。

 3、増殖期後期から分泌期中期にかけてのヒト子宮内膜を酵素処理した後、42mナイロンメッシュを用い腺組織を除去し間質細胞を得た。1、2回の継代の後、径10cmのディッシュに均等に散布。confluentな状態に達した後、2.5%チャコール処理ウシ胎児血清と各種ステロイドホルモンを含む培養液中で培養した。培養液は2、3日ごとに交換し培養液中のプロラクチン濃度を測定した。2から20日後に細胞を回収、溶解し遠心した後上清をPD-ECGFのウエスタンブロットに供した。

結果

 月経周期各期、及び妊娠初期ヒト子宮内膜におけるPD-ECGFの発現をウエスタンブロットにて観察した結果、PD-ECGFはすべての時期において認められた。また、その発現量は分泌期後期より妊娠初期にかけて増加した。

 ヒト子宮内膜の免疫染色の結果、増殖期内膜、分泌期初期内膜では間質細胞はまばらに薄く染色されるのみであったが、脱落膜化した子宮内膜の間質細胞は濃染された。腺上皮細胞は染色されたが、染色強度は脱落膜細胞より薄く月経周期を通し明らかな変化は認められなかった。

 子宮内膜間質細胞培養系を用いPD-ECGFの発現が卵巣ステロイドホルモンの制御を受けているかどうかを検討した。子宮内膜間質細胞をエストラジオールおよびプロゲステロン添加培養液中で12日間培養した結果、100ng/mlのプロゲステロン添加によりPD-ECGFの発現は著明に増加した。また、プロゲステロン添加の効果はエストラジオール添加の有無によらなかった。エストラジオール単独添加では、対象と同程度にわずかな発現が認められるのみであった。

 子宮内膜間質細胞培養系におけるプロゲステロンのPD-ECGFの発現とプロラクチン分泌に対する刺激作用を検討した結果、PD-ECGFの発現とプロラクチン分泌はともに培養6日目より明らかとなり、ともに培養20日目まで増加した。種々の濃度のプロゲステロン添加でPD-ECGFの発現とプロラクチン分泌を検討した結果、プロゲステロンは10ng/mlの濃度でPD-ECGFの発現とプロラクチン分泌を刺激した。これらに対する効果は100ng/mlのプロゲステロン添加でさらに増強された。また、プロゲステロンレセプターの特異的リガンドであるR5020はPD-ECGFの発現とプロラクチン分泌をともに刺激した。

考察

 本研究においてPD-ECGFがヒト子宮内膜に存在すること、ならびに脱落膜化に伴い増加することを示した。また、免疫組織染色によりPD-ECGFは主に脱落膜の間質細胞に豊富に存在することが示された。このことより間質細胞におけるPD-ECGFの発現が脱落膜組織でなんらかの生理的役割をはたしていることが推測される。

 子宮内膜の血管に関しては、螺旋動脈が子宮内膜の間質まで伸びており、これらの動脈は月経周期におけるホルモン変動の刺激を受けている。排卵後、螺旋動脈のコイリングは分泌期中期まで進行し続ける。このとき、子宮内膜間質組織中でそれらは最も著明となり、もし着床が起こらなければこれらの動脈は退縮する。一方、胎芽の着床はこれらの動脈の退縮を阻止し、動脈は伸長し続け最終的にトロホブラストの侵入の後で絨毛間腔と交通する。この現象には何らかの血管新生因子が関与していると推測され、PD-ECGFのもつ血管新生作用を考えあわせると妊娠初期の脱落膜組織中での血管系の進展にPD-ECGFが関与している可能性がある。

 また、最近の報告によるとPD-ECGFはチミジンホスホリラーゼ活性を持ち、ヒトにおいてチミジンホスホリラーゼ(dTHdPase;EC2.4.2.4)として働いていることが示唆されている。dTHdPaseは血小板、肝臓、肺、脾臓、リンパ節および末梢リンパ球で高度に発現している。dTHdPase活性が高いことが成熟リンパ球細胞に特徴的であると考えられていることやdTHdPase活性が角化細胞の分化の過程で増加する事実よりdTHdPase活性が高いことが生体内で分化を遂げる多くの細胞の特徴であると推論される。子宮内膜におけるPD-ECGFの発現が脱落膜化に伴い増加することは脱落膜化を子宮内膜の間質細胞の分化と考えることができ、血管新生以外の生理的意義を有する可能性も否定できない。

 一方、最近の報告では星状細胞と神経膠細胞腫瘍の成長を阻害するグリオスタチンがPD-ECGFと同一であることが明らかにされた。ヒトの妊娠における正常な胎盤の形成過程では脱落膜に侵入性に増殖する絨毛細胞が何らかの抑制を受けて母児間でのバランスが保たれているが、グリオスタチンが星状細胞の増殖を阻害するのと同様に、脱落膜においてPD-ECGFは絨毛の発育に対し抑制的に作用しているという推定も可能である。また、血液中グリオスタチン濃度は男性より女性が高い傾向にあり、性ステロイドホルモンがグリオスタチンすなわちPD-ECGFの発現に関与している可能性が示唆されるが血中PD-ECGFの由来はこれまでのところ明らかでない。現在のところ組織レベル、細胞レベルにおいてホルモンによるPD-ECGFの発現誘導は知られておらず、今回、子宮内膜間質細胞の系を用いて初めてホルモンによる発現調節を示した。

 ヒト子宮内膜の脱落膜化には本来、卵巣ステロイドホルモンによる刺激と胎芽の着床を必要とするが、胎芽なしでもホルモン処理のみで惹起する事ができる。特にプロゲステロンはヒト子宮内膜脱落膜化の惹起と維持に必須であることが知られている。今回の実験でプロゲステロンは培養ヒト子宮内膜間質細胞で容量依存的にPD-ECGFの発現を誘導することが示された。

 プロラクチンの分泌は分泌期後期の子宮内膜に認められ、形態学的な脱落膜化の開始に対するプロラクチンの関与が示唆される。今回の実験ではプロゲステロンによる誘導で脱落膜化した間質細胞にPD-ECGFの発現とプロラクチン分泌が認められた。これまで多くの物質が脱落膜化細胞に特徴的な蛋白としてあげられているが、PD-ECGFも脱落膜化の生化学的な示標のひとつとしてつけ加えられるべきである。

 まとめ

 本研究においてPD-ECGFが子宮内膜に存在し脱落膜化によりその発現が増加することを示した。また、組織学的には主として脱落膜間質細胞に発現していることが示された。一方、培養子宮内膜間質細胞を用いた実験によりPD-ECGFの子宮内膜における発現はプロゲステロン刺激による脱落膜化に伴うことが明らかとなった。PD-ECGFは子宮内膜において血管新生、間質細胞の機能分化、母児間の細胞構築の制御などの役割を通じ着床現象に関与している可能性がある。

審査要旨

 本研究はヒトにおいて妊卵の着床、妊娠の維持に関連して重要な役割を演じていると考えられる子宮内膜の脱落膜化において、血管新生をはじめとする多彩な生理作用を有すると考えられるplatelet-derived endothelial cell growth factor(PD-ECGF)の発現とその変化の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.月経周期各期、及び妊娠初期ヒト子宮内膜組織を用いPD-ECGFの発現をウエスタンブロットにて観察した結果、PD-ECGFはすべての時期において認められた。また、その発現量は分泌期後期より妊娠初期にかけて増加した。

 2.上記と同様のヒト子宮内膜組織を用い抗PD-ECGFモノクローナル抗体で免疫染色した結果、増殖期内膜、分泌期初期内膜では間質細胞はまばらに薄く染色されるのみであったが、脱落膜化した子宮内膜の間質細胞は濃染された。腺上皮細胞は染色されたが、染色強度は脱落膜細胞より薄く月経周期を通し明らかな変化は認められなかった。

 3.子宮内膜間質細胞培養系を用いPD-ECGFの発現が卵巣ステロイドホルモンの制御を受けているかどうかを検討した。子宮内膜間質細胞をエストラジオールおよびプロゲステロン添加培養液中で12日間培養した結果、100ng/mlのプロゲステロン添加によりPD-ECGFの発現は著明に増加した。また、プロゲステロン添加の効果はエストラジオール添加の有無によらなかった。エストラジオール単独添加では、対象と同程度にわずかな発現が認められるのみであった。

 子宮内膜間質細胞培養系におけるプロゲステロンのPD-ECGFの発現とプロラクチン分泌に対する刺激作用を検討した結果、PD-ECGFの発現とプロラクチン分泌はともに培養6日目より明らかとなり、ともに培養20日目まで増加した。種々の濃度のプロゲステロン添加でPD-ECGFの発現とプロラクチン分泌を検討した結果、プロゲステロン10ng/mlの濃度でPD-ECGFの発現とプロラクチン分泌を刺激した。これらに対する効果は100ng/mlのプロゲステロン添加でさらに増強された。

 以上、本論文においては、PD-ECGFが子宮内膜に存在し脱落膜化によりその発現が増加することを示した。また、組織学的には主として脱落膜間質細胞に発現していることが示された。一方、培養子宮内膜間質細胞を用いた実験によりPD-ECGFの子宮内膜における発現はプロゲステロン刺激による脱落膜化に伴うことが明らかとなった。本研究はこれまで不明であった子宮内膜におけるPD-ECGFの存在と月経周期および妊娠初期における変化を明らかにするとともに、PD-ECGFが子宮内膜において血管新生、間質細胞の機能分化、母児間の細胞構築の制御などの役割を通じ着床現象に関与している可能性を示唆している。

 本論文は、これまで不明であった子宮内膜におけるPD-ECGFの存在と月経周期および妊娠初期における変化を明らかとし、新しい観点より着床、妊娠現象の機構解明に寄与するものと考えられた。以上より、本論文を持って学位の授与に値するものと認められる。

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