学位論文要旨



No 212356
著者(漢字) 森川,栄治
著者(英字)
著者(カナ) モリカワ,エイハル
標題(和) 局所脳虚血における一酸化窒素合成系の意義に関する研究
標題(洋)
報告番号 212356
報告番号 乙12356
学位授与日 1995.05.31
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12356号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 熊田,衛
 東京大学 教授 金澤,一郎
 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 助教授 多久和,陽
 東京大学 助教授 山田,信博
内容要旨

 脳虚血による神経細胞死には、グルタミン酸の神経細胞毒性が関与していることが知られ、グルタミン酸受容体の拮抗薬はin vivoの局所脳虚血において脳保護効果を示す。一酸化窒素(NO)は、培養神経細胞においてこの興奮性アミノ酸の細胞毒性の発現を担っている物質で、生体内では内皮由来の血管拡張因子(EDRF)であり、中枢・末梢神経系において神経伝達物質としての役割を有し、マクロファージなどの免疫担当細胞における細胞障害性の活性物質である。これらすべての面において、NOは脳虚血の病態機序に関与している可能性がある。そこで今回ラットの局所脳虚血モデルにおいて、一酸化窒素合成を阻害するL-arginineのアナログや、一酸化窒素合成の基質であるL-arginineを投与し、その後の脳梗塞体積の変化を測定することによって局所脳虚血における一酸化窒素合成系の意義を検討した。

 ラットの局所脳虚血は、既に方法論的に確立しているTamura、BrintおよびChenの三つの中大脳動脈閉塞モデルを使用した。TamuraおよびBrintのモデルにおいて一酸化窒素合成酵素阻害剤であるNG-nitro-L-arginine(LNA)を1mg/kgで3回投与(実験1a、1b)またはNG-nitro-L-arginine methyl ester(LNAME)を3mg/kgで5回投与(実験2a、2b)し、それぞれ24時間および48時間後の脳梗塞体積を、生理食塩水を投与したコントロール群と比較した。断頭時に測定した小脳における一酸化窒素合成酵素活性は正常の42から73%程度に抑制されていた。大脳皮質の梗塞体積の結果を表1に示すと、一酸化窒素合成酵素阻害剤を投与した群は実験1aで有意に体積が増大し、実験1bおよび2aでも増大する傾向を認めた。実験2bでは差はなかった。

表1

 これらの結果から、脳虚血急性期における一酸化窒素合成酵素阻害剤の投与は脳血流の低下をきたして、梗塞体積を増大させるものと考えられた。

 一方、一酸化窒素合成酵素の基質であるL-arginineをBrintおよびTamuraのモデルを使って投与したところ、表2に大脳皮質における梗塞体積の結果を示す如く両モデルにおいて統計学的に有意な大脳皮質の梗塞体積の縮小効果を認めた。L-arginineのこの作用は、実験3aにみられるように光学異性的に特異的でD-arginineには効果は認めなかった。また実験3bにみられるように血管閉塞5分後の投与で有効で、あきらかな用量依存性を認めたが、実験4bに示すごとく血管閉塞1時間後の投与では効果は減少し有意差は得られなかった。

表2

 このようなL-arginineの効果は一酸化窒素合成の促進にともなう脳血流の増加による可能性が考えられたので、レーザードップラー血流計を使って虚血辺縁部(penumbra)の脳血流をモニターしながら、Brintのモデルに従って動脈の閉塞をおこない、血管閉塞後2時間のあいだ局所脳血流を測定した。血流データは、虚血前の血流に対する%で表わした。その結果、図1に示すごとく用量依存的にL-arginine30mg/kg及び300mg/kgの投与で有意に血流の増加を認め、3mg/kgのL-arginineおよび生理食塩水、D-arginineでは効果を認めなかった。これらの実験結果は、L-arginineの脳血管への作用によって虚血脳の血流が増加し、それによって中大脳動脈閉塞後の梗塞体積が縮小するという仮説を支持するものである。

図1

 以上の実験結果から、虚血の急性期には一酸化窒素が虚血脳とくにpenumbra領域への血流の維持に関与しており、一酸化窒素合成系は神経保護的に働いていることが確認された。文献上のデータからは、一酸化窒素が急性期から亜急性期にかけて神経毒性を発揮している可能性も示唆されており、今後この系のさらなる機序の解明に期待したい。

審査要旨

 本研究は、脳虚血における一酸化窒素の意義をあきらかにするために、ラットの実験的脳虚血モデルを用いて一酸化窒素合成阻害剤および一酸化窒素合成の基質であるL-arginineの投与をおこない、虚血性脳損傷に対する影響を検討したものであり、以下の結果を得ている。

 1)局所脳虚血において一酸化窒素合成阻害剤であるNG-nitro-L-arginine(L-NA)およびNG-nitro-L-arginine methyl ester(L-NAME)を投与することによって脳の一酸化窒素合成酵素の活性は有意に抑制されるが、脳梗塞体積はコントロール群と比べて有意に拡大したかもしくは不変であった。

 2)局所脳虚血において一酸化窒素合成の基質であるL-arginineを投与すると、コントロール群に比べて脳梗塞が縮小した。この効果は虚血前投与のみでなく、5分後投与でも認められたが、1時間後に投与を開始すると効果はなかった。光学的異性体であるD-arginineでは虚血前投与をしてもコントロール群と梗塞体積に差はみられなかった。

 3)局所脳虚血においてL-arginine(>30mg/kg,iv)を投与すると、虚血辺縁部における脳血流が投与前に比べて有意に増加した。生理食塩水や300mg/kgのD-arginineでは効果は認められなかった。血管閉塞後2時間のあいだの脳血流は、L-arginine投与群において生理食塩水投与群と比較して有意な増加が認められた。

 以上の実験結果は、一酸化窒素の脳血管系に対する効果を反映しているものと考えられ、虚血の急性期に一酸化窒素の合成を増やし虚血辺縁部における脳血流を増加させることによって局所虚血による脳損傷を軽減することが可能であることを明らかにした。また、一酸化窒素の神経細胞毒性を抑制することにより局所脳虚血において脳保護効果を得るには、神経細胞型の一酸化窒素合成酵素に特異的な阻害剤を使用することが必要と考えられた。このように、本研究は脳虚血における一酸化窒素の意義の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50945