本研究の目的は神経細胞の形態形成の機序と極性のメカニズムを解明することである。このため神経細胞に特異的に存在するする微小管関連蛋白のうち、軸索に局在するタウと、細胞体と樹上突起に存在するMAP2に注目し、タウの細胞内での機能の解析とタウとMAP2の神経細胞内局在のメカニズムの解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。 1.タウは軸索の電子顕微鏡写真やin vitroの実験で微小管の間に架橋構造を形成することが知られている。そこでタウの細胞内、特に軸索内での機能を理解するために本来タウを発現していない線維芽細胞にタウを発現させ、タウが細胞の形態に対してどのような影響を及ぼすかを観察した。この目的のためにまずタウ遺伝子のクローニングを行ったが、成獣ラットから得られたタウのcDNAクローンはそれまでに知られていた幼若型(S3タイプ:後述)のものとは違ったalternative splicingによってできたisoformであることがわかり、タウがN末で3種類(欠損なし(タイプL)、アミノ酸29残基欠損(タイプM)、および58残基欠損(タイプS))、C末のくり返し構造をとる微小管との結合部で2種類(4回のくり返し(タイプ4)と3回のくり返し(タイプ3))の組み合わせで計6種類のタイプ(L4、L3、M4、M3、S4、S3)があることが解った。なお私が全長をクローニングしたのはL4タイプであった。この遺伝子を線維芽細胞(L-cell)に形質導入して調べたところ、本来微小管形成中心(microtubule organizing center:MTOC)から放射状に伸びている微小管のorganizationが全く変化し、MTOCとは独立に微小管が伸長し太い束となって観察された。これは神経細胞の軸索で見られる微小管の束に似ており、このことからタウが神経細胞で微小管を重合して束ね、軸索形成に重要な役割を担っていることが示唆された。 2.上述のようにタウにはalternative splicingにより6個のisoformがあるが、それらの発現様式は発生の過程で変化することが知られている。ラットの場合出生後5日頃までは幼弱型(N末、C末共一番短い"S3")のみが発現しており、それ以降はS3タイプに加え残りの5種類のタウも発現してくる。そこでタウのisoformがなぜ発生過程で変化するのか、各isoform間での機能の違いは何か、という疑問が生じた。そこで各タイプのタウを線維芽細胞に形質導入して発現させ微小管束形成の度合いを調べたところ、タウの微小管束形成にはN末の違いが大きく影響し、N末の長いものほど微小管束を形成しやすかったが、微小管との結合部の返し構造が3個のものと4個のものとの間に有為な差は見られなかった。つまり幼弱な神経細胞では微小管を束ねる力の弱いタイプのタウ(S3)が発現し、成熟するにつれて微小管を束ねる力が強いタイプに変わっていくことがわかった。このことは幼弱な神経細胞では軸索を維持しながらも伸ばさなければならず、そのため微小管を束ねる力の弱いタイプのタウの方が都合が良いが、成熟した神経細胞では軸索はもはや伸長させる必要がなく、その形態保持のためにも微小管を束ねる力の強いタイプのタウが必要になるためと思われた。また同時にタウの機能部位の検索を欠損変異蛋白を用いて行った。 3.タウは軸索に、MAP2は細胞体・樹状突起に局在することがわかっている。またMAP2にはそのN末部の一部が欠損した幼若型のMAP2Cが存在するが、MAP2Cは軸索、細胞体、樹状突起のすべてに存在する。遺伝子クローニングの結果から、タウとMAP2(MAP2C)はC末部に高い相同性を持つ微小管との結合部を持ち、互いに微小管との結合において競合することがin vitroの実験で知られている。しかしこれらの蛋白は同一の神経細胞で発現されているにもかかわらずその局在は上記の様に大きく異なる。したがってこれらの蛋白の神経細胞内での局在の機序を解明することは軸索、細胞体、樹状突起から成る神経細胞の極性を理解する上で重要なことと考えられる。そこで、タウ、MAP2、MAP2Cおよびこれらの蛋白のキメラ・欠損変異蛋白を作成し、内因性の蛋白と区別するためにそのC末部にc-mycやc-myb由来のアミノ酸配列(約10残基)をつけ、マウス脊髄初代培養神経細胞に形質導入し、これらの蛋白の神経細胞内分布と局所での微小管結合能を調べた。まず神経細胞内分布であるがタウとMAP2Cは軸索、細胞体、樹状突起のすべてに見られたが、MAP2は細胞体と樹状突起に見られたものの軸索にはほとんどは見られなかった。MAP2が軸索に殆ど入らないのはキメラ・欠損変異蛋白を用いた実験からMAP2の長いN末部の突出部によることがわかった。しかしMAP2よりも分子量が大きく分子構造上長いMAP1Bが軸索でみられることから、単にMAP2が長いから軸索に入らないという訳ではなく、MAP2の軸索への輸送を制御する別の機序が存在することが示唆された。また本来軸索に局在すると言われていたタウが形質導入された神経細胞で軸索以外にも見られたが、タウに関する研究の大部分がTAU-1というモノクローナル抗体でなされおり、近年この抗体がその認識部(TAU-1site)がリン酸化されたタウを認識できないことがわかってきた。そこでタウを形質導入した神経細胞をTAU-1で染色したところ軸索は強く染まるものの細胞体と樹状突起での染色は極端に減少していた。次に形質導入したMAPと微小管との結合を調べたところ、タウは細胞体や樹状突起よりも軸索の微小管に強く結合し、MAP2は細胞体や樹状突起の微小管に強く結合し、MAP2Cは軸索よりも細胞体・樹状突起の微小管により強く結合した。そしてこの部位選択的な微小管との結合はタウおよびMAP2のC末部にある微小管結合部に依存することがわかった。タウはリン酸化されると微小管との結合能が減少することがわかっており、今回のTAU-1を用いた蛍光抗体の結果と合わせると、タウは細胞体および樹状突起でリン酸化を受けるため微小管との結合が低下し、そのため微小管から遊離したタウが軸索に運ばれ、そこで脱リン酸化され軸索内の微小管と強く結合すると考えられた。これらのことからタウとMAP2の神経細胞内での異なる局在化にはMAP2の軸索内への輸送の制御とおそらくリン酸化により制御される軸索及び樹状突起内微小管との結合性の違いが重要な役割を担っている事が示唆された。 以上、本論文は神経細胞の軸索に特異的に存在する微小管関連蛋白タウを解析することにより神経細胞の軸索の形態形成の機序の一端を明らかにし、タウとMAP2の異なる神経細胞内局在メカニズムを解明すると同時に神経細胞の極性のメカニズムに新しい研究の方向性を示した。従って本研究はタウの機能解析を通して神経細胞の形態形成・極性の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 |