近年の分子生物学を中心とした医学生物学の発展により、いくつかの疾病の分子レベルでの理解が飛躍的に高まり、その成果が診断治療面に応用され始めている。このような発展において、重要な役割を果したのは遺伝子の単離、即ちcDNAの単離であった。現在まで、ヒトの全遺伝子の中でcDNAの形で知られているのは数%にすぎない。残りのヒトcDNAを効率よく単離・解析していくことは様々な疾病の分子レベルでの理解に不可欠と考えられる。本論文はヒト蛋白質cDNAの効率的なクローン化法についての研究である。セクション1で、cDNAライブラリーのランダムシークエンシング法によるcDNAの解析が新しい遺伝子を単離していくのに有効であることと、その過程で得られた真核細胞蛋白質合成開始因子eIF-4AIのcDNAとグリオキサラーゼIのcDNAの解析について示し、セクション2で、このランダムシークエンシングによるcDNA単離の効率を上げるために、新たに開発したRNAプローブ法とその応用について述べる。 セクション1:ランダムシークエンシング法によるcDNAクローン化のcDNA源として、一本鎖ファージのオリジン、T7RNAポリメラーゼプロモーターとシークエンシングプライマーの部位を有する多機能ベクターpTZ18RP1をベクタープライマーとして用いて、ホルボールミリステートアセテートで刺激したヒトリンフォーマ細胞から作製されたcDNAライブラリー(PMA-U937cDNAライブラリー)を用いた。そこから無作為に約100個のcDNAクローンを選び、それらの5’末端の一部塩基配列を決定した。この塩基配列を用いて類似性検索を行なった結果、既知蛋白質と類似アミノ酸配列をコードする47個のクローンが得られた。その中には、細胞骨格蛋白質、代謝系酵素、熱ショック蛋白質、蛋白質合成関連因子など多くの蛋白質をコードするcDNAが含まれていた。その中で、9個のクローンはヒトではまだクローン化されていないcDNAを含んでいた。このように、わずか100個のクローンの解析にもかかわらず、効率よくヒト蛋白質ホモローグのcDNAを得ることができた。従来、他の種からcDNAがクローン化された場合、これをプローブとして用いてヒト由来のcDNA単離が行われてきたが、これには多くの時間と労力を要した。このことを考えると、ランダムシークエンシング法は既知の蛋白質と類似性を有する新規ヒト蛋白質ホモローグcDNAをクローン化するのに非常に有効な方法であると言える。 上記の過程で、マウス由来の蛋白質合成開始因子eIF-4AIと類似の蛋白質をコードするcDNAクローンが得られた。eIF-4Aは、蛋白質合成に必要である40SリボソームがmRNAに結合するための環境をつくる機能を有する重要な蛋白質である。すなわち、mRNAへの結合活性とmRNAの2次構造をほどくヘリカーゼなどの活性を有している。このcDNAの全塩基配列を解析した結果、cDNAは1476bpの長さであり、406アミノ酸残基からなる蛋白質をコードしていた。そのアミノ酸配列はマウスおよびウサギ由来のeIF-4AIと完全に一致した。この結果から、クローン化したcDNAはヒトのeIF-4AIをコードしていること、そしてeIF-4AIのアミノ酸配列は進化的に非常に良く保存されていることが示された。 一方、ランダムシークエンシングした100個のクローンの中では、有毒な代謝産物であるメチルグリオキサールとグルタチオンから無毒のS-ラクトグルタチオンを生成する反応を触媒する酵素グリオキサラーゼIをコードすると思われるcDNAが存在した。グリオキサラーゼIは癌細胞で多く発現していると報告されており、これに対する阻害剤は抗癌剤として検討されている。また、グリオキサラーゼIのアイソフォームの発現パターンが糖尿病患者において異なっているといった報告もなされている。このように、グリオキサラーゼIは代謝において鍵となる酵素であるだけでなく、疾病との関連も指摘されている。しかし、この蛋白質の遺伝子はPseudomonas putidaでしかクローン化されていない。そこで、このcDNAクローンについてさらに解析を行った。 クローニングされたcDNAは2,127bpの長さであり、184アミノ酸残基からなる蛋白質をコードしていた。このアミノ酸配列から求めたアミノ酸組成は、ヒト赤血球から単離精製し報告されているグリオキサラーゼI蛋白質のアミノ酸組成とほぼ一致した。また、cDNAの翻訳領域を大腸菌用発現ベクターに組み換え、発現させたところ、発現産物はグリオキサラーゼI活性を示した。方、ヒトグリオキサラーゼIのアミノ酸配列をPseudomonas putida由来のグリオキサラーゼIのアミノ酸配列と比較したところ、C末端の2/3の領域で57%の類似性が示された。 ヒト由来のグリオキサラーゼIは、二つの対立遺伝子から発現される蛋白質がホモダイマーあるいは、ヘテロダイマーを形成することによって、3種のアイソザイムとして存在していると言われている。これらの遺伝子は両方とも優性遺伝されるので、グリオキサラーゼIは人口遺伝学の標的酵素として使用されている。ヒト線維肉腫細胞株HT-1080cDNAライブラリーをさらにランダムシークエンシングしたところ、上記のグリオキサラーゼIのアミノ酸配列と完全に一致する蛋白質をコードするcDNAと、一塩基置換(C→A)により111番目のアラニンがグルタミン酸に変異した蛋白質をコードするcDNAの2種類のcDNAが得られた。これらをインビトロで同時翻訳し、非変性ポリアクリルアミドゲル電気泳動にかけたところ、ホモダイマーに相当する二本のバンドとヘテロダイマーに相当する一本のバンドが確認された。この電気泳動パターンは、HT-1080細胞のライゼートから得られる電気泳動パターンおよび報告されているヒト赤血球のグリオキサラーゼIの電気泳動パターンと完全に一致した。また、新しくクローニングされたcDNAの大腸菌による発現産物にもグリオキサラーゼI活性が確認された。これらの結果から、グリオキサラーゼIのアイソフォームの電気泳動度の違いは、アミノ酸1残基の変異によるものであることが示された。 セクション2:ランダムシークエンシング法により得られたcDNA断片から完全長cDNAをクローニングするための「RNAプローブを用いたcDNAクローニング法」とランダムシークエンシングに使用するライブラリーの中から重複するcDNAを除き、新規cDNAのみをクローニングするための[RNAプローブを用いたサブトラクション法」を開発した。本RNAプローブ法は、アイソトープを使わずにチューブの中で簡単に操作できる方法である。すなわち、本法は(1)ビオチン標識RNAプローブとターゲットcDNAのハイブリッド形成、(2)アビジン固定化ゲルによるハイブリッドの吸着、(3)RNAのアルカリ分解により完全長ターゲットcDNAの回収(cDNAクローニング)、および(4)遊離のcDNAからの新規ターゲットcDNAの回収(サブトラクション)から構成される。 RNAプローブを用いたcDNAクローニング法の有効性を、一本鎖メタピロカテカーゼ遺伝子(MPC)をターゲットとし、これらを混合したPMA-U937cDNAライブラリーをモデルライブラリーとして使用して検討した。得られた最適条件をターゲットcDNAがモル比として10-3の割合で含まれているモデル系に適用したところ、スクリーニング後得られるクローンのうち80%以上がターゲットcDNAであった。その際、ターゲットcDNAの濃縮率は約5、000倍であった。また、10-4と10-5のモデルライブラリーからも1回あるいは2回スクリーニングを行なうことにより、ターゲットcDNAがクローニングできた。この際のcDNAの回収率は、約2〜20%であった。一方、本法をPMA-U937cDNAライブラリーから、セクション1でのランダムシークエンシング法によりcDNA断片が得られているインターロイキン8(IL8)の完全長cDNAのクローニングに適用したところ、完全長IL8cDNAが効率よくクローニングできた。この結果から、実際のcDNAクローニングにおいても本法の有効性が示された。 RNAプローブを用いたサブトラクション法のモデル実験として、高含量mRNAに由来する延長因子(EF-1 )を始めとする63種類のcDNAからRNAプローブを調製し、HT-1080cDNAライブラリーからこれらの除去を試みた。その結果、cDNAライブラリーから63種類のcDNAに相当するクローンがほとんど除去でき、本法の有効性が示された。 以上、本研究では、cDNAクローン化におけるランダムシークエンシング法の有効性を示し、その過程で得られた疾病に関係あると思われるグリオキサラーゼIのcDNAについて解析した。また、このプロセスをより効率よく行うために必要なcDNAクローニング法とcDNAサブトラクション法を開発した。これらの技術を用いることにより、ヒトcDNAのクローン化が効率的に行なえるようになり、構築されたcDNAバンクはヒトの疾病の研究に大きく貢献すると思われる。 |