学位論文要旨



No 212362
著者(漢字) 山田,春木
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,ハルキ
標題(和) 劇症肝炎患者血中のラット肝細胞DNA合成抑制活性
標題(洋)
報告番号 212362
報告番号 乙12362
学位授与日 1995.05.31
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12362号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 教授 新井,賢一
 東京大学 教授 幕内,雅敏
 東京大学 助教授 菅野,健太郎
 東京大学 講師 万代,恭嗣
内容要旨

 近年劇症肝炎(FHF)患者血清中より、肝細胞増殖因子(hHGF)が同定、分離・精製された。しかし、昏睡度の高いFHF患者では血中hHGFが高値であるにもかかわらず予後不良であり、新たな病態解明が待ち望まれている。我々はFHF患者の血清に部分肝切除ラット肝DNA合成をin vivoで抑制する活性が存在し、その活性が分子量10kD以下の限外膜ろ過分画に存在することを既に報告した。本研究は、初代培養肝細抱を用いてこのFHF患者血液分画の肝再生抑制活性を更に特徴づけたものである。

 【対象および方法】患者検体:(1)イギリス人のFHF患者9名(非A非B型肝炎4例、B型肝炎1例、ハロセン肝炎2例、Paracetamol中毒2例)の血清をプールし、アミコンPM-10膜(cut off;10kD)によりプール血清ろ液を得た。年齢、性のマッチした正常者9名のプール血清の同ろ液をコントロールとした。(2)日本人のFHF患者9名(非A非B型またはC型肝炎6例、B型肝炎2例、その他1例)の初回血漿交換療法時の除去血漿を個々にセントリコン10カートリッジで膜ろ過(cut off;10kD)し、血漿ろ液を得た。日赤新鮮凍結血漿11ロットの同ろ液をコントロールとした。セントリコン3による血漿ろ液の分画:日本人FHF患者2例のセントリコン10血漿ろ液をそれぞれセントリコン3膜(cut off;3kD)で分画した。膜の阻止分画とろ過分画をそれぞれ回収し凍結乾燥した。肝実質細胞培養:分離したラット肝実質細胞を、5%牛胎児血清(FCS)を含むWilliams’medium Eに浮遊させ、2x105 cells/wellの濃度でプレーティングした。3時間培養後、5%FCS、インスリン、EGF(I+E)を含む培養液に交換し、同時に患者検体を投与した。プール血清ろ液は凍結乾燥の後、1/3容量の蒸留水で溶解し投与した。同容量の2.7%NaCl溶液を添加した培養皿より、DNA合成活性のbaseline valueを求めた。個々の血漿ろ液は凍結保存の後、解凍,して投与した。この場合baseline valueは同容量の生理食塩水を添加した培養皿で求めた。肝実質細胞のDNA合成:培養24時間あるいは48時間目、[3H]thymidineで2時間ラベルし、トリクロロ酢酸を加えた不溶性分画をシンチレーションカウンターで計測した。バックグラウンドは10mM hydroxyurea添加により求めた。また、[3H]thymidineを21時間ラベルしオートラジオグラフィーを行い、labeling indexを求めた。肝実質細胞の蛋白合成活性の測定:上記培養手順に従って、患者検体、5%FCS、I+Eを含む培養液でプレーティング後23時間目まで培養した後、FCSを含まない同培地に交換した。これより3時間[3H]ロイシンでラベルし、肝細胞内蛋白中への取り込みを測定した。線維芽細胞のDNA合成活性の測定:NIH3T3 cellを1x104 cells/cm2で24時間10%FCSを含むDMEM培地で培養した後、更に24時間血清非存在下で培養した。再び10%FCS添加培地に交換するとともに血漿ろ液を添加し、24時間培養した。[3H]thymidineを用いたDNA合成活性の測定は肝細胞と同様の手順で測定した。

 【結果】成熟ラット初代培養肝細胞のDNA合成活性はI+Eにより24時間目にはI+E非刺激に比し有意(p<0.001、n=3)に上昇し、48時間目に最大となった。5%FCSの添加によりDNA合成活性はFCS非添加に比べ時間経過不変で有意(p<0.01、n=3)に増加した。この培養条件で40l/wellまでの2.7%NaCl溶液の添加、あるいは600l/well(23容量%)までの生理食塩水の添加はDNA合成に有意の変動を与えなかった。イギリス人FHF患者プール血清ろ液の肝細胞DNA合成抑制活性:表1のようにFHFプール血清ろ液40l/well添加で、DNA合成活性はbackgroundのレベルまで抑制された。この抑制は用量依存性で、2.7l/wellで明かな活性が検出され、35l/wellで最大となった。コントロールプール血清ろ液40l/wellの投与でDNA合成活性はbaselineと差がなかった。labeling indexはコントロール、baselineのそれぞれ49%、46%に比し、FHF血清ろ液では1%以下であった。日本人FHF患者個々の血漿ろ液の胞DNA合成抑制活性:日本人患者血漿ろ液投与により肝細胞DNA合成活性は用量依存性に抑制された(図1)。図2に示すように検体濃度18容量%でのDNA合成活性は、FHF患者血漿ろ液投与群で27.0±12.5(n=9)dpm/g蛋白質/時であり、コントロール血漿ろ液投与群に比し有意(p<0.001)に低値であった。抑制活性の性質:イギリス、日本両国いずれの患者ろ液投与によっても、肝細胞数の有意の減少、培養液中のLDH活性の上昇を認めなかった。また、両国患者検体によるDNA合成抑制活性は可逆的であった。[3H]ロイシンの取り込みには変化を生じなかった。抑制活性は70℃30分の加熱処理に対し安定であった。また、5%FCSを含まない培養条件においても抑制は認められ、FCSは補因子ではないことが示唆された。セントリコン3膜でさらに血漿ろ液を分画すると、膜の上の少量(原液の3容量%以下)の分画中にも約40%の抑制活性が残り、膜保持分画、膜ろ過分画双方にbaselineに比し有意(p<0.001、n=3)の抑制活性がみられた。FHF患者血漿ろ液はインスリン+EGFのみならず、HGFにより刺激されたラット初代培養肝細胞DNA合成をも強力に抑制した。また、線維芽細胞のDNA合成活性は、肝細胞DNA合成を完全に抑制するFHF患者ろ液濃度で抑制されなかった。

表1 イギリス人劇症肝炎患者プール血清ろ液(Mr<10kD)のラット肝細胞DNA合成抑制活性図表図1 劇症肝炎患者血漿ろ液(表2、症例2)のラット肝細胞DNA合成抑制活性 / 図2 日本人劇症肝炎患者個々の血漿ろ液のラット肝細胞DNA合成抑制活性

 【考察】イギリス人FHF患者プール血清ろ液を用いた実験は、かつて著者らが報告したこれら患者個々の血清ろ液中のin vivo DNA合成抑制活性を、in vitroの系で確認するために行われた。paracetamolのFHF患者内での血行動態の報告から、同薬剤がプール血清ろ液中になおも残存して実験結果に影響を与えた可能性は否定される。日本人FHF患者9例ほぼ全例の血漿ろ液中に、DNA合成抑制活性を認めた。血漿交換前、全症例に共通に投与されていた治療薬はなかった。ヘパリンは血漿交換中投与されたが、使用量とセントリコン10のろ過効率から、その血漿ろ液中の濃度は文献上報告されている初代培養肝細胞に影響を与えるレベルに達していないと考えられる。

 両国のFHF患者血中にそれぞれ認められた肝細抱DNA合成抑制活性には、いくつかの共通する性質を認める。両活性とも分子量10kD以下の分画にみられ、可逆的であり、蛋白合成の抑制や培養肝細胞の生存率の悪化の結果ではなかった。抑制活性のみかけ上の血中濃度はFHFプール血清ろ液の方がFHF血漿ろ液に比べ高い。この違いの理由は明かではない。イギリス人FHF患者群の方がプロトロンビン時間は延長しており、より重篤な肝障害を有している結果かもしれない。また、血漿交換療法中投与されている新鮮凍結血漿による希釈の影響の可能性もある。

 本研究で認められた抑制因子は、IL-6、IL-1、TGF-、PDGIなど既報の初代培養肝細胞DNA合成抑制物質とは分子量領域が明らかに異なる。また、凍結乾燥処理検体でも抑制活性が認められたことから、FHF血中で上昇しin vivo DNA合成抑制活性が報告されているアンモニア、低級脂肪酸とも異なる。セントリコン3の検討から、本抑制物質はいわゆる中分子量(0.5-5kD)領域の物質の可能性を考えるが、抑制物質が複数からなる可能性もあり、更なる検討が必要である。本因子は、劇症肝炎患者において血中に肝再生促進因子が存在するにもかかわらず再生が遅延する事実を説明する、重要な手がかりの一つである可能性がある。

審査要旨

 本研究はhepatocyte growth factor(HGF)が血中で著増しているにもかかわらず肝再生が極めて悪い劇症肝炎患者において、血液中に肝細胞DNA合成を抑制する活性が出現するか否かを明らかにするため、ラット初代培養肝細胞を用いて解析を試みたものである。申請者らがこれまでにin vivoでのラット肝DNA合成抑制活性の出現を報告してきた劇症肝炎患者血液の分子量1万以下の限外膜ろ過分画を、日英2国の患者群より各々調製し、下記の結果を得ている。

 1.イギリス人劇症肝炎患者プール血清より得られたろ液をEGF+インスリンで刺激した成熟ラット初代培養肝細胞に投与した実験において、[3H]チミジンのDNAへのとりこみ量およびオートラジオグラフィーにより測定したDNA合成活性は用量依存性にほぼ静止状態のレベルに抑制される事が示された。

 2.同じassay系を用いて、日本人劇症肝炎患者個々の血漿ろ液を投与した群は、コントロール血漿ろ液投与群に比し有意にDNA合成活性が低値であることが示された。この患者血漿ろ液によるDNA合成抑制も用量依存性であることが示された。

 3.培養液中のLDH活性、肝細胞数、肝細胞蛋白への[3H]ロイシンのとりこみを測定した結果より、1および2で認められたDNA抑制活性は各々培養細胞に対する傷害や、蛋白合成抑制に起因するものではないことが示された。

 4.分画分子量3,000の限外膜ろ過により日本人劇症肝炎患者血漿ろ液を更に分画した結果から、この抑制活性は中分子量(0.5-5kD)領域の物質に起因する可能性が示された。

 5.培養線維芽細胞に劇症肝炎患者血漿ろ液を投与した実験で、DNA合成は培養肝細胞を抑制する用量では抑制されないことが示された。

 6.recombinant HGFで最大限に刺激された初代培養肝細胞のDNA合成は、劇症肝炎患者血漿ろ液により8%に抑制された。劇症肝炎患者血漿ろ液(分子量1万以下)中にみいだされたこの抑制因子は、同患者血漿中で報告されている量のHGF(分子量9万)で刺激されるDNA合成を強力に抑制する可能性が示された。

 以上、本論文は劇症肝炎患者血液中に成熟ラット初代培養肝細胞DNA合成を抑制する未知の物質が出現することを明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、劇症肝炎患者における液性の肝再生抑制因子研究の端をひらくものであり、同疾患の肝再生不全の病態の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50946