学位論文要旨



No 212371
著者(漢字) 谷下,雅義
著者(英字)
著者(カナ) タニシタ,マサヨシ
標題(和) 公共事業用地取得の問題点と改善方策に関する研究
標題(洋)
報告番号 212371
報告番号 乙12371
学位授与日 1995.06.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12371号
研究科 工学系研究科
専攻 土木工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,英夫
 東京大学 教授 國島,正彦
 東京大学 教授 大西,隆
 東京大学 助教授 家田,仁
 東京大学 助教授 清水,英範
内容要旨

 現在、社会資本整備を推進していく上で最大の課題の一つは用地の取得である。各地において用地取得をめぐって地権者と事業者の利害対立が噴出し、膨大な社会的費用を発生させているケースも多い。用地取得さえ完了すれば事業はほぼ終了したとさえいわれている。しかしながら、用地取得がなぜ難航するのか?何が難航の要因なのか?そしてどうすれば解決できるのか?については、これまでほとんど研究的には議論されることはなかった。土木工学の分野においては計画・設計や施工部門の調査・研究がほとんどであり、用地取得は切り放されて扱われてきた。また法学の分野においては、法律や判例の解釈が中心であり、現実の社会で発生している事象にあまり関心が払われてこなかった。一方、実務においては目前の案件に追われ、大局的見地から用地取得問題が議論されることは少なかった。結果として用地取得は交渉担当者のテクニックの問題として従来より扱われており、全体構造の把握や法制度の改善方策の検討という論点はほとんど扱われていない。

 本研究は用地取得問題を地権者と事業者の利害調整問題とみなして、1)現在どのような制度のもとに用地取得がなされているのか、2)実際に何が利害対立の要因となっているのか、3)利害対立を引き起こす原因は何か、4)どのような方策によって利害対立は解消できるか、の問いに答えることによって円滑な用地取得、ひいては社会資本整備の推進に寄与することを目的としている。

 以下、本論文を構成する各章についてその内容を概略的に述べていく。

 第1章では、上述の背景と目的について記述し、本論文の研究の枠組みを提示している。また道路や鉄道といった線的社会資本を研究対象とすることを述べている。

 第2章では、現在どのような制度によって社会資本整備のための用地取得が行われているのかについて記述している。社会資本整備は計画に基づいて実施される。そこでまず社会資本整備が計画を必要とする理由を明らかにしている。次に現行の法制度を概観して主な用地取得方式として用地買収方式と減歩換地方式の2方式があることを示している。そしてこの2つの用地取得方式の特徴やこれらの方式を用いた整備の現状について詳述している。最後に、現行制度の歴史的変遷を整理し、第3章以降で行う分析のための基礎的枠組みを与えている。

 第3章では、公共事業用地取得の実際を事例分析を通して明らかにしている。用地買収方式、減歩換地方式により行われた事業を対象に地権者と事業者の交渉過程、そこで行われた主張、及び決着のされ方を収集した資料並びにヒアリングにより整理している。事例分析を通して、一般的な用地取得過程は1)情報提供を行う段階、2)不平不満を言わせる段階、3)希望を持たせる段階、が後戻りすることなく進行するのに対し、難航する事例においては、地権者が法制度を解釈できない、また将来の生活についての展望がもてないことから事業者との間に利害対立が生じ、それが交渉を通して徐々に拡大しているという図式が見られた。最終的には用地買収方式については収用によって、減歩換地方式においては地権者組織の主張の一方的な受け入れによって決着していることを示した。また利害対立の要因としては1)事業の目的、2)目的の実現手段、3)計画策定手続、4)事業による利益、に整理される。ここで注目すべきことは1〜3は計画策定段階の争点であり、そこでの利害の不調整が用地交渉段階に影響を与えていることである。計画策定段階の争点が補償額や減歩の大きさといった事業による利益をめぐる利害対立を大きくし、また逆に事業による利益をめぐる利害の不調整が計画策定段階の利害対立を引き起こすといった利害対立を拡大させるフィードバックループが存在していることを明らかにした。

 第4章では、このような利害対立を引き起こす法制度上の原因を明らかにしている。まず我が国の法制度においていかなる利害調整システムを用意しているかを明らかにしている。次に我が国と比べて用地取得が容易であるといわれている欧米諸国の用地取得関連法制度を整理して、その利害調整システムについて記述している。その結果、この利害調整の仕組みは、1)不利益を被ると予想される地権者に対して特典を供与することで利害調整を図る「利益の改善」による利害調整システム、2)ある手続を導入して利害調整を図る「手続」による利害調整システム、に分類できることを示している。その上で我が国においては計画策定段階における住民参加が不十分であること、そのため用地交渉段階では地権者には選択肢がなく交渉の余地がほとんどないこと、手法により開発利益の取扱が異なり地権者間の不公平が存在することなどにより、利害調整システムが十分機能していないことを示している。

 第5章では、まず利害対立の発生及び拡大してしまう背景・原因を経済学や社会学の側面から整理している。公共財供給問題としての経済学的解釈、利害対立を引き起こしてしまう地権者や事業者に潜む意識などを政治学や社会学などにおける既存研究を参考に明らかにしている。そこには「囚人のジレンマ」と呼ばれる状況が横たわっていることを示している。次に、利害対立は何も用地取得をめぐってのみ発生しているわけではなく、社会に広くみられる現象であるという視点から、現実の利害対立の解消方法を特に「囚人のジレンマ」問題の解消を中心に整理している。我々は利害対立を乗り越えるための知恵を生み出し、それを利用して生活しているのであり、利害対立解消のヒントが日常生活の中に隠されているはずである。それには大きく分けて2つの方策がある。一つは、協力した場合の利得を大きくする、もしくは非協力の場合の利得を小さくして利害構造を変化させるものである。これには直接利益や不利益を供与する方法と、説得を通して利得関数のパラメータ(価値観、イメージ)を変化させて間接的に利害構造を変化させる方法がある。もう一つは、利害構造を明らかにした上で、長期的な視野に立たせて「繰り返しゲーム」を認識させることや第3者に意思決定を委ねることにより利害対立を解消するものである。我々は利害調整手段として多くの解消方法を有しておらず、しかもそれらは人為的であるため、意識的に努力して組み立てていかないとすぐに形骸化してしまうという弱いものであることを明らかにしている。

 第6章は、これらの利害対立の解消方法を具体化して、政策提言に結びつけようとするものである。計画確定手続の導入、補償基準や減歩対象の見直し、地権者への選択肢の提供、を具体案として提示するとともにその限界もあわせて示している、。計画確定手続は、事業の公共性、事業によって発生すると予想される不利益を除去または回避するための方法を住民とともに検討して事業計画決定を行うものである。決定後は計画の是非についての訴訟はできない。計画策定段階と用地交渉段階を分離し争点を明確に分け、利害対立拡大のフィードバックループを断ち切るとともに、土地収用制度の前提となる公共性を具現化することにより、その活用を図るために導入するものである。そこではプロセスの透明さと十分な情報提供のもとに地権者と事業者の対等な立場での討議が要請される。補償基準や減歩対象の見直しは、補償基準がおいていろ前提と現在の社会経済状況との間にずれが生じていること、また減歩換地方式と用地買収方式では費用負担の考え方に矛盾が存在していることなどの理由から必要である。欧米の制度を参考として地権者に正のサンクションを与えることが、用地取得の促進に寄与することを示している。地権者への選択肢の提供は2つの意味で円滑な用地取得に寄与する。1つは選択肢によって利得の改善を図ることができるという意味である。例えば、用地買収される地権者は補償金を受け取り地区から転出する。一方、減歩換地を受ける地権者は地区に残留できる代わりに補償金は受け取らない。これらの間に選択肢が与えられれば、地権者は自らの効用が大きくなる方を選ぶであろう。もう一つは、選択肢を与えられた地権者や住民は社会が自分を重要に扱ってくれているという意識を形成し、責任ある行動をとるようになるという意味である。これらの提案は事業者側の負担を増大させるものであるが、これを我々は民主主義のコストとして引き受けるべきである。またこれらは十分な情報が与えられ、信頼関係のもとに行われることを前提としている。そこで、それらを阻害する要因を示し、提案の限界についても論述している。

 第7章では、各章の成果を総括し、また本論文において行った分析の限界を今後の課題としてその研究方向性とともに述べている。

 以上のように、本論文は社会資本整備のおける用地取得問題を地権者の事業者の利害調整問題として捉え、各章に示した成果を挙げ、その問題の所在と改善方策を提示した。

審査要旨

 社会資本整備を推進する上でその最大の課題の一つは用地取得である。用地取得をめぐって地権者と事業者が対立し、各地で難航事例がみられる。そこでは利用者が社会資本によるサービスを享受することが遅れるということ、そして交渉において地権者、事業者双方に無用な費用を発生させているという2つの意味で膨大な社会的な損失を発生させている。本論文は、このような対立を引き起こす要因の整理とその制度的、構造的問題を明らかにするとともに、改善方策について検討し、円滑な用地取得ひいては社会資本整備に寄与しようとするものである。

 本論文は、以下の全7章により構成される。

 第1章では、上述した研究の背景と目的について記し、さらにこの問題を地権者と事業者の利害調整問題として捉えることを述べている。

 第2章では、公共事業用地取得がどのような制度によりなされているのかについて記述している。社会資本整備と計画の関係、主な用地取得方式として用地買収方式と減歩換地方式を取り上げ、これらの特徴と用地取得状況を明らかにしている。あわせて制度の歴史的変遷を概観し、以下の議論の基礎的枠組みを与えている。

 第3章では、用地取得過程を事例分析の手法を用いて整理し、利害対立要因を明らかにしている。一般的な用地取得過程と難航する事例を対比して、後者では特に地権者が法制度を理解できない、また将来の生活に展望がもてないことから事業者と利害対立を起こし、それが交渉を通じてその対立が拡大していく過程であることを指摘している。利害対立要因は1)事業の目的、2)目的の達成手段、3)計画の策定手続、4)事業による利益、に分類される。ここで注目すべきことは1〜3は計画策定段階の争点であり、そこでの利害の不調整が用地交渉段階に影響を与えていることである。計画策定段階の争点が補償額や減歩の大きさといった事業による利益をめぐる利害対立を大きくし、また逆に事業による利益をめぐる利害の不調整が計画策定段階の利害対立を引き起こすといった利害対立を拡大させるループ構造が存在していることを明らかにしている。

 第4章では、このような利害対立を引き起こす法制度上の原因を主に法律学ならびに制度の国際比較の観点から整理している。本来、法制度は利害調整のために用意されているものである。利害調整システムが1)不利益を被ると予想される地権者に対して特典を供与することで利害調整を図る「利益の改善」による利害調整システム、2)ある手続を導入して利害調整を図る「手続」による利害調整システム、に分類できることを示している。我が国においては計画策定段階における住民参加が不十分であること、そのため用地交渉段階では地権者には選択肢がなく交渉の余地がほとんどないこと、手法により開発利益の取扱が異なり地権者間の不公平が存在することなどにより、利害調整システムが十分機能していないといった問題点を示している。

 第5章においては、主に経済学や社会学などにおける研究成果をもとに利害対立を発生、拡大させる背景や原因を整理するとともに、その解消方法について検討している。用地取得をめぐる地権者と事業者の利害対立構造は「囚人のジレンマ」といわれるものであることを示した上で、このジレンマの解消方法を整理している。これには、協力した場合の利得を大きくする、もしくは非協力の場合の利得を小さくして利害構造を変化させる方法とで利害構造を明らかにした上で、長期的な視野に立たせて「繰り返しゲーム」を認識させることや第3者に意思決定を委ねることにより利害対立を解消する方法があることを示している。我々は利害調整手段として多くの解消方法を有しておらず、しかもそれらは人為的であるため、意識的に努力して組み立てていかないとすぐに形骸化してしまうという弱いものであることを明らかにしている。

 第6章では、これらの利害対立の解消方法を具体化して、政策提言を行っている。計画確定手続の導入、補償基準や減歩対象の見直し、地権者への選択肢の提供、を具体案として提示するとともにその限界もあわせて示している。

 第7章では、各章の成果を総括し、また本論文において行った分析の限界を今後の課題としてその研究方向性とともに述べている。

 以上、本論文は工学、法学、経済学などの広い分野にわたる学際的な研究であり、きわめて独創性が高く、また道路整備をはじめとする種々の社会資本整備に適用可能なものである。これらのことから、土木計画学・都市計画学の研究の発展に大いに貢献するものと判断される。

 よって本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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