学位論文要旨



No 212376
著者(漢字) 鈴木,政幸
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,マサユキ
標題(和) 形彫放電加工における電極消耗現象に関する研究
標題(洋)
報告番号 212376
報告番号 乙12376
学位授与日 1995.06.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12376号
研究科 工学系研究科
専攻 精密機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 増沢,隆久
 東京大学 教授 中川,威雄
 東京大学 教授 樋口,俊郎
 東京大学 教授 須賀,唯知
 東京大学 助教授 横井,秀俊
内容要旨

 近年,形彫放電加工はめざましい発展をとげ,新たな分野への応用が広がっている.例えば,複合構造体電極を用いた表面改質加工などがその一例として挙げられる.この表面改質加工では電極は非常に消耗する.また,特に高精度加工の場合には,消耗の激しい電極角部に注目する必要がある.このような形彫放電加工における新たな応用分野,およびより高精度な加工では,電極の消耗現象に対する旧来の考え方を再考する必要性が認識されてきている.

 本論文は,形彫放電加工における高精度化の実現のために,電極消耗現象を電極消耗の時間依存性,および電極表面に付着するカーボンの効果から考察し,電極低消耗メカニズムを一層明確にすることを目的する.

1.電極消耗にともなう形状変化

 加工中の電極形状の変化を評価するために,電極の平坦部(底面部)の消耗と電極角部の消耗を比較した.電極角部の消耗半径Rはその形状を計測することにより把握した.底面部の消耗長さXは電極消耗重量,および角部消耗半径Rより計算により求めた.

 図1に電極角部消耗半径Rと電極底面部の消耗長さXの時間的推移を示す.加工進行後では,角部消耗半径は消耗長さの約10倍であるのに対して,加工初期段階では数百倍となっていることが確認できる.

 電極角部の消耗率は計測した角部消耗半径Rを用いて計算により求めた.図2のグラフAは電極角部の消耗率の時間的推移を示し,グラフBは全体の消耗率の時間的推移を示す.ここで,全体の消耗率は角部と底面部の消耗率の和である.図2から加工初期段階では全体の消耗率は非常に小さく,その後,電極や加工物の材料,および加工条件で決まる消耗率に漸近していくことが分かる.加工開始後の10分間では,角部消耗率が全体消耗率より大きい.このことは,加工初期段階では電極平坦部(底面部)が盛り上っていて,負の消耗になっていることを意味している.電極底面部にはカーボンの付着が観察されることから,この盛り上りは加工油の分解カーボンの付着によるものと想像される.

図表図1.電極消耗長さと電極角部消耗半径の時間推移 / 図2.消耗率の時間推移

 一方,角部消耗半径は加工初期段階で既に非常に大きくなっている.加工初期段階では,電極角部にはカーボンの付着は非常に少ない.加工進行後では,角部にもカーボン付着が観察され,この段階では,角部の顕著な消耗は観察されない.以上より,電極角部と電極底面部とでは,その消耗が全く異なった推移を示すことが明確となった.

2.電極表面に付着したカーボンの効果

 電極低消耗の要因の一つとして,電極表面への付着カーボンが重要であると言われている,しかし,詳細には検討されていない.そこで,この付着カーボンの構造,および付着量と電極消耗の関連を詳細に検討した.

 炭素鋼の加工における銅電極の消耗率は,黄銅,亜鉛合金(ZAS)または銅を加工した場合の消耗率より小さい.炭素鋼を加工した場合には,電極表面のカーボンは非常に強固に付着している.その他の場合では,電極表面への付着カーボンは簡単にふき取ることができる.X線回折による分析では,電極表面に強固に付着したカーボンは乱層構造カーボンであることが明らかとなった.この乱層構造カーボンは,炭素の6角網平面の一層一層がグラファイト構造のように規則正しく積み重なっているのではなく,無秩序に積み重なった積層構造をなしている.

 以上より,電極表面への乱層構造カーボンの付着は被加工物材質に依存することが予想される.また,この付着が電極の消耗を防ぐと考えられる.

 銅電極の消耗に対する被加工物材質の影響を確認するために,各種の材料を被加工物として放電加工を行い,電極加工面をX線回折により分析した.回折X線ピーク強度は,その物質の量に依存する.したがって,乱層構造カーボンの付着量を回折X線のピーク強度により評価した.図3は電極消耗速度とピーク強度との関係を示す.電極消耗速度は回折X線ピーク強度,つまり乱層構造カーボンの付着量に依存していることが分かる.また,このピーク強度は被加工物材料により異なることが分かる.

図3.電極消耗速度と乱層構造カーボンによる回折X線ピーク強度の関係

 この乱層構造カーボンの生成付着は,被加工物材質のグラファイト生成に対する触媒作用から理解できた.鉄,ニッケル,クロムは触媒物質である.

 また,電極消耗はパルス幅の増加に伴って減少することが知られている.これはパルス幅の増大に伴う放電点の電流密度(放電痕電流密度)の低下によって説明されてきた.しかし,鋼を加工した場合には,パルス幅の増大に伴って乱層構造カーボンの生成量が多くなることを,連続放電加工を行った電極面のX線回折分析によって確認した.

 カーボン付着量に対するパルス幅の影響を確認するために,鋼に対して単発放電を行い,銅電極側の単発放電痕を観察した.図4に放電痕の半径R1,鉄の付着半径R2,およびカーボンの付着半径R3とパルス幅との関係を示す.R1,R2,およびR3の各々がパルス幅の増大と共に増加している.しかも,R1の増加に対してR2とR3の増加がはるかに大きいことが分かる.

図4.パルス幅と放電痕半径,付着物半径

 以上より,電極低消耗のメカニズムを以下のように推定した.鋼の加工の場合,

 1.放電により被加工物は溶融除去され,この溶融除去された被加工物は,加工油の分解カーボンを多量に取り込んで電極表面に付着する.

 2.カーボンを多量に含んだ溶融被加工物が電極表面に付着した後,冷却するにしたがって,電極表面に乱層構造カーボンを析出する.

 この場合,付着金属は乱層構造カーボンの析出に対して触媒作用を示す.

 3.この乱層構造カーボンが電極表面の消耗に対して保護作用を示す.

 先に述べたように,電極角部が加工初期段階で消耗が激しいのは,曲率が大きな部分では乱層構造カーボンが析出しないことも原因として考えられる.

3.まとめ

 電極消耗にともなう電極形状の変化を観察することにより,加工初期段階では電極角部の消耗が非常に顕著であることが明らかとなり,角部消耗と底面部消耗を別々に考えることの重要性が認識できた.さらに,電極消耗のメカニズムを電極表面に付着した乱層構造カーボンの影響を考慮して調査した.電極低消耗は,グラファイト生成に対する触媒作用を示す材料を含む被加工物を加工することにより,電極表面に放電の度に乱層構造カーボンが生成され,その保護作用により実現すると考えられる.したがって,電極をより低消耗にするために,今までの電極材質に対する考慮に加えて,被加工物を選択する場合に,乱層構造カーボンの生成付着を考慮することを提案する.また,被加工物材質として触媒物質を考慮した材料を開発することにより達成できる可能性があるものと考えられる.

審査要旨

 本論文は,「形彫放電加工における電極消耗現象に関する研究」と題し,8章からなる.

 第1章「緒論」では,本研究の背景と目的について述べている.工業製品の生産に欠かせない金型製造において,形彫放電加工機は必要欠くべからざる工作機械となっている.これらの金型では,高精度を維持するために耐磨耗性が高い高硬度難削材を材料として使用する必要があり,その製造において形彫放電加工機の重要性が増している.しかし,高精度化,小型化の要求が高まっている現在,形彫放電加工における電極低消耗加工の加工精度は十分とは言えない.このような状況において,形彫放電加工の高精度化の実現のために,電極消耗メカニズムを一層明確にすることを目的とし,電極消耗現象を電極消耗の時間依存性,および電極表面に付着するカーボンの効果から考察したことを述べている.

 第2章「形状評価法」では,電極消耗の時間的依存性を評価するために,加工途中の加工形状のみならず電極形状を機上で計測できる新たな3次元計測装置を提案し,その測定原理を論じている.また,測定例を示し,この計測システムによって高精度計測が可能であることを述べている.さらに,このシステムの応用範囲の広さについて述べている.

 第3章「電極消耗に対する各種被加工物材質および電極形状の影響」では,銅電極を用いて各種材料を加工することによって,熱物性値として被加工物の熱伝導率と融点との積を用いて,それぞれの材料の加工速度が整理できることを端的に示している.電極消耗率は加工速度には対応せず,加工速度が同じ被加工物材料であっても電極消耗率に違いが生ずることを明らかにしている.その要因について,電極表面への付着カーボンの違いによるものと推論し,被加工物が付着カーボンの違いにより2群に分類できることを述べている.そして,この付着カーボンが乱層構造カーボンである場合に,その保護作用により電極低消耗となると述べ,電極低消耗の可能性として乱層構造カーボンを付着させる材料が有効であると予測している.

 また,細線電極を用いて加工することにより,電極角部が過剰消耗する要因の主なものは,熱の逃げにくさであると述べている.

 第4章「電極底面部と角部消耗」では,電極の消耗を電極底面部と角部の各部位に分離し,時間を追ってその変化を観察している.加工初期段階では消耗のほとんどが電極角部に集中していて,底面部は逆に付着カーボンによって盛り上っている(成長している)ことを明らかにしている.加工進行後では角部,底面部ともにほぼ同様の消耗速度で消耗が進行していくと述べている.つまり,電極の形状変化は,電極部位に強く依存し,その結果,加工形状がくずれることになる.したがって,角部消耗と底面部消耗とを分離して考慮することの重要性を明確にしている.

 第5章「被加工物による電極へのカーボン付着と電極消耗の関係」では,第3章で示した付着カーボンである乱層構造カーボンの電極消耗に対する影響をより明確にしている.同一の消耗率であるとして扱われてきた鉄系材料においても実際は消耗が異なること,この違いが乱層構造カーボンの付着量の違いによることを明らかにしている.つまり乱層構造カーボンの付着の有無,および付着量は被加工物材料により大きく異なることを明確にしている.また,加工初期段階では高精度加工の場合に採用される低消耗条件ほど,角部消耗が底面部消耗に対して相対的に大きいことから,高精度加工の場合ほど角部消耗を考慮することが重要であることを明らかにしている.

 第6章「加工条件による電極へのカーボン付着と電極消耗の関係」では,加工条件により電極消耗が異なる要因が,第5章で述べたと同様に乱層構造カーボンの付着状況の違いによることを述べている.デューティファクタが小さい場合,またはパルス幅が小さい場合には電極消耗が大きくなる.この場合,乱層構造カーボンの電極面への付着量が小さいことを確認している.したがって,乱層構造カーボンのが付着し,さらにその付着量が大きい場合に低消耗になることを明確にしている.

 第7章「乱層構造カーボンの電極への付着機構の推定」では,第5章と第6章の結果を踏まえて,乱層構造カーボンの生成機構,および乱層構造カーボンに着目した電極低消耗のメカニズムについて述べている.乱層構造カーボンの付着機構は,グラファイト生成に対する被加工物材料の触媒作用にあると結論づけている.また,電極低消耗のメカニズムは,ある放電により乱層構造カーボンが除去された放電領域(放電痕部分)が,以後の放電により再び乱層構造カーボンの供給を受け再被覆されることによると述べている.乱層構造カーボンを生成し,その付着量が多くなる条件が電極低消耗に有利になることを明らかにしている.

 第8章「結論」では,上記実験,考察のまとめとして形彫放電加工における電極消耗現象を電極各部位の時間的推移,および電極への付着カーボンの影響を新しい視点から見直した結論がまとめられている.

 以上,本論文は,形彫放電加工における旧来の電極消耗現象に対する考えに対して新たな知見を提供している.特に高精度加工に重要な角部消耗を定量化するとともに,電極消耗が被加工物材料に強く依存するこを明らかにし,成長する電極あるいは無消耗電極の実現の可能性も示唆している.精密工学,特に形彫放電加工における高精度加工の分野,並びに放電加工法の新しい応用分野への展開の可能性を開いたものと言える.

 よって本論文は,博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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