学位論文要旨



No 212388
著者(漢字) 内藤,俊雄
著者(英字) Naito,Toshio
著者(カナ) ナイトウ,トシオ
標題(和) 平面π-共役系から構築される分子性金属・超伝導体の開発に関する研究
標題(洋) Study on synthesis and characterization of new synthetic metals and superconductors based on planar π-conjugated molecules
報告番号 212388
報告番号 乙12388
学位授与日 1995.06.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第12388号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 教授 岡崎,廉治
 東京大学 教授 小林,啓二
 東京大学 教授 近藤,保
 東京大学 教授 斎藤,太郎
内容要旨 1.はじめに

 平面π-共役系から構築される分子性金属・超伝導体に関する最近の物理・化学両方面からの研究の発展にはめざましいものがあるが、更にこうした系を新たな物質によって拡張していくことは、この分野の萌芽期以来、依然重要な意味を持ち続けている。それは新たな物性や超伝導機構の発現、更にはアルカリドーブされた炭素クラスターのような全く新しいタイプの分子性金属・超伝導体の出現へと発展していく可能性を秘めているからである。この様な意味で、新しい分子性伝導体の開発を目指し、合成を中心として共同実験者から得られた物性測定の結果を念頭において、研究を進めていくことは、物理化学者という立場からこの分野に貢献する一つの有効な研究手法と考えた。そこで分子性伝導体の代表的構成要素である平面π-共役系分子の中にあって、主に合成上の困難から比較的未開発なセレン原子を含む分子の電荷移動錯体を中心に取り上げた。以下に検討した6つの物質系のうち3つまでは、こうした物質開発の結果新しく合成された分子に基づく錯体である。最初に議論されるBETSについては、本研究を始めた頃すでに合成法と20種ほどの錯体についての報告がなされており、分子性金属の構築要素としてこれまでに例のないほど優れたドナー分子であることが分かっていた。そうしたBETSの特質を生かせると期待できながらも検討が為されていないアニオンとの錯体を合成した。それに続く3つの物質系は、そのようなBETSの特質に更に別の性質を加味することを目的として非対称化したドナー分子の錯体である。

 これらのドナー分子と並んでアクセプター分子からなる物質も重要な系であるが、こちらはかなり未開発の部分が多いのが現状である。そうした中から、金属-dmit錯体系を念頭に置き、二通りのアプローチを行った。まずひとつはこの系の分子間相互作用を強化する上で最も有効であろうと思われる位置にセレンを導入し、その錯体の物性を金属-dmit錯体系とも比較しながら検討した。一方で金属-dmit錯体系自身の電子構造についても、バンド計算以外は報告例が全く無く、不明な点が多かった。そこで最後の章では光学スペクトルを用いて、閉殼カチオンを持つという意味でも重要な金属-dmit錯体系超伝導体とそれに関連する物質の電子構造を明らかにした。

Scheme本研究で検討された主な分子
2.BETS錯体系(第二章)

 BETS{BETS=bis(ethylenedithio)tetraselenafulvalene}はこれまでに最も良く研究され、多くの分子性金属や超伝導体を輩出したET{ET=bis(ethylenedithio)tetrathiafulvalene}の8つの硫黄原子を部分的にセレン原子に置換することによって、結晶構造を保ったまま分子間相互作用を強化し、金属相の安定化、ひいては更に高い臨界温度を持つ超伝導体の出現を計ったものである。冒頭でも述べたように報告者たちのこの狙いはほぼ成功しており、多くの安定な金属的性質を示す錯体が得られ始めていた。そこで本研究では、新たなBETS錯体の合成を通して、新規分子性超伝導体や新しい電子相を有する分子性金属の開発を試みた。まずハロゲノ水銀酸錯体を合成したところ、低温(4K)まで金属状態を保つ新しい錯体をいくつか得た。特に-(BETS)4HgBr4(C6H5Cl)xならびに-(BETS)4HgBrxは二つとも、典型的な超伝導体の分子配列を取っている点で興味深い。後者の分子配列は最初の-型超伝導体-(ET)2I3や10K程度の高い転移温度を持つET系超伝導体に典型的に見られる構造である。この錯体の場合も、結晶が空気中で不安定で最終的に確認するには至らなかったものの、5K付近で超伝導転移と思われる挙動が観測された。

 また、IIIA族テトラハライドイオンとの錯体でも-型の分子配列を持つものと、今回新たに-型と命名された分子配列を持つ一連の物質が得られてきた。どちらも低温まで安定した金属的性質を示し、特に-(BETS)2GaCl4は常圧下、8Kで超伝導転移が観測された。新たに得られた分子性金属として注目すべきものに-、および-(BETS)2FeCl4が挙げられる。これらはそれぞれ対応する。GaCl4錯体と同型構造をとっており、格子定数まで酷似しているが、アニオンに磁気モーメントを持っているという点で、これまで述べてきた錯体とは顕著に異なる。実際-型の二つの錯体の低温での電気的挙動は対照的で、GaCl4錯体は超伝導転移を起こしたのに対し、同じ8KでFeCl4錯体の方は鋭い金属-絶縁体転移を起こした。これはESR測定等の結果から、Fe(III)イオン上のd-電子とBETS上のπ-伝導電子との相互作用が関係していることが分かった。こうした相互作用を持ちこの様な低温まで安定な金属的挙動を示す分子性導体は極めて珍しい。更にGaCl4錯体とFeCl4錯体との混晶を作成することによって、伝導電子と局在化した磁気モーメントとの相互作用についてある程度系統的に調べることも可能である。現在いくつかそうした単結晶を得、興味ある電気的挙動が観測され始めたところである。

3.STF錯体系(第三章)

 STFはすでに述べたETとBETSの両方の部分構造を合わせ持つ新規非対称ドナー分子である。この電荷移動錯体は以下のような特性が期待できる。まず非対称とは言え、かなり対称分子に近いため、結晶中でドナーの配向(硫黄とセレンの位置)に乱れが生じやすいと考えられる。したがって、乱れを含んだ系の挙動に関する良いモデル化合物と成り得る。これまでにもこうした観点から行われた研究例はあるが、すべて混晶や放射線照射等に依るもので、乱れ意外の格子欠陥の影響が除き切れていない。一方もしその様な乱れが生じていないSTF錯体が得られた場合は、BETSやET錯体で見られたような超伝導等の挙動が期待でき、両者と比較することも微妙な物性制御の観点から興味深い。

 STFのいろいろな電荷移動錯体を合成し検討したところ、構造解析を行った錯体ではすべて結晶中のドナー分子に配向の乱れがあった。そしてその物性への影響は伝導電子の散乱が深刻なものとほとんど無い様に振る舞うものとに大別された。通常乱れの影響だけを取り出して議論することは難しいが、今の場合同一のアニオンとの同型の錯体がETまたはBETSで得られることから、それらを比較することによってこのような議論が可能になった。いくつかのSTF錯体の挙動は、乱れを利用して他の方法では不可能なほどの微妙な物性制御が可能な場合もあることを示した。

4.EOST錯体系(第四章)

 電子構造の次元性の制御は新しい分子性金属ならびに超伝導体の開発には重要な要素となる。その次元性も含めて電子構造や物性を制御するためには、微妙な結晶構造の制御が必要となり、これは一般には難しい。しかし既知の結晶構造に対し僅かな分子修飾を施すことによって分子間相互作用をある程度予測しながら制御することは可能である。ここに述べるEOST(4,5-ethylenedithio-4’,5’-(2-oxatrimethylenedithio)-diselenadithiafulvalene)は、類似ドナー分子EOTT(4,5-ethylenedithio-4’,5’-(2-oxatrimethylenedithio)-tetrathiafulvalene)の化学的修飾によるそのような制御を狙いとして新規に合成されたドナー分子である。得られたその電荷移動錯体は構造解析、バンド計算、電気伝導度測定から、EOTTの関連する錯体と同型構造をとり、良く似た擬一次元的電子構造を保持しながら、EOTT錯体系よりも安定化した金属相を持つことが示された。

5.DED錯体系(第五章)

 これまでの結果から非対称ドナーとしてBETSの部分骨格を導入するだけでもかなり安定な金属相を持つ錯体が期侍できることが分かった。そこでBETS誘導体を用いて機能性物質の二つの柱である金属的伝導性と磁性を兼ね備えたような分子性物質を合成することを試みた。これは狙いとしてはすでに述べた-、および-(BETS)2FeCl4とも共通するが、伝導電子だけでなくスピン源も同一の有機分子から供給しようとしている点でこれまでに例のない試みである。そのスピン源としては、ラジカルになったときある程度の局在スピンを持つことが期待されるチアジアゾール環の縮合したTTF骨格を選んだ。こうして新規ドナー分子DEDを合成し、その錯体の電気的・磁気的性質を調べた。

 その結果、八面型アニオンとの錯体で一連の低温まで安定した金属が得られ、ESRの結果から伝導電子の他に低温で局在スピンも検出された。現段階ではこの局在したスピンが不純物の可能性も含めて何に起因するものかまだはっきり分かっていないが、上記のような意味で興味ある新しい系が出現している可能性もある。はっきりとした結論を得るために、今後磁化率の絶対値を見積もり、各シグナルを分離して解析を進める必要がある。なおこの物質の結晶構造は金属的性質を持ちながらも、ドナー分子とアニオンとが共存して二次元伝導面を形成している新しいものである。これはドナーとアニオンとの相互作用を積極的に持たせようとする場合に有利な構造である。

6.金属-dmise錯体系(第六章)

 金属-dmit(1,3-dithiol-2-thione-4,5-dithiolate)錯体系に多く見られる一次元性や金属不安定性を克服することを目的として、dmit分子の末端に張り出したチオンをセレノンに置換した、dmise(1,3-dithiol-2-selone-4,5-dithiolate)を配位子とする伝導性錯体の合成を試みた。dmiseの合成は既報の方法を改良した結果、再現性・純度がともに向上した。得られた錯体の内、(CH3)3HN[Ni(dmise)2]2はこれまでの(onium)[Ni(dmit)2]2等と類似の結晶構造を取っているが、大きく張り出したセレノン同士の絶縁シートを挟んでの原子接触が見られた。この相互作用により、平面π-共役系分子の形成する伝導体としては初の三次元的分散を持った電子構造を取っていることがバンド計算から示唆された。実際その電気的挙動は室温付近では金属的であった。

7.金属-dmit錯体系(第七章)

 金属-dmit錯体系に基づく伝導体の存在範囲を拡張すべく、新規化合物が合成されている中で、最近高圧下ながら-(CH3)4N[Pd(dmit)2]2および(CH3)2(C2H5)2N[Pd(dmit)2]2において相次いで超伝導転移が観測された。こうしたdmit錯体系の内には、互いに同型構造を持ちながら異なる電気的挙動を取る一連の化合物が現れてきた。こうした違いはバンド計算や輸送現象の測定だけでは説明することが難しかった。これはフェルミレベル近傍だけでなく固体内の電子構造全体を知る必要があることを示唆していると考え、偏光反射スペクトルを測定したところ、次のような知見が得られた。-(CH3)4N[Pd(dmit)2]2,-(CH3)4As[Pd(dmit)2]2,(CH3)2(C2H5)2N[Pd(dmit)2]2,(CH3)4N[Ni(dmit)2]2,(CH3)4N[Pt(dmit)2]2,Cs[Pd(dmit)2]2の6つの物質において、二量化の強いPdおよびPtの錯体はフェルミレベル近傍でエネルギー準位の逆転が起こっており、単純な予想に反してフェルミ面はM(dmit)2分子のHOMOからなるバンドに位置していることが分かった。また常圧下で金属-絶縁体転移を起こすものについては、その相転移はフェルミレベル近傍だけでなく電子構造全体の変化を伴うものであることが判明した。

審査要旨

 本論文は7章から成る。第1章は序論、第2章ではBETS錯体系、第3章ではSTF錯体系、第4章ではEOST錯体系、第5章ではDED錯体系、第6章では金属-dmise錯体系、第7章では金属-dmit錯体系の合成と、構造解析、及び、電気伝導度などの物性測定結果が述べられている。

 第1章では、分子性材料、特に、周辺に硫黄やセレンを含む平面π-共役系分子から成る分子性金属、超伝導体の研究の最近の推移と本研究の目的について述べられている。

 第2章では、BETS錯体系の新規分子性超伝導体の合成、結晶構造解析とその物性評価について述べられている。ハロゲノ水銀酸錯体では、いくつかの低温(4K)まで金属状態を保つ新しい錯体を得ているが、特に、型と型の二種類の結晶構造が存在し、いずれもBEDT-TTFなどに見られる典型的な超伝導体の分子配列を取っていることを見いだした。テトラハライド錯体については、新しく型と命名される分子配列を持つ一連の物質を得ているが、注目すべき物性を示す錯体として2つの系を見いだした。一つは-(BETS)2GaCl4である。これは常圧下、8Kで超伝導転移を示すが、これまで知られている10K程度の超伝導体と結晶構造が全く異なるもののバンド構造や電気抵抗の温度依存性が酷似している。他の一つは-,-(BETS)2FeCl4である。結晶構造はGaCl4錯体と殆ど同じであるが、8K付近で鋭い金属-絶縁体転移を起こす。これがFe3+イオンのスピンとBETS上のπ電子との相互作用に起因することをESR測定から確かめているが、磁性を持ちながら低温まで金属的挙動を示す分子導体としては極めて珍しいものと言える。

 第3章では、STF系の錯体の合成、構造解析、及び、物性評価について述べられている。STFはBEDTとBETSの中間的な分子構造をもつ新規の非対称ドナー分子であり、STF錯体は結晶中のドナーの配向(硫黄とセレンの位置)に乱れが生じていることが結晶構造解析によって確かめられた。そして、このような乱れが物性にどのように影響するかについて詳細に調べている。その結果、乱れの影響が殆ど無く、BETSとBEDT錯体の平均的な挙動を示すものと、乱れの影響が大きく伝導電子の散乱が深刻なものとに大別されることが分かった。特に前者の系では、乱れを利用した微妙な物性制御の可能性も指摘されている。

 第4章では、EOST錯体系の合成と結晶構造決定と物性評価について述べられている。EOSTはEOTTの一部の硫黄をセレンに置換した分子であるが、平面構造からずれるために、次元性を含めた電子構造や物性の制御が可能になる。得られた錯体の構造解析、バンド計算、電気伝導度の測定からEOTTの関連する錯体と同型の構造をとり、類似の擬1次元的電子構造を保持しながらEOTT錯体系よりも安定化した金属相を持つという結果を得ている。

 第5章では、DED錯体系の合成と結晶構造解析、及び、物性評価について述べられている。ここでの狙いは金属的伝導性と磁性を兼ね備えた分子性物質の探索にあり、DEDは局在スピンを持つことが期待されるチアゾール環の縮合したTTF骨格を持つ新規ドナー分子である。いくつかのDED錯体の電気的・磁気的性質を調べた結果、八面型アニオンとの錯体で一連の低温まで安定した金属が得られ、ESRの結果から伝導電子の他に低温で局在スピンも検出した。さらにスピン源について確認する必要があるものの、目的にかなった新物質の合成を示唆している。また、これら錯体では、二量体を形成したドナー分子とアニオンとが混合して二次元伝導面を形成した新規伝導体であることも注目される。

 第6章では、金属-dmise錯体系の合成と結晶構造解析、物性評価について述べられている。ここでは、金属-dmit錯体系の縦(分子長軸)方向の相互作用を強化し、系を多次元化することによって安定な分子性金属を開発することを目的としたものである。dmiseはdmit分子の末端に張り出したチオンをセレノケトンに置換した分子であり、その金属錯体系の物性を調べた結果、特に、(CH3)3HN[Ni(dmise)2]2はセレノケトン同士を介した比較的強い分子間相互作用が見られ、バンド計算からもこの物質が三次元的なフェルミ面を持っていることを示唆している。これは平面π-共役分子の形成する伝導体としては初めての例として注目に値する。

 第7章では、金属-dmit錯体系の物性評価について述べられている。ここでは、dmit錯体で同型構造を持ちながら電気物性が異なる6種類の系について、その相違の原因を偏光反射スペクトル測定から検討したものである。その結果、二量化の強いPd及びPtの錯体はフェルミ準位近傍でエネルギー準位の逆転が起こっており、単純な予想に反してフェルミ面はM(dmit)2分子のHOMOからなるバンドに位置していること、また、常圧下で金属-絶縁体転移を起こすものについては、その相転移がフェルミ準位近傍だけでなく電子構造全体の変化を伴うものであること等を明らかにした。

 以上を要約すると、本論文の提出者 内藤俊雄氏は、新しい分子性伝導体の探索と、その物性の原因を明らかにする目的で、様々な種類の分子錯体を合成し、その結晶構造解析を行い、さらにそれらの電気伝導性、磁性などの物性評価、バンド計算を行って、多くの注目すべき成果を得ている。この研究成果は伝導電子とスピンとの相互作用についてのさらに詳細な理論的研究、分子性金属、より高い臨界温度を持つ超伝導体の開発などにつながり、有機分子の物性研究の今後の発展に寄与するところ大である。よって、内藤俊雄氏は博士(理学)の学位を授与される資格を有するものと認める。

 なお、本論文に述べられている研究成果は共著邦文の形で公表済みであり、共著者は研究の指導者、研究協力者であるが、論文提出者の寄与が最も大きいと判断される。また、共著論文の内容を学位論文にすることについては、全ての共著者の承諾を得ている。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50669