学位論文要旨



No 212390
著者(漢字) 大隅,潤
著者(英字)
著者(カナ) オオスミ,ジュン
標題(和) Adipogenesis Inhibitory Factorに関する分子生物学的研究
標題(洋)
報告番号 212390
報告番号 乙12390
学位授与日 1995.06.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12390号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 教授 小野寺,一清
 東京大学 教授 山崎,眞狩
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
内容要旨

 骨髄間質細胞は造血系コロニー刺激因子などの液性因子の放出することによって、あるいは細胞間の接着を介するシグナル伝達によって、血球系細胞の増殖・分化を制御している.骨髄間質細胞は造血幹細胞の自己増殖支持機能など、すでに報告されている造血因子だけでは説明しきれない機能を有しており、未知の造血制御因子を産生していることが期待される.そこで、筆者らはヒト骨髄間質細胞株KM-102から新しいサイトカインをコードするcDNAの探索を試みた.

 通常、サイトカインのcDNAのクローニングには、それを産生する細胞の培養上清を大量に集め、生物活性に基づいてその因子を精製し、アミノ酸配列を決定し、これに対応するDNAプローブを合成してcDNAライブラリーをスクリーニングするという方法が用いられる.最近は、cDNAを発現ベクターに組込み、これを細胞に導入し、その培養上清中の生物活性を指標に目的のcDNAをスクリーニングする手法も盛んになってきている.しかし、生物活性のみを指標に単離された因子、もしくはそのcDNAは、既知の因子と同一であることが判明する場合も多い.そこで、筆者はサイトカインmRNAの3’非翻訳領域に共通して存在するAUUUAの繰り返し配列に対する合成プローブを用いた、新しいサイトカインcDNA単離法を考案した.

 TNF,TNF,IL-1,IL-1,IFN,IFN,IFN,GM-CSFなど炎症時に一過的な発現が見られるサイトカインのmRNAの3’非翻訳領域に共通して、AUUUAという配列が繰り返し存在している.このAUリッチな配列はmRNAの不安定化や蛋白合成の制御に関与していると考えられている.炎症性のサイトカインは転写段階の制御に加えて、mRNAの分解、蛋白合成の制御など、多重な制御を受けることによって厳格かつ一過的な発現を実現しているものと考えられる.逆に考えると、このようなAUUUAの繰り返し配列を3’非翻訳領域に有するcDNAは、生体の機能調節に重要な役割を担う蛋白をコードしている可能性が高いのではないかと考えられた.

 そこで、以下のような手順で新しいサイトカインをコードするcDNAを探索することにした.1.サイトカインmRNAの3’非翻訳領域に見られるAUUUAの繰り返し配列に対する合成プローブ(ATTプローブ;5’-TAAATAAATAAATAA-3’)を用いてcDNAライブラリーをスクリーニングし、スクリーニングで得られたcDNAの塩基配列を決定する.2.得られたcDNAの中から新規な配列を有しており、かつ分泌蛋白をコードしていると考えられるものを選択する.3.選択したcDNAをCOS細胞にて発現させ、各種の生物活性を検定し、有用な生物活性を有する蛋白をコードするcDNAを選択する.

 Okayama-Bergの発現ベクター(pcDベクター)を用いてヒト骨髄間質細胞株KM-102のcDNAライブラリーを作製した。83,000クローンをATTプローブ用いてスクリーニングし、500塩基以上のcDNAを有する陽性クローン、17クローンについて部分的に塩基配列を解析した.これらのクローンにはIL-1、GM-CSFなどの既知のサイトカインをコードするもののほかに、新規の塩基配列を有するcDNAが9クローン含まれていた.そのうち、クローン#20-2は199アミノ酸からなるオーブンリーディングフレーム(ORF)を有していた.ORFのアミノ末端部分には、シグナル配列と考えられる約20アミノ酸からなる疎水性のアミノ酸が集中した配列が見いだされた。cDNA#20-2は新規な分泌蛋白をコードしているものと期待された.そこで、#20-2をCOS細胞に発現させ、培養上清の生物活性を検討したところ、脂肪細胞化抑制作用示すことが明らかになった.筆者は、この因子をadipogenesis inhibitory factor(AGIF)と命名した.また、ACIFを発現させたCOS細胞の培養上清からAGIFを精製し、cDNA#20-2にコードされるAGIF蛋白自体が脂肪細胞化抑制活性を担っていることを確認した.さらに、成熟体AGIFのアミノ末端の構造解析を行い、NH2-Pro-Gly-Pro-Pro-Pro-Gly-Pro-Pro-Arg-Val-COOHというアミノ酸配列を得た.AGIFは199アミノ酸からなる前駆体として合成された後、前駆体アミノ末端から21番目のalanineのカルボキシル末端で切断を受け,178アミノ酸からなる成熟体蛋白となって細胞外へ分泌されるものと考えられた.cDNAの塩基配列から推定した成熟体AGIFのアミノ酸配列にはジスルフィド結合の形成に関与するcysteineやN型糖鎖結合に関与するAsn-X-Ser/Thrというアミノ酸配列は見いだされなかった.このアミノ酸配列から推定される成熟体AGIFの分子量は19,144kDaである.AGIFはゲル濾過クロマトグラフィーでは17kDaに相当する位置に溶出したことから、モノマーとして存在しているものと考えられた.一方、SDS-PAGEでは23kDaの分子量に相当するやや小さめの移動度を示した.COS細胞を用いて発現させたAGIFにはO型糖鎖の付加も検出されないことから、SDS-PAGEにおける移動の遅れはこの蛋白が計算上の等電点が11.4と大変高いことに由来しているのではないかと考えられる.しかし、翻訳後に何らかの修飾をうけている可能性も否定できない.

 COS細胞の培養上清から精製されたAGIFは0.5ng/ml以上の濃度で3T3-L1細胞の脂肪細胞化を抑制する作用を示した。また,精製AGIFを3T3-L1脂肪細胞に作用させたところ、0.5ng/ml以上の濃度で脂肪細胞のマーカー酵素の一つであるリボ蛋白リバーゼ(LPL)活性を抑制する作用を示した.さらに、AGIFが3T3-L1脂肪細胞のLPL mRNA量、LPL蛋白の分解速度には大きな影響を与えないのに対し、LPL蛋白の生合成は著明に抑制することを見いだした。AGIFのLPL活性抑制作用は、主にLPL蛋白の生合成の抑制に由来していると考えられた.

 AGIFのmRNAは骨髄間質由来の細胞株KM-102細胞において1.3kbと2.6kbの2種の分子種として発現していた.それぞれの分子種に対応するcDNAクローンを単離し、2種のAGIF mRNAがpoly(A)付加シグナルの認識の違いにより生ずることを明らかにした.ところで、AGIFのmRNAはヒトの肝臓、心臓、腎臓、およびCOS細胞では全く検出されなかった.AGIF遺伝子は骨髄間質由来の細胞に特異的に発現しているものと考えられた.また、AGIFは骨髄間質由来の前脂肪細胞株H-1/Aの脂肪細胞化も抑制する作用を示した.骨髄間質の前脂肪細胞は脂肪細胞化に伴い造血支持能力が低下すると言われており、AGIFは骨髄内での脂肪細胞化の制御を通じて骨髄内の造血の調節に関与しているものと考えられた.

 これらの研究を進めている途上、米国Genetics Institiute社のPaulらが同一の塩基配列を有するcDNAをヒトintedeukin-11(IL-11)cDNAとして発表した.彼ら、およびその共同研究者らによって、IL-11はBリンパ球系の細胞の増殖促進、巨核球系コロニー形成促進、造血前駆細胞のGo期の短縮などの作用を有することが報告されている.AGIF/IL-11は、骨髄の間質に作用し、その造血支持能力を制御するのみならず、血球系細胞に直接作用し、その増殖、分化の制御に働く多機能サイトカインであることが明らかとなった.

 これまで、サイトカインmRNAの3’非翻訳領域に存在するAUUUAの繰り返し配列に対する合成DNAプローブを用いて新しいサイトカインcDNAの単離に成功した例は、筆者の例を除いて報告がない.AUUUA繰り返し配列に対してスクリーニングを行うという筆者の考案は、サイトカインcDNAの効率よい単離法に関する有用な方法を提供し得たものと考えている.また、AUUUAの繰り返し配列は増殖制御に関わる遺伝子や炎症反応に関わる遺伝子など、サイトカインに限らず厳格な発現制御が行われているのmRNAの3’非翻訳領域にも見い出されており、このような遺伝子のcDNAの単離にも有用な方法となるものと考えられる.

審査要旨

 白血病,血小板減少症など多くの血液疾患は血球細胞の分化,増殖の制御の異常に起因するものと考えられている。新たな造血制御因子を同定することは,血球系細胞の分化,増殖のメカニズムの解明にとどまらず,各種の血液疾患の治療法の開発に有用な情報を提供し得るものと期待される。また,骨髄間質細胞は血球前駆細胞の分化,増殖をサポートする能力が報告されており,種々の造血制御に関与するサイトカインを産生していることが期待された。

 本論文はこのような背景に基づき,ヒト骨髄間質細胞cDNAライブラリーからの新規サイトカイン,adipogenesis inhibitory factor(AGIF)cDNAの単離,その成熟体の構造決定,およびその生物作用さらにAGIFのリポ蛋白リパーゼ(LPL)抑制のメカニズムに関する検討について報告している。

 まず,サイトカインmRNAの3’非翻訳領域に共通して存在するAUUUAの繰り返し配列に対する合成オリゴヌクレオチドをグローブに用いたサイトカインcDNAの単離法の考案と,この方法を用いたヒト骨髄間質細胞株KM-102株cDNAライブラリーからの新規cDNAの単離に関して述べている。得られたクローンのうちのひとつ,クローン#20-2は199アミノ酸からなるオーブンリーディングフレームを有していた。そのアミノ末端部分には,約20アミノ酸からなる疎水性のアミノ酸が集中した配列が見いだされ,新規な分泌蛋白をコードしているものと考えられた。

 次に,cDNA#20-2をCOS細胞に発現させ,#20-2にコードされる蛋白が培養上清中に分泌されること,この培養上清が脂肪細胞化抑制作用,および脂肪細胞のリポ蛋白リパーゼ(LPL)抑制作用を示すことを明らかにした。そこで,この因子をAGIFと命名した。

 さらに,COS細胞培養上清のAGIFの精製,その生物活性の確認について述べている。またCOS細胞培養土清中のAGIFのアミノ末端の構造解析を行い,NH2-Pro-Gly-Pro-Pro-Pro-Gly-Pro-Pro-Arg-Val-COOHというアミノ酸配列を得た。AGIFは199アミノ酸からなる前駆体のアミノ末端から21番目のAlaまでが切断を受け,178アミノ酸からなる成熟体蛋白となって分泌されることが示唆された。AGIF成熟体のアミノ酸配列にはジスルフィド結合の形成に関与するcysteineやN型糖鎖付加に関与するAsn-X-Ser/Thrというアミノ酸配列社見いだされなかった。

 最後に,AGIFのLPL抑制作用のメカニズムについて検討し,AGIFの脂肪細胞に対するLPL活性抑制作用は,主にLPL蛋白の生合成の段階を抑制することに由来していることを明らかにした。また,AGIFは骨髄間質由来の前脂肪細胞の脂肪細胞化も抑制することを示した。骨髄間質細胞が脂肪細胞化すると,間質細胞の造血支持能力は低下すると言われており,AGIFは脂肪細胞化の制御を通じて骨髄内の造血制御を行っている可能性が示された。

 以上本論文は,ヒト骨髄間質細胞で発現される新規サイトカイン,adipogenesis inhibitory factorのcDNAの単離,発現,成熟体の構造決定,およびその生物活性を明らかにしたものであって,学術上,応用上寄与するところが少なくない。よって,審査委員一同は,申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判断した。

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