学位論文要旨



No 212393
著者(漢字) 矢ヶ崎,誠
著者(英字)
著者(カナ) ヤガサキ,マコト
標題(和) 新たな酵素機能の探索と有用D-アミノ酸の工業的生産方法の開発に関する研究
標題(洋)
報告番号 212393
報告番号 乙12393
学位授与日 1995.06.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12393号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 児玉,徹
 東京大学 教授 山崎,眞狩
 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 五十嵐,泰夫
内容要旨

 アミノ酸は、蛋白質やペプチドの構成成分として、重要な生体成分の一つであるが、自然界ではL-アミノ酸が一般的に存在する。D-アミノ酸は、自然界においては一般的には存在せず、一部のD-アミノ酸が、細菌細胞壁ペプチドグリカンや抗生物質の構成成分として、限定された状態で存在するのみである。しかしD-アミノ酸は、一般的に存在するL-アミノ酸と逆の立体配置を有することから、特異的な生理活性を有する場合が多く、近年その生理作用が注目されている。

 大部分のL-アミノ酸は、化学合成法や発酵法あるいは酵素法等の工業的生産方法が確立されているが、D-アミノ酸は工業的な生産方法が確立されておらず、D-アミノ酸研究を推進するうえからも、その工業的な生産方法の確立が求められている。D-アミノ酸の生産方法としては、主に酵素法による産方法が知られているが、工業的生産方法としては、出発原料、反応の特異性と効率、等いずれも満足するものではない。

 本論文は、有用なD-アミノ酸の工業的な生産方法の確立を目的に、D-アラニン、D-グルタミン酸及びD-プロリンを対象として、工業的に有利な出発基質の選定、出発基質に適合した新規酵素機能の探索、及びそれらを用いた生産システムの構築、に関する研究結果について報告するものである。

【1】 D-アラニン生産法の開発

 D-アラニンは細菌細胞壁ペプチドグリカンに存在し、細菌の必須構成成分である。D-アラニンはまた、医薬品や農薬、あるいは食品添加物の合成原料としても有用な物質である。工業的に入手可能なDL-アラニン合成中間体であるDL-アラニンアミドからの、D-アミダーゼを用いたD-アラニン生産について検討を行った。

 D-アラニンアミドを特異的に加水分解するD-アミダーゼ生産菌の探索を行い、Arthrobacter sp.NJ-26を新たに分離した。

 NJ-26株の生産するD-アミダーゼは、分子量約51,000のモノマー酵素で、反応至適条件は45℃、pH7.5であり、D-アラニンアミドに対するKmは4.19mM、Vmaxは1,380mole/mg/minであった。本酵素は、実質的にD-アラニンアミドのみを基質とする極めて基質特異性が高いD体特異性を有する新規なD-アミダーゼであり、高濃度基質(DL-アラニンアミド300 g/l)でも活性が低下しない工業的に優良な性質を有していた。

 NJ-26株のD-アミダーゼはアラニンアミドによって誘導されるが、酵素誘導の必要のないD-アミダーゼ構成生産変異株を取得した。本変異株は、親株の1.3〜2倍の活性を生産した。

 NJ-26株を用いて、菌体反応によるDL-アラニンアミドからのD-アラニン生産条件の最適化を行った。本菌株の湿菌体10 g/lを用い、38℃、pH6.8、5時間の反応で、210 g/lのDL-アラニンアミドより105 g/lのD-アラニンが生成し、L-アラニンアミドが定量的に残存した。構成生産変異株でも同様の反応が可能であった。

 残存するL-アラニンアミドの効率的利用を考え、L-アミダーゼ生産菌としてRahnella sp.L-5株を新たに分離した。本菌株を用いることにより、DL-アラニンアミドからのD-アラニン及びL-アラニン生産システムの構築が可能となった。

【2】 D-グルタミン酸生産法の開発

 D-グルタミン酸もD-アラニンと同様、細菌細胞壁ペプチドグリカンに存在し、細菌の必須構成成分である。一方で、医薬品や農薬の合成原料としても有用な物質である。発酵法での生産方法が確立されているL-グルタミン酸を出発原料として、L体のラセミ化及び脱炭酸による、L-グルタミン酸からのD-グルタミン酸の生産について検討した。

 乳酸菌を中心にグルタミン酸ラセマーゼの探索を行い、菌体活性が高く、高濃度基質(L-グルタミン酸200 g/l)でも活性が低下しない工業的に優良なグルタミン酸ラセマーゼを生産する菌株としてLactobacillus brevis ATCC8287を見出した。

 本菌株の湿菌体100 g/lを用いて至適条件下(37℃,pH8_5)でL-グルタミン酸100 g/lを24時間で完全にラセミ化した。本菌株はL-グルタミン酸脱炭酸酵素活性(至適pH4.0)を同時に有しており、両酵素の至適pHの違いにより、2段階の反応をpH制御により連続して行い、単一菌体でのL-グルタミン酸からのD-グルタミン酸生産が可能であった。

 上記反応の効率化を目的に、グルタミン酸ラセマーゼ遺伝子をクローニングした。宿主のL-グルタミン酸要求性が、グルタミン酸ラセマーゼの導入によりD-グルタミン酸で代替されることにより、グルタミン酸ラセマーゼ遺伝子を取得し、遺伝子の全塩基配列を決定した。発現様式の検討の結果、L.brevisのプロモーターがEcoli中で効率よく機能することが示唆された。

 本酵素は分子量約29,000のモノマー酵素でグルタミン酸のみを基質とする。KmとVmaxはD体及びL体に対し各々5.94mM,6.39mMと208mole/mg/min,206mole/mg/minであり、D及びL体に対する反応性は同等であった。本酵素は、補酵素非依存型の新規グルタミン酸ラセマーゼと判断され、システインを中心とする活性部位の周辺には、他の補酵素非依存型アミノ酸ラセマーゼと高いアミノ酸配列の相同性が見いだされた。

 また、L-グルタミン酸脱炭酸酵素の探索を行い、高活性株としてE.coli ATCC11246を選択した。

 組換え菌を用いたL-グルタミン酸からのD-グルタミン酸生産反応について検討した。組換え菌E.coli TM93/pGAR2のトルエン処理菌体3g/l(湿重量)を用い、pH8.5、37℃、5時間の反応で、L-グルタミン酸100 g/lを完全にラセミ化した。更に反応液のpHを4.2に下げた後、E.coli ATCC11246の湿菌体5 g/lを添加し、37℃、10時間反応し、残存するL-グルタミン酸を完全に-アミノ酪酸に転換し、D-グルタミン酸50 g/lが定量的に残存した。

【3】 D-プロリン生産法の開発

 D-プロリンはその存在が一部の植物や微生物に限定され、またその生理的役割も不明であるが、一方で医薬品や農薬の合成原料として有用な物質である。D-プロリンについても、D-グルタミン酸と同様、発酵法での生産方法が確立されているL-プロリンを出発原料として、L体のラセミ化及び分解により、L-プロリンをD-プロリンに転換する方法を検討した。

 プロリンラセマーゼは、Clostridium sticklandii ATCC12662にその存在が知られているのみである。そこでClostridium属細菌を中心にプロリンラセマーゼを探索し、安定性が高く、高濃度基質(L-プロリン300 g/l)で活性が阻害されないC.sticklandii ATCC12662のプロリンラセマーゼを選択した。

 C.sticklandiiの菌体を多量に取得することは困難であるため、遺伝子のクローニングを行った。クローニングは、プロリンラセマーゼの導入により宿主のL-プロリン要求性がD-プロリンで相補されることにより行った。得られた組換え株E.coli HB101/pPR3はC.sticklandiiの20倍以上の菌体活性を有した。得られた遺伝子の全塩基配列を決定するとともに、E.coliでの遺伝子発現様式の検討より、C.sticklandiiのプロモーターがE.coli中で機能することが示唆された。組換え体のプロリンラセマーゼとC.sticklandii由来の酵素は、N末アミノ酸配列及び諸性質において同等であった。

 L-プロリンの選択的分解株の探索を行い、L体選択的分解活性が強い菌株としてCandida sp.PRD-238を新たに分離した。本菌株の湿菌体30 g/lにより、DL-プロリン40 g/l中のL-プロリンがpH7.0、37℃、48時間で完全に分解され、D-プロリンがほぼ定量的に残存した。

 組換え体E.coli HB101/pPR3及びCandida sp.PRD-238を用い、L体のラセミ化及びL体選択的な分解により、L-プロリンからのD-プロリンの効率的生産が可能となった。

 有用D-アミノ酸の工業的な生産方法の確立を目的に、工業的に有利な出発基質の選定と出発基質に適した新規酵素機能の探索を行い、高い立体特異性を有する新規D-アミダーゼ、グルタミン酸デカルボキシラーゼ、実質的に基質阻害を受けない新規グルタミン酸ラセマーゼ、プロリンラセマーゼ等を見出し、酵素精製を行うと共にそれらの諸性質を明かにした。更に、グルタミン酸ラセマーゼ及びプロリンラセマーゼについては遺伝子を取得すると共に全塩基配列を決定し、アミノ酸配列ならびに遺伝子構造を明らかにした。

 これら新たに見出した酵素類を用いて、DL-アラニンアミドからのD-アラニン及びL-アラニンの酵素的生産方法、L-グルタミン酸からのD-グルタミン酸の酵素的生産方法、L-プロリンからD-プロリンの酵素的生産方法、等について検討を行い、D-アラニン、D-グルタミン酸及びD-プロリンについて、工業的に入手可能な基質からの効率的な生産方法を確立した。

審査要旨

 D-アミノ酸はL-アミノ酸とは異なり,自然界では限られた存在であるが,特異的な生理活性を有する場合が多く,近年その生理作用が注目されており,医薬品や農薬の合成原料としても有用な物質である。D-アミノ酸の実用的な工業的生産方法は確立されておらず,D-アミノ酸の研究を推進するうえからも,その確立が求められている。本論文は,有用なD-アミノ酸の工業的な生産方法の確立を目的にD-アラニン,D-グルタミン酸およびD-プロリンを対象として,工業的に有利な出発基質の選定,出発基質に適合した新規酵素機能の探索ならびにそれらを用いた生産システムの構築に関する研究結果をまとめたもので5章よりなる。

 第1章でまずD-アミノ酸の存在と生理的意義を示し,従来の製造方法について比較したのち,第2章において,D-アラニン生産法の開発について述べている。工業的に利用可能なDL-アラニンアミドを出発原料として,D-アミダーゼを用いたD-アラニン生産について検討を行ったが,まずD-アミダーゼ生産菌の探索を行い,Arthrobacter sp.NJ-26株を新たに分離した。本菌株が生産する基質特異性の非常に高い新規なD-アミダーゼを精製し,その諸性質を明らかにするとともに,酵素誘導の必要のないD-アミダーゼ構成生産変異株を取得し,反応条件の最適化を行った結果,228g/lのDL-アラニンアミドから113 g/lの光学純度99%以上のD-アラニンの生産に成功している。さらに,残存するL-アラニンアミドの効率的な利用を考え,L-アミダーゼ生産菌としてRahnella sp.L-5株を新たに分離することにより,DL-アラニンアミドからのD-アラニンおよびL-アラニン生産システムの構築に成功している。

 第3章では,D-グルタミン酸生産法の開発について述べている。発酵法で生産されるL-グルタミン酸を出発原料として,L-体のラセミ化および脱炭酸の2段反応による,L-グルタミン酸からのD-グルタミン酸の生産方法を検討した。まずグルタミン酸ラセマーゼの探索を行い,工業的に優良な性質を有する補酵素非依存性の新規グルタミン酸ラセマーゼを生産するLactobacillus brevis ATCC8287を見出した。本菌株はL-グルタミン酸脱炭酸酵素を同時に有しており,両酵素を利用することによって,単一菌体でのL-グルタミン酸からのD-グルタミン酸生産を可能にした。この反応の効率化を目的として,グルタミン酸ラセマーゼ遺伝子をクローニングし,遺伝子の全塩基配列を決定するとともに,このグルタミン酸ラセマーゼを精製し,その諸性質を明らかにしている。また,L-グルタミン酸脱炭酸酵素の探索を行い,高活性株としてEscherichia coli ATCC11246を選択した。グルタミン酸ラセマーゼを生産する組換え体E.coli TM93/pGAR2およびE.coli ATCC11246の培養菌体を用いて,100g/lのL-グルタミン酸から光学純度99%以上のD-グルタミン酸50g/lの生産に成功している。

 第4章ではD-プロリン生産法の開発について述べている。発酵法で生産されるL-プロリンを出発原料として,L-体のラセミ化および分解の2段階反応による,L-プロリンからのD-プロリンの生産方法を検討した。まずプロリンラセマーゼを探索し,工業的に優良な性質を有するClostridium sticklandii ATCC12662の補酵素非依存性のプロリンラセマーゼを選択した。本酵素についても遺伝子をクローニングし,遺伝子の全塩基配列を決定するとともに,このプロリンラセマーゼを精製し,その諸性質を明らかにしている。また,L-プロリンの選択的分解株の探索を行い,L-体選択的分解活性の強い菌株としてCandida sp.PRD-238を新たに分離した。プロリンラセマーゼを生産する組換え体E.coli HB101/pPR3およびCandida sp.RPD-238の培養菌体を用いることによって,100g/lのL-プロリンから光学純度99%以上のD-プロリンを47 g/l生産することに成功している。

 第5章においては本論文で完成した製造法を含む酵素法によるD-アミノ酸の製造方法の評価を行うとともに今後の可能性について考察している。

 以上,本論文は新たなD-アミノ酸類の生産方法の開発を試み,これらの目的のために取得した菌株から得られた新規酵素の諸性質を明らかにするとともに,変異および組換え手法を用いることによってD-アラニン,D-グルタミン酸ならびにD-プロリンの実用的な生産方法を確立したもので,学術上,応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50951