学位論文要旨



No 212396
著者(漢字) 吉岡,慎二
著者(英字)
著者(カナ) ヨシオカ,シンジ
標題(和) 肥満Zuckerラットを用いたインスリン抵抗性症候群の病態解析
標題(洋)
報告番号 212396
報告番号 乙12396
学位授与日 1995.06.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12396号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 教授 唐木,英明
 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 助教授 塩田,邦郎
 東京大学 助教授 西原,真杉
内容要旨

 1.序論:各組織でのインスリン感受性が低下した状態をインスリン抵抗性という.耐糖能不全(IGT),インスリン非依存性糖尿病(NIDDM),高インスリン血症,高血圧症,脂質代謝異常等の諸症状は併発することが多く,これらはインスリン抵抗性を根本的原因とする一つの症侯群を成している可能性が指摘されている.しかし,臨床的には種々の要因が複合的に作用しているので,その成因を解析するのは難しい.その因果関係を解析するには,原因となるインスリン抵抗性や高インスリン血症を解消し,その影響をみる必要がある.そこで本研究では,遺伝性の肥満Zucker(OZ)ラットを対象とし,インスリン抵抗性を解消するために,インスリン作用を増強するtroglitazone(TR)を用い,高インスリン血症を解消するため膵細胞を選択的に破壊するストレプトゾトシン(STZ)を用いた.OZラットに見られるインスリン抵抗性に関連した上記諸症状および高TNF血症に着目し,これら病態および関連する諸因子の因果関係を成因論的に考察した.

 2.高TNF血症:インスリン抵抗性を誘発する因子は多く,IGTやNIDDMでのインスリン抵抗性の発症に最も重要な因子は明確になっていない.インスリンの作用点は,肝糖産生の抑制と末梢糖取り込みの促進である.そこでまず,OZラットを用いて,肝糖産生,骨格筋での糖取り込みおよびグリコーゲン合成系などのインスリン感受性を検討した.また,腫瘍壊死因子(TNF)がインスリン抵抗性に関与する可能性が指摘されている.そこで,TNFの糖・脂質代謝およびインスリン抵抗性に対する影響を検討し,さらにOZラットおよび糖尿病OZラットを用いて,TNF産生能とインスリン抵抗性および糖・脂質代謝異常との関連性を検討した.OZラットにTR投与したところ,減若していたインスリンの血糖低下作用が増強され,全身のインスリン抵抗性が改善された.また,TR投与により肝糖産生が顕著に低下し,骨格筋,褐色脂肪組織での糖取り込みが促進され,骨格筋でのグリコーゲン合成系に対するインスリン感受性も増強された.従って,OZラットにおいて,肝糖産生,骨格筋糖取り込みおよびグリコーゲン合成系がインスリン抵抗性になっていることが確認された.TNF投与により,高FFA血症,高脂血症,高乳酸血症およびインスリン抵抗性を誘発することが明らかになった.また,OZラット及び糖尿病OZラットでも,TNF産生が顕著に亢進していた.しかし,TNF産生量と糖・脂質代謝異常やインスリン抵抗性と間に相関性は認められず,OZラットのインスリン抵抗性および糖・脂質代謝異常にTNF産生の亢進は関与していないことが示唆された.

 3.糖代謝異常:肝や骨格筋に対するインスリン作用が不足すると,IGTやNIDDMといった糖代謝異常をきたす.しかし,これらの糖代謝異常に対する最も重要な障害部位は未だに明確になってない.そこで,IGTを示すOZラットおよびSTZ糖尿病ラットを用いて,血糖制御の重要な因子である肝糖産生,糖取り込み,グリコーゲン合成および酸化的代謝に対するインスリン抵抗性の関与を検討した.経口および静脈内糖負荷試験で示されたOZラットのIGTは,TR投与により顕著に改善されたので,肝および骨格筋での糖利用能の低下がその病態に関与していることが明らかになった.また,TR投与によりOZラットでの,インスリン刺激による骨格筋および肝でのグリコーゲン合成量が増加し,グリコーゲン合成系の異常が律速となっていると考えられた.OZラットの骨格筋での糖取り込みは低下しており,この障害が全身的な糖処理能の低下に寄与していると考えられた.また,OZラット,STZ-OZラットの高乳酸血症がTR投与により改善されたことから,OZラットでは糖酸化的代謝系がインスリン抵抗性になっていることが示唆された.また,STZ糖尿病ラットでは,乳酸およびCO2産生の亢進により,代謝性の乳酸アシドーシスをきたし,肝での乳酸を取り込みと糖産生が亢進していた.高乳酸血症は,肝糖新生の基質の供給を増加させるだけでなく,pH低下により肝糖新生系を活性化することによっても糖新生を促進させうる.従って,高乳酸血症は肝糖新生を亢進させる最も重要な因子であると考えられた.

 4.高インスリン血症:インスリン抵抗性に認められる高インスリン血症には,インスリンの過剰分泌だけでなく,その消失率が関与することが疑われる.そこで,インスリン抵抗性モデルにおける高インスリン血症とインスリン消失率との関係を検討した.OZラットでは,経口糖負荷時のインスリン過剰分泌には腸管因子の関与が示唆されたが.基礎的な高インスリン血症はインスリン消失率の低下に起因することが示唆された.また,高インスリン血症によりグルコースに反応するインスリンの初期分泌が阻害されていることが明らかになった.

 5.高トリグリセライド(TG)血症:IGTやNIDDM患者に高TG血症が頻繁に認められているが,TG代謝系がインスリン抵抗性であるかどうか明らかではない.そこで,OZラットにTR又はSTZ投与し,インスリン抵抗性又は高インスリン血症とTG代謝系の関係を検討した.TR投与によりOZラットおよびSTZ-OZラットの血中TG値は正常化したが,血中FFA値はOZラットでのみ低下した.OZラットの亢進している肝TG産生率は,TR又はSTZ投与により抑制されたので,インスリン抵抗性や高FFA血症よりも,高インスリン血症がその原因であることが示唆された.また,TG除去に働くLipoprotein Lipase(LPL)活性は,OZラットで亢進しており,TR又はSTZ投与により低下したことから,TG除去能はインスリン抵抗性になっておらず,血中インスリン値により制御されていることが明らかになった.

 6.コレステロール(CHO)代謝異常:IGTやNIDDMでは,高比重リポ蛋白(HDL)-CHO値が血中TG値と逆相関することが知られているが.その原因は良く分っていない.そこで,低HDL-CHO血症とインスリン抵抗性との因果関係を検討した.OZラットでは低HDL-CHO血症が見られ,TR投与により改善された.OZラットの低HDL-CHO血症は,STZ投与やCHO負荷により,血中TG値は変化しないにも拘らず,更に悪化し,TR投与により改善されたことから,HDLのCHO逆転送機構にインスリン抵抗性が関与している可能性が示唆された.

 7.電解質代謝異常:肥満またはIGT患者では,尿Na排泄の低下と軽度な血圧上昇が認められている.インスリンにNa排泄抑制作用があることから,インスリン抵抗性に伴った高インスリン血症の関与が疑われている.そこで,高インスリン血症またはインスリン抵抗性とNa代謝および高血圧と因果関係を検討した.正常ラットにインスリン負荷又はSTZ投与したところ,Na排泄は促進された.また,OZラットでは,Na排泄率は低下しており,STZ又はTR投与により,Na排泄は促進された.糖尿病OZラットでは,Na排泄は血中インスリン値とは相関せず,寧ろ血糖値との間に弱い負の相関性が認められた.従って,インスリンはNa排泄を直接的に抑制しているのではなく,血糖低下作用を介して間接的にNa排泄を抑制している可能性があり,OZラットではNa排泄はインスリン抵抗性になっていないと考えられた.また,OZラットでは,軽度な血圧上昇や尿カテコールアミン排泄率の増加,腎血漿流量の低下が認められ,TR投与により,Naおよび水分排泄が増加し,血圧が低下した.従って,OZラットの血圧上昇に,Naおよび水の貯留が関与していると考えられた.しかし,この交感神経系の亢進はTR投与により変化しなかったため,インスリン抵抗性にも高インスリン血症にも起因していないことが示唆された.

 8.結論:グリコーゲン合成系および酸化的代謝系でのインスリン抵抗性により,肝糖産生が亢進し,骨格筋での糖利用が障害されていることが示唆された.これに更に,高乳酸血症により肝糖新生が亢進すると,肝糖産生が亢進し,NIDDMが発症することが示された.また,インスリン抵抗性では,インスリン消失率の低下が,高インスリン血症を誘発することが明らかになった.肝TG産生系およびTG除去能はインスリン抵抗性にはなっておらず,高インスリン血症により肝TG産生が亢進され,高TG血症が誘発されることが示唆された.低HDL-CHO血症は,HDLのCHO逆転送機構に対するインスリン作用の障害に起因している可能性が示唆された.高インスリン血症はNa排泄を間接的に抑制する可能性が示唆された.Na排泄およびクレアチニンクリアランスの低下によるNa・水の貯留や交感神経系の亢進が血圧上昇に関与していることが示唆された.従って,これら耐糖能不全,高インスリン血症,NIDDM,高乳酸血症,高TG血症,低HDL-CHO血症,高血圧症等の諸症状は,インスリン抵抗性を根本的な原因として派生しており,一つの症侯群を形成していることが明らかになった.

審査要旨

 血中グルコース濃度のバランスを保つために種々のホルモンや複雑な生理システムが動員されている。血糖値の恒常的な制御に最も重要な役割を果しているホルモンは,膵細胞から分泌され血糖低下作用を持つインスリンである。インスリンは,標的組織の細胞表面に存在する特異的なインスリンリセブターと結合し,その情報は以後のシグナル伝達系に伝達されていく。糖尿病はインスリン分泌量の低下,あるいは標的組織でのインスリン感受性の低下,すなわちインスリン抵抗性により生じる糖代謝障害である。後者はインスリン非依存性糖尿病(NIDDM)とよばれ,頻度,治療の困難さなどから最も重要な病態と考えられている。耐糖能不全,インスリン抵抗性,高インスリン血症,高血圧症,高VLDL-TG(トリグリセライド)血症,低HDL-CHO(コレステロール)血症の諸症状は併発することが多いが,これらの初発的原因,症状間の因果関係に対する各研究者の認識は異なっている。これらを検討するには,適当な動物モデルを導入して,原因となる要素を個々に解消し,その影響を見ることが最も有力な手段として考えられるが,その最大の隘路はインスリン抵抗性を特異的に消失させる方法が無いことであった。しかし申請者は,標的組織のインスリン感受性を増強し,血糖低下作用を発現する薬剤であるtrogli-tazone(TR)が最近開発されたことを利用して,インスリン抵抗性を示す肥満性糖尿病動物であるZucker-fattyラット(OZラット)にTRを投与し,インスリン抵抗性を消失させた後の反応を解析すること,さらに,OZラットの高インスリン血症を解消するためにstreptozotocin(STZ)による,膵細胞の選択的破壊法を用いることなどの独創的手段を用いて,各症状の間の因果関係を論じている。

 論文は詳細な数多くの実験を積み上げることで,OZラットの症状の因果関係を以下のごとく結論付けている。

 肝臓におけるグリコーゲン合成系および糖の酸化的代謝系はインスリン抵抗性であり,このために肝臓の糖産生は亢進する。同時に骨格筋におけるインスリン低抗性が血糖消費を低減させ,血糖の上昇がもたらされる。この状態に酸化的代謝系のインスリン抵抗性に起因する高乳酸血症が加わると,肝糖産生の一層の亢進が起こり,血糖はさらに上昇して典型的なNIDDMの症状を呈する。また,インスリン消失率はインスリン効果に依存しており,インスリン抵抗性はインスリン消失率の低下を介して高インスリン血症をもたらしている。また,低HDL-CHO血症は,HDLのコレステロール逆転送機構がインスリン依存性であることが原因らしい。

 一方,肝臓のTG産生系かよびTG除去能(利用能)はインスリン抵抗性になっておらず,高TG血症が誘発される理由は,高インスリン血症によって肝臓のTG産生が刺激されたためである。インスリン抵抗性に継発する高インスリン血症には,ナトリウム排泄を間接的に抑制する作用もあるらしく,ナトリウム排泄およびクレアチニンクリアランスの低下によるナトリウムと水の貯留が,血圧上昇に寄与している。なお,血圧上昇については,この動物の交感神経系の興奮性上昇が一部寄与している。

 すなわち,耐糖能不全,高インスリン血症,NIDDM,高TG血症,低HDL-CHO血症,高血圧の諸症状は,インスリン抵抗性を根本的原因として直接あるいは間接に誘起された病態で,この意味で一つの症候群を形成しているといえる。

 以上本論文は,自然発症のインスリン抵抗性を示すOZラットモデルのNIDDM関連諸症状の因果関係を論じたもので,特にインスリン抵抗性を特異的に解消するTRをその解析の手段として導入することにより,極めて独創的な,かつ説得力のある病因論を提示することに成功している。勿論ヒト,動物の個々の病態では,必ずしもこのような定型的な因果関係が成立していない場合もあろうが,この動物モデルを用いた病因論は個々の病態を解析する場合の標準的規範として機能することは間違いなく,その功績は,獣医学,医学を通じて高く評価されるものと考えられた。よって審査委員一同は申請者に対して博士(農学)の学位を授与して然る可きと判定した。

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