学位論文要旨



No 212397
著者(漢字) 山本,淳
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,アツシ
標題(和) 人為三倍体ニジマスの耐病性に関する研究
標題(洋)
報告番号 212397
報告番号 乙12397
学位授与日 1995.06.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12397号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 若林,久嗣
 東京大学 教授 會田,勝美
 東京大学 助教授 黒倉,寿
 東京大学 助教授 鈴木,譲
 東京大学 助教授 小川,和夫
内容要旨

 性成熟は次世代の再生産のためには不可欠の生理現象であるが、成熟に伴う二次性徴の発現、肉質の劣化、成長の停滞、疾病への感受性の高まり、それによる減耗などは生産性を悪化させ、養殖生産には不都合なものである。ニジマスの大型魚生産は成熟年齢を越えた飼育を必要とするが、成熟によるこれらの障害が生産コストを押し上げ経営を困難にする。種苗の不妊化は成熟による負の影響を逃れ、大型魚の効率的生産を可能にする技術としてニジマス養殖業界から待望され、種苗の不妊化を目的とした三倍体化が試みられた。雌三倍体ニジマス(以下三倍体)は二倍体の成熟期間中であっても、成熟が抑制された状態で良好に成長し、肉質が全く劣化しないなどの生物学的特性が明らかにされてきた。しかし、三倍体の耐病性に関する知見は少なく、伝染性造血器壊死症(IHN)とビブリオ病に対する感受性を攻撃試験によって検討しているにすぎず、さらに、IHNに対する耐病性に関してはその評価が分かれている。三倍体の耐病性についての知見を集積することは、三倍体を新たな養殖対象魚としてニジマス養殖業界へ一層普及するために必須と考えられる。

 そこで、本研究ではまず三倍体の血液学的性状、酸素消費量、特異的および非特異的生体防御能を調べ、次いでニジマス養殖において代表的な疾病である4種類の感染症(細菌性鰓病、IHN、せっそう病およびビブリオ病)に対する感受性を攻撃試験によって調べた。さらにこれらの結果を二倍体の場合と比較しながら検討し、三倍体の耐病性について考察した。

1.血液学的性状

 供試魚から採取した血液を用いて常法に従って血液学的性状を調べた。三倍体は二倍体に比べて赤血球数およびヘモグロビン量が有意に少なかったが、ヘマトクリット値には差が認められなかった。これらから赤血球平均恒数を算出したところ、三倍体の平均赤血球血色素量および平均赤血球容積は二倍体よりも有意に大きかった。赤血球の長径および短径は二倍体に比較して有意に長く、赤血球の表面積も二倍体よりも有意に大きかったが、血液単位体積当たりの赤血球の表面積は二倍体よりも有意に小さかった。これらの結果から三倍体は大赤血球性の貧血状態であると判断されたが、これらの血液細胞学的変化は、これまでにカワマスおよびギンザケで報告された大赤血球性の貧血の症例とは相違しており、三倍体化によるゲノム数の増加が原因と考えられた。

2.酸素消費量および低酸素濃度耐性

 供試魚を流水式の呼吸室に収容して、呼吸室を通過前後の水中の溶存酸素量の差と水量の積から酸素消費量を算出した。また、密閉した容器中に供試魚を収容して、供試魚の呼吸によって容器中の溶存酸素量を徐々に低下させ、供試魚の反応とその時の溶存酸素量を測定した。さらに酸素欠乏によって横転した供試魚が回復するまでの時間を計測した。比較的高い溶存酸素濃度の下では三倍体および二倍体の酸素消費量には差が認められなかったが、三倍体は低溶存酸素濃度下において二倍体よりも有意に低い酸素消費量を示し、また、有意に高い溶存酸素濃度で鼻上げした。両者の横転時の溶存酸素量の差は僅かであったが、横転した三倍体は回復するまでに有意に長い時間を必要とした。これらは大赤血球性の貧血状態である三倍体が本質的に酸素欠乏に弱いことを示すものと考えられた。

3.各種感染症に対する感受性

 細菌性鰓病、IHN、せっそう病およびビブリオ病に対する感受性を攻撃試験に基づいて比較した。浸漬法によって細菌性鰓病に感染した三倍体は低溶存酸素濃度下において二倍体よりも有意に高い死亡率を示し、大赤血球性の貧血状態を反映した結果と考えられた。これに対して、IHNのウイルス液の感染力価を一定にして浸漬時間を変化させた場合および浸漬時間を一定にしてウイルス液の感染力価を変化させた場合のいずれにおいても、三倍体および二倍体の間に死亡率および平均致死日数の差は認められなかった。せっそう病およびビブリオ病の場合、注射法および浸漬法のいずれの攻撃方法によっても、三倍体および二倍体の間に死亡率および平均致死日数の差は認められなかった。

4.特異的生体防御能

 市販のビブリオ病ワクチンで浸漬処理した三倍体に対して、処理7日後にVibrio ordaliiによって浸漬攻撃をしてワクチン効果を検討したところ、ワクチン処理区の死亡率は二倍体と同様に無処理の対照区よりも有意に低かった。さらにその効果は二倍体と同様に処理180日後においても維持されていた。また、V.ordaliiホルマリン死菌を腹腔内に接種した後の三倍体の血中抗体価の変化は二倍体と同様で、両者が同等の抗体産生能を有すると考えられた。これらの結果は三倍体の免疫獲得能力が二倍体と差がなく、市販のビブリオ病ワクチンの効果は二倍体と同様に三倍体に対しても期待できるものと考えられた。

5.非特異的生体防御能

 正常血清のウサギ赤血球に対する溶血活性、正常血清のEscherichia coliに対する殺菌活性、全血による好中球のルミノール依存性の化学発光量および好中球の貪食活性を測定して未成熟期の二倍体と比較した。二倍体の未成熟期において、三倍体および二倍体の間に正常血清の溶血活性および正常血清のE.coliに対する殺菌活性の差は認められなかったことから、両者の血清中の補体活性には差がないと考えられた。これは両者の間に全血による好中球の化学発光のピークまでの時間の差がなかったことからも支持されると考えられた。全血による好中球の化学発光量も三倍体および二倍体との間に有意差は認められなかったが、それぞれの血液に含まれる好中球1細胞当たりの化学発光量に換算して比較すると、三倍体の方が二倍体よりも有意に多かった。しかし、好中球のE.coliに対する貪食活性(貪食率および貪食指数)は三倍体および二倍体との間に有意差は認められなかった。したがって、三倍体の好中球1細胞が産生する活性酸素量は二倍体よりも多いが、三倍体の血中の好中球数が二倍体よりも少ないために全血の活性酸素の総産生量には差がないと考えられた。これらの結果は、三倍体の非特異的生体防御能が未成熟期の二倍体と差がないことを示すものと考えられた。しかし、二倍体の正常血清のE.coliに対する殺菌活性が成熟期に著しく低下したのに対して、三倍体の正常血清では調査期間を通じて高い殺菌活性が維持され、その差は二倍体の成熟期において有意であった。この事実は、二倍体が成熟期に疾病に対する抵抗力が低下し減耗するのに対して、不妊の三倍体は高率で生残するという三倍体の正の特性を非特異的生体防御能の側面から裏付けるものと考えられた。

6.異なる作出方法による三倍体との比較

 これまで実験に用いてきた第2極体放出阻止法によって作出された三倍体(以下三倍体(RSP))とは異なる方法で作出された三倍体、すなわち四倍体雄と二倍体雌との交配による三倍体(以下三倍体(4N♂×2N♀))の血液学的性状を調べたところ、赤血球数は三倍体(RSP)と差がなかった。ヘマトクリット値は三倍体(RSP)よりも有意に高かったが、ヘモグロビン量には差が認められなかった。赤血球の長径および表面積は三倍体(RSP)よりも有意に大きかったが、逆に短径は、有意に短かった。Price-Jones曲線のピークは三倍体(RSP)のそれよりも右方に移動した。また、平均赤血球容積は三倍体(RSP)よりも有意に大きかった。これらの結果は、三倍体(4N♂×2N♀)が三倍体(RSP)と同様に大赤血球性の貧血状態であることを示し、やはりゲノム数の増加によってもたらされたものであると考えられた。また、正常血清のE.coliに対する殺菌活性も三倍体(RSP)と差が認められなかった。このように三倍体(4N♂×2N♀)の生物学的特性は三倍体(RSP)に極めて近いと推察された。

 以上、本研究では三倍体ニジマスの耐病性を次のように考察した。

 三倍体ニジマスは大赤血球性の貧血状態であるために環境水の低溶存酸素濃度に弱い。したがって、鰓の表面にのみ病変を起こして酸素の取り込みを阻害する細菌性鰓病に感染した場合、低溶存酸素濃度下で二倍体よりも高い死亡率を示す。

 これに対して、病原体が魚体内に侵入して感染が成立する疾病(IHN、せっそう病およびビブリオ病)に対しては二倍体と同等の感受性を示し、三倍体の非特異的生体防御能が二倍体と異ならなかったことからも、三倍体のこれら3病に対する耐病性は未成熟期の二倍体ニジマスと差がないと考えられる。

 さらに、二倍体の非特異的生体防御能は成熟期に低下するが、不妊の三倍体はこの期間中も高い活性を維持し、三倍体が二倍体よりも高率に生残することと関連すると考えられる。

審査要旨

 ニジマス養殖においては,不妊化を目的とした三倍体種苗の生産が行われている。成熟による肉質の劣化が生じないため業界に歓迎され普及しつつある。しかし,耐病性についての知見は殆どなく,その知見が三倍体の普及を図る上で不可欠であることから本研究が行われた。その内容の概要は以下の通りである。

1.血液学的性状

 三倍体は二倍体に比べて赤血球数およびヘモグロビン量が有意に少なかった。赤血球の長径および短径は二倍体に比べ有意に長く,ヘマトクリット値には差がなかった。血液単位量当たりの赤血球表面積は二倍体より有意に小さく,三倍体は大赤血球性の貧血状態にあると考えられた。

2.酸素消費量および低酸素濃度耐性

 環境水の溶存酸素濃度が高い場合には,三倍体の酸素消費量は二倍体と異ならなかったが,低溶存酸素濃度下では,二倍体より有意に低い酸素消費量を示した。また,三倍体は二倍体に比べて有意に高い溶存酸素濃度で鼻上げを開始した。平衡を失い横転を始める溶存酸素濃度には大きな差は認められなかったが,回復に要する時間は三倍体の方が有意に長かった。これらのことは三倍体が体質的に環境水の酸素欠乏に弱く,大赤血球性の貧血状態にあることを裏付けると考えられた。

3.各感染症に対する感受性

 細菌性鰓病,IHN,せっそう病およびビブリオ病に対する感受性を攻撃試験によって比較した。

 細菌性鰓病に関しては,三倍体は低い溶存酸素濃度下において二倍体よりも有意に高い死亡率を示し,大赤血球性の貧血状態にあることを反映した結果と判断された。これに対し,IHN,せっそう病およびビブリオ病の場合は,三倍体と二倍体の間に死亡率および平均致死日数の差は認められなかった。また,接種量や攻撃方法を変えても差は生じなかった。

4.特異的生体防禦能

 市販のビズリオワクチンを投与し,Vibrio ordaliiで攻撃してワクチン効果を比較した結果,二倍体と三倍体との間に差はなく,いずれにおいてもワクチン投与区の死亡率は対照区よりも有意に低く,その効果は投与180日後にも維持されていた。また,V.ordaliiのホルマリン死菌を腹腔内接種して血中抗体価を経時的に測定したところ,両者に差はなかった。これらの結果から,三倍体は二倍体と同等の免疫獲得能力をもち,市販のビブリオ病ワクチンの効果は三倍体にも期待できるものと判断された。

5.非特異的生体防禦能

 三倍体および未成熟期の二倍体の正常血清のウサギ赤血球に対する溶血活性およびEscherichia coliに対する貪食活性を測定したところ,差の認められなかったことから,両者の補体活性には差がないと考えられた。このことは,単位量の血液中の好中球の化学発光量やピーク値に至るまでの時間に差がなかったことからも支持された。また,好中球のE.coliに対する貪食率および貪食能にも三倍体と二倍体の間に有意差は認められなかった。これらの結果から,三倍体の非特異的生体防禦能は,未成熟期の二倍体のそれと同等であることが分った。

 二倍体の正常血清のE.coliに対する殺菌活性が成熟期に著しく減少したのに対し,三倍体の正常血清は調査期間を通じて高い殺菌活性を維持した。このことは,二倍体が成熟期に病気に罹りやすいのに対し,不妊の三倍体では変化がないことを非特異的生体防禦の側面から裏付けたものと考えられた。

6.異なる作出方法による三倍体との比較

 前項までの実験は,第2極体放出阻止法によって作出された三倍体(以下三倍体(RSP))を使って行われた。これとは異なる方法で作出された三倍体,すなわち四倍体雄と二倍体雌との交配による三倍体(以下三倍体(4N×2N♀))の血液学的性状を調べ,三倍体(RSP)と比較した。その結果,赤血球数とヘモグロビン量には差がなかったが,ヘマトクリット値,赤血球の長径と短径,Price-Jones曲線のピーク,などには差が認められた。しかし,総合的にみて,三倍体(4N×2N♀)も大赤血球性の貧血状態にあると判断された。また,正常血清のE.coliに対する殺菌活性に差は認められなかった。

 以上,本研究の結果,三倍体ニジマスは,酸素の取込能力が劣るため鰓に病変を起こす細菌性鰓病では低溶存酸素下での死亡率が二倍体よりも高くなるもののその他の疾病に対する耐病性にけ差がないこと,不妊であるために二倍体のような成熟期の耐病性の低下がない利点をもつこと,が明らかにされた。これらの成果は,学術上,応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は,本論文が博士(農学)の学位に値するものと認めた。

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