学位論文要旨



No 212399
著者(漢字) 上正原,勝
著者(英字)
著者(カナ) カミショウハラ,マサル
標題(和) スピカマイシン誘導体の抗腫瘍効果発現に関する研究
標題(洋)
報告番号 212399
報告番号 乙12399
学位授与日 1995.06.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第12399号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 教授 小川,智也
 東京大学 教授 唐木,英明
 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京大学 助教授 西原,真杉
内容要旨 第1章序論

 スピカマイシンはStreptomyces alanosinicus 879-MT3により産生される抗腫瘍物質であり、脂肪酸側鎖部分の異なる化合物の混合物として分離された。本物質はアデニン骨格にアミノヘブトースが付加した構造にさらにグリシンを介して脂肪酸が付加した、従来の抗腫瘍剤にないユニークな構造を有し(図1)、マウス白血病細胞M1およびヒト白血病細胞HL60に対し分化誘導作用を有することが知られている。またP388マウス白血病に対して延命効果を持つことが知られているが、抗腫瘍剤としては必ずしも強い効果とはいえなかった。

 著者らは、臨床における新規抗腫瘍物質の効果を予見しうるヒト腫瘍を用いた抗腫瘍試験系、すなわちヌードマウス皮下移植法を用いてスピカマイシンの抗腫瘍効果を検討し、この物質がヒト腫瘍に対して抗腫瘍作用を有することを見い出した。そこで混合物であるスピカマイシンのうちどの化合物が最も抗腫瘍作用に寄与しているかを検討した。その結果、炭素数12の直鎖脂肪酸を持つSPM VIII(図1)が最も優れた効果を示すことがわかった。さらに誘導体研究を実施し、SPM VIII以上の効果を示す物質として、炭素数14の不飽和脂肪酸を持つスピカマイシン誘導体KRN5500(図1)を見いだした。SPM VIIIおよびKRN5500は、ヒト腫瘍に対して幅広い抗腫瘍スペクトルを示し、特に大腸癌など消化器系腫瘍に対して、臨床で汎用されているマイトマイシンCを凌ぐ効果を有することが確認されている。

図1 スピカマイシンおよび誘導体の構造
第2章スピカマイシン誘導体の構造活性相関

 KRN5500を選択する過程において、各種スピカマイシン誘導体(図1)のin vitroにおける構造活性相関を検討した。表1に示すとおり、スピカマイシンアミノヌクレオシドグリシン(SAN-Gly、図1)およびスピカマイシンアミノヌクレオシド(SAN、図1)のP388細胞に対する細胞増殖抑制作用は、脂肪酸側鎖を有する化合物にくらべて弱かった。一方直鎖飽和脂肪酸を有するSPM IV,SPM V,SPM VI SPM VII,SPM VIII(図1)では脂肪酸側鎖の炭素数の増加による細胞毒性の増強が認められた。ただし、炭素数12以上すなわちSPM VIII,SPM X,SPM XII,SPM XVIおよび不飽和脂肪酸側鎖を有するKRN5500の細胞毒性は同程度であった。

表1 スピカマイシン誘導体のP388細胞に対する細胞増殖抑制作用と、ヒト胃癌SC-9に対するin vivo抗腫瘍作用

 次に、in vivoでの構造活性相関を調べるため、スピカマイシンが有効であるヒト胃癌SC-9を用いて、これら化合物の抗腫瘍効果をヌードマウス皮下移植法により比較検討した。表1に示すとおり、SANは無効であり、脂肪酸側鎖をもつ化合物はその炭素数の増加ともない、毒性が増す傾向にあった。また、抗腫瘍作用を治療係数(T.I.)で比較すると、SPM VIIIの効果が最も高く、これより炭素数が増すと急激に毒性が強くなり、抗腫瘍作用が減少した。なお、KRN5500もSPM VIIIとほぼ同程度の効果を示した。

 以上のことから、スピカマイシン誘導体の脂肪酸側鎖の炭素数が増加するにしたがって、殺細胞効果が増大し、また、それにともないin vivoでの抗腫瘍作用も増大することがわかった。しかし、一定の炭素数を越えると、in vitroでの抗腫瘍効果は同程度であるにもかかわらず、in vivoでは毒性のみが増大し、むしろ抗腫瘍作用が減少するといった興味深い現象が確認された。

 そこで、高い抗腫瘍作用を有するSPM VIIIとKRN5500および、in vitroではこれら化合物と同程度の細胞毒性を示すにもかかわらず、in vivoでは強い毒性を示すSPM XVIについて、これらの化合物の作用の違いを正常細胞と腫瘍細胞に対する細胞毒性の差、すなわち選択毒性に着目して検討した。3化合物はP388細胞、HT-29ヒト大腸癌細胞に対していずれも同程度の強い細胞毒性を示した。一方、正常細胞であるヒト線維芽細胞、ラット平滑筋細胞、バッファロラット肝細胞に対する作用は、腫瘍細胞に対する作用と比較していずれも弱かった。3化合物の正常細胞に対する作用を比較すると、いずれの細胞においても、SPM XVIが最も強い細胞毒性を示し、その作用は他の2化合物より、8〜71倍強かった。

 以上の結果より、SPM XVIがin vivoにおいて毒性が強かった原因は、SPM XVIがSPMVIIIやKRN5500と比較して、正常細胞と腫瘍細胞の選択性が弱く、いずれの細胞に対しても毒性を有するためと考えられた。いいかえれば、SPM VIIIやKRN5500は腫瘍細胞選択性が高く、そのためin vivoにおいて強い抗腫瘍作用を示すことができると考えられた。

第3章スピカマイシン誘導体KRN5500の活性発現機序

 SPM VIIIやKRN5500がいかに腫瘍細胞選択性を示すのかを検討するため、KRN5500を代表に、その抗腫瘍作用発現の機序を検討した。P388細胞におけるDNA,RNA、蛋白の合成抑制作用を検討した結果、蛋白合成を最も強く抑制することが示された。このことから、KRN5500の主な作用は蛋白合成抑制であることがわかった。しかし、無細胞蛋白合成系ではKRN5500はまったく抑制作用を示さなかった。一方、KRN5500の代謝物であるSAN-Glyが強い抑制作用を示した。そこで、SAN-GlyがKRN5500の活性代謝物であると考え、SAN-Glyの作用を検討した。SAN-GlyのP388細胞に対する細胞毒性はKRN5500に比べて極めて低かった。また、[14C]-SAN-GlyのP388細胞内への取り込みは[14C]-KRN5500と比較して極めて低かった。そこで、SAN-Glyが腫瘍細胞内でKRN5500から代謝産生されているものと考え、P388細胞における[14C]-KRN5500の代謝物をTLCにより解析した。その結果、主代謝物として[14C]-SAN-Glyが検出された。

 以上の結果より、KRN5500は腫瘍細胞内で活性本体であるSAN-Glyに代謝され抗腫瘍作用を発揮することが示された(図2)。腫瘍細胞内でKRN5500よりSAN-Glyを代謝産生する酵素をスピカマイシン誘導体活性化酵素(SAE)と定義し、7種類のヒト大腸癌細胞と3種類の正常細胞を用いて、KRN5500のこれらの細胞に対する細胞毒性とSAE活性を調べた。KRN5500はヒト大腸癌LS-180,LS-174T,HT-29,WiDr,COLO205に強い細胞毒性を示した(IC50=3.1x10-4〜5.5x10-3M)。一方ヒト大腸癌細胞LoVo,DLD-1および正常細胞に対する毒性は弱かった(IC50=1.1〜1.7x102M)。これらの細胞内SAE活性を調べた結果、KRN5500に感受性の高い細胞ほどSAE活性が高い傾向があることが示された(R=0.56)。

図2 KRN5500の腫瘍細胞内活性化のメカニズム

 以上の結果より、KRN5500の抗腫瘍作用発現には腫瘍細胞内SAE活性が重要であると結論された。そして、KRN5500が腫瘍選択性を有している要因がSAE活性にあると推論された。すなわち、KRN5500はSAE活性が高い腫瘍細胞に対してより強い細胞毒性を示すものと考えられた。

第4章耐性化を利用したKRN5500作用機序の解明

 KRN5500耐性細胞の耐性化機構を検討した。P388細胞をKRN5500存在下で約6ヶ月間培養し、KRN5500耐性P388細胞(P388/KRN5500)を樹立した。本細胞に対するKRN5500の細胞毒性はIC50=7.2Mであり、親細胞であるP388細胞に比べて247倍耐性化されていた。P888/KRN5500細胞とP388細胞の増殖速度を比較した結果、両者はほぼ同様の増殖曲線を示した。

 P388/KRN5500がKRN5500以外の抗腫瘍物質に対しても耐性化しているかを検討した。P388/KRN5500はスピカマイシン誘導体SPM VIIIおよびSPM XVIに対して、それぞれKRN5500と同程度(253倍)もしくは約0.4倍(98倍)の耐性度を示したが、KRN5500の腫瘍細胞内活性本体SAN-Glyに対してはほとんど交叉耐性を示さなかった(3.9倍)。その他の各種抗腫瘍物質に対する耐性度は最高でもエトポシドの5.3倍であった。また、P388細胞と比べてP388/KRN5500細胞内へのKRN5500の取り込み量にも変化が無かった。

 以上の結果から、P388/KRN5500のKRN5500に対する耐性化のメカニズムは従來報告されている多剤耐性や、取り込み量の低下などとは異なる、独特なものであると推察された。そこで、両細胞中のSAE活性を比較検討した。その結果、P388細胞で検出された細胞内でのSAE活性がP388/KRN5500細胞内ではほとんど検出されなかった(図3)。

図3 P388細胞およびP388/KRN5500における[14C]-KRN5500の代謝物の分析

 以上の結果より、細胞内でのSAE活性の低下がKRN5500に対する耐性の原因であることが示唆された。

第5章総括

 本研究では、スピカマイシン誘導体を用いてそれらの構造活性相関、活性化機構および耐性メカニズムを究明した。スピカマイシン誘導体のわずかな脂肪酸側鎖の長さの違いが抗腫瘍活性に影響すること、その抗腫瘍活性の違いは正常細胞と腫瘍細胞の選択性の違いに起因していることが示された。この選択性が、SPM VIII,KRN5500等のin vivoにおける優れた抗腫瘍効果に寄与していると考えられた。さらにKRN5500を用いた研究より、腫瘍細胞内で代謝産生されるSAN-Glyが活性本体として抗腫瘍作用を発揮していること、このKRN5500を活性化する酵素であるSAEの活性レベルの違いがKRN5500のそれぞれの腫瘍細胞に対する抗腫瘍作用の違い、さらには正常細胞と腫瘍細胞の選択性に結びついていると考えられた。KRN5500に対する耐性細胞を用いた試験からも、この活性化メカニズムの重要性が裏付けられ、本化合物の特異的な活性発現に本酵素が重要な鍵を握っていることが示された。

審査要旨

 現在多数の抗腫瘍薬が開発されているが,腫瘍細胞に対する特異性の一層の向上ないしは副作用の一層の低減が求められ,さらに耐性化の問題とも関連して,依然として新規抗腫瘍薬開発の必要性は高い。このような状況下での開発にあたっては,常に在来薬との関連が問われるから,単に経験的に腫瘍細胞の増殖を抑制する,あるいは移植腫瘍組織の縮小を招くというだけでなく,抗腫瘍作用発現のメカニズムが十分吟味されていることが大切なことである。本論文はStrepto-myces alanosinicus 879-MT3から産生され,アデニン骨格にアミノヘプトース,グリシンを介して,いくつかの異なる構造の脂肪酸が付加した,ユニークな構造を持つ抗腫瘍物質(混合物)のスピカマイシンに着目して,その抗腫瘍作用発現のメカニズムを種々検討することによって新規抗腫瘍薬の開発を図ったものである。

 論文は4章からなり,第1章ではヌードマウス皮下へのヒト腫瘍移植法を用いて,スピカマイシン混合物中の最も強い抗腫瘍作用を持つ化合物として炭素数12の直鎖脂肪酸を持つ化合物を同定した。この知見に基づき,より抗腫瘍作用が強く,広い抗腫瘍スペクトルを持つ不飽和脂肪酸鎖を持つ誘導体KRN5500の作出に成功した。

 第2章では先ずインビトロにおける構造活性相関を検討し,スピカマイシンから脂肪酸側鎖を除いた化合物,すなわちSAN(アデニンーアミノヘプトース部分),SAN-Gly(SANにグリシンが付加)の抗腫瘍作用は,脂肪酸側鎖を持つ化合物に比べて弱いこと,脂肪酸側鎖を持つ化合物では側鎖炭素数の増加は殺細胞効果の増加をもたらすことを見いだした。引き続きイソビボでの構造活性相関をヒト胃癌細胞を移植したヌードマウスで検討し,SANが無効であること,側鎖脂肪酸の炭素数が14以上になると毒性が強くなり,抗腫瘍作用が減少することを見いだした。

 これらから,脂肪酸側鎖の炭素数が限度を越えると,インビボでは毒性が増加して抗腫瘍作用がかえって減弱するという興味ある関係を導きだし,インビボで強い細胞毒性を持つ側鎖炭素数20の化合物に着目して,正常細胞と腫瘍細胞に対する細胞毒性の差を検討した。その結果この化合物は各種正常細胞に対してKRN5500の8-71倍にも達する毒性を有すること,言い換えれば,KRN5500は腫瘍細胞に対して極めて高い選択性を有していることを発見した。

 第3章ではこの高い腫瘍細胞選択性の原因を追究している。まずp388細胞を用いて,KRN5500がタンパク合成阻害薬であることを同定し,次いで無細胞タンパク翻訳系では阻害作用を発現しないこと,しかしSAN-Glyには強い抑制作用があることを見いだし,KRN5500のタンパク合成阻害は,代謝産物であるSAN-Glyに由来すると推論した。そこで、あらためてSAN-Glyのp388細胞に対する作用を検討したところ,ほとんど細胞に取り込まれないことを見いだした。従って,KRN5500の効果発現には,まず細胞内に取り込まれ,細胞内でSAN-Glyが産生されることが必須であると考え,p388細胞に標識KRN5500を取り込ませ,実際にSAN-Glyが生成されることを証明した。

 そこで腫瘍細胞内でKRN5500からSAN-Glyを生成する酵素(SAE)の存在を仮定して,7種類のヒト大腸癌細胞と3種類の正常細胞に対するKRN5500の細胞毒性とSAE活性の相関を求めたところ,細胞毒性とSAE活性には有意の相関が認められ,KRN5500が腫瘍細胞に対して高い選択性を持つ理由は,腫瘍細胞が正常細胞に比べて著しく高いSAE活性を持つためであることを証明した。

 第4章では,p388細胞をKRN5500存在下で約6ケ月継代培養することで耐性株の樹立に成功して,抗腫瘍作用をさらに検討している。まず,この耐性株が他のスピカマイシン有効成分に対しても耐性化しているが,活性本体と考えられるSAN-Glyに対しては耐性化していないことを示すことで,KRN5500に対する耐性化はSAE活性の低下を介して起こっている可能性を示し,原株と耐性株のSAE活性を比較した。その結果,予想どおり耐性株のSAE活性がほとんど失われていることを見いだし,極めてユニークな耐性化機構の証明に成功した。

 以上要するに,本論文はスピカマイシンを基礎に,広範囲な抗腫瘍スペクトラムを持つ,活性の高い抗腫瘍薬を開発すると共に,その作用機作を問到な実験を組み合わせることで,極めて合理的に証明したものである。この成果は獣医・医学臨床に対して大きな貢献をしたと評価されると共に,細胞生物学の基礎研究にも大きな示唆を与えるものと評価された。よって審査委員一同は申請者に対して博士(獣医学)の学位を授与して然る可きと判定した。

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