学位論文要旨



No 212400
著者(漢字) 山田,俊治
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,シュンジ
標題(和) オーエスキー病ウイルスの分子生物学的研究
標題(洋)
報告番号 212400
報告番号 乙12400
学位授与日 1995.06.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第12400号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 見上,彪
 東京大学 教授 長谷川,篤彦
 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 大塚,治城
 東京大学 教授 小野寺,節
内容要旨

 オーエスキー病はヘルペスウイルスによって起こるブタの伝染病で、新生豚感染すると急性脳炎を起こして高率に死亡する。しかし、加齢に伴い無症状傾向が強くなり、成豚では軽症あるいは不顕性感染に終わることが多い。しかし、妊娠豚では死流産を起こすため、養豚に大きな経済的損害を与えている。また、成豚に限らず致死的感染から逃れた豚では潜伏感染が成立し、ストレスなどの要因によって潜伏ウイルスの再活性化(再発)が起こる。再活性化ウイルスは新しい感染源となることから、潜伏感染と再発がオーエスキー病を含めヘルペスウイルス感染症の最大の問題となっている。

 オーエスキー病の原因ウイルスはブタヘルペスウイルス-1であるが、宿主であるブタ以外の動物の感染では掻痒や神経症状を呈するため、仮性狂犬病ウイルス(pseudorabies virus;PrV)とも呼ばれる。PrVのゲノムは分子量約95×10ダルトンの線状二本鎖DNA(約150kbp)で約70種の遺伝子がコードされると考えられ、そのうち約40種の塩基配列が決定されている。ウイルス遺伝子はカスケード様式に基づいて発現され、転写時期により前初期(immediate-early;IE,)遺伝子群、初期遺伝子(early;E,)群、後期(late;L,)遺伝子群の3群に分けられる。ヘルペスウイルス感染症の最大の問題である潜伏感染と再発機構を明らかにするためには、ウイルスの感染・増殖機構、特に各遺伝子の構造と機能を詳細に検討する必要がある。そこで、本研究ではIE遺伝子群のIE180遺伝子とL遺伝子群の糖タンパク質遺伝子に焦点をあて、それらの分子生物学的検討を行った。

 まず、分子生物学的手法による機能解析の際に問題となるウイルスゲノムの多様性に関与する予備知見を得るため、第1章では日本で分離されたPrV株DNAの制限酵素切断長解析を行った。1987年から1990年の間に分離した148株のPrV由来DNAを制限酵素BamHlとKpnlで切断し、その切断型を日本国内で1981年に最初に分離された山形S-81株、米国由来のIndiana S株とtsG1株、タイ国由来のNK株と比較した。その結果、最近分離されたウイルス株のDNAは基本的に同一の切断型を示し、山形S-81株およびNK株と同様にBamHlの切断型タイプIIに分類された。一方、米国由来の2株はタイプIであった。これらの結果から、初発生以来わが国で流行しているPrVに顕著な変異の起こっていないことが示唆された。しかし、ゲノムの反復配列、反復配列とユニーク領域との接続部位および左末端には、切断点の獲得と消失、あるいは塩基配列の挿入と欠失に起因する変異が認められ、これらの領域では小規模な変異の起こり易いことが明らかとなった。さらに、これらの変異は同一地域や農場で同時期に分離されたウイルス、疫学的に関連のある発生から分離されたウイルスの間で共通して認められる傾向にあり、ウイルスDNAの制限酵素による分析がオーエスキー病の疫学調査に有用であることを明らかにした。

 ウイルスゲノムの物理的差異はウイルスタンパク質の抗原変異として反映されるとは限らず、抗原変異の解析には免疫学的方法が有効である。そこで、第2章ではPrV山形S-81株に対する中和活性陽性のモノクローナル抗体を作成し、主要な糖タンパク質であるgIIとgIIIについて抗原の多様性を解析した。また、モノクローナル抗体の中和活性を利用して抗原変異株の作出を行い、抗原変異出現の可能性について検討した。まず、糖タンパク質gIIに対するモノクローナル抗体3種とgIIIに対するモノクローナル抗体1種を用い、PrV41株の抗原解析を行った。その結果、抗gIIモノクローナル抗体のうちMA15は山形S-81株をはじめ日本の分離株すべてと反応したが、米国分離株のIndiana S株とは反応しなかった。他の2種類はすべてのウイルス株と反応したが、モノクローナル抗体MA11の中和作用は補体依存性、5A4は非依存性であった。さらに、変異原物質臭化デオキシウリジンで処理した山形S-81株を各モノクローナル抗体で選択した結果、抗gIIモノクローナル抗体の5A4と抗gIIIモノクローナル抗体のMA37の中和作用から回避するウイルスが得られた。以上の結果から、今まで報告されていなかったPrVの糖タンパク質gIIにも、gIIIと同様に抗原変異の存在することが明らわとなった。

 第1章および第2章で、PrVのゲノムと抗原タンパク質に変異のあることを明らかにした。第3章では、抗原タンパク質として重要と考えられる糖タンパク質gIIIについて、同遺伝子発現組換えベクターウイルスと欠損ウイルスとを作出し、同タンパク質の機能解析を行った。gIII遺伝子組換えの発現ベクターウイルスには、バキュロウイルスとワクチニアウイルスを用いた。組換えバキュロウイルスのgIII遺伝子はポリヒドリン遺伝子プロモーター制御下のポリヒドリン遺伝子領域に、組換えワクチニアウイルスのgIII遺伝子はp7.5初期後期プロモーター制御下の赤血球凝集素遺伝子領域に挿入した。組換えワクチニアウイルス感染哺乳動物細胞ではPrV感染によって発現するgIIIと同様の糖鎖をもったgIIIが検出されたが、組換えバキュロウイルス感染昆虫細胞で発現したgIIIの糖鎖の付加は不十分であった。しかし、組換えバキュロウイルス感染細胞抽出液のマウスへの腹腔内接種、また組換えワクチニアウイルスのウサギへの皮肉接種によって中和活性を有する抗gIII抗体が産生され、両組換えウイルスは抗原的に機能を持ったgIIIを発現することが示された。組換えワクチニアウイルスを皮下接種したマウスは抗gIII抗体を産生しなかったが、接種マウス20匹の内4匹はPrVの致死的攻撃に対して防御効果を示した。生存マウスは抗PrV抗体を産生した。ついで、gIII遺伝子欠損ウイルスを用いgIIIの機能解析を行った。親ウイルスはマウスの赤血球を凝集したが、gIII遺伝子欠損ウイルスに凝集活性は認められなかった。また、親ウイルス接種豚は中和抗体ばかりでなく赤血球凝集抑制抗体と抗gIII抗体を産生したが、gIII遺伝子欠損ウイルス接種豚は中和抗体は産生したものの赤血球凝集抑制抗体と抗gIII抗体は産生しなかった。gIII遺伝子を欠損することにより、PrVのマウスに対する病原性は減弱しなかった。さらに、組換えウイルス発現gIIIを抗原とし、抗gIII抗体に特異な固相酵素免疫測定法を開発した。野外ウイルス感染豚の血清を抗gIII抗体に特異な固相酵素免疫測定法で検査したところ、血清抗体の約50%が抗gIII抗体であった。以上のことから、PrVの糖タンパク質gIIIは免疫学的に重要なタンパク質であること、赤血球凝集活性を育する唯一のタンパク質であること、gIII遺伝子単独では病原性の発現に関与しないことを明らかにした。

 第4章では、ウイルスの感染・増殖に重要な役割を果たすPrVの唯一のIE遺伝子、IE180遺伝子について欠損ウイルスと発現組換えベクターウイルスを作出し、同遺伝子の産物であるIE180の機能解析を行った。まず、欠損ウイルスの作出に用いるため、ブタ腎臓由来PK-15細胞あるいはサル腎臓由来Vero細胞に野外株のIE180遺伝子をトランスフェクトし、IE180遺伝子を発現する細胞を作出した。ついで、これらのIE180発現細胞を用い、IE180遺伝子プロモーター下にIE180遺伝子のコード領域と大腸菌のlacZ遺伝子のコード領域を置換した欠損変異株(AY64)を作出した。さらに、AY64株からlacZ遺伝子を除去した欠損変異株(AY1030)を作出した。これらの欠損変異株は親細胞では増殖できず、IE180発現細胞でのみ増殖が可能であった。AY64のlacZ遺伝子はIE180遺伝子プロモーター制御下で機能し、IE180発現細胞ばかりでなく親細胞でも-galを産生した。AY64感染親細胞は感染直後から-galを発現したが、PrVに関連するタンパク質の産生はなかった。ついで、バキュロウイルスを発現ベクターウイルスとし、IE180遺伝子組換えウイルスを作出した。組換えバキュロウイルスは感染昆虫細胞にPrVのIE180と同じ分子量のタンパク質を大量に発現した。抗IE180ベプタイド抗体を用いた免疫プロット法と免疫蛍光抗体法で、発現タンパク質がIE180であることを確認した。さらに、この発現IE180タンパク質の機能を検討するため、AY64の増殖相補試験を行った。昆虫細胞で発現したIE180を細胞融合法によってAY64感染Vero細胞に導入したところ、融合細胞において欠損変異株の増殖が認められた。以上のことから、IE180遺伝子はウイルスの増殖に必須であること、組換えバキュロウイルスによって発現したIE180がトランスアクティベーターとしての機能を有することが明らかとなり、作出したIE180遺伝子欠損ウイルスと同遺伝子発現バキュロウイルスは、PrV感染・増殖機構の解析、IE180の機能と生化学的性状の検討に有用と考えられた。また、IE180遺伝子欠損ウイルスが外来遺伝子を発現できる新しいベクターウイルスとしての有用性を考察した。

 本研究ではPrVの遺伝子がコードする多種類のタンパク質のうち、ウイルス粒子の構造タンパク質(L遺伝子産物)で免疫誘導物質として重要と考えられる糖タンパク質gIII、PrVの感染で最初に転写・翻訳されウイルスの増殖に大きな役割を果たすIE180(IE遺伝子産物)について機能解析を行った。ヘルペスウイルス感染症では潜伏感染の成立と維持、再発機構の究明が最大の課題となっており、それらの解明には各遺伝子の機能の検討とともに増殖カスケードにおける相互作用を明らかにする必要がある。本研究の成果はPrVを含めたヘルペスウイルスの感染・増殖機構の解明に役立つことが期待される。

審査要旨

 オーエスキー病はブタヘルペスウイルス-1(pseudorabies virus:PrV)の感染に起因するブタの伝染病で,新生豚が感染すると急性脳炎で高率に死亡する。成豚では軽症か不顕性で発病に耐過することが多く,発病耐過豚では潜伏感染が成立する。潜伏ウイルスはストレスなどの要因によって新しい感染源となることから,本病の防疫対策を確立する上で潜伏感染の成立と維持,再活性化機構の究明が最大の課題となっている。それらの解明にはウイルスの感染・増殖機構,特に各遺伝子の構造と機能を検討する必要がある。本研究はPrV遺伝子がコードするタンパク質のうち,構造タンパク質で免疫誘導物質として重要と考えられる糖タンパク質gIII,感染の最初に転写・翻訳されウイルスの増殖に大きな役割を果たすIE180タンパク質の機能解析を目的とした。

 第1章では,PrVの分子生物学的解析の予備知見を得るため,最近日本で分離された148株と対照ウイルスについて制限酵素切断長解析を行い,グノムの多様性を調べた。その結果,最近日本で分離されたPrVのDNAの切断型は基本的に日本で最初に分離されたウイルスと同一であり,初発生以来わが国で流行しているウイルスに顕著な変異の起こっていないことが示された。しかし,ゲノムの反復配列,反復配列とユニーク領域との接続部位および左末端には,切断点の獲得と消失,あるいは塩基配列挿入・欠失に起因する変異が認められ,それらの部位では変異の起こり易いことが明らかとなった。また,これらの変異が本ウイルスの分子疫学に有用であることを示した。

 第2章ては,PrVの糖タンパク質gIIに対するモノクローナル抗体3種と抗gIIIモノクローナル抗体1種を作出し,日本および米国分離株について抗原変異の有無を検討した。また,臭化デオキシウリジンを変異原物質とし,抗原変異の誘導を試みた。その結果,抗gIIモノクローナル抗体の中には補体依存性と非依存性の中和活性を示す抗体があったばかりではなく,それら抗体の一つは米国分離株とは反応しなかった。さらに,臭化デオキシウリジンでPrV山形S-81株を処理し,各モノクローナル抗体で選択したところ,抗gIIと抗gIIIモノクローナル抗体の中和作用から回避するウイルスが得られた。これらからPrVの糖タンパク質gIIとgIIIに抗原変異が存在することを示した。

 第3章では,糖タンパク質gIII遺伝子発現組換えバキュロウイルスとワクチニアウイルス,また同遺伝子欠損ウイルスを作出し,gIIIの機能解析を行った。gIII遺伝子組換えバキュロウイルスとワクチニアウイルスは感染細胞にgIIIを発現したが,前者では糖鎖の付加が不十分であった。しかし,いずれの組換えウイルスあるいは組換え産物を接種した動物にも免疫応答が認められたことから,両組換えウイルスとも免疫学的機能をもったgIIIを発現することが明らかとなった。また,gIII遺伝子欠損ウイルスは親ウイルスに認められる赤血球凝集活性を欠失した。同ウイルス接種豚は中和抗体は産生したが抗gIII抗体と赤血球凝集抑制抗体を産生せず,gIIIはPrVの唯一の赤血球凝集性タンパク質であることが示された。gIII遺伝子欠損ウイルスのマウス接種試験では,親ウイルスに比較し病原性の減弱は認められなかった。ついで,組換えウイルス発現gIIIを抗原とした抗gIII抗体に特異な固相酵素免疫測定法を開発した。同法によるPrV感染豚血清の検査では,血清抗体の約50%が抗gIII抗体であることが明らかとなった。

 第4章では,PrVの唯一の前初期遺伝子であるIE180遺伝子について欠損ウイルスと発現組換えバキュロウイルスを作出し,同遺伝子産物IE180タンパク質の機能解析を行った。まず,欠損ウイルスの作出に用いるため,IE180遺伝子のトランスフェクションにより同遺伝子発現細胞を作出した。ついで,IE180遺伝子プロモーターの制御下に同遺伝子のコード領城と大腸菌のlacZ遺伝子のコード領域を置換した欠損ウイルス,また同欠損ウイルスからlacZ遺伝子を除去した欠損ウイルスを作出した。いずれの欠損ウイルスも親細胞では増殖できず,IE180発現細胞でのみ増殖が可能であったことから,IE180遺伝子はPrVの増殖に必須であることが示された。また,lacZ遺伝子をマーカーとしてIE180遺伝子プロモーターの活性を調べたところ,いずれの細胞でも強い活性が認められ,欠損ウイルスが新しい遺伝子発現ベクターウイルスとして有用であることが示唆された。一方,組換えバキュロウイルスは免疫学的にPrVのIE180と同一のタンパク質を多量に発現した。さらに,組換えバキュロウイルス感染細胞とIE180遺伝子欠損ウイルス感染細胞を融合すると欠損ウイルスの増殖が相補され,発現IE180がトランスアクティベーターとしての機能を有することが明らかとなった。

 以上の通り,本研究はPrVの構造タンパク質gIIIと制御タンパク質IE180についての分子生物学的検討を行った。これらの知見は学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は,申請者に対して博士(獣医学)の学位を授与にしかるべきものと判定した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53920