学位論文要旨



No 212401
著者(漢字) 冨澤,伸行
著者(英字)
著者(カナ) トミザワ,ノブユキ
標題(和) 腰痿を呈する軽種若齢馬の頸椎に対するX線学的および形態学的研究
標題(洋)
報告番号 212401
報告番号 乙12401
学位授与日 1995.06.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第12401号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京大学 教授 菅野,茂
 東京大学 教授 長谷川,篤彦
 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 助教授 中山,裕之
内容要旨

 わが国において"腰痿"あるいは"腰ふら"と呼ばれる後躯の協調運動失調を主徴とする疾患が、特に軽種若齢馬に多く発生することは古くから知られていた。これらの大部分ではその原因がはっきりせず、罹患馬のほとんどが廃用となっているため、獣医学的にもまた経済学的にも大きな問題となっている。一方、海外においても同様の疾患が若齢馬に存在することが知られており、"wobbler syndrome"、"equine incoordination"などと呼ばれていたが、最近では頸椎の変形(cervical vertebral malformation:CVM)に起因する脊髄の圧迫変性(cervical stenotic myelopathy)が主因であるとする考えが強くなり、CVMが1つの独立した疾患として扱われるようになった。そこで本研究では、CVMと類似しているわが国の腰痿の病態を明らかにするとともに、より適確な生前診断法を確立することを目的として主としてX線学的ならびに形態学的観点から検討を行った。

 はじめに、腰痿とCVMの類似性を明らかにするために、北海道日高地区で腰痿と診断された軽種若齢馬19頭に関して疫学的、X線学的および病理組織学的に検討を行った。

 その結果、対象馬の発症月齢はいずれも6-21ヵ月齢であり、そのうちの17頭が雄馬であった。また、体格は同月齢の正常馬と比較して大型の傾向にあった。X線写真の計測値ならびに形態学的変化に関する検討では、Mayhewらの報告を参考に各部位を計測した。Minimum sagittal diameter(中間位の単純X線写真における矢状面の各椎孔の最小径)が低値を示したものは19頭中14頭で、椎体の背側後端が椎孔内に突出している例と椎弓が前傾している例に大別された。脊髄造影写真で観察すると前者ではすべてに脊髄の圧迫像がみられ、後者では圧迫のみられる例とみられない例とがあった。Minimum flexion diameter(屈曲位の単純X線写真における矢状面の各椎間孔の最小径)が低値を示したものは19頭中5頭で、いずれも頸中央部から後部にみられ、脊髄造影写真において脊髄の圧迫像が認められた。Minimum dural sagittal diameter(屈曲位の脊髄造影写真における矢状面の各椎間での最小のクモ膜下の径)が低値を示したものは19頭中6頭で、頸前部を除く種々の部位でみられた。これらの計測結果を総合すると、対象馬19頭のうち16頭(約84%)でいずれかの計測値に異常が認められた。

 これらの症例に対し、剖検後頸髄の組織学的検査を行った。頸髄病変部においては、多くの例に共通して軸索の膨化とそれにともなう髄鞘の消失、海綿状変化、格子細胞の出現、血管壁の硝子化などが白質にほぼ左右対称に認められた。病変の程度や範囲が重度であったものは19頭中13頭(約68%)で、病変中央では白質全体が、それより頭側では側索の辺縁部が、また尾側では側索の中央部と腹索の腹正中裂周囲が傷害されていた。

 また、これらの症例の頸椎の晒骨標本を作製し、その形態を観察した。晒骨標本において関節突起が明らかに異常であったものは11頭中6頭(約54%)で、全例が頸後部に認められた。おもな異常所見は左右の関節突起の不対称、関節面の椎間孔もしくは椎孔への突出、骨増殖をともなう関節突起の変形などであったが、これらの異常所見は対応するX線写真において関節突起の増大と椎間孔の狭小、関節突起のX線透過度の不均一化や辺縁の不鮮明化などとして認め得ることが判明した。

 以上の結果をまとめると、腰痿馬19頭のうちX線写真において異常が認められたものは17頭で、そのうち病理組織学的に重度の病変がX線写真における異常とほぼ一致して認められたものは12頭(約71%)であった。また、これらの異常は頸椎関節突起の異常や椎孔の変形などに起因することが示唆された。これらのことより、わが国の腰痿は病歴や症状のみならず、頸椎の異常およびそれに対応する脊髄病変の存在より、諸外国におけるCVMに相当する疾患である可能性が非常に強く、このため腰痿馬に対して脊髄造影を含めた頸部X線検査を行うことはきわめて重要かつ有効であると考えられた。

 第二に、上記の結果を踏まえた上で、腰痿馬および対照馬に関して頸椎の形態学的特徴をより詳細に把握するために、骨形態計測学的検討を実施した。すなわち、正常なサラブレッド種若齢馬のC3-C7を対象に、椎体や椎弓の前後径や横径、椎体・椎頭・椎窩の高さ、間節突起関節面の前後径や横径など28計測部位に関し、それぞれがどのような意義を有するかを検討するために主成分分析を行った。その結果、4つの主成分により80%以上の高い累積寄与率が得られ、これらの計測値の情報の大部分が4つの主成分に集約されることが判明した。また、第1主成分は大きさ、第2主成分は形を表す主成分であること、第3主成分は性別を表す主成分であること、第1主成分と第2主成分を組み合わせるとC3-C7を十分に識別できることが示された。さらに、第1主成分と月齢との間には非常に有意な正の相関が認められること、頸椎の各部位ごとにみた場合、第2主成分は月齢と特徴的な関係を有することが明らかとなった。

 次に、腰痿馬の頸椎の形態学的特徴を具体的に把握するために、多変量解析の手法を用いて骨形態計測学的解析を行った。はじめに、馬の頸椎に関して性差があるか否かを明らかにする目的で、対照馬のC3-C7に関して月齢を目的変数とした重回帰分析を行った結果、いずれの部位に関しても頸椎の成長に間して性差がないことが判明した。次に、月齢の違いによる形態差の影響をできるだけ小さくするために、対照馬の頸椎についてクラスター分析を行い、月齢をもとに少数のクラスターに分類することを試みた。その結果、解析を行う場合、成長にともなう頸椎の形態学的変化を考慮し、対象馬を8ヵ月齢以下、9-12ヵ月齢、13ヵ月齢以上の3群に分類するのが適当であることが明らかとなった。

 これらの結果をもとに、13ヵ月齢以上の腰痿馬と対照馬の頸椎に関して判別分析による変数選択を行った結果、C3-C7の各頸椎において腰痿馬と対照馬を高い確率で判別することができた。この判別には、椎骨前部および後部における椎孔の高さ、椎頭の前後長および椎窩の高さが大きく寄与していた。頸後部においては、これに加えて関節突起の横径や前後径が判別に大きく寄与していた。したがって、腰痿の発症が頸椎の骨端症および骨軟骨症あるいはそれらに継発する変形性関節症などの形態異常によって起こることが強く示唆された。

 以上の結果から、本症の詳細な発生機序解明には急速な発育を示す若齢時の経時的な検索が不可欠であることが判明したが、そのためにはより簡便で確実な診断法が望まれる。そこで、CVMの1病態であるCervical Vertebral Instability(CVI)を診断するために、同一個体における計測値の比を指標とした独自の新しいX線計測法について検討を加えた。すなわち、腰痿を呈する軽種若齢馬12頭の頸中央部屈曲位の脊髄造影写真および単純X線写真における脊髄の狭窄率を定義し、頸髄の病理組織学的所見と比較した。その結果、脊髄造影写真の狭窄率40%以上を異常値とした場合、対象馬12頭のうち10頭(約83%)において、狭窄率の正常・異常と病理組織学的検索の結果とが一致した。また、単純X線写真の狭窄率40%以上を異常値とした場合でも、対象馬12頭のうち9頭(75%)において、狭窄率の正常・異常と病理組織学的検索の結果とが一致した。基準値とした40%についてはさらに検討する必要があるが、今回のX線計測法を用いた場合、頸髄病変の有無やその位置の適確な判定を行うことが可能であり、腰痿馬のCVIに対する臨床診断に非常に有用であると考えられた。

 以上の結果を総合すると、従来わが国で腰痿と呼ばれた疾患は、頸椎の発育期に生ずる骨端症ないし骨軟骨症、さらにはそれらに起因する変形性関節症により直接的に、あるいは頸椎間の不安定性にともなって脊髄が圧迫されるために発生することが示唆された。したがって、腰痿馬に対する頸部のX線検査は臨床診断に非常に有用であり、従来の方法に加えて同一個体における計測値の比を指標とした新X線計測法を用いることによって、その診断精度がさらに高まることが明らかとなった。このような診断法をもとに、早期の確実なX線診断によってその病態を把握することが今後の予防や治療にとっても重要であると考えられた。

審査要旨

 わが国では軽種若齢馬に"腰痿"と呼ばれる後躯の協調運動失調を主微とする疾患があり,その多くが廃用となるため獣医学的にも経済学的にも大きな問題となっている。最近,本症は頸椎の変形(CVM)に起因する脊髄圧迫が主因であるとする考えが強くなりつつある。そこで本研究では,わが国の腰痿の病態を明らかにするとともに,より適確な生前診断法を確立することを目的として主としてX線学的ならびに形態学的観点から検討を行った。

 第一に,本症の病態を把握するため北海道日高地区で腰痿と診断された軽種若齢馬19頭に関して疫学的,X線学的および病理学的検討を行った。対象馬19頭中17頭が雄馬であり,体格は同月齢の正常馬と比較して大型の傾向にあった。まずこれらの対象馬に麻酔下でX線検査を行いその計測値ならびに形態学的変化を検討した。計測はMayhewらの報告を参考にし,minimum sagittal diameter(中間位の単純X線写真における矢状面の各椎孔の最小径),minimum flexion diameter(屈曲位の単純X線写真における矢状面の各椎間孔の最小径)およびminimum dural sagittal diameter(屈曲位の脊髄造影写真における矢状面の各推間での最小のクモ膜下の径)を測定した。その結果,minimum sagittal diameterに高率に異常値が認められ,また,各項目を総合すると対象馬19頭のうち16頭(約84%)でいずれかの計測値に異常が認められた。

 これらの症例における剖検後の頸髄の組織学的検査では,X線所見で異常のみられた部位を中心として,軸索の膨化とそれにともなう髄鞘の消失,海綿状変化,格子細胞の出現,血管壁の硝子化などが白質にほぼ左右対称に認められた。病変の程度や範囲が重度であったものは19頭中13頭(約68%)で,病変中央ては白質全体が,それより頭側では側索の辺縁部が,また尾側では側索の中央部と腹索の腹正中裂周囲が傷害されていた。

 次に,これらの症例の頸椎の晒骨標本を作製し,その形態を観察した。晒骨標本においては関節突起の異常が最本多く(約54%),左右の関節突起の不対称,関節面の椎間孔もしくは椎孔への突出,骨増殖をともなう関節突起の変形などが認められた。

 以上の結果から,わが国の腰痿は頸椎の異常およびそれに起因する脊髄病変によるもので,いわゆるCVMである可能性が強く示唆された。

 第二に,これらの頸椎の異常は必ずしも均一ではなく,その原因についても必ずしも明らかではないため,腰痿馬および対照馬に関して頸椎の形態学的特徴をより詳細に把握するために,骨形態計測学的検討を実施した。すなわち,第3〜第7頸椎(C3-C7)を対象に,椎体や椎弓の長さや横径,椎体・椎頭・椎窩の高さ,関節突起関節面の前後径など28計測部位に関し,それぞれがどのような意義を有するかを主成分分析,重回帰分析,クラスター分析ならび判別分析を用いて検討した。その結果,いずれの部位に関しても頸椎の成長に関する性差がないこと,成長に関しては8ヵ月齢以下,9-12ヵ月齢,13ヵ月齢以上の3群に分類できることが判明した。そこで,13ヵ月齢以上の腰痿馬と対照馬の頸椎に関して判別分析による変数選択を行った結果C3-C7の各頸椎において腰痿馬と対照馬を高い確率で判別することができた。またこの判別には,椎骨前部および後部における椎孔の高さ,椎頭の前後長および椎窩の高さが大きく寄与していた。頸後部においては,これに加えて関節突起の横径や前後径が判別に大きく寄与していた。したがって,腰痿の発症が頸椎の骨端症および骨軟骨症あるいはそれらに継発する変形性関節症などの形態異常によって起こることが強く示唆された。

 第三に,本症の発生機序解明には急速な発育を示す若齢時の経時的な検索が不可欠であるため,CVMの1病態であるcervical vertebral instability(CVI)の診断を目的として,同一個体における計測値の比を指標とした独自の新しいX線計測法について検討を加えた。その結果,脊髄造影法に比較して実施のはるかに容易な単純X線検査のみによっても,対象馬12頭のうち9頭(75%)において,異常狭窄率と病理組織学的検索の結果とが一致した。

 以上要するに,本論文は従来腰痿としてくくられていた馬の神経疾患の病態を明らかにし,さらにより確実で容易な診断法を開発したものであり,学術上,応用上寄与するところは少なくない。よって審査員一同は博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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