学位論文要旨



No 212413
著者(漢字) 齋藤,泉
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,イズミ
標題(和) 液滴分散型軟膏剤に関する研究
標題(洋)
報告番号 212413
報告番号 乙12413
学位授与日 1995.07.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第12413号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 首藤,紘一
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 東京大学 助教授 寺崎,哲也
内容要旨 1.緒言

 日局では軟膏剤を「容易に皮膚に塗布できる適当な稠度の全質均等な半固体の外用剤」と定義している.この中には多種の剤形が含まれていることから,実用的には油脂性基剤からなる製剤のみを狭義の「軟膏剤」(以下単に軟膏剤とする)と定義するのが望ましいと考えられる.従来この軟膏剤の剤形は,「固体分散型軟膏剤」及び「溶解型軟膏剤」に分類されてきたが,我々は,軟膏剤の新剤形の一つとして,薬物の溶剤溶液を基剤中に液滴として均質に分散した「液滴分散型軟膏剤」を開発し,この製剤の有用性について検討した.

2.LDDS開発の経緯

 従来,軟膏剤はクリーム剤及びゲル剤と比較したときに,皮膚保護性及び保湿性が高く,病変の種類も選ばず,亀裂・びらん等の皮膚損傷面にも適用できるという利点があるために,使いやすい剤形であるとされてきている.しかし同一薬物を製剤化した場合には,他の剤形に比べて有効性が低いという欠点も指摘されており,軟膏剤の持つ特質を残したまま,クリーム剤と同等以上の有効性を持つ軟膏剤の開発が望まれてきた.またこのような新しい軟膏剤が従来の製造設備で調製可能であることも同時に要求されていた.これらの要望を満たすための一つの剤形として,薬物経皮吸収促進作用があるとされているアルコール類,グリコール類に薬物を溶解し,この溶液を油性基剤中に均質に分散した液滴分散型軟膏剤(以下LDDSと略す)の開発を検討した.この剤形では,従来型の製剤である「固体分散型軟膏剤」(以下MCDSと略す)及び「溶解型軟膏剤」などとは異なり,基剤中に溶剤が液滴として存在することが特徴となっている.

3.LDDSの調製法,物性及び性状,安定性

 LDDSは従来型の製剤であるMCDSなどの既存製剤の製造設備で容易に調製が可能である.またその物性はMCDSとほぼ同等であり,肉眼的にもLDDSとMCDSとの区別は困難であった.しかし,顕微鏡的には違いが認められ,LDDSでは溶剤が粒子径3〜10mの液滴を形成して基剤中に分散しているのに対して,MCDSでは粒子径2〜5mの微結晶が分散していた.このLDDS中に配合した酢酸デキサメタゾン(DA)の含量は,室温及び40℃75%RHでの安定性試験において試験期間内でほぼ安定で,その物性もほぼ初期値と同等の値を示した.以上からLDDSは剤形的には軟膏剤に分類でき,有効性及び安全性が保証できれば新剤形としての実用化が可能と考えられた.

4.LDDSの有効性,安全性,薬物経皮吸収性

 DAを配合したLDDSはラットにおけるカラゲニン浮腫に対してMCDSより強い抑制効果を示した.この製剤のヒトでのコルチコステロイドの有効性評価の常法である皮膚毛細血管収縮試験の評点はMCDSより有意に高く,クリーム剤と比べても同等以上であった.またこの製剤の皮膚刺激指数はMCDSと同等でクリーム剤より低いことから,LDDSは皮膚に対して安全であることが推測された.さらにLDDSからの薬物の放出性及び経皮吸収性はMCDSよりも顕著に高く,LDDSにおける有効性の増大には薬物経皮吸収性の向上が関与していると考えられた.

5.LDDSにおける薬物経皮吸収性向上の原因検討1)LDDSのラットin vivo経皮吸収試験における評価指標の設定

 LDDSにおける薬物経皮吸収性向上の原因を検討するために,ラットにおけるin vivoでの評価を実施した.これから得られたDAの見かけの吸収率,皮内貯留量及び血漿中濃度の経時的推移から,薬物経皮吸収性の指標としては皮内貯留量が最も適すると考えられたため,投与後4時間での皮内貯留量を指標として採用した.

2)溶剤と薬物経皮吸収性との関わり

 LDDSからの薬物経皮吸収性は配合する溶剤の種類及び量により異なった値をとり,特に溶剤量を変化させたときには極大値の存在が認められた.このことから溶剤の経皮吸収への関与が複雑であることが推測された.またたこのような極大値はLDDSのみならず,薬物の溶剤溶液投与時にも認められ,LDDSからの薬物経皮吸収には溶剤が決定的な役割をはたしていることが示唆された.

 溶剤の前投与を行った後に,相対的に低い吸収性を示したLDDSを投与した場合には,このLDDSからの薬物経皮吸収性が著しく向上すること,また薬物の経皮吸収量は極大値付近までは溶剤の経皮吸収量に依存することなどから,LDDSにおける薬物経皮吸収には溶剤の吸収による薬物の皮膚透過性の変化が関与すると考えられた.しかし同時に溶剤の吸収だけでは極大値に対する説明がつかないことも確認された.

3)製剤の連続相中薬物濃度と溶剤の吸収と薬物経皮吸収との関係

 軟膏剤の重要な物性の一つに製剤からの液体成分滲出度を示す離漿性があり,この値が低い方が良好な製剤とされている.しかし軟膏剤の有効性評価においては,離漿性の高い軟膏剤が高い有効性を示すことがしばしば経験されてきた.LDDSにおける薬物経皮吸収性の向上に関する他の要因を検討するために,製剤の離漿性と薬物経皮吸収性との関連を検討した.LDDSにおいて薬物経皮吸収性は製剤の離漿性に依存して増大し,LDDSにおける離漿性は製剤中の液体成分量に依存していた.また離漿による滲出液中にはLDDS中に存在する液滴が存在しないことから,滲出液中の薬物及び溶剤濃度を測定することにより,LDDSの連続相中の薬物及び溶剤濃度の推定が可能となった.ここから求められた連続相中溶剤濃度は製剤中溶剤濃度に依存するがこれには飽和が認められ,連続相中薬物濃度には経皮吸収性で見られたと同様の極大値が観察された.さらにこれらのLDDSからの薬物放出性及び経皮吸収性は,連続相中の薬物濃度の増加につれて増大した.以上から,LDDSにおける薬物経皮吸収性の向上には,溶剤の経皮吸収による薬物皮膚透過性の増大のみならず,連続相中の薬物濃度の変化が密接に関係していることが推測された.また前項における極大値の原因が,連続相における薬物濃度の推移によるものであることが示唆された.さらに連続相中の薬物濃度は下式で表しうることが推測され,この式から薬物濃度の極大値の説明が可能になると同時に,離漿性の高い軟膏がしばしば高い有効性を示すことの根拠も得られた.

 

 ,,:定数,Y:液体成分量,DY:連続相中薬物濃度,BY:連続相中溶剤濃度,DT:LDDS中薬物量,BT:LDDS中溶剤量

4)溶剤(ベンジルアルコール)の皮膚への作用

 溶剤の皮膚への作用をさらに明らかとするため,LDDSの溶剤として用いられるベンジルアルコール(BA)のラット皮膚への作用を検討した.BAを作用させた角層の水の吸収性は著しく向上し,BAは既存の経皮吸収促進剤であるAzone及びDMSOに類似した皮膚角層への作用をもつことが明らかとなった.また角層,角層から抽出した脂質及び蛋白質にBAを作用させた時のDSCプロファイルより,BAは主として角層の脂質に作用することが確認された.さらにこの角層脂質はDSCプロファイル上で1ピークとなる2つの分画に分離可能であった.BAはこの2本のピークの内の高温度側のピークをシフトさせることが明らかとなり,この分画には角層の細胞間脂質の構成成分が含まれることが確認された.以上から,LDDSの溶剤であるBAは角層,特に角層の細胞間脂質に作用して薬物皮膚透過性の向上に寄与することが推測された.

6.まとめ

 薬物の溶剤溶液を油性基剤中に液滴として分散した製剤である液滴分散型軟膏剤は,従来の軟膏剤と同等の外観・性状を持ち既存の設備で容易に調製が可能である.またこの製剤の物性は経時的に安定であり,薬物の含量も安定に維持され,皮膚刺激性は従来の軟膏剤とほぼ同等であった.さらにこの液滴分散型軟膏剤を用いることで,従来クリーム剤に比べてやや劣るとされてきた軟膏剤における薬物の有効性を増大させることができた.液滴分散型軟膏剤における有効性の増大は,配合された溶剤による薬物経皮吸収性の向上によりもたらされており,溶剤による薬物経皮吸収性の向上には下記の2つの要因が大きく影響していると考えられる.

 1. 基剤の連続相に溶け込んだ溶剤による連続相中薬物濃度の増加により,製剤からの薬物放出性が増大する

 2. 経皮吸収された溶剤が皮膚角層,特に角層の細胞間脂質に作用することで薬物の皮膚透過性が増大する

 なお他の軟膏剤と異なり,LDDSからの薬物放出性が温度の上昇とともに高まることから,この製剤では薬物放出の温度による制御の可能性が示唆されており,皮膚における炎症部位の体温が周辺部分に比べて高いことを考えれば抗炎症剤等の製剤化に有用であると考えられる.

審査要旨

 従来,軟膏剤はクリーム剤及びゲル剤よりも使いやすい剤形であるとされてきているが,有効性が低いという欠点が指摘されており,その有効性の増大が望まれできた.これらの要望を満たすための一つの剤形として,溶剤薬物を溶解した溶液を油性基剤中に均質に分散した液滴分散型軟膏剤(以下LDDSと略す)が開発され,この製剤の有効性,有用性,安定性が評価された.このLDDSでは従来型の製剤とは異なり,基剤中に溶剤が液滴として存在することが特徴となっている.

1. LDDSの調製法,物性及び性状,安定性

 LDDSの物性は従来型の製剤である固体分散型軟膏剤(MCDS)とほぼ同等であり,肉眼的にもLDDSとMCDSとの区別は困難であり,LDDSは剤形的には軟膏剤に分類できることが確認された.またLDDS中における主薬,酢酸デキサメタゾン(DA)の含量は,室温及び40℃75%RHでの安定性試験において安定に維持され,物性も初期値とほぼ同等の値を示していた.

2. LDDSの有効性,安全性,薬物経皮吸収性

 DAを配合したLDDSはラットにおけるカラゲニン浮腫に対して強い抑制効果を示し,ヒトにおける皮膚毛細血管収縮試験の評点もMCDSより有意に高く,クリーム剤と比べても同等以上であった.またこの製剤の皮膚刺激指数はMCDSと同等でクリーム剤より低く,皮膚に対して安全であることが推測された.さらにLDDSからの薬物の放出性及び経皮吸収性はMCDSよりも顕著に高く,LDDSにおける有効性の増大には薬物経皮吸収性の向上が関与すると考えられた.

3. LDDSにおける薬物経皮吸収性向上の原因検討1) 溶剤と薬物経皮吸収性との関わり

 LDDSからの薬物経皮吸収性は配合する溶剤の種類及び量により異なっていた.特に溶剤量を変化させたときには極大値が存在し,このような極大値がLDDSのみならず,薬物の溶剤溶液投与時にも認められたことから,LDDSからの薬物経皮吸収には溶剤が重要な役割をはたすことが示唆された.また溶剤の前投与を行った後に,相対的に低い吸収性を示したLDDSを投与した場合には,このLDDSからの薬物経皮吸収性が著しく向上すること,また薬物の経皮吸収量は極大値付近までは溶剤の経皮吸収量に依存することなどから,LDDSにおける薬物経皮吸収には溶剤の吸収による薬物の皮膚透過性の変化が関与すると考えられた.しかし同時に溶剤の吸収だけでは極大値に対する説明がつかないことも確認された.

2) 製剤の連続相中薬物濃度と溶剤の吸収と薬物経皮吸収との関係

 軟膏剤の重要な物性の一つに製剤からの液体成分滲出度を示す離漿性がある.

 LDDSにおける薬物経皮吸収性の向上に関する他の要因を検討するために,製剤の離漿性と薬物経皮吸収性との関連が検討された.LDDSにおいて薬物経皮吸収性は製剤の離漿性に依存して増大し,LDDSにおける離漿性は製剤中の液体成分量に依存していた.また離漿による滲出液中にはLDDS中に存在する液滴が存在しないことから,滲出液中の薬物及び溶剤濃度を測定することにより,LDDSの連続相中の薬物及び溶剤濃度の推定が可能となり,ここから求められた連続相中溶剤濃度には製剤中溶剤濃度への依存性が認められた.また連続相中薬物濃度には経皮吸収性で見られたと同様の極大値が観察され,さらにLDDSからの薬物放出性及び経皮吸収性は,連続相中の薬物濃度の増加につれて増大した.以上から,LDDSにおける薬物経皮吸収性の向上には,連続相中の薬物濃度の変化も密接に関係することが推測された.また前項における極大値の原因が,連続相における薬物濃度の推移にあることが示唆された.さらに連続相の薬物濃度が下式で決定されることが導かれた.

 212413f02.gif

 ,,:定数,Y:液体成分量,DY:連続相中薬物濃度,BY:連続相中溶剤濃度,DT:LDDS中薬物量,BT:LDDS中溶剤量

3) 溶剤(ベンジルアルコール)の皮膚への作用

 溶剤の皮膚への作用をさらに明らかとするため,LDDSの溶剤として用いられるベンジルアルコール(BA)のラット皮膚への作用を検討した.BAを作用させた角層の水の吸収性は著しく向上し,BAは既存の経皮吸収促進剤であるAzone及びDMSOに類似した皮膚角層への作用をもつことが明らかとなった.また角層,角層から抽出した脂質及び蛋白質にBAを作用させた時のDSCプロファイルより,BAは主として角層の脂質に作用することが確認された.さらにこの角層脂質はDSCプロファイル上で1ピークとなる2つの分画に分離可能であった.BAはこの2本のピークの内の高温度側のピークをシフトさせることが明らかとなり,この分画には角層の細胞間脂質の構成成分が含まれることが確認された.以上から,LDDSの溶剤であるBAは角層,特に角層の細胞間脂質に作用して薬物皮膚透過性の向上に寄与することが推測された.

4.まとめ

 液滴分散型軟膏剤は,従来の軟膏剤と同等の外観・性状を持ち,その物性及び薬物含量は経時的に安定であった.またこの製剤を用いることで,軟膏剤における薬物の有効性を増大させることができた.このような有効性の増大には下記の2つの要因が大きく影響している.

 1. 基剤の連続相に溶け込んだ溶剤による連続相中薬物濃度の増加により,製剤からの薬物放出性が増大する

 2. 経皮吸収された溶剤が皮膚角層,特に角層の細胞間脂質に作用することで薬物の皮膚透過性が増大する

 なおLDDSからの薬物放出性が温度の上昇とともに高まることから,この製剤では薬物放出の温度による制御の可能性が示唆されており,皮膚における炎症部位の体温が周辺部分より高いことを考えれば抗炎症剤等の製剤化に有用と考えられる.

 以上,本論文は軟膏剤の新剤形の確立に貢献するとともに,軟膏剤からの薬物の経皮吸収メカニズムについて基礎的知見を与えるものであり,製剤工学及び物理薬剤学への寄与は高く,本論文を薬学博士に値するものと認めた.

UTokyo Repositoryリンク