学位論文要旨



No 212415
著者(漢字) 片岡,之郎
著者(英字)
著者(カナ) カタオカ,シロウ
標題(和) アポトーシス耐性と癌の悪性化に関する研究
標題(洋)
報告番号 212415
報告番号 乙12415
学位授与日 1995.07.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第12415号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鶴尾,隆
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 岩崎,成夫
内容要旨

 正常な組織において不要となった細胞は、組織全体の機能に影響を与えることなく速やかに除去される。このプロセスで細胞は能動的、自発的な死、プログラム細胞死を引き起こしている。胚の発生過程における細胞死や、未成熟な免疫担当細胞のネガティブセレクションにおける細胞死がその例としてあげられるが、これらの生理的な細胞死の多くはアポトーシスの形態をとる。アポトーシスは、細胞生物学的には、1972年、Kerrらによって初めて用いられた語で、細胞がある刺激を受けたとき自ら積極的に死へと向かう死の様式を現し、壊死(ネクローシス)と対比して用いられる。多くの細胞種に共通したアポトーシスの形態的変化として、核の凝縮、断片化、細胞膜のくびれの形成、細胞質の凝縮があげられる。最終的には細胞が分断化し、アポトティクボディーを形成し、近隣の細胞に貪食される。

 アポトーシスは抗癌剤や放射線などの非生理的な各種ストレスで癌細胞を処理したときにも誘導され、アポトーシスの研究は癌化学療法の分野に非常に重要な情報を与えるものと思われる。本研究では、抗癌剤によるアポトーシスのメカニズムを解明することを目的として、抗癌剤によるアポトーシスに耐性な細胞株の樹立を試みた。また、樹立されたアポトーシス耐性細胞を用い、アポトーシス耐性と抗癌剤耐性の関係を調べた。さらに、抗癌剤により誘導されるアポトーシスの遺伝子レベルでの解析をおこなった。

アポトーシス耐性変異の候補株の取得

 ヒト単芽球性白血病U937細胞のVP-16による細胞死は電子顕微鏡観察の結果、明らかにアポトーシスであり、また、蛋白合成阻害剤でこのアポトーシスは抑制された。従って、なんらかの生体内分子の関与が可能性が考えられ、そのような分子に変異を導入することにより、アポトーシスに耐性な株の取得を試みた。ここでいう"アポトーシス耐性株"の定義は、"従来の薬剤耐性株とは異なり、細胞が親株と同程度の薬剤によるダメージを受けながら、そのダメージを検知し積極的に死に至るパスウェイを欠損しているため、結果として、死の時期が遅延するか、あるいは遅延の結果、再びもちなおして死を回避することができる株"とする。U937細胞を変異原物質EMSで処理し、それに続くスクリーニングによって、VP-16により誘導されるアポトーシスを起こしにくい12株の変異株を得た。なかでも最もその形質が顕著であり、長期の培養においても安定していたUK711株を本研究に使用することとした。フローサイトメトリーで解析したところ、S期にあるU937細胞の大部分が10g/mlのVP-16で1時間処理すると2時間以内に急速にアポトーシスで死滅したが、UK711株はこのS期優先的なアポトーシスを急速に起こす形質を欠損していた。

取得した変異株がアポトーシス耐性株であることの証明

 従来の薬剤耐性細胞は、薬剤を細胞外に排出したり、不活化したり、あるいは、細胞内の薬剤のターゲットを減少させたり、変質させたりすることにより、薬剤による細胞内のダメージを軽減させる。アポトーシス耐性細胞は、一次的に生じる細胞内ダメージが親株と同じであるが、ダメージを検知しアポトーシスをおこす能力が減少したものであり、その点が従来の耐性細胞と異なる。

 トポイソメラーゼ阻害剤VP-16は作用メカニズムがよく研究されている抗癌剤の一つである。VP-16は、トポイソメラーゼIIとDNAの共有結合を固定化し、"cleavable complex"を形成する。結果としてDNAに多数のトポイソメラーゼ依存的なDNA二本鎖切断を導入することになり細胞を殺す。トポイソメラーゼ阻害剤で選択された耐性株は、P糖蛋白が過剰発現したため細胞内の薬剤が細胞外に排出され、細胞内薬剤濃度が低下したものと、ターゲットであるトポイソメラーゼが量的に減少あるいは質的に変化したためトポイソメラーゼ依存性のDNAダメージが減少したものが報告されている。

 UK711細胞のP糖蛋白の発現量、DNAトポイソメラーゼIIの発現量と活性を親株U937細胞と比較したところ、両細胞間で差はなく従来の耐性細胞と異なっていた。VP-16によって導入されるDNAダメージを、cleavable complexの定量、DNA2重鎖切断の定量により、両細胞間で比較した。U937細胞とUK711細胞で、VP-16により導入されるDNAダメージに差は無く、また、VP-16を除去したときに"cleavable complex"は修復されるが、その速度も同じであった。すなわち、VP-16により両細胞に導入される一次的なDNAダメージは同じであり、DNAダメージ導入後の細胞のレスポンスに変異があると推測された。UK711変異株はアポトーシス耐性株であることが証明された。

アポトーシス耐性と抗癌剤耐性

 U937細胞は、トポイソメラーゼII阻害剤であるVP-16以外にも、代謝拮抗剤であるAra-C、トポイソメラーゼI阻害剤であるカンプトテシンでアポトーシスを起こすことが既に報告されている。Ara-C、カンプトテシン、臨床でよく使用されるビンクリスチン、アドリアマイシン、マイトマイシンCについてU937細胞とUK711細胞でアポトーシスの起こしやすさを比較したところ、UK711細胞はビンクリスチンを除く、上記すべての抗癌剤によるアポトーシスに耐性を示した。更に、UK711細胞はVP-16で早期にS期優先的に誘導されるアポトーシスに耐性であったが、その形質が最終的な生存率にどの程度反映されるかをコロニー形性能を調べることにより評価した。アポトーシス耐性はコロニー形成能にも反映され、UK711細胞は多剤耐性を示した。

薬剤誘導アポトーシスと遺伝子発現

 UK711細胞のアポトーシス耐性の分子メカニズムについて調べた。アポトーシス耐性に影響を与えうるアポトーシス関連遺伝子としてp53とbcl-2が知られている。U937細胞は、p53遺伝子を欠損している。また、bcl-2遺伝子の発現をU937株とUK711株で比較したところ両者に差は認められなかった。UK711株のアポトーシス耐性機構は、新規のメカニズムである可能性があり興味深い。

 U937細胞を抗癌剤で処理するとc-jun遺伝子の発現が上昇することが既に報告されているが、この発現がプロテクティブレスポンスとして、すなわちダメージの修復のために必要なのか、それともアポトーシスを起こすために必要なのかは良くわかっていない。c-jun遺伝子の発現上昇がこのいずれの意味を持っているのかを知ることを目的として、親株U937とアポトーシス耐性株UK711のc-jun遺伝子の発現をノーザンブロッティングにより調べた。U937細胞ではc-jun遺伝子の発現がVP-16処理後1時間で認められたが、UK711細胞では認められなかった。c-jun遺伝子の発現は、プロテクティブレスポンスではなく、アポトーシス誘導に強く関与していることが示唆された。

 c-myc遺伝子の過剰発現あるいは、制御されない異常な発現は細胞を死に至らしめる。この細胞死はアポトーシスの形態をとり、アポトーシス抑制遺伝子であるbcl-2遺伝子で抑制される。また、c-mycを過剰発現させると、ある種の抗癌剤によるアポトーシスが促進されるという報告もある。本研究で樹立したアポトーシス耐性株の中に、c-mycの発現が変化した物があるかどうかを調べ、薬剤誘導アポトーシスにおけるc-myc遺伝子発現の重要性について考察した。UK711株と、それ以外に、同様の方法で樹立したUK110株、UK922株についてc-myc遺伝子の発現を調べたところ、UK922株において明らかなc-myc遺伝子の発現の減少が認められた。UK922株はVP-16やAra-C等の抗癌剤だけでなくTNF処理や低血清培養によって誘導されるアポトーシスに対しても耐性を示した。c-myc遺伝子の発現低下は、抗癌剤を含む種々の刺激によるアポトーシスに耐性を与えることが示唆された。

おわりに

 我々は、抗癌剤によるアポトーシスのメカニズムを解明することを目的として、抗癌剤によるアポトーシスに耐性なUK711細胞株を樹立した。UK711細胞はエトポシド,Ara-C両薬剤はもちろんのことアドリアマイシン、マイトマイシン、カンプトテシン等、アポトーシスを誘導することが知られている種々の抗癌剤に耐性であった。アポトーシス耐性による多剤耐性については、現時点ではまだあまり報告がなく、今後明らかにしていくべき一つの課題であろうと思われる。現在のところ抗癌剤がなぜアポトーシスを誘導できるのかわかっていない。抗癌剤によるアポトーシスは、ストレスに応答して死ぬようにしくまれた系が働いているのか、それとも、本来、発生や分化に伴う生理的な死に関するメカニズムに、たまたま抗癌剤がヒットしているのか興味深い。アポトーシスの研究は、既存の抗癌剤が何故効くのかという答えを与えてくれるかも知れない。また、アポトーシスに関与する分子が明らかになるにつれ、今後そういった分子をターゲットとした新規抗癌剤の開発がさかんになると思われる。

審査要旨

 正常な組織において不要となった細胞は、組織全体の機能に影響を与えることなく速やかに除去される。このプロセスで細胞は能動的、自発的な死、プログラム細胞死を引き起こしている。胚の発生過程における細胞死や、未成熟な免疫担当細胞のネガティブセレクションにおける細胞死がその例としてあげられるが、これらの生理的な細胞死の多くはアポトーシスの形態をとる。多くの細胞種に共通したアポトーシスの形態的変化として、核の凝縮、断片化、細胞膜のくびれの形成、細胞質の凝縮があげられる。最終的には細胞が分断化し、アポトティクボディーを形成し、近隣の細胞に貪食される。

 アポトーシスは抗癌剤や放射線などの非生理的な各種ストレスで癌細胞を処理したときにも誘導され、アポトーシスの研究は癌化学療法の分野に非常に重要な情報を与えるものと思われる。本研究では、抗癌剤によるアポトーシスのメカニズムを解明することを目的として、抗癌剤によるアポトーシスに耐性な細胞株を樹立している。樹立されたアポトーシス耐性細胞を用いて、アポトーシス耐性と抗癌剤耐性の関係および、抗癌剤により誘導されるアポトーシスの遺伝子レベルでの解析をおこなうことにより以下に示す成果を得ている。

1.アポトーシス耐性変異の候補株の取得

 ヒト単芽球性白血病U937細胞を変異原物質EMSで処理し、それに続くスクリーニングによって、抗癌剤VP-16により誘導されるアポトーシスを起こしにくい12株の変異株を得た。フローサイトメトリーで解析したところ、S期にあるU937細胞の大部分がVP-16で1時間処理すると2時間以内に急速にアポトーシスで死滅したが、変異株であるUK711株はこのS期優先的なアポトーシスを急速に起こす形質を欠損していた。

2.アポトーシス耐性株であることの証明

 UK711細胞のP糖蛋白の発現量、DNAトポイソメラーゼIIの発現量と活性を親株U937細胞と比較したところ、両細胞間で差はなく従来の耐性細胞と異なっていた。VP-16によって導入されるDNAダメージを、cleavable complexの定量、DNA2重鎖切断の定量により、両細胞間で比較したところ、両細胞で、VP-16により導入されるDNAダメージに差は無く、また、VP-16除去後の修復速度も同じであった。すなわち、VP-16により両細胞に導入される一次的なDNAダメージは同じであり、DNAダメージ導入後の細胞のアポトーシスに関するレスポンスに変異があると推測された。

3.アポトーシス耐性と抗癌剤耐性

 UK711細胞はトポイソメラーゼII阻害剤であるVP-16以外にも、Ara-C、カンプトテシン、アドリアマイシン、マイトマイシンCといった抗癌剤によるアポトーシスに耐性を示した。更に、UK711細胞はVP-16で早期にS期優先的に誘導されるアポトーシスに耐性であったが、その形質が最終的な生存率にどの程度反映されるかをコロニー形性能を調べることにより評価した。アポトーシス耐性はコロニー形成能にも反映され、UK711細胞は多剤耐性を示した。

4.薬剤誘導アポトーシスと遺伝子発現

 U937細胞を抗癌剤で処理するとc-jun遺伝子の発現が上昇することが既に報告されているが、この発現がダメージの修復のために必要なのか、アポトーシスに必要なのかを調べた。U937細胞ではc-jun遺伝子の発現がVP-16処理後1時間で認められたが、UK711細胞では認められなかった。c-jun遺伝子の発現は、プロテクティブレスポンスではなく、アポトーシス誘導に強く関与していることが示唆された。

 アポトーシス耐性株UK711、UK110、UK922についてc-myc遺伝子の発現を調べたところ、UK922株において明らかなc-myc遺伝子の発現の減少が認められた。UK922株はVP-16やAra-C等の抗癌剤だけでなくTNF処理や低血清培養によって誘導されるアポトーシスに対しても耐性を示した。c-myc遺伝子の発現低下は、抗癌剤を含む種々の刺激によるアポトーシスに耐性を与えることが示唆された。

 以上本研究は世界に先駆けてアポトーシス耐性と抗癌剤耐性の関係を明らかにしたものであり、細胞生物学、癌化学療法学に大きく寄与するものであり、博士(薬学)に値するものと認める。

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