学位論文要旨



No 212425
著者(漢字) 関,彰
著者(英字)
著者(カナ) セキ,アキラ
標題(和) 挿入原子法による粒界偏析のモンテカルロシミュレーションとアトムプローブによる粒界偏析の観察
標題(洋)
報告番号 212425
報告番号 乙12425
学位授与日 1995.07.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12425号
研究科 工学系研究科
専攻 材料学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石田,洋一
 東京大学 教授 伊藤,邦夫
 東京大学 教授 佐久間,健人
 東京大学 教授 山本,良一
 東京大学 助教授 柴田,浩司
内容要旨

 多結晶金属材料の粒界近傍の局所的な化学組成がバルク値からずれる現象を粒界偏析という。粒界偏析は、粒界だけでなく材料自体の性質にも影響を及ぼし、実用上も重要な現象であるが、その詳細については明らかになっていない点も多い。この現象が原子レベルのものであることがその一因と考えられる。

 本研究の目的は粒界偏析挙動におよぼす粒界構造、温度、合金元素の影響について主に原子レベルの計算機シミュレーションで明らかにすることである。さらにシミュレーション結果はアトムプローブによる粒界偏析の実験結果と比較した。

 シミュレーションは挿入原子法(EAM)ポテンシャルを用いたモンテカルロ(MC)法で行った(図1)。Pt・Au・Ni・Cuが構成元素のFCC置換型二元合金系の[001]ねじれ粒界が対象である。

図1.MCシミュレーションの概要。

 粒界の構造と偏析挙動の関係を調べるために、ねじれ角を0〜45度まで変えたPt-1at.%Au合金の一連のモデル粒界についてMCシミュレーションを行った。ねじれ角と偏析量の関係を図2に示す。いづれのねじれ角でも粒界をはさむ二枚の(002)面でのみAuの偏析が起こっている。ここでこの二枚の(002)面でのAuの濃度と母相のAuの濃度との比を偏析度Sとして定義すると、ねじれ角とSの間には各温度で以下の関係が成り立つことが図3よりわかる。

 

 偏析度がねじれ角とともに単調に増加し値依存性は見られないことをこの式は示している(ただし5で若干のカスプが認められる)。溶質原子(Au)の偏析が界面を一次転位網の転位芯と整合領域に二分する単純な粒界モデルで、偏析が転位芯のみで起こると仮定すれば(1)式を導くことができる。ねじれ角とともに偏析量が増加するのは、転位芯での偏析度(Score)は変化しないが転位芯の領域がsin(/2)に従って増加するためと解釈できる。このような単純なモデルでシミュレーションの結果を説明できるのは驚くべきことである。

図2. (002)原子面上のAu濃度分布(MCシミュレーション)。縦軸は各(002).面上のAu濃度、横軸は粒界面に垂直な方向に沿った距離。粒界面を矢印で示す。T=850K。図3.Sとsin(/2)の関係。

 このモデルで物理的に意味を持つのはScoreである。850-1900Kのシミュレーションにより、Scoreの温度依存性は次のMcLeanの式で表されることが明らかになった。

 

 偏析挙動と合金元素の関係を明かにするために、Pt-1at.%Au・Pt-1at.%Ni・Ni-1at.%Pt・Ni-1at.%Cu・Cu-1at.%Niの5種類のFCC二元合金の5粒界でMCシミュレーションを行った。表1に示すように合金元素によって偏析度がは大きく異なっている。とくにCu-1at.%Ni合金では粒界で溶質原子の欠乏が起こっている(負の偏析)。この挙動を説明するために二元合金の5粒界の粒界偏析を記述する熱力学モデルを作成し、界面に平行な(002)面上での溶質原子濃度(Cp:p=1,2,3,・・・)を未知数とする次の基本方程式を導いた。

 

 ここでV・H・Zはそれぞれ合金のクラスタリングの傾向・合金元素の表面張力の差・溶質原子と溶媒原子の原子半径の差に起因するサイズ項・粒界の構造パラメータである。これらが偏析を起こす要因である。この方程式を解いて得た偏析度を表1に示す。MCシミュレーションの結果と傾向は一致している。とくにCu-1at.%Ni合金での負の偏析を再現しており、このような比較的単純な熱力学的モデルでも偏析現象をうまく記述できることが分かる。さらに、各合金の偏析挙動と合金の熱力学パラメーターの関係を詳細に検討するとMCシミュレーションではわからなかったそれぞれの合金の偏析の駆動力を明らかにできる(表1)。

表1.偏析度の熱力学モデル(式(3))とMCシミュレーションの結果。

 ここまでのシミュレーションの妥当性を検討するためアトムプローブ電界イオン顕微鏡(AP-FIM)を用いてPt-3at.%Ni合金の5粒界について実験的に粒界化学組成を測定した。AP-FIMは、組成分析では粒界偏析の観察に十分な空間分解能を持つが、粒界偏析観察用の試料の作成が難しく、粒界偏析観察は困難であった。ここでは透過型電子顕微鏡(TEM)を用いて粒界を観察しながら針状試料を精密研磨する方法で粒界観察が可能な試料を作成し、粒界偏析を確認することができた。AP-FIM測定結果とともに、実験対象の粒界と同じ構造のモデル粒界に対するMCシミュレーションの結果を表2に示す。両者の結果はよく一致している。

表2.Pt-3at.%Ni合金の5粒界の粒界近傍のNi濃度。アトムプローブ実験とシミュレーションの結果。

 本研究では粒界偏析挙動におよぼす粒界構造、温度、合金元素の影響について主に計算機シミュレーションによって原子レベルで明かにした。シミュレーションの結果は粒界を整合領域と非整合領域に二分するモデルと界面での原子間の結合数を考慮する熱力学モデルでよく説明できた。さらにシミュレーションの結果が実験とよく一致したことは本研究で用いたEAMモンテカルロシミュレーション手法が材料科学における原子レベルでの現象解明に有効であることを示したといえる。

審査要旨

 本論文は粒界偏析という、多結晶金属材料の結晶粒界においてその局所的な化学組成が母相の値からずれる現象を挿入原子法という原子レベルの計算機シミュレーションにより調べ、熱力学的な粒界偏析理論やアトムプローブ付き電界イオン顕微鏡による実験と比較し、総合的に結晶粒界の構造と粒界偏析との相互関係を検討した論文である。挿入原子法という計算機シミュレーション技法の粒界偏析研究における有用性を検証した論文ともなっている。

 第1章は序論である。これまでの数多くの粒界偏析研究を紹介した後で,結晶粒界偏析の研究手段として従来用いられた透過電子顕微鏡やオージェ電子分光が原子レベルの偏析の解析には不十分で、このため本論文ではアトムプローブ付き電界イオン顕微鏡を採用したこと、また従来の熱力学的粒界偏析理論を粒界における原子配列まで考慮した理論にするためには挿入原子法による計算機シミュレーションが必要なことを述べている。

 第2章は挿入原子法による粒界偏析計算技術を記述した章である。結晶粒界を含む数千個から数万個の原子集団に対して化学組成の変化と原子構造の緩和とを繰り返してその原子集団の自由エネルギーが極小になる構造を求める一方、これと母相の化学組成との比を粒界偏析度と定義している。各種置換型二元合金の結晶粒界についてこれを計算するアルゴリズムが記されている。

 第3章は前章で記した挿入原子法を用いて[001]ねじり粒界における偏析度を計算した結果が記されている。正則溶液近似が良好なPt-Au合金系を例として取り上げ白金の[001]ねじり粒界への金原子の偏析がねじり角度と温度により変化する様子を調べた。そして粒界をはさむ両側の2枚の原子面上の固溶原子の濃度が主な変化であること、またこれを母相のそれと比較した粒界偏析度がねじり角度30°まで比較的単調に増加し、あとはほぼ一定値をとること、小角の範囲では偏析度の高低の分布から1次転位網の転位芯偏析と解釈できること、また、この偏析度の温度依存性はMcleanの古典的関係式とよく合致したことを報告している。

 第4章は前章の計算を各種の二元合金系に適用した結果を記述している。結晶粒界としては[001]ねじり粒界のうちで、その偏析度に規則粒界としての性格が若干認められた5対応粒界を選んで行っており、Ni-Pt合金系では著しい白金原子の粒界偏析を、またCu-Ni合金系ではニッケル原子の負の粒界偏析を結論した。そしてこの挙動を各合金系のクラスタリング傾向や溶質原子と溶媒原子との原子半径の差に起因する寸法効果を考慮するという比較的単純な粒界偏析の熱力学モデルにより説明することに成功している。

 第5章はアトムプローブ付き電界イオン顕微鏡を用い、Pt-Ni合金中の5対応粒界を観察した実験の章である。ニッケル原子の粒界偏析が数原子層であって、挿入原子法計算で求められた溶質原子の偏析挙動と合致すること。また測定された偏析度が計算機シミュレーションにより求められた値とよく一致することを見出している。

 第6章は総括である。

 以上要するに本論文は結晶粒界偏析の原子配列レベル計算機シミュレーションという、従来粒界計算ではあまり行われなかった、しかし工学的には極めて重要な課題に対し挿入原子法という、この問題に好適な計算法を導入することにより挑戦し、種々の二元合金系について、粒界偏析構造と温度との関係を調べたものである。学位申請者はこの成果を従来の粒界構造理論や熱力学的粒界偏析理論と対比し、一方、アトムプローブ付き電界イオン顕微鏡による実験も行って、最近の金属材料の粒界偏析研究全体を見通すことのできる総合的研究論文としている。金属材料学上貢献するところが大きい論文である。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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