学位論文要旨



No 212429
著者(漢字) 西,正和
著者(英字)
著者(カナ) ニシ,マサカズ
標題(和) CuGeO3におけるスピン・パイエルス転移の中性子散乱による研究
標題(洋) Neutron Scattering Study on Spin-Peierls Transition in CuGeO3
報告番号 212429
報告番号 乙12429
学位授与日 1995.07.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第12429号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 毛利,信男
 東京大学 助教授 今田,正俊
 東京大学 教授 安岡,弘志
 東京大学 教授 寿栄松,宏仁
 東京大学 教授 内野倉,國光
内容要旨

 スピン量子数S=1/2の一次元反強磁性体についてはdes CloizeauxとPearsonによる分散関係の計算をはじめとして多くの理論的研究が行なわれており、1974年頃より理論的にスピン・パイエルス転移の可能性が指摘されてきた。実験的には1975年にTTF-CuBDTにおいて始めてスピン・パイエルス転移が発見され、急速に研究が進展した。その後有機物質では多くのスピン・パイエルス物質が発見されたが無機物質では最近まで発見されなかった。

 1993年長谷等によりCuGeO3の磁化率の温度変化が典型的なスピン・パイエルス転移の振る舞いをすることから無機物質における最初のスピン・パイエルス転移としておおいに注目を集めた。 その後スピン・パイエルス転移の特徴であるスピン・パイエルス歪を見いだすため、スピン・パイエルス転移温度TSP以下においてb*c*散乱面の超格子反射(0,k,l+1/2)を探したが見い出せなかった。 しかし1994年に電子線回折およびX線回折により独立に超格子反射(h+1/2,k,l+1/2)が発見され、 続いて中性子回折によりTSP以下でbc面内における酸素の回転とc軸方向一次元鎖内の銅原子の交互伸縮(二量体化)が起ることが明らかになった。 このことからCuGeO3は無機物質では最初のスピン・パイエルス系であることが立証された。

 本論文はスピン・パイエルス系CuGeO3の磁気的性質、温度、磁場、圧力依存性、格子振動(フォノン)との関係等その性質を中性子散乱法を用いて総合的に調べたものである。 中性子散乱実験は日本原子力研究所改三号炉に設置してある東京大学物性研究所三軸型中性子散乱装置PONTAおよびHQR-を用いて行なった。 一次元スピン・パイエルス系の励起スペクトルは一般にブリルアン帯の中心(q=0)においてエネルギー・ギャップを持つことが知られている。 エネルギートランスファー1meVおよび(0,1,1/2);(q=0)の点において温度変化を測定したのが図1である。 TSP(=14K)以上では温度低下につれて一次元鎖内の反強磁性相関距離が発達するため中性子散乱強度は増大し、T=TSPで最大となる。 TSP以下においてはエネルギー・ギャップが開くと同時に散乱強度は急激に減少を示す。 TSP以下においてはスピンー重項状態を形成し、長距離磁気秩序は存在しないため、通常のスピン波は考えられないが、一重項基底状態から三重項励起状態へ励起されたスピンによる磁気励起子の伝播波が存在する。磁気励起子の分散を測定する事により磁気スピン間の交換相互作用を決定することができる。測定結果は図2に示されるように非常に異方的でc軸方向に強い相関を示し準一次元的だと思われる。その解析結果よりc軸方向の交換相互作用定数Jcは10.4meV、b軸方向のJbは約0.1Jc、a軸方向のJaは約-0.01Jcと求められ、一次元性は典型的一次元反強磁性物質KCuF3程良くはない。一方磁化率より決められたスピン・パイエルス・ギャップとは大変良く一致している。

図表図1(0,1,1/2);(q=0)およびE=1 meVにおける中性子散乱強度の温度依存性。 / 図2 T=4KにおいてCuGeO3の各主軸方向への磁気励起子の分散関係。 (0,1,1/2)がブリルアン帯の中心(q=0)である。

 励起状態を詳しく調べるために6 Teslaまでの外部磁場のもとで、中性子非弾性散乱実験をおこなった。 図3に示されるように三重項励起状態の縮退が解けて三つのエネルギーレベルに分離し、中心のレベルは磁気量子数が変化しない(中性子スピンが反転しない)過程で零磁場とエネルギーが一致しているが、一方、上下の二つのレベルは磁気量子数が±1だけ変化する(中性子スピンが反転する)過程でg値を係数として外部磁場に比例した変化を示す。特に顕著な特徴はエネルギー値が磁場をかける方向にほとんど依存しない、つまり異方性が見られないことで、反強磁性体と大きく異なったスピン・パイエルス物質独特の特性と考えられる。

 高圧力下における実験において図4に示されるように、スピン・パイエルス・ギャップは圧力に比例して増加を示し、この比例係数は1.3meV/GPaであった。MEM・(TCNQ)2の場合にも同様の傾向を示すが理由は明らかではない。また1.8GPaのもとでの鎖内での交換相互作用Jcは常圧下の3/4と減少を示している。この現象についての解明もこれからの課題である。

図表図3スピン・パイエルス・エネルギー・ギャップの外部磁場依存性。横磁場下での測定(0,1,1/2)(●),(0,3,1/2)(○),と縦磁場下での測定(0,1,1/2)(X)。 / 図4 5Kにおけるスピン・パイエルス・エネルギー・ギャップの圧力依存性。□印は高圧セルなしの電圧における値。

 Cu原子間の二量体化は、CuO2一次元鎖においておこるため、c軸方向[001]のLAフォノンについて測定を行なった。ブリルアン・ゾーンの中程から境界にかけてエネルギー21meVを中心として約20meVの非常に幅の拡いフォノンが観測された。 しかしながら、室温から4Kまでの測定において、スピン・パイエルス転移14K付近で特に大きな変化は見られなかった。

審査要旨

 本学位論文はスピンパイエルス転移を引き起こす、無機物質として最近初めて発見されたCuGeO3について、中性子散乱実験の手法を用いて、その磁性と格子振動を調べ、スピンパイエルス転移との相関を研究したものである。

 論文は5章からなり、第1章ではスピンパイエルス転移に関する研究の経緯と本論文で取り上げるCuGeO3の研究の特徴と背景について、第2章ではCuGeO3の結晶構造、試料作成および中性子散乱の実験方法、第3章では磁気的性質の温度、磁場、圧力効果について述べられ、第4章ではスピン・ダイナミクスとラテス・ダイナミクスについて、スピンパイエルス転移との関係を考察し、第5章で本論文の総括と結論が述べられている。

 スピンパイエルス転移は1975年に有機物質であるTTF-CuBDTにおいて初めて実験的に見いだされ、反強磁性的に結合した1次元スピン系の基底状態の問題として理論、実験の両面から活発に研究されてきた。しかし、有機物質では試料のサイズが小さく、スピンパイエルス転移の挙動について、2量体化による格子の歪みや磁化、帯磁率といったマクロスコピックな物理量の観測しか行われておらず、スピンパイエルス転移にともなうスピンダイナミクスの直接観察は今日にいたるまでなされていなかった。

 本研究のねらいはCuGeO3の試料がスピンダイナミクスの解析に十分応えうるサイズの単結晶が入手できる点に着目し、最近完成した日本原子力研究所の改3号炉の最先端技術を駆使して世界に先駆けて中性子散乱の手法を用いてスピンパイエルス転移をミクロスコピックに明らかにしようという点にある。

 以下に本研究で得られた成果とその評価について述べる。

 CuGeO3のスピンパイエルス転移温度(TSP=14K)の上下で、磁気励起スペクトルを観測した。その結果、TSP以上では温度の低下につれて1次元鎖内の反強磁性相関が発達し、中性子散乱強度はT=TSPで最大となること、TSP以下では散乱強度は急激に減少することを見いだした。この実験結果はスピンパイエルスギャップが開くことを直接スピンの励起から初めて明らかにしたものであり、高く評価される。

 また、TSP以下で各結晶主軸に沿っての磁気励起の分散の波数依存性の測定を行い、c*軸に沿った方向で非常に強い分散のあることを見いだした。この結果はCuGeO3が1次元スピン系の特徴を示していることをミクロスコピックな測定から確認したものであり、精密な磁気励起の分散の実験データを明らかにしたことはスピン・パイエルス状態を理論的に解明する上で重要な指針を与えるものである。

 TSP以上での臨界散乱実験から、c軸とb軸でのスピン間の相関距離cbを求め、PougetらによるX線散乱で測定された格子の揺らぎから見積もられた格子の相関距離とを比較検討している。磁気的な揺らぎと構造の揺らぎとがどのような相関をもっているのか、結論は出していないが、今後の興味ある研究の課題を提供している。

 外部磁場のもとでの中性子非弾性散乱の実験結果から、3重項励起状態の縮退が磁場の印加でとけ、3っつのエネルギーレベルに分離することを見いだした。特に顕著な成果として、そのエネルギー値が磁場を印加する方向にほとんど依存しないこと、即ち、異方性のないことをミクロスコピックな立場から実証したことである。

 高圧下での中性子散乱実験からスピンパイエルス ギャップの大きさが圧力に比例して増加すること、c軸に沿った鎖内の交換相互作用Jcの値が圧力に依存することなども実験的に明らかにしている。有機物では物質によってギャップが圧力で減少するものや増加するものがあり、未だその原因が判明していない。これらの実験結果はこれらの物質で発現しているスピンパイエルス転移が単純なものでないことを示し、その機構を解明する手がかりを与えるものと期待される。

 さらに、有機物のKCPやTTF-TCNQではスピンパイエルス転移で1次元鎖方向のLAフォノンがソフト化することが知られている。しかしながら、CuGeO3では1次元鎖方向の[001]のLAフォノンの分散にはソフト化は見られず、エネルギー幅の広いフォノンが観測された。また、LOフォノンの測定でも同様な結果を得ている。これらの結果をフォノンと磁気励起のモードとが結合していると解釈し、幅の広いフォノンピークの原因として、1次元鎖内の磁気相互作用もしくは、格子の不安定性に関係しているとの示唆を与えている。

 以上のように、本論文はCuGeO3のスピンパイエルス転移に伴うスピンダイナミクスの挙動を直接観察し、スピンパイエルス転移の問題に対する実験的なアプローチの手段として中性子非弾性散乱実験が極めて重要な情報を提供することを示した。本論文に記された内容は世界的にも先駆的なものと位置づけることができ、当該研究分野に大きな貢献をしたものと認められるため、審査員全員一致で理学博士の学位論文として認定し、論文提出者に対して博士(理学)を授与するに十分であると認められた。

 尚、本論文には藤田治氏、秋光純氏、加倉井和久氏、藤井保彦氏との共著論文の内容が含まれているが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったものであると認められた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53924