学位論文要旨



No 212439
著者(漢字) 山本,俊哉
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,トシヤ
標題(和) 新しいイネの葯培養法とソマクロナル変異の解析に関する研究
標題(洋)
報告番号 212439
報告番号 乙12439
学位授与日 1995.09.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12439号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 茅野,充男
 東京大学 教授 室伏,旭
 東京大学 教授 平井,篤志
 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 助教授 林,浩昭
内容要旨

 イネは主要穀物として世界中で栽培され、アジアをはじめ世界の食糧を支えてきた。米の生産量は5.2億トン(1993年)と小麦に次いで第2位で、単位収量は約3.5トン/haとトウモロコシと同じく高いレベルにある。米の生産量はこの四半世紀で約2倍となり、その要因として品種改良、栽培技術の改良、化学肥料・農薬の投与、インフラの整備などが挙げられる。なかでも品種改良によるところが大きく、1960年代後半から始まった短稈品種の育成と普及(緑の革命と称される)、ハイブリッド品種の開発、近代理論に基づく抵抗性育種が大きな成果を挙げた。しかしながら現在では、(1)短稈品種は世界中で裁培されていること、(2)ハイブリッド品種はそのコスト高故に中国以外には普及していないこと、(3)利用可能な抵抗性遺伝子源はすでに利用され尽くしていることなどから、世界におけるイネの収量レベルはほぼ頭打ちに近い状態にある。さらに、現行の育種技術では新品種育成に10年程度の期間を要し、時代とともに変わるニーズに対応できない。今後、ますます多様化するニーズに応えるイネを効率よく育成するためには、葯培養、遺伝子導入等のバイオテクノロジーと種々のDNA育種技術を開発し、従来育種技術と組み合わせて利用することが不可欠である。

 以上の現状を鑑み、本研究では、第1章で研究の背景・歴史等について述べ、第2章では、従来の組織培養に無い斬新なアイデアに基づく新しい葯培養法を開発し、その詳細について明かにするとともに、品種改良への利用について検討した。次いで、第3章では本研究で開発された新しい葯培養法をはじめとする三種の培養法で得られたソマクロナル変異(=培養変異)を比較・調査し、出現するソマクロナル変異の種類・頻度とその方向性、培養期間と変異出現率との関係について明らかにした。さらに、葉や籾の無毛性ソマクロナル変異体からの無毛品種「すみたから」の育成について述べた。第4章では本研究で得られた無毛性変異について遺伝学的および形態学的に解析し、その遺伝様式について明かにした。第5章では品種分類、個体識別や有用形質の選抜マーカーとして、品種改良への利用が期待されるRAPD(Random amplified polymorphic DNA)法をイネに応用してイネ35品種の系統分類を試み、さらに無毛性ソマクロナル変異を解析した。

新しいイネの葯培養一段階法(第2章)

 イネ育種期間の短縮を目的に利用されるが、現状では格段の効率アップが必要な葯培養法の改良を試みた。イネの葯(おしべ)を植物ホルモン水溶液で浸漬前処理した後、ホルモンを含まない培地で培養する新しい培養法を試み、この培養方法では形成したカルスを再分化培地に移すことなく再分化植物が得られることを見い出し、詳細な条件検討の結果、新しい葯培養一段階法として確立した。植物ホルモンとして、数種類のオーキシンを試した結果、ナフタレン酢酸(NAA)で最も良好な結果が得られ、10mg/1NAA処理区でカルス形成率・植物体再分化率とも常法の葯培養二段階法の倍以上であった。10mg/1NAAに1.0〜25mg/1のベンジルアデニンを併用処理すると効果が増し、植物体再分化率を2〜5倍向上させることができた。二段階法と比較して本一段階法では、(1)高いカルス形成率・再分化率が得られること、(2)植物体再分化が早く、二段階法の約半分の時間であること、(3)再分化植物のうち半数体が70%と高いこと、(4)次世代(A2世代)で形質の分離が見られないこと、等の優れた特徴を持っていた。カルスの内部構造と再分化過程の観察から、その理由は、体細胞不定胚を経由して再分化が起こるためと結論された。本培養法は、効率の良い葯培養法として実際の品種改良への利用が期待されるとともに、体細胞不定胚発生における植物ホルモンの作用などの知見を得るために有用であろう。

ソマクロナル変異の系統的解析(第3章)

 有用な変異を誘発できる反面、その制御が困難なソマクロナル変異についての総合的な知見を得ることを目的に、葯培養一段階法、通常の二段階法、プロトプラスト培養法で生じるソマクロナル変異について比較し系統的に解析した。ソマクロナル変異の頻度および再分化植物の倍数性は、培養期間の長さに比例して葯培養一段階法、二段階法、プロトプラスト培養の順に高くなり、プロトプラスト培養でのソマクロナル変異は実に95%に達した。生じたソマクロナル変異の種類は、三種の培養法とも稈長と毛性に関するものが普遍的で、二段階法とプロトプラスト培養ではこの他に穂数や種子稔性に関するものが多く見られた。各ソマクロナル変異は方向性を持ち、例えば稈長では短稈化、毛性では減少、稔性では低下を示した。プロトプラスト培養に特異的な変異は観察されなかったが、得られた変異体の1/3は、短稈、無毛性、出穂期変異等の有用な変異を持っていた。この知見は、プロトプラスト培養を基盤技術とする遺伝子導入や細胞融合を育種に利用する際に有用となろう。特筆すべきは、無毛性のソマクロナル変異が高頻度に得られたことである。葉毛・穎毛は収穫、脱穀、籾すり時等に生じるほこりの主原因で、特に機械による作業で問題となる。無毛性は機械作業時のほこりを抑える有用な形質であり、アメリカでは交雑育種で育成された多くの無毛品種が栽培されている。今までに無毛性のソマクロナル変異の報告例はなく、本研究の結果、葯培養あるいはプロトプラスト培養によって無毛性変異が効率よく誘導できることがわかった。さらに、葯培養で得たソマクロナル変異体から、イネ無毛新品種すみたからを育成し、本変異が品種改良に有効であることを実証した。

無毛性ソマクロナル変異の解析(第4章)

 すみたからの無毛性ソマクロナル変異の遺伝様式や形態の特徴についての知見を得るため、走査型電子顕微鏡による葉毛の観察、有毛および無毛品種とのF1、F2世代の遺伝分析を行った。有毛の原品種である黄金晴では葉の表面に1種類の毛茸と3種類の剛毛、籾には1種類の穎毛が観察されるのに対し、すみたからでは黄金晴と同様の形態・密度の毛茸は持つものの、3種類の剛毛と穎毛が無くなっていた。すみたからの無毛性は、剛毛と穎毛の形成阻害によることが明らかとなり、またイネでは毛茸と剛毛(穎毛)で形態形成の制御が異なることが示唆された。すみたから×黄金晴、すみたから×オオセト(有毛)のF1およびF2集団の葉毛を調査したところ、F1では有毛親と比べて少ないものの葉毛が観察され、さらにF2では有毛個体と無毛個体に分離し、2検定の結果すみたから×黄金晴では2(3:1)=0.01as、すみたから×オオセトでは2(3:1)=0.95asと単因子支配による分離比3:1に適合した。これらの結果から、すみたからの無毛性は単一の劣性遺伝子によることが示された。一方、すみたからと無毛品種アケノホシとのF1、F2はすべて無毛性であったことから、すみたからの無毛性遺伝子はアケノホシと同一座にあり、従来から育種に利用されてきた無毛性と同じであることが明らかとなった。

RAPD法によるイネ品種解析(第5章)

 RAPD(Random Amplified Polymorphic DNA)法のイネ品種解析への応用技術確立を目的に、日本型亜種18品種、ジャワ型5品種、インド型12品種を含むイネ35品種の品種識別と系統分類を試み、さらにすみたからとその親品種のDNAレベルでの解析を試みた。プライマーとして、独自にデザインした12種を含む13種のRAPDプライマーと8種(4組)の配列特異的プライマーを用いた。得られた安定なバンド100本のうち54本が品種間で多型を示し、変異体2品種を除くすべての品種を識別することができた。得られた系統樹では、35品種が4つのクラスターに分類され、各々日本型、ジャワ型、インド型の3亜種および日本型×インド型の後代品種に対応し、またジャワ型はインド型よりも日本型に遺伝的に近いことが示された。これらは形態やアイソザイムによる従来の分類と一致し、RAPDは品種識別や系統分類に有効であることが示された。形態やアイソザイムによる分析と比較して、RAPDでは多くのマーカーが利用可能で植物の生育ステージに関係なく分析ができることから、品種改良での利用により適している。無毛性ソマクロナル変異体品種すみたからとその親品種の黄金晴、変異原処理で得た短稈の変異体品種とその親品種ではDNAレベルでの差異を検出できず、このことは、変異体品種ではゲノムレベルでの劇的なレアレンジメントは起きていないことを示唆する。さらに、イネで用いたRAPDプライマーは、レタス類の系統分類でも有効であり、種々の植物種へ適用可能なことが明らかとなった。

 今後、アジア、アフリカ、南アメリカなどで爆発的な人口増加が予想され、また今まで以上に富める国と貧しい国の格差が広がるであろう。より一層の食糧増産が必要となるが、育種面ではバイオテクノロジー・DNA育種技術の開発とその品種改良への利用が食糧増産の切り札になるであろう。本研究の成果が、食糧増産に多少なりとも貢献できることを願っている。

審査要旨

 本論文はイネ(0ryza sativa L.)育種技術の改良を目的に,新しい葯培養方法の開発とソマクロナル変異の解析について述べたものであり,6章から成っている。

 第1章では,本研究の背景として,イネ育種の歴史および現状の問題点について述べ,バイオテクノロジーとDNA育種技術の開発とその育種への利用の必要性について述べている。

 第2章では,イネ育種期間の短縮に利用される葯培養法の改良を目的に,新しい葯培養法を開発した。その方法は,イネの葯を植物ホルモン水溶液で浸漬前処理した後,ホルモンを含まない培地で培養する方法で,形成したカルスを再分化培地に移すことなく再分化植物を得る,「葯培養一段階法」である。植物ホルモンとして,ナフタレン酢酸とベンジルアデニンを同時処理したとき,最も高い効果が得られることを明らかにした。従来法と比較して本一段階法は,(1)カルス形成率・再分化率が高いこと,(2)植物体再分化が早いこと,(3)再分化植物で半数体が70%と高いこと,(4)次世代で形質の分離が見られないこと,等の優れた特徴を持ち,その理由は体細胞不定胚を経由して再分化が起こるためと結論された。

 第3章では,有用な変異を獲得できる反面,その制御が困難なソマクロナル変異について総合的な知見を得ることを目的に,三種の培養法で生じる培養変異を比較し系統的に解析した。ソマクロナル変異の頻度は培養期間の長さに比例して高くなり,その種類は稈長と毛性で普遍的に,種子稔性や穂数に関するものが一段階法以外で見られた。各変異は方向性を持ち,稈長では短稈化,毛性では減少,稔性では低下を示した。特筆すべきは,機械作業時のほこりを抑える有用形質である,無毛性ソマクロナル変異が高頻度に得られたことである。実際にイネ無毛新品種「すみたから」を育成し,本変異が品種改良に有効なことを実証した。

 第4章では,すみたからの無毛性を遺伝学的,形態学的に解析した。すみたからでは,有毛原品種の黄金晴と同じ毛茸を持つが,3種類の剛毛と穎毛の形成がおさえられることを明らかにした。すみたから×黄金晴,すみたから×オオセト(有毛)のF1,F2集団の葉毛を調査した結果,F1では有毛親に比べて少ないものの葉毛が観察され,F2では有毛個体と無毛個体が3:1の比率であった。この結果から,すみたからの無毛性は単一の劣性遺伝子によることを示した。一方,無毛品種アケノホシとのF1,F2はすべて無毛性を示したことから,すみたからの無毛性遺伝子は,従来から育種に利用されてきたアケノホシの無毛性と同一座にあることを明らかにした。

 第5章では,RAPD(Random Amplified Polymorphic DNA)法のイネでの技術確立を試みた。すみたからを含むイネ35品種の品種識別と系統分類を試みた結果,変異体2品種を除くすべての品種が識別できた。系統樹では,35品種が4つに分類され,各々日本,ジャワ,インド型の3亜種および日本型×インド型の後代品種に対応した。RAPD法では,植物の生育ステージに関係なく分析でき,多数のマーカーが利用可能なことから,形態やアイソザイム分析に代わり実際の品種改良での利用可能性を示した。すみたからと親品種の黄金晴ではDNAレベルでの差異を検出できず,ゲノムレベルでの劇的な再構成は起きていないことを確認した。

 第6章は本論文の総合考察であり,新しい葯培養法,ソマクロナル変異およびDNA育種技術のイネ品種改良への応用について考察している。

 以上,本論文ではイネの新しい葯培養法を確立するとともに,組織培養で生じるソマクロナル変異を詳細に解析し,さらに無毛性変異を遺伝学的・形態学的に解明したものであり,学術上ならびに応用上貢献するところが多い。よって審査委員一同は,申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判定した。

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