学位論文要旨



No 212444
著者(漢字) 清田,洋正
著者(英字)
著者(カナ) キヨタ,ヒロマサ
標題(和) 光学活性昆虫フェロモンの合成研究
標題(洋)
報告番号 212444
報告番号 乙12444
学位授与日 1995.09.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12444号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 鈴木,昭憲
 東京大学 教授 室伏,旭
 東京大学 教授 瀬戸,治男
 東京大学 助教授 渡辺,秀典
内容要旨

 昆虫の、同一種個体間における情報伝達を担う手段として重要なものにフェロモンがある。フェロモンは、昆虫の行動を化学生態学的に明らかにする手段として、また環境に負荷の少ない新しい農薬として期待されている。多くのフェロモンは単純な構造の低分子有機化合物であるが、立体異性と生物活性の間には、様々な関係があることが分かってきた。あるフェロモンについてその活性を正確に把握するためには、絶対構造の決定を含めた各エナンチオマー、ジアステレオマーの高純度での合成と、それに続く生物活性試験が必要である。そしてフェロモンの実用化には、効率の良い合成法の開発が求められる。本論文では数種のフェロモンについて、絶対構造の決定を含めた第一合成の達成、そして改良合成法の開発を行った。

 第2章ではキクイムシDryocoetes autographusとDendroctonus frontalisの集合フェロモン構成成分である(+)-endo-Brevicomin[(+)-1]の新規合成法について検討した。キクイムシは、樹木に穴をあけて短期間で枯らしてしまう害虫であるが、集合フェロモンによって仲間を誘引し、一本の木を集中的に攻撃する。(+)-1はその鏡像体が存在すると活性が低下するので、高光学純度での合成が必要である。文献既知である2の酵素触媒不斉アセチル化反応に改良を加えて、3を得た(収率80%、95%e.e.)。3の両末端を順次、トリフルオロメタンスルホン酸エステルに変換し、アルキル化することで4に導いた。4から5を経て(+)-1を合成した(全収率24%、99.1%e.e.)。過去の合成と比べて、効率良いフェロモン供給が可能になった。

 

 第3章では、アフリカヤシゾウムシ(Rhynchophorus phoenicis)の集合フェロモンであるphoenicol(6)と、アジアヤシゾウムシ(Rhynchophorus vulneratus、Metamasius hemipterus)の集合フェロモン主成分であるferrugineol(7)の絶対立体配置の決定を目的として、第一合成を行った。ヤシゾウムシはヤシの樹幹を傷付ける害虫であり、ヤシ林の維持に重大な脅威となっている。GC分析の結果、6および7何れもその四異性体混合物(合成品)は、2ピーク(アキラルな固定層を担持したカラム)または4ピーク(キラルな固定層を担持したカラム)に分かれること、そして天然物のピークは何れの場合も保持時間が最も短いピークと一致することが分かっていた。

 

 まず、phoenicol(6)のラセミ体合成を行った。シン型およびアンチ型を簡便に合成し、GC分析することにより、6の相対立体配置をシン型と決定した。

 

 Ferrugineol(7)もphoenicol(6)と同じ相対配置を有すると想定して、6および7についてシン型の両鏡像体合成を行った。文献既知の方法で8のPPL触媒不斉加水分解反応を行い、9を得た(約90%e.e.)。9を光学的にほぼ純粋な10に変換した。10のエポキシ環を、トリメチルアルミニウムあるいはジメチル銅リチウムを用いて、選択的にメチル化して11と12を得た。11と12は、それぞれ両末端を順次アルキル化することで6と7の両鏡像体に変換した(≧99.5%e.e.)。GC分析の結果から、phoenicol(6)とferrugineol(7)の絶対立体配置を何れもS,Sと決定した。

 

 第4章では、寄生バチMacrocentrus grandiiの性フェロモン第3構成成分である(2S,4R,5S)-trimethyl-5-heptanolide(13)の新規合成法を開発した。このハチは、European corn borerの幼生に寄生する捕食寄生者である。北米では、このコーンボーラーの害を防ぐため、古くからこのハチが利用されてきた。13は他の構成成分である14あるいは15に対して共力的に作用する。既に13の第一合成は達成されているが、さらに効率的な合成法の開発と生物活性試験のための試料供給を目的として、合成を行った。

 

 光学的にほぼ純粋な(R)-シトロネル酸メチル(16)から17を経て18に導いた。18に対しオキシ塩化リンを用いて脱水反応を行い、目的物19とその異性体20を得た。20は原料である18に再変換した。19から環化前駆体であるカルボン酸21を調製し、これにプロモラクトン化反応を行い22を得た。さらに数段階を経て13およびその異性体23を合成した。13と23について生物活性試験を行う予定である。

 

 各章において、昆虫のフェロモンを高光学純度(≧99%e.e.)で合成することに成功した。このように高純度合成が当たり前となった現在では、新たにフェロモンが単離されれば直ちに合成が行われて、個別撃破的にキラリティーと生物活性の関係が明らかにされてゆくと考えられる。今後フェロモン研究において有機合成がはたしてゆく役割としては、新規アナログや大量合成法の開発による実用面での貢献、そして分子レベルにおける感覚受容機構(フェロモンとレセプターの関係)の解明の二点が考えられる。有機合成手法自身の進化と、分子生物学などの他分野の共同により、大きな発展が期待される。

審査要旨

 本論文は不斉炭素を有する昆虫フェロモンの光学活性体合成に関するもので6章よりなる。昆虫の同一種個体間における情報伝達物質として知られるフェロモンは昆虫の行動の化学生態学的研究の上からだけでなく農薬としての応用面からも重要な物質である。著者はこの点に着目し、数種の昆虫フェロモンについて新規な高効率合成法の開発や絶対立体配置も含めた構造決定を目的として以下の合成研究を行った。

 まず第1章で研究の意義や背景について概説した後、第2章ではキクイムシDryocoetes autographusとDendroctonus frontalisの集合フェロモン構成成分である(+)-endo-Brevicomin[(+)-1]の新規合成法について述べている。文献既知である2の酵素触媒不斉アセチル化反応に改良を加えて、3を得た。3の両末端を順次、トリフルオロメタンスルホン酸エステルに変換し、アルキル化することで4に導いた。4から5を経て(+)-1を合成した(全収率24%、99.1%e.e.)。過去の合成と比べて、効率良い(+)-1の供給が可能になった。

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 第3章では、アフリカヤシゾウムシ(Rhynchophorus phoenicis)の集合フェロモンphoenicol(6)と、アジアヤシゾウムシ(R.vulneratus、Metamasius hemipterus)の集合フェロモン主成分ferrugineol(7)の絶対立体配置の決定を目的として、合成を行った結果について述べている。まず、ラセミ体合成を行い、GC分析から6の相対配置をシン型と決めた。

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 さらに6及び7についてシン型の両鏡像体合成を行った。文献既知の方法で8から得られる10のエポキシ環を選択的にメチル化して11と12を得た。それぞれ両末端を順次アルキル化することで6と7の両鏡像体を初めて合成した(≧99.9%e.e.)。GC分析の結果からphoenicol(6)、ferrugineol(7)の絶対立体配置を何れもS,Sと決定した。

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 第4章では、寄生バチMacrocentrus grandiiの性フェロモン第3構成成分である(2S,4R,5S)-2,4,6-trimethyl-5-heptanolide(13)の新規合成法の開発について述べている。光学的にほぼ純粋なmethyl(R)-citronellate(14)から環化前駆体15を合成した。これにプロモラクトン化反応を行い16を得、さらに数段階を経て13を合成した。

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 第5章では、以上の結果をまとめて結論している。第6章は実験の部である。

 以上本論文は、4種の光学活性昆虫フェロモンについて実用的供給も可能な高効率的新規合成法の開発あるいは合成による絶対立体配置決定を行ったもので学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、申請者に対し博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判定した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53925