学位論文要旨



No 212445
著者(漢字) 近藤,章
著者(英字)
著者(カナ) コンドウ,アキラ
標題(和) 性フェロモントラップによるニカメイガの発生予察法開発に関する研究
標題(洋)
報告番号 212445
報告番号 乙12445
学位授与日 1995.09.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12445号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田付,貞洋
 東京大学 教授 小林,正彦
 東京大学 教授 古田,公人
 東京大学 助教授 永田,昌男
 東京大学 助教授 石川,幸男
内容要旨

 近年の我が国におけるニカメイガの発生様相は,少発生地域が大部分を占める中で,局地的な多発生地域もみられる状況にある。このような発生様相下では,地域ごとのきめ細かな発生量の把握と発生量に応じた必要最小限の防除が重要となっている。こうした観点に立った被害調査や予察灯による発生予察はこれまでにも行われてきたが,調査や設置に多大な労力と経費を要するため,より簡便な発生予察法の開発が望まれていた。さらに,ニカメイガの性フェロモン成分が解明されたことを契機に,性フェロモントラップによる発生予察法の確立が急がれた。本論文は,調査や設置が簡便な性フェロモントラップを利用し,その誘殺特性を明らかにすることによって,ニカメイガの発生予察法を確立しようとしたものである。得られた成果の概要は以下のとおりである。

I性フェロモントラップの誘殺数に影響する諸要因

 性フェロモントラップの誘殺数に諸要因を明らかにすることによって,発生予察を行うための適切なトラップの設置条件を検討した。

 (1)水盤式トラップと粘着式トラップの誘殺数を比較すると,越冬世代では水盤式の方が有意に多かったが,第1世代では有意差がなかった。粘着式トラップとファネルトラップでは,両世代とも誘殺数に有意差がなかった。越冬世代に対する第1世代の誘殺数の比率は,粘着式トラップが最も高く(0.8〜1.6),次いでファネルトラップ(0.5),水盤式トラップ(0.2〜0.4)の順で,粘着式トラップが最も予察灯に近い安定した値を示した。両世代の誘殺数のピーク時期は,トラップの種類にかかわらず,おおむね一致した。

 (2)地土0.5mと1.0mでの誘殺数を水盤式トラップで比較したところ,越冬世代では0.5mの方が有意に多く,第1世代では有意差がなかった。この傾向は粘着式トラップでも同様であった。ファネルトラップでは,両世代とも0.5mと1.0mで誘殺数に有意差がなかった。

 (3)水田内と畦畔での誘殺数を水盤式トラップで比較したところ,越冬世代では畦畔の方が有意に多く,第1世代では有意差がなかった。畦畔の一方が水田で他方が道路の場合と両側が水田の場合の誘殺数を粘着式トラップで比較したところ,両世代とも後者の方が有意に多かった。

 (4)性フェロモントラップの風下からマークした雄成虫を放飼し,マーク虫の捕獲率と大部分が捕獲された19〜20時の平均風速との関係を検討したところ,平均風速が0.36m/sのとき捕獲率が最大となった。

 (5)街灯の光が性フェロモントラップの誘殺数に及ぼす影響を検討したところ,街灯に近接したトラップでは両世代とも誘殺数が相対的に低下し,その影響は少なくとも30mに及ぶと考えられた。

 (6)以上のように,性フェロモントラップの誘殺数は,トラップの種類,設置場所,設置の高さ,風速,街灯の光などの要因によって影響を受けることが明らかとなった。これらの結果から,粘着式トラップを両側が水田である畦畔の地上0.5mの高さに設置するのが実用的で,街灯などの光源から少なくとも30m以上離す必要があると考えられた。

II性フェロモントラップと予察灯との比較

 性フェロモントラップの世代別の誘殺特性を予察灯との比較において明らかにするとともに,誘殺傾向の世代間差に影響する要因について検討した。

 (1)性フェロモントラップと予察灯の誘殺数を比較すると,越冬世代では性フェロモントラップの方が予察灯よりも多い傾向があったが,第1世代では性フェロモントラップの方が多い場合と少ない場合がみられた。また,予察灯では世代間の誘殺数に差がみられなかったが,性フェロモントラップでは第1世代の方が越冬世代よりも明らかに少ない傾向があった。これらの傾向は水盤式トラップと粘着式でともにみられた。また,全国と岡山県での傾向はやや異なったものの,第1世代において性フェロモントラップの誘殺効率が相対的に低下するという傾向は同じであった。

 (2)両世代の雄成虫の性フェロモン対する感受性をフラスコアッセイで比較したところ,感受性には世代間で有意差がみられなかった。

 (3)裸地において,ケージ内の雄成虫の性フェロモン源に対する反応を観察することによって有効範囲を推定したところ,その風下側最大長は風速0.36m/sのとき36.8mとなったが,世代による差は小さいと考えられた。

 (4)性フェロモントラップへの誘殺時刻を世代間で比較したところ,岡山県では両世代とも23〜24時にピークをもつ一山型を示し,雄成虫の誘殺時刻には世代間で差がなかった。しかし,地域によっては誘殺時刻が世代によって異なることも考えられた。

 (5)フライトミルを用いて雄成虫の潜在的な飛翔能力(飛翔時間,飛翔距離,飛翔速度)を世代間で比較したところ,越冬世代の方がやや勝る傾向はみられたものの,有意差は認められなかった。

 (6)水田において,トラップ間の競合を利用して1日当たり誘殺範囲を推定したところ,越冬世代では少なくとも半径100m以上,第1世代では半径約50mとなり,世代間差が認められた。また,このときのマーク雄成虫の飛翔距離は,越冬世代の方が第1世代よりも有意に長かった。

 (7)予察灯誘殺数が野外の成虫密度を反映していると仮定し,成虫密度の増加に伴うフェロモントラップの誘殺効率の変化を世代間で比較したところ,両世代とも成虫密度に依存して有意に誘殺効率が減少したが,その傾向は明らかに第1世代の方が強かった。

 (8)水田で採集した野外雌のうちに占める処女雌の比率を世代間で比較したところ,その比率は第1世代の方が越冬世代よりも有意に高かった。また,水田において性フェロモントラップのまわりに処女雌を配置すると,越冬世代ではこれらの処女雌の効果によって対照区よりも誘殺数が有意に低下したが,第1世代では対照区との間に有意差がみられなかった。

 (9)以上の結果から,第1世代では越冬世代よりも性フェロモントラップと野外処女雌との競合が相対的に起こりやすく,その結果,第1世代では誘殺効率が越冬世代よりも低下するものと考えられた。

III性フェロモントラップによる発生予察

 性フェロモントラップの発生時期の予察における有効性を検討するとともに,誘殺数に基づく要防除水準の推定を試みた。また,地域ごとの発生パターンに応じたトラップの配置方法を検討した。

 (1)性フェロモントラップと予察灯における誘殺数のピーク時期は,両世代ともほぼ一致した。また,両者の誘殺消長は平行関係にあり,予察灯の誘殺数を雌雄合計値としても,雄のみの値としても,その傾向は同様であった。したがって,性フェロモントラップによる発生時期の予察には,これまでの予察灯を主体とした予察法が適用できると考えられた。

 (2)無防除水田において,性フェロモントラップの誘殺数に基づく要防除水準の推定を試みた。両発生期とも,誘殺数と次世代幼虫による被害茎率との間には有意な直線関係が認められた。一方,誘殺数と卵塊密度,卵塊密度と被害茎率との間にも,それぞれ両発生期で高い相関関係がみられた。このように,誘殺数から被害量を推定することが可能と考えられたため,各発生期の誘殺ピーク日までの誘殺数と被害茎率との関係を検討した。その結果,両発生期とも有意な直線関係が認められ,5%減収に対応するピーク日までの誘殺数(要防除水準)は,越冬世代では56頭,第1世代では144頭と推定された。

 (3)ニカメイガの少発生地域と局地的多発生地域において,適切な性フェロモントラップの配置の仕方を検討した。特定の越冬場所がない少発生地域では,誘殺数や被害の変動幅が小さく,100ha程度の面積であれば,1台のトラップで発生動向の把握が可能と考えられた。一方,越冬場所(果樹園などに使用される稲わら)と水田とが混在する局地的多発生地域では,越冬場所からの距離によって誘殺数や被害が大きく変動するため,越冬場所から100m以内の場所にトラップを配置する必要があると考えられた。

 以上の発生予察方法の確立によって,少発生地域における薬剤散布回数の低減および局地的多発生地域における効率的防除が十分可能になると考えられた。

審査要旨

 ニカメイガは日本をはじめ,アジアからヨーロッパ南西部に広く分布する著名な稲害虫である。近年の日本では,少発生の中で局地的多発生がみられる状況にある。そのため,本種の加害に対処するには,従前以上にきめ細かい地域ごとの発生予察をおこなうことが重要である。本種の発生予察は,従来,予察灯を主体におこなわれてきたが,多大の労力と経費な要するため,より簡便な予察法の確立が望まれてきた。とくに,雌性フェロモン成分が解明されたのを契機に,調査や設置が簡便な性フェロモントラップによる発生予察法の確立が急務となっていた。本論文は,以上の背景に鑑み,性フェロモントラップによる雄性虫の誘殺特性を種々の観点から検討して,性フェロモントラップが予察灯に替わりうるニカメイガの発生予察手段として有効であることを明らかにしたものである。

I 性フェロモントラップの誘殺数に影響する諸要因

 誘殺数に影響するおもな要因と考えられる,トラップの種類,設置場所,設置の高さ,明るさなどを検討した。トラップは粘着型が,水盤型,ファネル型と比較して全発生期を通じて最も予察灯に近い安定した誘殺消長を示した。設置場所は,両側が水田の畦畔が最も安定しており,設置の高さは地上0.5mが適当であった。街灯に近いトラップでは明るさの影響で誘殺数が相対的に低下し,その影響はおよそ30mに及ぶことがわかった。

II 性フェロモントラップと予察灯の比較

 全国のデータを用いて,性フェロモントラップの世代別の誘殺特性を予察灯との比較において明らかにし,さらに,そこに示された世代間差の生理,生態学的要因を検討した。誘殺数は,越冬世代では性フェロモントラップの方が予察灯より多かったが。第1世代では多い場合と少ない場合がみられた。予察灯では世代間で誘殺数に差がみられなかったが,性フェロモントラップでは第1世代の方が越冬世代より少なかった。そこで,この世代間差の原因を調べたが,雄成虫の性フェロモン感受性,潜在的飛翔能力などの生理的性質には差がみられなかった。しかし,水田における誘殺範囲,マーク雄の飛翔距離はともに越冬世代の方が第1世代より明らかに大きかった。さらに,水田内の雌数に占める処女雌の割合が越冬世代の方が第1世代より低く,性フェロモントラップと野外処女雌との競合の程度が越冬世代で相対的に低いことが推定され,このことは野外実験によっても支持された。以上の世代間での生態的差異の原因は,越冬世代の羽化,交尾が第1世代と違って稲わらの人為的移動により主として水田外でおこなわれ,その後に雌雄の成虫が水田に飛来することによるものと考えられた。

III 性フェロモントラップによる発生予察

 性フェロモントラップによる発生時期の予察の有効性を検討し,さらに,誘殺数に基づく要防除水準の推定を試みた。また,地域ごとの発生パターンに応じたトラップの配置方法を検討した。性フェロモントラップと予察灯とは,両世代ともにほぼ一致した誘殺消長を示し,性フェロモントラップによる発生時期の予察が可能であることが示された。性フェロモントラップの誘殺数と次世代幼虫被害率には両発生期ともに有意な相関関係が得られ,これらを基に要防除水準(5%減収に対応するピーク日までの誘殺数)を越冬世代では56頭,第1世代では144頭と推定した。少発生地域と局地的多発生地域とでは,予察のための適切なトラップ配置は異なり,前者では100haに1台でよいが,後者では越冬場所から100m以内にトラップを配置するなどきめ細かい発生予察が必要と考えられた。

 以上要するに,本論文は,重要な稲作害虫であるニカメイガの性フェロモントラップの誘殺特性を総合的に検討し,誘殺効率の世代間差とその原因を明らかにするなど,本種の行動生態,個体群動態研究に新たな知見な与え,また本種の性フェロモントラップを利用した発生予察法確立に対してはもちろんのこと,他の鱗翅目害虫の性フェロモントラップによる発生予察法の問題点解決に向けても有効な知見を与えたもので,学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと判断した。

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