学位論文要旨



No 212446
著者(漢字) 浅川,晋
著者(英字)
著者(カナ) アサカワ,ススム
標題(和) 水田土壌のメタン生成細菌に関する研究
標題(洋)
報告番号 212446
報告番号 乙12446
学位授与日 1995.09.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12446号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,聰
 東京大学 教授 茅野,充男
 東京大学 教授 山崎,眞狩
 東京大学 教授 大森,俊雄
 東京大学 助教授 小柳津,広志
内容要旨

 メタンは温室効果ガスの一つであり,水田はその主な発生源の一つと考えられている.しかし,水田土壌中のメタン生成細菌の生態はほとんど未知であった.そこで,水田土壌にはどのような種類のメタン生成細菌が生息し,実際の圃場の土壌中ではどのような動態を示しているのかを明らかにした.

 1.水田土壌を接種源とし,水素+二酸化炭素を基質とした集積培養液からメタン生成細菌SA株(=DSM 7056,=JCM 9315)を分離した.SA株は極めて厳しい嫌気性で,運動性はなく,短桿でグラム染色性は陽性であった.水素+二酸化炭素とギ酸をメタン生成の基質として利用した.ビタミン類を生育のために要求したが,酢酸は要求しなかった.最適温度は35〜40℃,最適pHは6.0〜7.5であった.SA株の脂質組成はMethanobrevibacter arboriphilus A2株(=DSM 2462)と似ていた.DNAのG+C含量は26.4%であった.SA株はMethanobrevibacter arboriphilusの基準株であるDH1T株との間で70%以上のDNAの相同性を示した.表現形質及び遺伝的形質からSA株をMethanobrevibacter arboriphilusと同定した.SA株は,水田土壌から分離された水素+二酸化炭素を利用するメタン生成細菌で,種レベルまで同定された初めての菌株であった.

 2.水田土壌を接種源とし,トリメチルアミンを基質とした集積培養液より,メタン生成細菌TMA株(=DSM 9195,=JCM 9314)を分離した.TMA株はグラム染色性は陽性で,極めて厳しい嫌気性であった.細胞形態はザルチナ状で,運動性はなかった.メチルアミン類,メタノール,水素+二酸化炭素および酢酸をメタン生成の基質として利用したが,ギ酸は利用しなかった.最適温度は30〜37℃,最適pHは6.5〜7.5であった.DNAのG+C含量は42.1mol%であった.TMA株はMethanosarcina mazeiiの基準株であるS-6T株との間で80%以上のDNAの相同性を示した.以上の表現形質および遺伝的性質からTMA株をMethanosarcina mazeii と同定した.TMA株は,水田土壌から分離されたメチル化合物を利用するメタン生成細菌で,種レベルまで同定された初めての菌株であった.

 3.最確値(MPN)法による土壌中のメタン生成細菌の計数法を確立し,水稲(Oryza sativa L.)-小麦(Triticum aestivum L.)の二毛作水田圃場において,水素+二酸化炭素,メタノール及び酢酸を利用するメタン生成細菌の土壌中の密度を約2ヶ月毎に2年間にわたって調査した.供試した圃場は無肥料区,尿素,リン酸アンモニウム及び硫酸カリウムを含む高度化成肥料を施用した化学肥料区,及び小麦わらと化学肥料を施用した麦わら区の3区である.水田圃場の深さ1〜6cmの作土層における,水素+二酸化炭素,メタノール及び酢酸を利用する菌の密度はそれぞれ,乾土1g当り,103〜104,104〜105及び104〜105であった.これらの値は,土壌の水分状態(湛水,非湛水),作付け(水稲,小麦),施肥,及び土壌の深さ(0〜1,1〜10,10〜20cm)による影響を受けず,しかも2年間にわたってほぼ一定であった.

 以上本研究で得られた結果は,水田からのメタン発生量の予測や発生制御のための基礎的知見となると考えられた.

審査要旨

 温室効果ガスのうち、メタンは1分子当たり二酸化炭素の約25倍の温室効果をもち、しかも、産業革命以前には約0.8ppmであった大気中の濃度が、1992年には2倍以上の1.72ppmに増加していることから、メタンの発生源の解明と発生源からの量的把握の研究が活発に行われるようになってきた。メタン発生源の一つに考えられている水田土壌ではメタン生成については従来、物質代謝の面からの研究が主体であって、水田土壌のメタン生成細菌についてはメタン生成細菌がきわめて厳しい嫌気度を要求する偏性嫌気性細菌であるため、取扱いが繁雑であることを反映してほとんど研究が行われてこなかった。水田土壌からのメタン発生量の実態把握は、メタン生成菌の生態をブラックボックスとして扱っても可能ではある。しかし、本論文では水田土壌からのメタン発生量の将来の変動予測や発生の制御を行うためには、メタン生成反応の担い手であるメタン生成細菌の生態解明が必須であるとの視点に立ち、水田土壌にはどのような種類のメタン生成細菌が棲息し、実際の園場の土壌中ではどのような動態を示しているかというもっとも基本的な知見を得ることを目的に研究を行ったもので、緒言にあたる第1章とまとめの結章を含め、5章より構成されている。

 第2章では水田土壌を接種源として、水素+二酸化炭素を基質とした集積培養液からメタン生成細菌SA株を、また、水田土壌を接種源として、トリメチルアミンを基質とした集積培養液からメタン生成細菌TMA株をそれぞれ分離、同定したことを述べている。SA株(=DSM 7056,=JCM 9315)はきわめて厳しい嫌気性を示し、運動性はなく、短桿でグラム染色は陽性であった。水素+二酸化炭素とギ酸をメタン生成の基質として利用し、ビタミン類を生育のために要求したが、酢酸は要求しなかった。最適温度は35〜40℃、最適pHは6.0〜7.5であった.SA株の脂肪組成はMethanobrevibacter arboriphilus A2株(=DSM 2462)と類似していた。DNAのG+C含量は26.4%であり、SA株はMethanobrevibacter arboriphilusの基準株であるDH1T株との間で70%以上のDNAの相同性を示した。以上の表現形質および遺伝的形質からSA株をMethanobrevibacter arboriphilusと同定した。SA株は水田土壌から分離された水素+二酸化炭素を利用するメタン生成菌で、種レベルまで同定された最初の菌種である。

 一方、TMA株(=DSM 9195,=JCM 9314)もきわめて厳しい嫌気性を示し、細胞形態はザルチナ状で、グラム染色性は陽性であり、運動性はなかった。メチルアミン類、メタノール、水素+二酸化炭素および酢酸をメタン生成の基質として利用したが、ギ酸は利用しなかった。最適温度は30〜37℃、最適pHは6.5〜7.5であった。DNAのG+C含量は42.1mol%であり、TMA株はMethanosarcina mazeiiの基準株であるS-6Tとの間で80%以上のDNAの相同性を示した。以上の表現形質および遺伝的性質からTMA株をMethanosarcina mazeiiと同定した。TMA株は、水田土壌から分離されたメチル化合物を利用するメタン生成細菌で、種レベルまで同定されたはじめての菌種である。

 第3章では最確値(MPN)法による土壌中のメタン生成細菌の計数法を確立し、水稲-小麦の二毛作水田圃場において、水素+二酸化炭素、メタノールおよび酢酸を利用するメタン生成細菌の土壌中の密度を約2ヶ月毎に2年間にわたって調査した結果について述べている。供試した圃場は無肥料区、尿素、リン酸アンモニウムおよび硫酸カリウムを含む高度化成肥料を施用した化学肥料区、および小麦わらと化学肥料を施用した麦わら区の3区である。水田圃場の深さ1〜6cmの作土層における、水素+二酸化炭素、メタノールおよび酢酸を利用する菌の密度はそれぞれ、乾土1gあたり、103〜104、104〜105および104〜105であった。これらの値は、土壌の水分状態(湛水、非湛水)、作付け(水稲、小麦)、施肥、および土壌の深さ(0〜1、1〜10、10〜20cm)による影響を受けず、しかも2年間にわたってほぼ一定であるという興味ある事実を見い出している。

 第4章では、第2章および第3章で得られた結果をもとに水田土壌におけるメタン発生量の予測ならびに発生制御方法を確立するための今後の問題や課題を中心にした総合考察を行なっている。この中で、筆者は水田土壌からのメタン発生量を減らすには水田土壌からのメタン生成菌密度を低下させればよいという従来の推論を排し、酸化還元電位や基質などのメタン生成に必要な環境条件が整えばいつでもメタン生成を活発に行なえる状況にある新事実をもとに土壌中の微小生息部位の特徴を特定し、その上で、メタン生成細菌によるメタン生成の調節機構を解明することが、とくに重要であることを述べている。

 以上を要するに本論文は、水田土壌からのメタン発生量の予測や発生制御のための基礎的知見を明らかにしたもので、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査員一同は申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判断した。

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