内容要旨 | | 近年,フジツボ,ムラサキイガイ,ヒドロ虫あるいはヒラアオノリ等の海洋生物が船舶,水産養殖施設,発電所の冷却水取水施設等へ付着することによる産業的被害が深刻になってきている。従来,このような有害付着生物の付着阻害剤として有機スズ化合物が多用されてきたが,これらの化合物が貝類などの海洋生物に対して毒性を示すことが明らかとなり,世界的に使用規制が行われつつある。このような現状から,有機スズ化合物に代わるより安全な付着阻害剤の探索・創製等を含めた総合的な付着阻害技術の開発が急務となっている。このような状況の下に本研究は,付着生物の代表的種であるタテジマフジツボを対象として,その付着特性と付着防除の知見を得る目的で,実験室内での通年飼育と付着阻害検定法の構築,それを利用した海洋生物由来の付着阻害物質の探索とその類縁化合物の活性評価,さらに幼生の付着誘起物質について検討を行った。その概要は以下の通りである。 1.タテジマフジツボの通年飼育と付着阻害検定法の構築 タテジマフジツボの着生可能なキプリス幼生を用いて付着研究を行うためには,実験室内で世代交代を重ねながら飼育した成体と,それらから得られるノープリウス幼生の成長およびキプリス幼生の付着動態が安定していることが重要である。そこでまず,成体を飼育するための餌料の検討を行ったところ,動物プランクトンのアルテミア孵化幼生あるいは植物プランクトンのSkeletonema sp.を餌料として与えると,自然と同様な成長速度を示すことが判った。さらに,アルテミア餌料で飼育した成体から孵化したノープリウス幼生は浮遊珪藻Chaetoceros calcitransを与えて飼育すると,付着幼生のキプリスまで成長した。しかし,Skeletonema餌料で飼育した親から孵化したノープリウス幼生は,同一条件で飼育してもキプリス幼生まで成長しなかった。このように成体に与える餌料が孵化幼生の成長に大きな影響を与えることが明らかになった。 次に,このようにして得られたキプリス幼生を用いて,付着に及ぼす光照度,付着基盤の色,塩分,水温および水圧の影響について調べた。まず,基盤の明暗には感受性が強く,黒色より白色の場所に多くの付着が認められた。塩分は14〜52‰の広範囲で30%以上の付着が認められた。水温20〜30℃で40%以上の付着率を示したが,10℃以下では付着はしなかった。水圧10,000kPa以下では,常圧と変わりない付着率を示したが,20,000kPaを越えると付着率は低下し,40,000kPaでは付着することなく幼生は死亡した。 以上の結果を参考にして環境条件を設定し,実験室内で世代交代を重ねながら飼育した成体から得た幼生の付着動態について調べた。すなわち,成体の殻底長径が3mm以下では珪藻をそれ以上ではアルテミアを餌料として与えて,2年間飼育した。この間,3回の世代交代を経て4代目の成体まで成長した。3代目〜4代目にかけての1年間月毎の付着率の変化を調べたところ,60〜80%と安定していた。また,4代目成体から孵化したノープリウス幼生と,同日清水港より採取した成体より孵化したノープリウス幼生を,同一条件でキプリス幼生まで飼育して,付着動態の差異を調べるとともに,付着阻害剤のTBTO bis(tri-n-butyltin)oxideを用いて薬剤感受性を検討した。養成種および野生種の付着率は,それぞれ75%および60%であった。TBTOに対しては両者ともに最小付着阻害濃度(MIC)0.13ppmで付着が阻害された。これらの結果は室内飼育した成体から得られたキプリス幼生は,野生成体から得られたものと同等の付着挙動を示すことを表すもので,十分付着阻害検定に使用可能であると判断した。 そこで,次のような付着阻害検定法を確立した。すなわち,直径35mmのプラスチックシャーレにメタノールに溶解した検定物質を塗布し,乾燥後5mlの濾過海水(32‰)を加えた。これに室内飼育した成体から得られたキプリス幼生を10匹ずつ入れ,23℃に静置した。24時間後に顕微鏡下でシャーレ底面への付着率を調べた。さらに,MICと幼生に対する30%致死濃度(LC30)を把握することにより,より低毒性の付着阻害剤の開発が望めると判断した。 2.海洋生物からのフジツボ付着阻害物質の探索 次に,上記検定法を用いて,主に付着生物が付かない海洋無脊椎動物から付着阻害剤を探索した。すなわち,1990〜1992年にかけて本州沿岸,小笠原,硫黄島,パラオ島およびヤップ島海域で主として研究調査船「蒼玄丸」を用いて133種の生物を採取し,それらの抽出物についてフジツボ付着阻害活性を調べたところ,38種に活性が認められた。これらのうち,活性の強かった試料について活性本体の解明を試みた結果,小笠原海域で採取したトゲトサカDendronephthya sp.から,トリゴネリン(1)を単離・同定できた。そこで,その類縁体のホマリン,ニコチン酸,ピコリン酸およびイソニコチン酸について活性を検討したが,活性は認められなかった。次に,駿河湾産のクロイソカイメンHalichondria okadaiから分離した細菌Alteromonas sp.KK10304に付着阻害作用を認め,培養して活性成分の検討を行ったところ,活性の本体はユビキノン-8(2)であった。そこで,各種ユビキノン類あるいはビタミンK類の付着阻害作用を検定した結果,ほとんどのキノン類に活性を認めた。最後に,清水港で採取した触手動物ホンダワラコケムシZoobotryon pellucidumより付着阻害活性を示す2,5,6-トリブロモ-1-メチルグラミン(TBG)(3)を単離・同定した。 3.2,5,6-トリブロモ-1-メチルグラミンとその類縁化合物の付着阻害活性 上記のTBGはMIC0.03ppmの付着阻害活性を示した。これはTBTOの約3〜6倍の活性に相当し,しかも,幼生に対する致死活性はTBTOより弱かった。そこで,産業上より有効な付着阻害剤の創製を目指して,TBGをリード化合物として誘導体を合成し,構造-活性相関を検討した。まず,インドール環に着目して合成した111種の化合物について活性を調べた。その結果,多くの化合物に活性が認められたが,これらのうち2-メチルグラミンや2-メチル-3-モルフォリノインドールは活性がそれほど強くないものの,TBGに類似の作用を示した。さらに,致死作用が弱く,顕著な付着阻害活性を示すには,インドール環の3-位にアミノメチル基が必要であり,他の位置に置換基が存在することによりさらに活性が高くなることが判明した。次に,インドール環の3-位をジメチルアミノメチル基(グラミン)に固定し,置換基効果について35種の化合物を検定した結果,TBGより高い活性をもつ化合物を5種,TBGと同等の化合物を3種認めた。なかでも,5,6-ジクロルグラミンはTBGの4〜8倍の高い活性を示した。以上の結果から,置換基の電子的あるいは立体的効果が活性に影響していることが推察できた。さらに,有望な11種の化合物について変異原性(エームズ試験)を調べたところ,8種の化合物には変異原性が認められなかった。 4.L-DOPAと類縁体の付着に及ぼす影響 カキ,アワビ,ムラサキイガイなどの軟体動物においては,神経伝達物質が幼生の付着・着底誘起作用を示すことが知られているので,キプリス幼生についても各種神経伝達物質の付着誘起作用について調べた。その結果,日令の少ない若い幼生を10-5〜10-4MのL-DOPAに24時間暴露すると,付着が誘起されることが認められた。しかし,より高濃度では付着はするが,幼体への変態は阻害された。一方,L-DOPAに3〜6時間接触させた後,新鮮な海水へ戻すと,付着・変態が正常に誘起された。従って,L-DOPAの分解物が変態を阻害するものと考えられた。同様に,ドーパミンも類似の作用を示した。さらに,類縁体について調べた結果,L-トリプトファンにL-DOPAとほぼ同等の活性がみられた。さらに,その代謝物のセロトニン(5-HT)に強い活性(10-7〜10-5M)が認められた。一方,日令が加わったキプリスを用いると,5-HTには効果が認められなかった。また,このキプリスに対して5-HTの枯渇剤であるレセルピンは10-7Mで付着阻害作用を示した。 これらの結果は,アミン系神経伝達物質がキプリス幼生の付着挙動に影響を与えことを示唆するものである。興味あることに,TBG系化合物にはマウスに対して抗 5-HT作用が報告されているので,タテジマフジツボキプリス幼生においても同様の作用を示す可能性がある。 以上本研究では,タテジマフジツボの周年飼育に成功するとともに,付着阻害検定法を構築することができた。そして,本試験を用いて,海洋生物から顕著な付着阻害作用を示す物質を単離・同定した。また,得られた有望な阻害物質をリード化合物としてより有望な付着防止剤を創製することができた。今後,環境にやさしい付着防止剤として応用されることが期待される。 |