学位論文要旨



No 212449
著者(漢字) 永田,裕二
著者(英字)
著者(カナ) ナガタ,ユウジ
標題(和) Sphingomonas paucimobilisのγ-HCH分解関与酵素群とそれらの遺伝子に関する研究
標題(洋) Studies on enzymes and genes for γ-HCH degradation in Sphingomonas paucimobilis
報告番号 212449
報告番号 乙12449
学位授与日 1995.09.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12449号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 山崎,眞狩
 東京大学 教授 児玉,徹
 東京大学 教授 松本,聰
 東京大学 助教授 太田,明徳
内容要旨

 人類は有機化学工業の発達に伴って様々な化合物を生み出してきたが、こうした人為起源物質のほとんどは環境中に放出されても自然界の物質循環に組み込まれにくく、環境汚染を引き起こしている。方、細菌を中心とした微生物の中には、こうした非天然化合物に対しても分解資化能を発達させてきたものも存在する。γ-hexachlorocyclohexane(HCH,BHC,lindane)は代表的な人工の有機塩素系殺虫剤であるが、人体への有害性、環境中での残留性が指摘され、先進諸国では使用が禁止されている。しかし、過去に大量に使用した地域では残留汚染が存在し、発展途上地域では経済的な理由から現在も使用が続けられており、地球的規模の環境汚染が深刻な問題となっている。当研究室ではγ-HCH連用試験圃場から分離されたγ-HCHを好気的に分解資化できるSphingomonas paucimobilis SS86のナリジキシン酸耐性変異株、UT26を材料として本菌のγ-HCH分解系の研究を開始した。当研究室の従来の研究でUT26のγ-HCHの初発分解反応がγ-pentachlorocyclohexene(PCCH)を生じる脱塩化水素反応であることが分かっており、また、その反応を触媒する酵素遺伝子,linAの単離と解析が行われていた。本研究ではUT26による γ-PCCH 以降の分解代謝に関与する酵素遺伝子群の単離と解析、およぴ遺伝子産物の生化学的解析を目的とした。

 第1章 トランスボゾンTn5によるγ-HCH dehydrochlorinase(LinA)活性に欠陥を持つ変異株の分離とその性質 Sphingomonas中で複製できないプラスミド、pKTY320にTn5を組み込みpKTY320::Tn5を作製し、これを三親接合伝達でUT26に導入することにより、S.paucimobilisへのTn5挿入変異導入系を確立した。プレート上に生育させたコロニーに γ-HCH を噴霧し分解能を検討することによって、LinA活性を失った変異株、UT64の分離に成功した。更に、UT64の粗酵素抽出液に精製したLinAを補うことよって、LinA活性がγ-HCHからγ-PCCHを生じる反応だけでなく、γ-PCCHから2,5-dichloro2,5-cyclohexadiene-1,4-diol(2,5-DDOL)を生じる反応にも必要であることを示した。

 第2章 1,3,4,6-tetrachloro-1,4-cyclohexadiene halidehydrolase(LinB)遺伝子のクローン化とその性質 第1章の結果をふまえて、linA遺伝子を補っなP.putida PpY101LA株(バックグラウンドとしてLinA活性を発現する)を作製し、この株にUT26の遺伝子ライブラリーを導入し、γ-HCHから2,5DDOLを生じるクローンを検出器にECDを用いたガスクロマトグラフィーで選択する方法(GC法)でlinB遺伝子のクローン化に成功した。linB遺伝子の塩基配列を決定し、推定アミノ酸配列の相同性検索を行ったところ、haloalkane dehalogenase(DhlA)をはじめとする加水分解酵素と有意な相同性を示し、活性中心と予想されるアミノ酸残基周辺では特に高い保存性を示した。LinBの基質特異性に興味が持たれたので、UT26およびLinBを高発現させたE.coliの休止菌体の様々なハロゲン化物に対する脱ハロゲン活性を検討した結果、LinBは、DhlAに比べてかなり基質特異性の広い酵素であることが示唆された。

 第3章 LinBの精製とその性質 E.coli中で高発現させたLinBについて、硫安分画、疎水クロマト、2種類の陰イオン交換クロマト、ゲルろ過の各ステップを経てSDS-PAGE上で単一のバンドになるまで精製した。至適pHが8.2であること、単量体であること等の特徴はDhlAと同じであったが、基質特異性は DhlA に比べてかなり広く、長鎖 monochloroalkane 類、炭素鎖内部に塩素原子を持つmonochloroalkane類、dichloroalkane類、塩素以外のhalogenated alkane類、chlorinated allphatic alcohol類についても基質とし得ることが明らかになった。

 第4章 2,5-dichloro-2,5-cyclohexadiene-1,4-diol dehydrogenase(LinC)遺伝子のクローン化とその性質 GC法で、2,5-DDOLを2,5-dichlorohydroquinone(2,5-DCHQ)に変換する活性を持つ脱水素酵素遺伝子linCのクローン化に成功した。linC遺伝子の推定アミノ酸配列は、生物界に広く存在するshort chain alcohol dehydrogenase familyと呼ばれる一群の酵素と有意な相同性を示し、LinCもまた、その一員であることが明らかになった。また、linAの近傍にP.putida,E.coli中でLinC活性を示すlinCとは異なる酵素遺伝子linXが存在していた。しかし、linC遺伝子を失ったmutantは、linX遺伝子を保持しながらLinC活性を示さず、γ-HCHを唯一の炭素源として生育が出来なくなること、linC遺伝子をプラスミドで相補することで活性が復活すること、およびUT26の全RNAに対するノーザン解析の結果、linC遺伝子は構成的に発現しているが、linX遺伝子の発現は認められなかったことから、UT26のγ-HCH分解代謝においては、linC遺伝子は必須であるがlinX遺伝子は機能していない可能性が強く示唆された。

 第5章 トランスポゾンTn5による2,5-dichlorohydroquinone分解能に欠陥を持つ変異株の分離とその性質 γ-HCHはLinA,LinB,LinCの作用で1,2,4-TCB,2,5-DCP,2,5-DCHQに変換されるが、1,2,4-TCBと2,5-DCPはUT26によってそれ以上分解されないdead-end産物であった。一方、2,5-DCHQはUT26によって無機化された。そこで、2,5-DCHQ以降の分解について検討を加えた。休止菌体の分解活性を検討し、2,5-DCHQの分解活性は誘導的に発現することを示した。また、γ-HCH噴霧後のコロニーの色の変化を観察することにより、2,5-DCHQ分解に欠陥を持つ3種類のTn5 mutantの単離に成功した。このうち2種類のmutantのTn5挿入部位をUT26ゲノムライブラリーからクローン化したが、他の宿主(E.coli,P.putida)中での活性の発現、およびmutantの相補は観察されず、クローン化した断片が実際に2,5-DCHQの分解に関与しているか否かは現在のところ不明である。

 第6章 γ-HCH分解代謝系酵素群の細胞内局在性の解祈 これまでの研究で明らかにしたγ-HCH分解に関与する酵素活性がS.paucimobilisの細胞内のどの部分に局在化しているかについての検討を行った。その結果、γ-HCHの分解の最初のステップの反応を行うLinA,LinB酵素活性の多くがペリプラズム画分に、LinC活性は膜画分に存在することが明らかになった。更に、linA,linB遺伝子を大腸菌中で高発現させた場合にも酵素活性の多くがペリプラズム画分に存在していた。塩基配列からはこれらの酵素遺伝子に分泌シグナルと思われる配列は存在しておらず、局在化機構は全く不明であるが、難分解性物質の分解系酵素群の局在性についてはこれまでのところ情報が少なく、興味深い知見を得ることが出来た。

 総合考察 本研究以前の研究、本研究との共同研究から得られた知見も含めてUT26におけるγ-HCH分解代謝についてこれまでに明らかにしてきた知見をまとめると次の2点に要約される。第1の点は複数の脱塩素ステップを含み、シクロヘキサン環からベンゼン核を形成するというこれまでに報告のないユニークな好気的γ-HCHの分解代謝経路(Fig.1)を明らかにした点である。この分解代謝経路は1,2,4TCBと2,5-DCPという2つのdead-end産物を生じるという、いわば不完全な経路であり、実際の環境浄化への応用を考える場合には、LinB活性を強化してやる、1,2,4-TCB分解菌にlinAを導入してやる、等のより効率的なγ-HCH分解経路を遺伝子操作を用いて創造してやる余地がある。第2の点はUT26のγ-HCH分解に関与する3つの遺伝子(linXは除く)の単離に成功した点である(Table)。linAはG+C含量が他の遺伝子、およびS.paucimobilisのtype strainのG+C含量(65%)に比べて異常に低く、相同配列も存在しないことから、他の生物由来の遺伝子であることが示唆される。また、linA,linB,linCの3つの遺伝子のうち、複数の遺伝子を含むコスミドクローンが得られていないことから、これら3つの遺伝子はオペロンを形成しておらず、互いに離れて存在していると考えられる。以上、UT26のγ-HCHの分解遺伝子についての解析データは、細菌の難分解性物質への適応機構を探る上で貴重なデータであると思われる。UT26のγ-HCHへの適応機構として、Fig.2のような図式を考えることが出来る。すなわち、まず最初に基質と接触する酵素の遺伝子は外来の遺伝子を利用していると思われる。次に、最初の反応によって基礎代謝産物に近い物質へと変換されたものに対しては既に自分が持っていた遺伝子を発達させることによって対応する。そして、最終的には発現制御が存在するまでに十分に確立された既存の遺伝子系を使って代謝していく、というものである。

Table Four genes for the early steps of γ-HCH degradation from S.paucimobilis UT26図表Fig.1 Proposed assimilation pathway of γ-HCH by Sphingomonas paucimobilis UT26 / Fig.2 Proposed mechanism of adaptive acquisition of assimilation ability for γ-HCH in Sphingomonas paucimobilis
審査要旨

 γ-hexachlorocyclohexane(γ-HCH,γ-BHC,lindane)は代表的な人工の有機塩素系殺虫剤であるが,人体への有害性,環境中での残留性が指摘され,先進諸国では使用が禁止されている。しかし,過去に大量に使用した地域では残留汚染が存在し,発展途上地域では経済的な理由から現在も使用が続けられており,地球的規模の環境汚染が深刻な問題となっている。当研究室ではγ-HCH連用試験圃場から分離されたγ-HCHを好気的に分解資化できるSphingomonas paucimobilis SS86のナリジキシン酸耐性変異株,UT26を材料として本菌のγ-HCH分解系の研究を開始した。当研究室の従来の研究でUT26のγ-HCHの初発分解反応がγ-pentachlorocyclohe-xene(γ-PCCH)を生じる脱塩化水素反応であることが分かっており,また,その反応を触媒する酵素遺伝子,linAの単離と解析が行われていた。本研究ではUT26によるγ-PCCH以降の分解代謝に関与する酵素遺伝子群の単離と解析,および遺伝子産物の生化学的解析を目的とした。

 第1章 トランスポゾンTn5によるγ-HCH dehydrochlorinase(LinA)活性に欠陥を持つ変異株の分離とその性質 Sphingomonas中で複製できないプラスミド,pKTY320にTn5を組み込みpKTY320::Tn5を作製し,これを三親接合伝達でUT26に導入することにより,SpaucimobilisへのTn5挿入変異導入系を確立した。プレート上に生育させたコロニーにγ-HCHを噴霧し分解能を検討することによって,LinA活性を失った変異株,UT64の分離に成功した。更に,UT64の粗酵素抽出液に精製したLinAを補うことによって,LinA活性がγ-HCHからγ-PCCHを生じる反応だけでなく,γ-PCCHから2,5-dichloro-2,5-cyclohexadiene-1,4-diol(2,5-DDOL)を生じる反応にも必要であることを示した。

 第2章 1,3,4,6-tetrachloro-1,4-cyclohexadiene halidohydrolase(LinB)遺伝子のクローン化とその性質 第1章の結果をふまえて,linA遺伝子を補ったP.putida PpY101LA株((バックグラウンドとして)LinA活性を発現する)を作製し,この株にUT26の遺伝子ライブラリーを導入し,γ-HCHから2,5-DDOLを生じるクローンをECDを検出器に用いたガスクロマトグラフィーで選択する方法(GC法)でlinB遺伝子のクローン化に成功した。linB遺伝子の塩基配列を決定し,推定アミノ酸配列の相同性検索を行ったところ,haloalkane dehalogenase(Dh1A)をはじめとする加水分解酵素と有意な相同性を示し,活性中心と予想されるアミノ酸残基周辺では特に高い保存性を示した。LinBの基質特異性に興味が持たれたので,UT26およびLinBを高発現させたE.coliの休止菌体の様々なハロゲン化物に対する脱ハロゲン活性を検討した結果,LinBは,DhlAに比べてかなり基質特異性の広い酵素であることが示唆された。

 第3章 LinBの精製とその性質 E.coli中で高発現させたLinBについて,硫安分画,疎水クロマトグラフィー,2種類の陰イオン交換クロマトグラフィー,ゲルろ過の各ステップを経てSDS-PAGE上で単一のバンドになるまで精製した。至適pHが8.2であること,単量体であること等の特徴はDhlAと同じであったが,基質特異性はDhlAに比べてかなり広く,長鎖monochloroalkane類,炭素鎖内部に塩素原子を持つmonochloroalkane類,dichloroalkane類,塩素以外のhalogenated alkane類,chlorinated aliphatic alcohol類についても基質とし得ることが明らかになった。

 第4章 2,5-dichloro-2,5-cyclohexadiene-1,4-diol dehydrogenase(LinC)遺伝子のクローン化とその性質 GC法で,2,5-DDOLを2,5-dichlorohydroquinone(2,5-DCHQ)に変換する活性を持つ脱水素酵素遺伝子linCのクローン化に成功した。linC遺伝子の推定アミノ酸配列は,生物界に広く存在するshort chain alcohol dehydrogenase familyと呼ばれる一群の酵素と有意な相同性を示し,LinCもまた,その一員であることが明らかになった。

 第5章 トランスポゾンTn5による2,5-dichlorohydroquinone分解能に欠陥を持つ変異株の分離とその性質 γ-HCHはLinA,LinB,LinCの作用で1,2,4-TCB,2,5-DCP,2,5-DCHQに変換されるが,1,2,4-TCBと2,5-DCPはUT26によってそれ以上分解されないdead-end産物であった。一方,2,5-DCHQはUT26によって無機化された。そこで,2,5-DCHQ以降の分解について検討を加えた。休止菌体の分解活性を検討し,2,5-DCHQの分解活性は誘導的に発現することを示した。また,γ-HCH噴霧後のコロニーの色の変化を観察することにより,2,5-DCHQ分解に欠陥を持つ3種類のTn5 mutantの単離に成功した。

 第6章 γ-HCH分解代謝系酵素群の細胞内局在性の解析 これまでの研究で明らかにしたγ-HCH分解に関与する酵素活性がS.paucimobilisの細胞内のどの部分に局在化しているかについての検討を行った。その結果,γ-HCHの分解の最初のステップの反応を行うLinA,LinB酵素活性の多くがペリブラズム画分に,LinC活性は膜画分に存在することが明らかになった。更に,linA,linB遺伝子を大腸菌中で高発現させた場合にも酵素活性の多くがペリプラズム画分に存在していた。塩基配列からはこれらの酵素遺伝子に分泌シグナルと思われる配列は存在しておらず,局在化機構は全く不明であるが,難分解性物質の分解系酵素群の局在性についてはこれまでのところ情報が少なく,興味深い知見を得ることが出来た。

 以上,本論文はUT26株のγ-HCHの分解遺伝子とそれらの産物酵素について詳細に解析したもので,学術上,応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50956