学位論文要旨



No 212452
著者(漢字) 道上,安幸
著者(英字)
著者(カナ) ミチガミ,ヤスユキ
標題(和) 氷核細菌Erwinia uredovoraの氷核タンパク質に関する研究
標題(洋)
報告番号 212452
報告番号 乙12452
学位授与日 1995.09.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12452号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 荒井,綜一
 東京大学 教授 児玉,徹
 東京大学 教授 山崎,眞狩
 東京大学 教授 中村,厚三
 東京大学 助教授 清水,誠
内容要旨

 春の晩霜、秋の初霜は農作物に多大な被害を及ぼす。水滴は普通-5℃以高の氷点下温度で凍ることはないのに、何故この時期に農作物の葉の上に付いた水滴が凍るのかは長い間不明であった。トウモロコシ、桑、茶樹などからPseudomonas属やErwinia属の細菌が分離されて以来、霜害の発生には細菌が関与していることがわかってきた。これらの細菌は水の凍結を促進する作用、すなわち氷核活性を持つことから氷核活性細菌、または単に氷核細菌と呼ばれ、主として氷核活性物質、氷核活性発現機構、霜害防止等を目的にした多くの研究がなされてきた。その後氷核活性物質の本体は氷核細菌が産生する氷核タンパク質であることがわかり、種々の氷核タンパク質について色々な研究が行われている。以上のことを概説した第1章に続き、以下の章では氷核細菌Erwinia uredovoraを主な研究対象として、氷核タンパク質の構造及び性質について行った筆者の研究について述べてある。

 第2章には、日本のイチゴの葉上より発見された氷核細菌Erwinia uredovoraの氷核タンパク質をコードする遺伝子を解析した結果が示されている。まず、E.uredovoraの全DNAを抽出し、ゲノムライブラリーを作製した。氷核細菌E.ananasの配列をもとに作製したプローブを用いて25000個のプラークから成るゲノムライブラリーから7個の陽性クローンを得た。これらの制限酵素地図はすべて同じであったのでこれらのうちの1つpInaU49の解析を行った。その結果、全塩基配列は4294bpで、このうち3102bpからなるオープンリーディングフレーム(ORF)を有し、1034アミノ酸残基をコードしていることが明らかになった。既知の氷核タンパク質と高い相同性を示すことからこれも氷核タンパク質であると考え、InaUと命名した。InaUは、既知の氷核タンパク質同様、構造的特徴からN-、R-、C-ドメインと3つの領域に分けることが出来、R-ドメインには16アミノ酸残基をモチーフとする繰り返し配列を52回有し、N-ドメイン、C-ドメインはそれぞれ161、41アミノ酸残基を有していた。ゲノムサザン分析の結果、E.uredovoraの氷核タンパク質をコードする遺伝子はシングルコピーであることがわかった。

 また最近新たに発見された氷核細菌KUIN-4についても研究を行い、氷核細菌KUIN-4の氷核タンパク質InaKUIN4をコードする遺伝子は、3738bpからなるORFを有し、1246アミノ酸をコードしており、InaUとの相同性は78%であった。InaKUIN4も、N-、R-、C-ドメインと3つの領域に分けることが出来、このうちR-ドメインには繰り返し配列が64回存在し、N-ドメイン、C-ドメインはそれぞれ173、49アミノ酸残基を有していた。またゲノムサザン分析の結果、InaKUIN4をコードする遺伝子も、シングルコピーであることがわかった。

 第3章では氷核細菌E.uredovoraが菌体外に氷核タンパク質を分泌しているかどうかを検討した結果を述べている。まず、E.uredovoraを26℃と10℃で培養した。培養液の氷核活性を測定したところ両者共に強い氷核活性を有していた。同じ培養液を除菌してから氷核活性を測定したところ、26℃培養では氷核活性は非常に弱いのに対して、10℃培養では、半分の水滴が凍る温度T50=-6.3℃と比較的強い氷核活性を示した。このことより氷核細菌E.uredovoraは菌体外に氷核物質を分泌する事が明らかになった。さらにその分泌は菌の生育至適温度である26℃では起こらず、それよりはるか低い10℃で培養すると生じることが明らかになった。10℃で培養し、菌成長のどの段階で氷核物質を放出するかを測定した結果、菌体が対数増殖期に差し掛かった時に、T50=-9.5℃の氷核活性が現れ、菌体の成長とともに徐々に氷核活性も強くなり、対数増殖期の後半にT50=-6.3℃ともっとも強い氷核活性を示した。これより氷核細菌E.uredovoraは対数増殖期に菌体外に氷核物質を分泌することが明らかになった。

 次に菌体外氷核物質の単離を試みた。氷核細薗E.uredovoraの培養液を除菌後、超遠心分離とゲルろ過により菌体外氷核物質の単離に成功した。菌体外氷核物質の氷核活性スペクトルを測定した結果、-4℃〜-10℃にかけて菌体と同様な氷核活性スペクトルを示した。ウェスタン分析の結果、単離した菌体外氷核物質中には、菌体と同様に約140kdaにバンドが見られ、InaUが含まれていることが認められた。そこでInaUがどのように菌体外に分泌されるかを確認するため、金コロイド抗体染色法により電子顕微鏡で観察したところ、InaUが菌体内で生合成された後、会合している状態が観察された。さらにInaU会合体は細胞膜付近に移動し、その後100nmの球状のベシクルとして分泌された。InaUタンパク質はベシクルの表面付近に位置しており、ベシクル中には他の物質の存在が考えられた。以上のことから、inaU遺伝子が翻訳され、合成されたInaUは菌体内で他の物質と球形の複合体を形成し、最終的に菌体外へベシクル状の氷核物質として分泌されるこの機構は、おそらく大腸菌におけるミニセル形成と類似していることが推定された。

 第4章には、氷核タンパク質の活性発現の本体と考えられるR-ドメインとは別に、C-ドメインがどのような役割をしているかについて検討した結果が示されている。まず InaUC-ドメインのアミノ酸をC末端より1アミノ酸ずつ欠失させた変異体を作り、氷核活性を測定した。その結果、C-ドメインのアミノ酸残基数が29になるまで欠失させても、T50は-6℃以上と氷核活性を有していた。しかし28アミノ酸残基以下に欠失させるとT50は-9℃以下と氷核活性は消失した。これよりC-ドメインに最低29アミノ酸残基があれば氷核活性が発現することが明らかになり、29番目以降のアミノ酸残基は氷核活性発現の安定化に寄与していると考えられた。次にC末端アミノ酸残基をいろいろと変異させ氷核活性を測定した。C末端アミノ酸をグルタミン酸、アスパラギン酸に変異するとT50は-9℃以下となり氷核活性が消失することがわかった。このことから、C-ドメイン29番目近傍に氷核活性に大きく影響を及ぼす部分があると考え、既知の氷核タンパク質に共通な26、27番目のアミノ酸残基、プロリンおよびチロシンにそれぞれ部位指定変異を導入し、氷核活性を測定した。その結果、C-ドメイン26番目のアミノ酸残基プロリンをフェニルアラニン、グリシンに変異させてもT50=-5.9、-5.6℃と氷核活性に変化はほとんど無かった。ところがC-ドメイン27番目のアミノ酸残基チロシンをトリプトファン、セリンヘ変異させるとそれぞれT50=-7.1、T50=-7.6℃となり、アラニン、グリシンへの変異はそれぞれT50=-9.6、T50=-10.3℃と氷核活性が弱くなった。これらの結果より、C-ドメイン27番目のアミノ酸残基チロシンが氷核活性に重要な役割を担っている可能性が強く示唆された。

 第5章には氷核タンパク質の応用の一例が示されている。

 最近、氷核タンパク質の水の凍結促進作用を食品加工へ利用する研究が行われている。しかしその多くは液状食品に対してのみで応用の範囲は広いとは言い難い。そこで、利用範囲を広げることを目的として、氷核タンパク質を冷凍パン生地に利用することを試みた。冷凍パン生地を焼成すると表面に焼けむらやナシ肌と呼ばれる果物のナシのようなシミが多くみられ、良い品質のものは得られにくい。ところが氷核タンパク質を添加した冷凍パン生地を焼成したものは、添加しなかったものに比べてふくらみが大きく、柔らかいことが明らかになり、ふくらみと硬さに関して添加効果が認められた。また外観に関してはナシ肌がほとんどなくなり、断面の状態は底面付近の目のつまりが改善され、きめがそろった品質のよいパンが得られた。これは氷核タンパク質を添加したことにより、パン生地を冷凍したときに生成する氷晶が、生地中に均一に形成され、氷晶成長が大きくならずに済んだこと、そのためにパン生地の品質が均一に保たれたこと、均一に氷晶が生成したことで熱伝導性が向上し冷凍効率が上がり、より急速に凍結出来たことなどが理由として考えられる。このように氷核タンパク質の強力な氷核活性能を用いることにより、液状の食品のみならず様々な食品に幅広く利用出来る可能性が示された。今後製造工程に本来凍結過程が無い食品等にも、氷核タンパク質の性質を有効に生かした利用の途も拓かれると思われる。

審査要旨

 トウモロコシ、桑、茶樹などの霜害の発生にはPseudomonas属やErwinia属等の氷核細菌が関与している。その原因物質はこれらの氷核細菌が産生する氷核タンパク質であることが明らかになっている。現在までに数種の氷核タンパク質をコードする遺伝子が単離されているが、それらの機能解析については不明である。本論文は氷核細菌Erwinia uredovoraの氷核タンパク質に関する研究について述べたもので6章よりなっている。

 第1章で研究の背景と意義について概説したのち、第2章には、日本のイチゴの葉上より発見された氷核細菌E.uredovoraの氷核タンパク質をコードする遺伝子inaUを解析した結果が示されている。氷核細胞E.uredovoraの氷核タンパク質をコードする遺伝子は3102bpからなるオープンリーディングフレームを有し、1034アミノ酸残基をコードしていることが明らかになった。氷核タンパク質InaUは、既知の氷核タンパク質と高い相同性を示し、構造的特徴からN、R、Cドメインと3つの領域に分けることが出来、Rドメインには16アミノ酸残基をモチーフとする繰り返し配列を52回有していることを明らかにした。

 第3章では氷核細菌E.uredovoraが薗体外に氷核タンパク質を分泌しているかどうかを検討した結果を述べている。除菌した培養液の氷核活性を測定したところ比較的強い氷核活性を示し、氷核細菌E.uredovoraが菌体外に氷核物質を分泌する事を明らかにした。さらにその分泌は、菌体が対数増殖期に差し掛かった時に現れはじめ、菌体の成長とともに徐々に強くなり、対数増殖期の終了付近でもっとも強くなることも明らかにした。また培養液を超遠心分離とゲルろ過に供することにより菌体外氷核物質の単離に成功した。ウェスタン分析の結果、単離した菌体外氷核物質中には、菌体と同様に氷核タンパク質InaUが含まれていることが認められた。次にE.uredovoraを金コロイド抗体染色法により電子顕微鏡で観察したところ、合成された氷核タンパク質InaUは複合体を形成し、最終的に菌体外へベシクル状の氷核物質として分泌されることを明らかにした。

 第4章には、氷核タンパク質のCドメインがどのような役割をしているかについて検討した結果が示されている。Cドメインのアミノ酸をC末端より1アミノ酸ずつ欠失させると、アミノ酸残基数が29になるまで氷核活性を有していた。しかし28アミノ酸残基以下にすると氷核活性は消失した。次にC末端アミノ酸残基をいろいろと変異させ氷核活性を測定した結果、C末端アミノ酸をグルタミン酸、アスパラギン酸に変異すると氷核活性が消失することがわかった。またCドメイン29番目近傍で、既知の氷核タンパク質に共通な26、27番目のアミノ酸残基に部位指定変異を導入し氷核活性を測定した結果、Cドメイン27番目のアミノ酸残基チロシンをアラニン、グリシンへ変異させると氷核活性が消失する事が明らかになった。これらの結果より、Cドメイン27番目のアミノ酸残基チロシンを含む部分構造が氷核活性に重要な役割を担っている可能性を強く示唆した。

 第5章には氷核タンパク質を冷凍パン生地に利用する例が示されている。冷凍パン生地を焼成すると品質の良いものは得られにくい。ところが氷核タンパク質を添加した冷凍パン生地を焼成したものは、添加しなかったものに比べてふくらみが大きくて柔らかく、焼きむらも無くなり、きめがそろった品質のよいパンが得られた。これは氷核タンパク質を添加したことにより、冷凍パン生地中に均一に微氷晶が形成され、冷凍障害が起こりにくくなったためであると思われる。これらより冷凍パン生地への氷核タンパク質の添加効果を明らかにした。このように氷核タンパク質の強力な氷核活性能を用いることにより、液状の食品のみならず様々な食品に幅広く利用出来る可能性を示した。

 第6章では、本研究で得られた結果について総合的な考察を行っている。

 以上本論文は、氷核細菌E.uredovoraの氷核タンパク質をコードする遺伝子を単離・解析した。また氷核細菌E.uredovoraが菌体外に氷核タンパク質を分泌することを明らかにした。また氷核タンパク質の氷核活性発現にはCドメインの特定のアミノ酸残基を含む部分構造が大きく関与していることを示唆した。さらに冷凍パン生地への氷核タンパク質の添加効果を明らかにし、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)として価値あるものと認めた。

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