学位論文要旨



No 212457
著者(漢字) 本田,靖
著者(英字)
著者(カナ) ホンダ,ヤスシ
標題(和) 石油精製工場従業員死亡の追跡調査研究
標題(洋) A follow-up study of mortality among workers at a petroleum manufacturing plant
報告番号 212457
報告番号 乙12457
学位授与日 1995.09.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12457号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 荒記,俊一
 東京大学 教授 和田,攻
 東京大学 教授 大橋,靖雄
 東京大学 助教授 甲斐,一郎
 東京大学 講師 平井,久丸
内容要旨 I.緒言

 本研究は,アメリカ合衆国(以下,米国と略す)イリノイ州南部の石油精製工場従業員(白人・男)9,796名の死亡動向に関するretrospective follow-up studyである.工場の操業開始は1918年で,現在石油精製とガソリン・航空機用燃料・軽油・潤滑油・アスファルトその他の石油化学製品(ベンゼンを含む)の製造を行っている.同工場従業員の疾病構造は,過去に何回か調査が行われている.1940-1984年を追跡期間とする前回のretrospective follow-up studyにおいて,年次(5年を単位とする)・5歳年齢階級別の米国白人・男の死亡率を標準として,1940-1979年には68%の白血病死亡の超過(観察死亡数38,期待死亡数23)が同集団に認められた.この超過は1980年代に入って減少傾向を示したが,観察死亡数,期待死亡数ともに少数であり,断定的な結論は出せなかった.本研究の主たる目的は,前回の報告で同集団に白血病死亡増加が認められなくなったことを確認し,同時に同集団の死亡構造の新たな評価を行うことである.

II.対象と方法

 本研究の対象集団は,工場で1990年までに6カ月以上の勤務経験を持ち,以下のいづれかの条件を満足する白人,男とした.

 (1)1942年以降に勤務経験を持つ時間給労働者,

 (2)1940年以降に勤務経験を持つ月給労働者.

 死亡率の評価には全米白人男の年次・年齢階級別死亡率を標準とするstandardized mortality ratio(SMR)を用いた.SMRは,観察された死亡数と期待死亡数との比で,本論文においてはその値を100倍した.期待死亡数は,観察集団の年次・年齢階級別人年と,対応する標準集団の死亡率とをかけたものを合計して得られる.

III.結果1.全集団

 9,796名の対象者の総人年は300,991,平均追跡年数は31年であり,そのうち今回の追加分は30,997人年で,結局274名(3%)が追跡不能であった.全死亡数の96%の死亡診断書を得た.集団の79%は時間給,75%は追跡可能期間が30年以上,53%は勤務期間が10年以上であった.

 1940-1989年における全死因のSMRは79(観察死亡数3,627),全癌は88(同868)で,両者とも5%水準で有意に低かった.部位別の癌でも,有意に高いSMRは認められなかった.癌以外の死因についてもSMRは概して100よりかなり低かった.

 全期間を通じての白血病SMRは123(95%信頼区間90-164),1940-1984年に限ると149(108-200)と有意に高く,1985-1989年には26(3-94)と有意に低くなった.

2.時間給労働者

 時間給労働者は,ほとんどの死因で期待死亡数を下回る死亡率を示した.全期間を通じての白血病超過は9%,1940-1984年では36%,1985年以降には6.3の期待死亡数に対して一人も白血病死亡は認められなかった.

 何種類かの癌で死亡超過が見られたが,勤続年数・潜伏期間を考慮に入れた解析から,職業とは無関係と考えられた.

 全期間を通じてのリンパ組織及び造血組織の悪性新生物による死亡者90名のうち,6名はmyelofibrosis(骨髄繊維症)/myelodysplastic syndrome(骨髄異形成症候群)(MF/MDS)であり,うち2名は1940-1984年,4名は1985-1989年における死亡であった.MF/MDSの期待死亡数は,1940-1984年,1985-1989年ともに0.5以下と推定され,SMRは1940-1989年,1985-1989年で有意に高かった.MF/MDSによる死亡者の勤務開始はすべて1945年以前であった.

 中皮腫による死亡のうち8名は1980年以降の死亡であった.中皮腫の死亡率データは得られないので,一般に死亡率よりも高いと言われる罹患率のデータを標準としてSMRを計算すると,全期間では200(92-380),1980年代では320(138-630)であった.実際にはこれよりも高かったものと考えられる.中皮腫による死亡者はすべて時間給労働者であり,アスベストへの曝露を窺わせるものが何人かいた(配管工,大工など).

3.月給労働者

 月給労働者は全ての主要死因別SMRが100未満であった.造血組織の悪性新生物はやや高く,白血病SMRは216(108-386)と有意に高かった.白血病死亡は特に1940-1984年に集中していた.

4.白血病の死亡構造

 時間給労働者における白血病死亡の若干の超過は以下のグループに集中していた:(1)死亡時45歳未満,(2)1970年以前に死亡,(3)勤務開始1940年以前,(4)勤続10年以上,(5)勤務開始から死亡まで10-39年,一方,月給労働者における白血病死亡は以下のグループに集中していた:(1)死亡時45歳以上,(2)勤務開始1950年以前,(3)勤続10年以上,(4)勤務開始から死亡まで10年以上.

 全体として,白血病死亡の超過は1980年以前に起きている.1980-1989年には観察死亡数が期待死亡数を下まわっていた.これは,時間給労働者の死亡が,12人の期待死亡数に対してわずか4人だったことによる.月給労働者は,数が少ないが2.4人の期待死亡数に対して4人が死亡していた.白血病のどの病型でも,やはり超過はみられなかった.

IV.考察

 本研究の結果及び他の石油産業従業員の調査により,石油産業従業員は総死亡率,悪性新生物死亡率が一般集団よりも低いことが示されている.この傾向は,健康な人が雇用されること,雇用による社会経済的な恩恵などによるのであろう.しかし,低い死亡率が長期間の追跡でも常に認められることから,石油精製工場関係の労働者は,強力な有害物質には曝露していないものと考えられる.

 本研究により,1940-1979年に認められた白血病死亡の超過は,1980年代には標準人口の死亡率を下まわったことが明かとなった.この低死亡率は,死亡確認の不備とは考えられない.なぜなら,1940-79年から1980-1989年にかけて,他の疾患を観察しても死亡率低下が一様に起こっているわけではないからである.それよりも,見かけ上の白血病死亡率の低下は,偶然変動,あるいは白血病を直接死因として死亡診断書に登録する際の問題によるものと考えられる(後述).結局,本研究の結果からは,白血病の原因物質がもし存在していたとしても,工場から取り除かれたか,あるいは量が白血病を起こすに至らないレベルまで下げられたかではないだろうかと考えられる.

 本研究以外の石油関連従業員の追跡研究では,5つの研究でSMRが110から246で,そのうち1つのみが統計的に有意,他の8つの研究では白血病死亡率は標準人口と同程度か低かった.しかし,白血病死亡の超過を報告した論文も,1980-1989年を完全にカバーしたものはなく,本研究でみられた1980年代の白血病死亡率の低下を石油関連従業員一般へと普遍化することはできない.

 石油関連従業員に白血病以外の悪性新生物の死亡超過が起こったことがいくつか報告されているが,本研究では,それらの死亡超過は認められていない.

 本研究の対象集団に関して以前報告されたMF/MDSの超過が本研究で確認された.MF/MDS死亡者の勤務開始時期は,白血病死亡者のそれと同時期であった.MF/MDS死亡超過の理由は不明であるが,以下のように考えた.MF/MDSは,ある型の白血病と臨床的,病理学的特徴が似ている部分があり,MF/MDSの患者で白血病が共存する例,あるいは後日白血病になる例が報告されている.よって,MF/MDSと白血病は,それぞれが一つの疾病の部分なのかも知れない.加えて,1980年代には,以前ならば白血病と診断されたであろう患者がMF/MDSと診断されるようになるが,この診断の変化が地方によって異なっていたのかも知れない.本研究で1980年代のMF/MDS超過が白血病の不足とよく釣り合う(仮にMF/MDSと白血病を一つの疾病とすると,その死亡数が期待死亡数とほぼ一致する)という事実はこの解釈を支持する.本研究以外には,石油精製工場従業員の追跡研究でMF/MDS死亡が3名(期待死亡数1.5)報告されたが,他の研究ではMF/MDSに関する報告はない.

 1940-1979年には1名のみが中皮腫で死亡したのに対し,1980年代には8名が死亡し,これは期待死亡数を明らかに上まわる.中皮腫で死亡した従業員の職歴からは,数名に関して当該工場での勤務期間中にアスベストに曝露した可能性がある.石油産業従業員に関する2調査で,やはり中皮腫の超過が報告されている.

審査要旨

 本研究は,アメリカ合衆国(以下,米国と略す),イリノイ州南部の石油精製工場従業員(白人・男)9,796名の死亡動向に関する疫学調査である.同集団では,過去に白血病死亡の増加が認められ,その後減少した可能性が示されていた.本研究では,その減少をより確実に示すことを中心に,同集団における1940年から1989年までの死亡の動向を解析し,以下の結果を得た.

 1.全集団 1940-1989年の全死因のSMRは79,全がんは88で,両者ともに5%水準で有意に低かった.部位別のがんでも有意に高いSMRは認められなかった.がん以外の死因についても,SMRは概して100よりもかなり低かった.このことから,少なくとも同集団は強力な有害物質には曝露していなかったと考えた.白血病死亡に関して期間別に解析すると,1940-1984年の期間のSMRが149(95%信頼区間108-200)と有意に高かったが,1985-1989年には26(95%信頼区間3-94)と有意に低くなった.この1985年代の変化を述べた論文は他になく,本論文が最初の論文と言うことになる.

 2.時間給労働者 全労働者の79%を占め,主に現場で直接化学物質に曝露する機会のある者が多い.この時間給労働者は,全期間の解析ではほとんどの死因でSMRが100を下回った.白血病死亡に関しては,1940-1984年ではSMRが136であったが,1985年以降白血病死亡は認められなかった.全期間を通じてのリンパ組織および造血組織の悪性新生物による死亡者90名のうち,6名はmyelofibrosis(骨髄繊維症)/myelodysplastic syndrome(骨髄異形成症候群)(以下,MF/MDSと略す)であり,うち2名は1940-1984年,4名は1985-1989年における死亡であった.1940-1984年,1985-1989年ともにMF/MDSの期待死亡数は0.5以下と推定され,SMRは両期間ともに有意に高かった.中皮腫による死亡のうち,8名は1980年以降であった.中皮腫の標準人口での死亡率は得られないので,一般に死亡率よりも高いと考えられている罹患率のデータを標準としてSMRを求めると,全期間では200(95%信頼区間92-380),1980年代に限ると320(95%信頼区間138-630)であった.実際にはこれよりも高かったものと考えられる.中皮腫による死亡者はすべて時間給労働者であり,アスベストへの曝露を伺わせる職歴(配管工,大工など)などから,過去のアスベスト曝露によるものと考えられた.

 3.月給労働者 化学物質への曝露の機会の多い者は少ない.全ての主要死因別SMRが100未満であった.造血組織の悪性新生物はやや高く,白血病のSMRは216(95%信頼区間108-386)で有意に高かった.白血病死亡は特に1940-1984年に集中していた.

 4.白血病死亡 過去の同集団に対する研究で観察された,1940-1970年の白血病死亡の増加が追認され,1980年代に入ってからの白血病死亡の減少が確認された.特に,1985年以降の減少は5%水準で統計的に有意であった.このことは,偶然にも起こり得るが,それ以外に,診断の問題とも考えられた.すなわち,MF/MDSは,急性骨髄性白血病と臨床的,病理学的特徴が似ている部分があり,MF/MDSの患者で白血病が共存する例,あるいは後に白血病になる例が報告されている.よって,MF/MDSと白血病は,それぞれが一つの疾病の部分である可能性を持つ.また,1980年代には,以前ならば白血病と診断されたであろう患者がMF/MDSと診断されるようになるが,この診断の変化が地方によって異なっていた可能性もある.このことは本研究において1980年代のMF/MDS超過が白血病の不足とよく釣り合う(仮にMF/MDSと白血病を一つの疾病とすると,その死亡数が期待死亡数とほぼ一致する)ことからも支持される.MF/MDSに関しては,本研究以外に,石油精製工場従業員の追跡研究でMF/MDSが3名(期待死亡数1.5)報告されたのみである.

 以上,本論文は石油精製工場従業員の死亡動向を解析し,白血病死亡の超過が,逆に減少に転じたことを報告し,その理由として白血病とMF/MDSとの関連に注目した最初の論文であり,産業疫学への貢献のみならず,造血組織系の疾患のスペクトラムに関する示唆を与えた点で臨床医学にも影響を与えるものと思われ,学位の授与に値するものと考えられる.

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