本研究は、哺乳動物中枢神経系発生過程において重要な役割を演じていると考えられる遺伝子群のカスケードを明らかにするため、マウス胚性腫瘍細胞(P19)がレチノイン酸にて神経系細胞へ分化誘導する系を利用し、class III POU転写因子の機能解析および分化特異的遺伝子群の単離を試みたものであり、下記の結果を得ている。 1.ノーザンプロット法により、未分化及び分化P19細胞におけるclass III POU転写因子(Oct-6,Brn-1,Brn-2,及びBrn-4)の発現を調べたところ、Brn-2のみが分化特異的に発現誘導され、他の3つの因子は分化前後でほとんど検出されなかった。 2.ゲルシフトアッセイにより、Pl9細胞が神経系細胞に分化するとき一種類のオクタマー配列結合因子が特異的に発現誘導されることがわかっていたが、抗Brn-2抗体によりこの因子がスーパーシフトを起こすことから、この因子がBrn-2であることが示された。 3.P19細胞がdimethyl sulfoxide処理により筋細胞に分化するときには、ゲルシフトアッセイによりBrn-2が検出されないことから、Brn-2発現誘導は神経系細胞に特異的であることが示された。 4.アンチセンスBrn-2RNAを発現するベクターを高コピー数組み込んだ細胞(227細胞と418細胞)では、レチノイン酸誘導2日後のBrn-2蛋白量がコントロールと比較して5分の1以下に減少していた。これらの細胞はレチノイン酸誘導6日後に95%以上が死に、残った細胞は神経系の細胞へ分化することができずに平滑筋細胞や骨格筋細胞などへと分化することが示された。 2-1 5.418細胞をG418を加えない培養液で1週間培養すると、アンチセンスベクターのコピー数が2分の1になり、アンチセンスRNA量が数分の1に減少した(418(一)細胞)。この418(一)細胞をレチノイン酸処理すると、再び神経系の細胞へ分化することができた。以上の結果により、Brn-2はP19細胞の神経系細胞への分化において必須であることが示され、Brn-2が哺乳動物の中枢神経系発生に必要な遺伝子の1つであることが示唆された。 6.2日間分化誘導したP19細胞よりcDNAライブラリーを作成し、高感度のsubtraction hybridization法を用いてsubtracted plasmid libraryを作成した。このライブラリーの独立した11、000クローンをスクリーニングし、未分化なP19細胞やマウスの中枢神経系以外の組織に発現されず、2日間分化誘導したP19細胞に発現される約20種類の新しいクローンを得た。更に、2日間分化誘導した227細胞由来のcDNAと対照のP19細胞由来のcDNAを使ったdifferential hybridizationにより、それらのうちいくつかはBrn-2遺伝子の下流に位置するものと考えられた。これらの遺伝子のin vivoでの機能を推測するために、9.5日令マウス胎児における発現をwhole mount in situ hybridization法により調べた。大部分のクローンは中枢神経系に特異的な発現を示し、このP19神経細胞分化系がより複雑な哺乳動物の中枢神経系発生を研究するために有益な系であることが実証された。 以上、本論文はアンチセンスRNAを使った機能阻害実験により、マウス胚性腫瘍細胞P19がレチノイン酸処理により神経系細胞へ分化するときにBrn-2が必須であることを証明した。更に、subtraction hybridization法により、2日間分化誘導したP19細胞に特異的に発現される約20種類の新しい遺伝子をクローニングし、それらが発生中のマウス胎児の中枢神経系に特異的に発現されることをwhole mount in situ hybridization法により示した。本研究はこれまで未知に等しかった、哺乳動物中枢神経系初期発生過程に働くと考えられる遺伝子群のカスケードの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 |