学位論文要旨



No 212460
著者(漢字) 溝口,環
著者(英字)
著者(カナ) ミゾグチ,タマキ
標題(和) 老年期痴呆患者の行動異常評価および老年患者の介護負担度スケールに関する研究
標題(洋)
報告番号 212460
報告番号 乙12460
学位授与日 1995.09.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12460号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松下,正明
 東京大学 教授 杉下,知子
 東京大学 助教授 貫名,信行
 東京大学 講師 天野,直二
 東京大学 講師 斉藤,正彦
内容要旨

 痴呆の進行の過程は緩徐ではあるが、経過中に抑蔚状態、幻覚、妄想などの精神症状が認められたり、同じことを何度も聞いたり、同じ行為を何度もしたり、徘徊、易怒、興奮、暴力、物を貯め込むなどの行動異常が認められる。このような行動異常の原因は未だ不明である。そのため行動異常は痴呆の臨床および基礎研究の上で重要な症状であり、特に臨床における行動異常の定量的評価は、痴呆の重症度および予後判定を助け、痴呆患者の介護者への影響の分析評価のために有益である。また行動異常の臨床的評価の重要性はこれらの症状が薬物療法によって改善しうる点にある。すなわち行動異常に対する新しい治療法を判定する上でその基礎となる定量的評価が必要である。さらに痴呆患者を介護する家族にとって、行動異常は最も辛い試練であるといわれ、介護者の健康に及ぼす影響を研究する上で行動異常に対する正しい理解と評価が必要となっている。

 Baumgartenら1)は、これまでの行動異常評価尺度が痴呆の多面的評価の一部をなしながら必ずしも下位尺度として用いうることができないことを指摘し、行動異常を単独で評優する方が痴呆の問題点を明らかにしやすいとした。Baumgartenらの作成したDementia Be-havior Disturbance Scale(DBDスケール)は、痴呆に伴う行動異常のなかでも特に、介護負担となるような問題行動の評価を特徴としている。

 KosbergらのCost of Care Index(CCI)2)は、老年者の介護をしている家族を援助し介護者の潜在能力を見出す評価法として、また介護継続が困難な家族の問題点を評価する指標として作成された。最初は在宅介護における家族の、障害をもつ老年者に対する虐待行為と家族の葛藤の観察経験および研究から27項目が選択されたが、137人の介護者に対する調査から因子分析を経て五分野、計20項目に集約された。CCIは多方面にわたる負担の分析評価尺度である。介護者の負担を理解する指標として信頼性と妥当性の示されている数少ないスケールである。

 痴呆を有する要介護老人にみられる各種の行動異常は、介護者にとって大きな負担となり、その対策は重要かつ緊急の課題である。しかし、その対策の前提として不可欠な、行動異常を定量的に評価し介護者の負担を客観的に評価する方法は、未だ確立されていない。

 そこで、我々は、Baumgartenらによって開発されたDementia Behavior Disturbance Scale(DBDスケール)を使って患者の行動異常の評価を試み、その信頼性と妥当性を検討し、同時にDBDスケールが介護負担をも反映する行動異常評価尺度であることを明らかにするため、介護者の負担感との関係をCost of Care Index(CCI)を使って調査した。

対象

 1)DBDスケールの信頼性と妥当性の研究に関しては、大学病院外来患者44例及び施設入所者10例を対象とした。大学病院症例の内訳は、痴呆群27例、平均年齢77.7±6.6歳、および神経疾患を有するが痴呆のない非痴呆群17例、平均年齢76.8±7.6歳である。

 2)CCIの信頼性と妥当性の検討およびDBDスケールとの関連性に関しての研究では、大学病院外来に通院し調査への協力を快諾してくれた患者42名とその主たる介護者42名を対象とした。患者すなわち被介護者の内訳は、アルツハイマー型痴呆25例、脳血管性痴呆2例、脳血管障害3例、バーキンソン病2例、その他10例、男性19例、女性23例、平均年令76.5±7.7歳である。介護者の平均年齢は58.5±12.4歳である。

方法

 DBDスケールの信頼性と妥当性を検討し、CCIの妥当性および信頼性を検討した。DBDスケールとCCIとの関係を検討した。

結果A)DBDスケール:1)信頼性についての検討

 a.再現性:再テスト法における1回目と2回目のDBD得点の間には有意の相関(r=0.96.p<0.001)を認め、再現性は良好であった。

 b.内的整合性:Cronbachの係数は0.95で、高い内的整合性を示した。

 c.評価者間信頼性:5人の評価者による評価者間一致度Intra-class Correlation Coefficient(ICC)は、0.53〜0.88に分布し平均値は0.71±0.10を示した。異なる評価者による成績の一致性は十分と考えられた。

2)妥当性についての検討

 a.知的機能ならびにADLとの関連:DBD得点とSPMSQ誤答数との間には相関係数0.54(P<0.001)と有意な相関を認めた。DBD得点とBarthel Indexとの間には有意な相関関係は認められなかった(r=-0.245,p>0.05)。

 b.介護者の負担感との関連:DBD得点と負担感との間には相関係数0.53(p<0.001)と有意な相関を認めた。Barthel Indexと負担感との間(r=-0.21.p>0.05)およびSPMSQと負担感との間(r=0.22,p>0.05)には有意な相関は認められなかった。

 c.痴呆患者における特異性:DBDスケール28項目のうち14項目は非痴呆群に比し痴呆群において有意に高い頻度で認められた。

B)CCI:1)信頼性についての検討

 a.再現性:再テスト法における1回目と2回目のCCI総得点の間には有意な相関(r=0.83.p<0.001)を認め、再現性は良好であった。

 b.内的整合性:Cronbachの係数は、総得点においては0.92を示した。各分野の得点における係数は、"A.社会的制約"0.72"B.心身の健康"0.78"C.意欲"0.82"D.不愉快"0.80"E.経済"0.92と、いずれも高い内的整合性を示した。

2)妥当性についての検討

 a.被介護者の状態とCCIとの関連:

 HDS-R得点とCCI総得点との間には、有意な相関関係は認められなかった(r=-0.23.P>0.05).しかし各分野の得点のうち"A.社会的制約"とは有意な負の相関が認められた(r=-0.36,p<0.05)。またRaven色彩マトリックス得点とCCI総得点との間にも有意な相関は認められなかった(r=-0.24,p>0.05)。しかし各分野の得点のうち"D.不愉快"とは有意な負の相関が認められた(r=-0.31,p<0.05)。

 ADL-20得点とCCI総得点との間には、相関係数-0.48(p<0.01)と有意な負の相関を認めた。ADL-20得点とCCI各分野の得点においては"A.社会的制約"(r=-0.53,p<0.01)、"B.心身"(r=-0.47,p<0.01)、"D.不愉快"(r=-0.36,p<0.05)、"E.経済"(r=-0.39,p<0.05)とそれぞれ有意な負の相関を認めた。

 b)介護者の状況とCCIとの関連:

 SDS得点とCCI総得点との間には相関係数0.36(p<0.05)と有意な相関を認めた。また各分野の得点との間には、"B.心身"(r=0.50,p<0.01)、"D.不愉快"(r=0.35,P<0.05)、"E.経済"(r=0.40.P<0.01)のように有意な相関を認めた。

C)DBDスケールとCCIとの関係:

 DBD得点とCCI総得点との間には相関係数0.46(P<0.01)と有意な相関を認めた。また、CCI各分野の得点においては"A.社会的制約"(r=0.34,p<0.05)、"B.心身"(r=0.37.p<0.05)、"C.介護意欲"(r=0.32,p<0.05)、"D.不愉快"(r=0.57,p<0.01)とそれぞれ有意な相関を認めた。

考察

 日本語訳したDBDスケールは、痴呆に伴う行動異常の客観的評価や経過観察の方法として信頼性が高く、介護負担をも反映しうる有用な評価法であり、介護負担を軽減するための治療目標の設定や治療効果の判定に用いることが期待される。しかし、変化しやすい行動異常を捉えるのに一週間という観察期間の限定が妥当かどうか検討が必要である。項目によっては評価結果の不一致が認められるが、いつも一定の評価者による評価が必要と思われる。また、この評価法では評価の指標となる症状の記載が具体的であるので分かりやすい反面、必ずしも尺度の記載と一致しない症例がでてきた場合にどう評価するのかさらに検討が必要である。スケールの内的整合性が高いことから、実際に臨床で用いる場合には、項目数を削減し、より使いやすくすることが今後の検討課題と考えられる。

 CCIも介護負担を評価する上で比較的高い信頼性と妥当性を有することが認められた。介護者の負担を理解する指標として利用可能と思われるが、分野別得点を下位尺度として用いるにはさらに検討が必要である。また、自己記載方式のため調査には一定の信頼関係が必要と思われる。

 DBDスケールとCCIとの間には有意な相関関係が認められた。これは、DBDスケールの評価項目が介護負担を反映し、行動異常の評価により介護負担を推定できる可能性を示している。

文献1) Baumgarten M,Becker R,Gautheier S:Validity and reliabi-lity of the dementia behavior disturbance scale.J Am Geriatr Soc 1990;38:221-226.2) Kosberg JI,Cairl RE:The cost of care index:A case manage ment tool for screening informal care providers.Geronto-logist 1986;26:273-278
審査要旨

 本研究は、痴呆に伴う行動異常のなかでも特に、介護負担となるような問題行動の評価を特徴としているBaumgartenらのDementia Behavior Disturbance Scale(DBDスケール)を使って老年期痴呆患者の行動異常の評価を試み、その信頼性と妥当性を検討し、同時に本スケールが介護負担を反映する行動異常評価尺度であることを証明するため、介護者の負担感との関係を、介護継続が困難な家族の問題点を評価する指標として作成されたKosbergらのCost of Care Index(CCI)を使って調査したものであり、下記の結果を得ている。

A)DBDスケール:1)信頼性についての検討:

 再テスト法による再現性は良好であり、Cronbachの係数は0.95で、高い内的整合性を示した。評価者間信頼性において、5人の評価者による評価者間一致度Intraclass Correlation Coefficient(ICC)を検討し、異なる評価者による成績の一致性は良好であることを示した。

2)妥当性についての検討:

 a.知的機能ならびにADLとの関連:DBD得点とSPMSQ誤答数との間には有意な相関を認め、知的機能の低下と行動異常との間の関連性を反映していることを示した。DBD得点とBarthel Indexとの間には有意な相関関係は認められなかった。

 b.介護者の負担感との関連:DBD得点と負担感との間に有意な相関を認めたが、Barthel Indexと負担感との間およびSPNSQと負担感との間には有意な相関は認められなかった。これにより、DBDスケールが介護負担度を反映する有用な指標になる可能性を示した。

 c.痴呆患者における特異性:DBDスケール28項目のうち14項目は非痴呆群に比し痴呆群において有意に高い頻度で認められ、本スケールの項目の選択が痴呆患者に適用するのに適切であることを示し、本スケールを広く老年者一般に適用することにより、老年者によく認められる行動変化の中から早期に病的異常を見いだしうる可能性を示した。

B)CCI:1)信頼性についての検討:

 再テスト法における1回目と2回目のCCI総得点の間には有意な相関を認め、再現性は良好であった。Cronbachの係数は、総得点においては0.92を示し、高い内的整合性を示した。

2)妥当性についての検討:

 a.被介護者の状態とCCIとの関連:HDS-R得点とCCI総得点との間には、有意な相関関係は認められなかった。またRaven色彩マトリックス得点とCCI総得点との間にも有意な相関は認められなかった。ADL-20得点とCCI総得点との間には、有意な負の相関を認め、CCI総得点が知的機能の低下よりも、全般的生活機能の障害や行動障害との関連をより強く反映していることが示された。

 b.介護者の状況とCCIとの関連:SDS得点とCCI総得点との間には有意な相関を認め、CCIが介護者の精神的負担を反映することが示された。

C)DBDスケールとCCIとの関係:

 DBD得点とCCI総得点との間に有意な相関を認めた。これは、DBDスケールの評価項目が介護負担を反映し、行動異常の評価により介護負担を推定できる可能性を示した。

 以上、本論文は被介護者の状態の把握、介護者の負担や困難度の把握、介護負担を軽減するための治療目標の設定や治療効果の判定に用いることが期待されるDBDスケールの信頼性および妥当性を証明し、DBDスケールによる行動異常の評価により介護負担を推定できることを明かにした。本研究は、これまでわが国において遅れていた老年期痴呆の問題行動の評価に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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