1.研究の目的と背景 多くの疾患群においてその発症機序を解明すること、それをもとにして臨床病理学的な病態を把握することが本質的治療への道を開いて来た。悪性リンパ腫においてもこのことがいえる。悪性リンパ腫の腫瘍化原因となる遺伝子異常が近年いくつか発見されて来ているが、それらはまだリンパ腫発症原因の一部を解明したにすぎない。このような考えに立って私は残りの原因不明のリンパ腫の中の独立した亜型について発症原因を明らかにしていくことを目的として研究を計画した。まず悪性リンパ腫の一亜型である未分化大細胞型リンパ腫(anaplastic large cell lymphoma,ALCL)に着目した。
ALCLは非ホジキンリンパ腫(NHL)の一亜型で、Ki-1リンパ腫とも呼ばれている。この亜型は特異な大型の腫瘍細胞形態とCD30が強発現することを特徴としている。1994年に発表された悪性リンパ腫新分類であるRevised European-American Classification of Lymphoid Neoplasmsの定義によれば、ALCLは「腫瘍細胞はCD30陽性の単核または多核の芽球で、細胞は大きく、cohesiveな増殖形態をとりしばしばリンパ洞に浸潤する。」と記されている。この型のリンパ腫は年齢、予後、CD30以外の表面マーカーなどの検索によりheterogenousな疾患から成り立っていることが以前より推察されていた。いくつか挙げられているheterogeneityの証拠の中でもっとも注目されるのが、この一群のリンパ腫の中に染色体転座t(2;5)(p23;q35)をもつ症例がすべてではないが数多く報告されている点であった。共通の染色体転座を持つことは同一の発癌遺伝子の関与を示唆する。そこで私はt(2;5)を持つALCLについてその発症原因を解明し、そのような原因を持つALCLの臨床病理学的な特徴を把握することによってその病理分類上の位置づけを明らかにしたいと考えた。
2.方法と結果の概要 まずt(2;5)を持つALCL症例の生検材料をsevere combined immunodeficiency(SCID)マウスに移植継代してin vivoの細胞株(AMS3)を作成した。腫瘍化機序を解明する具体的方法として腫瘍細飽のシグナル伝達に着目した。本細胞株中に正常のシグナル伝達系と比較して異常な発現をしている蛋白質を同定し、このより上流を調べて行けば腫瘍化に直接関わる遺伝子が一義的に発現する蛋白質に辿り着ける可能性があると考えた。
そこでまずリンパ球のシグナル伝達のキー蛋白質の一つと考えられるprotein kinase C(PKC)の活性を測定し、AMS3細胞ではこの値が正常リンパ球や他のリンパ腫細胞株に比べて非常に高いことを認めた。そこでその上流に位置するdiacylglycerol(DAG)の活性を測定しこれも高値であることを知った。これらの結果より、本腫瘍細胞に於てDAGのさらに上流の、即ちより細胞膜に近い部分にあるシグナル伝達物質に興味を持った。しかし無数に存在する細胞膜に関連したシグナル伝達物質の中からどのようにして腫瘍化の鍵になる蛋白質を捜し出すかが次の課題となった。
腫瘍細胞ではしばしばリン酸化蛋白質の異常発現がみられ、その結果としてのシグナル伝達異常が腫瘍の発症及び進展に直接関与することが知られている。そこで私は本腫瘍株AMS3で特に強く発現しているが正常リンパ球には発現していない膜抗原を選択し、これと会合するリン酸化蛋白質を検出することを一つのアプローチとして選択した。具体的にはCD30をまず扱った。AMS3の細胞可溶化物をCD30(Ki-1抗原)に対する抗体で免疫沈降し、その免疫沈降物のkinase assayを行った。対照としてphytohemagglutinin(PHA)刺激によりCD30を発現させた末梢血単核球と、t(2;5)を持たないCD30陽性リンパ腫株の細胞可溶化物を同じ様にCD30で免疫沈降した後kinase assayを行った。その結果、AMS3のみに高度にリン酸化された80kDaの蛋白質(p80と命名した)を同定した。さらにKOH処理とフォスフォアミノ酸分析を行い、このp80がリン酸化チロシンを含む蛋白質であることを確認した。
次にp80を精製分離してアミノ酸配列を決定することを考えたが、CD30を用いた免疫沈降によるp80の回収は非常に不安定であった。そこでp80がリン酸化チロシンを含む蛋白質であることを利用して、抗リン酸化チロシン抗体による免疫沈降を行い、さらに同じ抗体でWestern blottingを行った。その結果、kinase assayと同じようにAMS3のみに末梢血やその他の細胞株では見られない80kDaの蛋白質p80を検出することができた。次にAMS3細胞をSCIDマウス内で大量に増殖させ、その可溶化物を抗リン酸化チロシン抗体で免疫沈降し、電気泳動にてp80を分離精製した。この精製物をトリプシン分解した後、得られたペプチドをHPLCを用いて分取し、プロテインシークエンサーによりアミノ酸配列を決定した。蛋白質データーベースに対しホモロジー検索を行ったところ、6つのポリペプチドの内4つはインスリン受容体ファミリーに属するLtk(leukocyte tyrosine kinase)に類似する未報告の配列であることがわかった。即ちこの時点でp80が新規チロシンキナーゼであることが証明された。
次にp80遺伝子をクローニングするため部分アミノ酸配列を用いてプライマーを作成し、RT-PCR法によりcDNA断片を得た。これをプローブとしてAMS3細胞より作成したcDNAライブラリーをスクリーニングし、約2.6KbpのcDNAをクローニングした。得られたcDNAの3’-側はチロシンキナーゼのコンセンサス配列を持つLtk類似の蛋白質をコードしている部分で、5’-側450bpの配列は核蛋白質の運搬に関与しているとされるnucleophosmin(NPM)の遺伝子配列と完全に一致した。このcDNAを用いたSouthern blottingとFISH mappingにより、p80遺伝子は転座点に位置する蛋白質NPMの遺伝子とLtk類似の新しいチロシンキナーゼの融合遺伝子であること、即ちp80が染色体転座によって特異的に発現した融合蛋白質であると結論した。(このクローニングの部分については共同研究のため今回の論文には入れなかった。)
次に、p80を直接同定することを目的として、得られた部分アミノ酸配列を用いて抗p80ポリクロナール抗体を作成した。得られた抗p80抗体はp80と免疫学的に特異的に反応することが確認された。さらにこの抗体を用いて3例のt(2;5)を持つALCLを含む10例のALCL症例、10例のALCL以外のNHLと1例の非腫瘍性リンパ節の計21例の凍結組織を免疫染色した。その結果、抗p80抗体陽性の3症例は、予め行った染色体検索でt(2;5)が確認されていた3例のALCLと完全に一致した。一方t(2;5)を持たない残りのALCL7例とALCL以外のリンパ腫11例は全て陰性であった。この抗p80抗体による免疫染色結果の信頼性を裏付けるために遺伝子融合部の有無を検出するRT-PCRの系を組んだ。即ち、転座点を挟む形で設定したプライマーを用いて前述の21例のRT-PCRを行った。その結果、やはり抗p80抗体陽性の3例のみに、染色体転座が起きている場合に得られる大きさのPCR産物を確認した。これらの結果より、p80はほぼ特異的にt(2;5)を持つALCLに発現していると判定した。そこで、当初の目的であるt(2;5)を持つALCLの臨床病理学的な特性を明らかにするため105例のALCL症例のパラフィン切片について、抗p80抗体による免疫染色を行った。その結果、30例に抗p80抗体が陽性、残りの75例は陰性という結果を得た。ALCLをp80陽性群と陰性群に分けて臨床データを比較した所、抗p80抗体陽性群は陰性群に比べ平均発症年齢が若い(p80陽性群:16.2才、陰性群:51.0才,P<0.0001),予後がよい(5年生存率、p80陽性群:79.8%,陰性群:32.9%、P<0.01)などの臨床上の特徴を持つことが明らかになった。また表面マーカーとしては、p80陰性群の中には11例のB細胞系マーカーを示す症例があったが陽性群には見られなかった。