学位論文要旨



No 212464
著者(漢字) 小島,俊行
著者(英字)
著者(カナ) コジマ,トシユキ
標題(和) HCV抗体陽性妊婦からみたC型肝炎ウイルスの感染経路に関する研究
標題(洋)
報告番号 212464
報告番号 乙12464
学位授与日 1995.09.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12464号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 助教授 早川,浩
 東京大学 講師 河原崎,秀雄
内容要旨 研究目的

 C型肝炎ウイルス(HCV)は成人が感染しても約50〜80%が慢性肝炎に移行し、輸血後C型肝炎症例の検討では、さらにその内約半数が平均約20年後に肝硬変に進展し、約30年後に肝癌に進行するといわれている。本邦におけるHCVキャリアは約140〜180万人といわれ、その内毎年約1万4千人すなわち1%弱が肝癌で死亡しているなど、極めて重大な感染症である。しかしHCVキャリアの発生に関する疫学的研究は、未だ十分ではなく不明な点が多い。母子感染の存在の有無に関しても議論が多いところであるが、プロスペクティブな研究は少ない。そこでHCV感染症の自然史に母子感染がどの程度関与しているか否かを究明することは有意義なことと考え、HCV抗体陽性妊婦を中心とした疫学的研究を行った。

研究対象と方法

 1990年8月より1993年7月の間に焼津市立総合病院で分娩した妊婦2,528例と他施設でHCV抗体陽性と診断され紹介された妊婦1例と褥婦1例、およびHCV抗体陽性妊婦(32例)の夫26例、母親21例、父親11例、兄弟10例さらに新生児32例とその同胞24例を対象とした。

 HCV抗体はc100-3抗体をELISAキット、あるいは第2世代抗体をHCV EIA IIキットにて測定した。HCV抗体は妊娠12週と36週に測定した。陽性母体に対し、妊娠中と産褥期に血中HCV RNAを測定し、妊娠・分娩・産褥期に2カ月ごとに、肝機能検査(GOT、GPT、TP、A/G比、LDH、T.Bil、TTT、ZTT)を施行した。HCV RNAは、5°-noncoding regionに設定した2組のプライマを使用したOkamotoらの開発したnested RT-PCR(reverse transcription/polymerase chain reaction)法により検出した。HCV RNA陽性妊婦はcompetitive RT-PCR法にてHCV RNAの定量を行った。

 児の追跡調査については出生時(臍帯血)、日齢5、その後1歳まで3カ月ごと、2歳まで6カ月ごと、2歳以降1年ごとに採血・診察を行い、HCV抗体、HCV RNA、肝機能検査を施行し、臍帯血ではさらにIgM、CRPを測定した。同胞については母体がHCV抗体陽性と確認された時点から検査を開始した。

 HCV抗体陽性妊婦の家族について肝疾患の既往歴と輸血歴を問診すると共に、HCV抗体、HCV RNA、GPTを検査した。有意差検定はStudentのt検定、Fisherの直接確率算定法を用いた。

研究成績1、妊婦におけるHCV抗体およびHCV RNA陽性率

 妊婦のHCV抗体陽性率は、1.19%(30/2,528)であり、全国の日赤供血者の年齢階層別陽性率といずれの階層でも有意差を認めなかった。c100-3抗体の陽性率は1.08%(18/1,659)、HCV EIA II抗体では1.38%(12/869)で両者間に有意差を認めなかった。HCV抗体陽性妊婦のHCV RNA陽性率は56.3%であった。c100-3抗体陽性妊婦中のHCV RNA陽性率は52.6%で、HCV EIA II抗体陽性妊婦中のHCV RNA陽性率は61.5%であった。15歳から5歳ごとの年齢階層別にHCV抗体陽性率およびHCV RNA陽性率を検討したが有意差を認めず、年齢階層との関連は認められなかった。

2、HCV抗体陽性妊婦の家族のHCV抗体陽性率およびHCV RNA陽性率

 HCV抗体陽性妊婦の夫のHCV抗体陽性率は、23.1%(6/26)であり、全国の日赤供血者の年齢補正を加えた陽性率と比べ有意に(p<0.001)高値であった。抗体陽性者中83.3%(5/6)にHCV RNAを検出した。HCV抗体陽性妊婦の母親のHCV抗体陽性率は、19.0%(4/21)であり、同様に有意に(p<0.001)高値で、抗体陽性者3例中3例にHCV RNAを検出した。HCV抗体陽性妊婦の父親のHCV抗体陽性率は、54.5%(6/11)であり、同様に有意に(p<0.001)高値で、抗体陽性者中83.3%(5/6)にHCV RNAを検出した。

3、臍帯血中のHCV抗体、HCV RNAの検出率(表1)1)HCV抗体検出率

 HCV抗体陽性妊婦32例から生まれた新生児32例中26例(81.3%)にHCV抗体が検出された。これらのうち血中HCV RNA陽性妊婦より生まれた児は全例(18/18)HCV抗体陽性であったが、血中HCV RNA陰性妊婦から生まれた児では57.1%(8/14)がHCV抗体陽性で、前者では後者に比べ有意に(p<0.05)高い頻度であった。

2)HCV RNAの検出率

 臍帯血のHCV RNA陽性率は6.7%(2/30)であった。血中HCV RNA陽性妊婦より生まれた児はHCV RNA陽性率が11.8%(2/17)であったが、血中HCV RNA陰性妊婦から生まれた児では13例全例にHCV RNAは検出されなかった。

【表1】妊婦のHCV RNA検出の有無と臍帯血中のHCV抗体、HCV RNAの検出率
4、児の追跡調査

 HCV抗体陽性妊婦から生まれた児32例と、その同胞24例の計56例について調査した。56例の児の中で4例(7.1%)にHCV RNAが検出された。HCV RNA陽性の児はすべてHCV RNA陽性の妊婦から生まれているので、HCV RNA陽性の妊婦18例から生まれた29例の児のうち4例(13.8%)にHCV RNAが検出されたことになる。

 HCV RNAが陽性となった4例の児について、その時期、HCV抗体検出の有無、GPT値ならびに母体背景を示した(表2)。4例全例母親のHCV RNAは陽性であったが、分娩時トランスアミナーゼの上昇は認めなかった。

【表2】HCV RNA陽性児とその母親の分析

 症例11-1は臍帯血のHCV RNAとHCV抗体が共に陽性、2カ月でHCV抗体のみ陽性、1歳で再び共に陽性であった。本例は胎内感染が強く疑われた。

 症例28-1は臍帯血と1カ月でHCV RNAとHCV抗体が共に陽性であり、胎内感染が強く疑われた。

 症例9-1は8カ月から調査を開始しその時点でHCV抗体のみ陽性、10カ月で共に陰性、1歳3カ月でHCV RNAが陽性となった。父母共にHCV RNA陽性であり、母子感染あるいは水平感染が疑われた。

 症例32-1は4歳8カ月の調査開始時、HCV RNAとHCV抗体が共に陽性であった。父親のHCV抗体は測定できていないが、母子感染あるいは水平感染が疑われた。これら4例は、観察期間中トランスアミナーゼの上昇を認めなかった。

5、妊婦のHCV RNA濃度、GPT値と臍帯血HCV RNAの検出の有無

 臍帯血HCV RNA陽性のハイリスク因子を抽出するため、HCV RNA陽性妊婦のHCV RNA濃度、GPT値と臍帯血HCV RNAの検出の有無を分析した。臍帯血HCV RNA陽性例2例の母体HCV RNA濃度は107と5x106copy/mlで高値であった。母体HCV RNA濃度が5x106copy/ml以上では臍帯血HCV RNAが40%(2/5)に検出されるが、5x106copy/ml未満では検出されなかった。臍帯血HCV RNA陽性例2例の母体GPT値は16と13IU/lで正常値であった。すなわち母子感染のハイリスク因子として、妊婦の妊娠末期のGPT高値ではなく、HCV RNA高濃度(5x106copy/ml以上)が示唆された。

考察

 本研究により以下の点が明らかとなった。(1)妊婦のHCV抗体陽性率は1.19%で、妊婦に特に高い陽性率ではなかった。うちHCV RNA陽性率は56.3%であり、文献的な報告と有意差はなかった、(2)HCV抗体陽性の家族内集積性が認められる、(3)HCV抗体陽性妊婦から生まれた児の7.1%(4/56)にHCV RNAが検出され、HCV RNA陽性の児はすべてHCV RNA陽性の妊婦から生まれている、(4)HCV RNA陽性の妊婦18例から生まれた29例の児のうち4例(13.8%)にHCV RNAが検出され、HCVの母子感染の頻度は6.9〜13.8%と推定される、(5)母子感染のハイリスク因子として、妊婦のHCV RNA高濃度(5x106copy/ml以上)が示唆される。

 夫のHCV抗体陽性率については、本研究では23.1%(6/26)であったが、矢野らは26%(6/23)、田和は35%(7/20)と報告しており類似していた。このように夫の陽性率が一般人口に比べ有意に高値であることは夫婦間感染の存在を示唆するものであろう。HCV抗体陽性妊婦の母親についても、年齢補正を加えた供血者に比べ有意にHCV抗体陽性率が高く母子感染の存在を示唆した。しかしHCV抗体陽性妊婦の母親の約80%はHCV抗体が陰性であり、陽性妊婦のすべてが母子感染によって発生したとは考えにくい。

 感染経路を特定することを目的としてHCV RNAのgenotypeの分析を両親2組、妊婦夫婦3組、父娘(妊婦)1組について行ったところ、すべての組で一致していた。このように夫婦間感染、母子感染を含め長期間の家族内での生活によりいわゆる家族内感染が成立した可能性が考えられた。

 臍帯血でHCV抗体陽性であった児について追跡調査を行ったところ、HCV抗体検出期間は最長生後12カ月であったので、母体由来の抗体はこのころ消失すると考えられる。したがって生後12カ月を越えてHCV抗体が検出された場合は児が感染した可能性を考える必要があろう。

 本研究では臍帯血HCV RNAが2例に検出された。この2例は生後1カ月および1年で再度HCV RNAが検出されたので、胎内感染があったと考えている。本研究で行った追跡調査では、母子感染が4例(13.8%)に疑われ、その中でも2例(6.9%)はほぼ確実と考えている。文献的には母子感染率は0〜100%と幅が広いが、筆者はHCVの医療事故や性行為による感染率などの疫学的データから類推したHCVの感染力を考慮すると、母子感染率は6.9〜13.8%と推定される。また母子感染のハイリスク因子として、妊婦の妊娠末期HCV RNA高濃度が示唆される。

審査要旨

 本研究は、一般妊婦をスクリーニングすることからHCV抗体陽性妊婦を発見し、その家族を調査・診察し、出生児をプロスペクティブに管理した。こうした疫学的研究から、C型肝炎ウイルスの感染経路を推定し、HCV抗体陽性妊婦の管理指針を提案し、以下の結果を得た。

1)妊婦のHCV抗体陽性率、HCV RNA陽性率

 市内の約90%の妊婦が出産する施設で妊婦のHCV抗体陽性率が1.19%(30/2,528)で、うちHCV RNA陽性率が56.3%であることを明らかにした。このHCV抗体陽性率は日赤供血者の年齢補正を加えた陽性率と変わらないことが示された。

2)家族内感染・夫婦間感染

 著者はHCV抗体陽性妊婦の両親・兄弟・夫の計68例と児56例に対し、詳細な問診・診察を行っている。夫のHCV抗体陽性率は23.1%、母親は19.0%、父親は54.5%で、いずれも日赤供血者の年齢補正を加えた陽性率に比べ有意に高値で、家族内感染・夫婦間感染が推定された。

3)母子感染の頻度

 HCV RNA陽性の妊婦18例から生まれた29例の児のうち4例(13.8%)にHCV RNAが検出され、そのうち2例は臍帯血にも検出された。HCVの母子感染の頻度は6.9〜13.8%と推定された。

4)母子感染のハイリスク因子

 母子感染のハイリスク因子として、妊婦のHCV RNA高濃度(5x106copy/ml以上)が具体的に示唆された。

5)管理指針

 臨床上HCV抗体陽性妊婦の管理法として、branched DNA probe assay法で血中ウイルスゲノムの検出を行い、106Eq/ml以上なら、出生児のフォローアップを厳重に行って母子感染の早期発見に努めるという具体的数値が提案された。具体的なウイルス量で臨床的な管理方針を示している。

 以上、本論文は一般妊婦のHCV抗体陽性率、HCV RNA陽性率を明らかにし、HCVの感染経路として夫婦間感染・家族内感染・母子感染を推定し、母子感染の早期発見のためのHCV抗体陽性妊婦の管理指針を提案した。本研究は、C型肝炎ウイルスの母子感染の頻度、HCV抗体陽性妊婦の具体的管理指針を示し、学位の授与に値するものと考えられる。

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