1個の受精卵からどのようにして一定の形をもった幼生になるのかという問題は、発生生物学の大きな課題である。そのような時、受精卵内の物質の局在性がまず問題となる。両生類初期胚の帯域と植物極側には、受精直後から将来の背側となる割球に何らかの背方化因子が局在していることが示唆されており、この因子が将来の背腹軸決定に関与していると考えられる。これに対して、動物半球側の細胞は多分化能を持つ比較的均一な細胞集団とみなされ、植物半球による誘導の勾配に応じて異なった組織に分化すると考えられていた。それゆえ、動物半球側の予定外胚葉(アニマルキャップ)を均一の細胞集団として誘導物質の活性を調べるバイオ・アッセイ系に用いてきた。しかし近年胞胚期の動物極細胞では中胚葉誘導への応答能に背側と腹側の極性があることが報告された。本研究では動物半球での極性の成立機構と分子的な性質を明らかにすることを試み、8細胞後期の動物半球の細胞を分離して用いる新しいアッセイ系を用いた。この8細胞期の動物半球の細胞を解離して、培養するという試みは多くの人によってなされたが、いずれの場合もうまくいかなかったが、今回、工夫を重ねて初めて可能にした。この結果、8細胞期に分離された動物半球の割球はそのままでは中胚葉を形成しないが、高濃度のアクチビンで処理すると背側中胚葉の分子マーカー遺伝子である筋肉の-アクチンやgoosecoidの転写がおこること、そして分離割球のアクチビン応答能は32細胞期以降に急激に上昇することが明らかになった。これらの背側分子マーカーの発現を背側割球と腹側割球とで比較すると、背側では30分という短時間のアクチビン処理でいずれの遺伝子も転写されたが、腹側ではほとんどされなかった。以上の結果は、動物半球の応答能勾配は植物半球からの誘導の結果ではなく、受精直後に形成される細胞質の偏りに起因することを示唆している。このように32細胞期という初期胚の動物半球側の細胞ですでに背側と腹側に反応能に差があり、モザイク的になっていることを初めて示したことは重要な意義があると考えられる。 さらに動物半球の極性が最終的な体軸の決定とどのように関わっているのかを調べるため、新しく開発されたバイオ・アッセイ系を用いて塩化リチウムにより分離割球の背方化を試みた。リチウムイオンは胚の腹側を背側化させる効果を持つことが知られているが、分離割球に短時間処理しても、そのままではいずれの割球も中胚葉を形成しなかった。しかし後にアクチビンを投与すると背側割球での中胚葉形成が著しく増加し、さらに腹側割球からも背側中胚葉が作られるようになった。この結果は、8細胞期胚の動物半球の中胚葉分化能の勾配が絶対的な決定ではなく、初期卵割期に強い背側化の作用を受けることによって変わりうるものであることを示唆している。割球の反応能がどの程度変化しうるのかを特定の因子(ここではリチウムイオン)を与えることによって調べたことになり、初期胚での細胞の調節能とも結びつく結果をひき出したといえる。またこの実験の結果では、分離割球はリチウム処理のみでgoosecoidの発現が誘導されることが示された。この事実は組織学的な分化がなくても、goosecoidの遺伝子は発現しうることを初めて示したもので、従来、goosecoidの発現のみで背方化または中胚葉分化と考えている分子生物学の分野に非常に大きなインパクトを与えた点は高く評価できる。 この他に本研究では、アクチビン処理によって誘導されてくる中胚葉の種類が時期に応じて変化することがわかった。応答能の低いごく初期の胚にアクチビンを処理すると優先的にgoosecoidの誘導が起こり、腹側の中胚葉マーカーであるXwnt-8の発現は中期胞胚変移期(MBT)以降の処理によって誘導された。この結果はアクチビンが発生初期において背側決定因子として機能しうる可能性を示唆している。ツメガエルの初期胚での動物半球側の細胞の反応能がアクチビン処理によって背側と腹側とで異なること、またそれらの割球の反応能の変化が可変的であり、しかも発生のプログラムの進行という時間経過とともに変化しうることを組織学的および分子生物学的に示したことになる。 これらの結果から、本論文が博士(学術)の学位に値するという点について、審査委員会の全委員の意見の一致を見た。 |