工業材料に対して厳しい性能とコストメリットが追求され、単一材料改良の限界から、複合材料の技術の一つである硬質薄膜コーティングの関心と需要が高まっている。製鉄所等で使用されている耐摩耗性を重視した機械構造用部材は、合金工具鋼が一般的である。しかし、工具鋼へのコーティングは焼き戻し温度(〜500℃)以下で行う必要があり、基材温度を低温に保ったコーティング技術が求められていた。一般に基材温度が低い場合には、皮膜の組成制御が難しくなり、皮膜の十分な密着性が得られなくなるなど問題点が多い。一方、耐磨耗性に優れるセラミックスコーティング皮膜としては、TiNが一般的であった。使用環境が苛酷になり、TiNよりさらに耐久性の高い皮膜が嘱望され、新たな皮膜の研究も盛んであるが、TiN以外の皮膜の工業的応用はあまり進んでいない。これは、新皮膜の特性の差別性や信頼性が明確に示されていないためと考えられる。本研究では、上記問題点が解決され得ることを示した。 アーク放電により蒸発金属をイオン化させるイオンプレーティング法により耐磨耗性に優れるTi-C-N膜(TiN-TiC連続固溶体)が低い基材温度でも得られた。通常、基材温度が低いと十分な密着性が得られない。密着性の指標となる臨界剥離荷重(Lc)と基材温度の関係をFig.1に示す。低温で基材との密着性の優れた皮膜を得るには、成膜温度の制御と成膜初期におけるイオン衝撃の利用が効果的であることがわかった。 Fig.1 Effect of substrate temperature on critical load. 基材表面への熱のうち、電子銃蒸発源からの熱と、イオンの基材への衝突による熱が重要で、独立制御可能である。前者は、電子銃蒸発源からの高温粒子が、プラズマで活性化された後、基材表面に到達し、熱またはエネルギーを直接伝えるため、一定時間後、定常状態になる。この変化は、次式のように書ける。 ここで、基材表面温度をT、蒸発源温度をTo、基材蒸発源間距離をx、係数をK、温度変化の起こらない基材蒸発源間距離をloとした。一方,イオンの基材への衝突による熱は、基材への衝突によって失われたイオンの運動エネルギーを統合したもので、イオン照射によって瞬時に基材表面温度は上昇する。 低い基材温度では、皮膜と基材界面で原子の拡散や核生成が制限され付着力そのものが低下することの他に、皮膜内に高い応力(膜厚3mのTiNで2〜4GPa程度)の残留が観測された。応力は、熱応力と真性応力の和と考えられ、200℃での成膜では、真性応力の割合が高い。成膜温度が低いと真性応力が高くなる現象は、低温では格子間に原子が押し込まれても原子位置の緩和が起こりにくく、成膜後に格子間原子が安定平衡位置に移動しようとすることによる歪が応力の発生原因と考えられる。この応力の緩和は、熱処理法が考えられるが、応力緩和温度がTi-C-N皮膜の場合、900℃と高く(Fig.2)、低温処理には適用できない。そこで、皮膜と基材界面の付着力を高めることを検討したところ、成膜初期にバイアスを印加してイオン衝撃を与えた場合に、大きく密着性が改善した。基材界面には、高密度の歪みや欠陥がみられ、堆積初期に皮膜原子との物理的混合や核生成を促進させる効果が得られたためと考えられる。 Fig.2 Hv hysteresis of the Ti-C-N films. イオンが成膜プロセスに存在することで、密着性の改善や皮膜の高硬度化(Fig.3)が見られた。成膜初期における皮膜の基材への密着性に関わる部分から、皮膜の構造に影響する結晶成長における過程にもイオンは大きな影響を及ぼす。成膜中の基材表面のイオンは、主としてTi+であることがわかった。本研究でのTiN生成反応は、次に示すようにイオン化された原子が、負にバイアスをかけられた基材表面での窒素との反応と考えられる。 この反応を化学吸着の観点から考えると、以下の反応に分解できる。 Fig.3 Effect of ionization on hardness of TiN film. ここで、vは、吸着や化学反応が起こる基材表面の活性サイトとした。Ti(ads)、Ti+(ads)、N2(ads)およびN(ads)は、それぞれ基材表面に吸着したTi、Ti+、N2およびN原子を示す。化学吸着を考えた場合、吸着や化学反応が起こる基材表面の活性サイトの反応速度への影響が大きいことが予想される。この活性サイトは、基材表面にイオンの衝突で生じた欠陥も含まれ、イオン照射が大きく影響すると考えられる。 Ti-B-N系皮膜の検討も行った。結晶質皮膜を得るには、ボロンのイオン化を促進することが重要であった。結晶質Ti-B-N膜は、ボロンがTiN中に微量含まれる時、微細な結晶粒を形成し、TiNより表面硬度が高く、鋼との摩擦係数も低くなるが、Ti-C-N皮膜に比べ微細な亀裂により皮膜剥離しやすい。ボロン量がさらに増えると、非晶質化する。この非晶質膜は表面硬度はTiNに比べ低いが、アルミ溶湯に対する耐食性は高い。溶融軽金属に対する耐食性の向上は、皮膜自体は反応しないので、皮膜の欠陥や破壊に起因する原因をいかに除去するかが鍵になる。 硬質薄膜コーティングの摩耗特性を検討した。基材SKD11表面にT-C-N膜をコーティングすることで、鋼との摩耗量が1/10程度に低減した。これは、皮膜の高い表面硬度、Ti-C-N皮膜と鋼との難凝着性、摺動界面におけるマグネタイト(Fe3O4)の生成で、摩擦を低減させたことがわかった。皮膜の表面硬度が高いのは、Ti-C-N皮膜本来の硬度に加え、皮膜が化学量論組成で、微細な結晶粒より形成され、皮膜内に高い圧縮応力が残留し、結晶配向性を示すことによるものである。鋼との摺動摩耗においては、鋼の微細摩耗粉が多く生成し、これが摺動面で変形やせん断、凝着を繰り返し、摩擦による局所温度上昇下で空気中の酸素と反応し、マグネタイトを生成すると考えられる。鋼とTi-C-N膜との磨耗は、酸化物形成によってマイルド磨耗となる金属同士の磨耗形態に似ている。 鉄鋼加工用の刃物類への適用効果を調べた。鋼板エッジ部を連続切断するサイドトリマーや鋼管のカットオフ鋸刃にTi-C-N多層皮膜を適用した。皮膜の表面硬度や密着性等の特性は、皮膜の組成に密接な関係があり(Fig.4)、この特性を活かす皮膜構造設計を考えた。つまり、基材と皮膜界面は、密着性向上のためTiNとし、最表層も耐酸化性向上のためにTiNを適用した。皮膜全体の硬度向上に、中間にTi-C-N皮膜を挟んだ。多層膜の場合には、結晶粒の成長が断続的に行われるため、微小欠陥や応力集中の場の連続性が失われ、クラックが生じても、その進展に抵抗が生じ耐久性が向上する。サイドトリマーや鋸刃では、この皮膜の適用で、約3〜20倍の耐久性を示した。硬質薄膜によって、刃先の凝着、変形、疲労が緩和されたと考えられる。Ti-C-N被覆された刃先の摩耗は徐々に起こり、急激な皮膜の剥離や破壊は認められず、実用上支障ない皮膜密着性を有していた。 Fig.4 Hv and Lc as a function of composition of Ti-C-N film. |