学位論文要旨



No 212487
著者(漢字) 杉井,信之
著者(英字)
著者(カナ) スギイ,ノブユキ
標題(和) パルスレーザー堆積法によるSrCuO2系超伝導薄膜の合成と物性
標題(洋)
報告番号 212487
報告番号 乙12487
学位授与日 1995.09.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12487号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北沢,宏一
 東京大学 教授 石田,洋一
 東京大学 教授 工藤,徹一
 東京大学 教授 岡部,洋一
 東京大学 助教授 岸尾,光二
内容要旨

 銅酸化物における超伝導性は銅と酸素の配位多面体,いわゆるCuO2面にホール,あるいは電子が適当量導入されることによって起こることはよく知られている.この物質の高温超伝導現象の理解をさらに深めるには,物質のバリエーションを増やすこと,質の良い試料により物性測定を行うことが重要である.今までに発見された新物質は,大部分が大気中の固相反応によって合成されるものであったが,現在ではそういう容易に実現可能な条件下で合成できる物質は少ないものと予想される.物質探索は,以前のような化学組成と温度を主要な座標軸とした狭い空間内の物質探索から,雰囲気,圧力や非平衡性といった座標軸の加わった多次元空間での物質探索に変化してきており,この中で今後,新超伝導体が発見される可能性はなお大きいと思われる.

 本研究では,気相成長法の一種のパルスレーザー堆積法(PLD)を材料合成の一手段として捉えている.こういった観点での気相成長法の利点は,1)非平衡相の合成が可能,2)成長方向に組成の変調がかけられる,3)結晶性の良好なエピタキシャル薄膜が得られる,などである.しかし,薄膜という形態では,新材料探索で必要となる結晶構造解析が,バルク物質に比べて困難になる.そこで,本研究では薄膜の微細構造の評価とともに,単結晶構造解析の技術を薄膜の構造解析に応用することにより結晶構造に関するより深い情報を得ることも目指した.

 取り上げた物質は無限層構造銅酸化物という,銅酸化物超伝導物質のなかで最も単純な結晶構造を有する物質である.図1にこの物質の結晶構造を示す.これは,1991年に高圧下の固相反応法で合成され,超伝導性を示すことが確認された新しい物質で,いわゆるブロック層のないCuO2平面のみを構造主体とすることから高温超伝導体のモデル物質として注目されている.そこで,この物質の理解に大きく貢献すると考えられる,エピタキシャル成長した高品位な薄膜試料を得ることを目的に薄膜形成法を検討し,得られた薄膜の結晶構造や伝導特性を解析した.その結果,良好な結晶性を有する薄膜を形成することができ,構造解析,薄膜試料特有の欠陥構造,キャリアドーピング(元素置換)と面内結合距離および伝導特性の間の関係などで,新規な知見が得られた.

図1 無限層構造の模式図

 論文は6章で構成されている.第1章は序論で,本研究の背景と目的について述べている.第2章は実験方法であり,本研究で用いた手法について説明している.第3章から第5章までは本研究で得られた結果と考察について記述した部分である.第6章は結論であり,本研究で得られた知見についてまとめ,今後の展望について述べている.以下に第3章から第5章までの内容要旨を示す.

第3章 無限層構造を有する銅酸化物薄膜の気相成長3.1 RF-マグネトロンスパッタ法によるSr1-xNdxCuO2薄膜の形成

 SrTiO3基板上に薄膜を形成した.x=0付近の組成では,無限層構造であった.Nd置換量0.10x0.23の範囲では,無限層構造ではなく別の相が生成した.この相の同定を行うために,断面および平面のTEM観察を行った.その結果,(Sr,Y)14Cu24O41と同一の結晶構造を持つと考えられる,斜方晶の結晶が基板の結晶方位に配向して成長していることが明らかになった.

3.2 PLD法によるSr1-xNdxCuO2超伝導薄膜の形成

 定比組成の酸化物焼結体をターゲットに用い,ArFエキシマレーザーを光源としたパルスレーザー堆積(PLD)法によりSrTiO3基板上に薄膜を形成した.RF-マグネトロンスパッタ法での結果と異なり,Nd置換量xが0.125以下で無限層構造の単一相が得られた.x=0.125の試料は26K以下で超伝導転移による電気抵抗の減少が観測された.格子定数は,xの増加に対応してaは長く,c-は短くなった.しかし,aの伸びには基板材料の格子定数との不整合に起因すると考えられる限界があった.基板材料との格子不整合を減らすために,a軸長が3.95A程度のPr2CuO4薄膜を下地膜としてSr0.875Nd0.125CuO2薄膜を形成した.その結果,超伝導転移幅が狭まり,特性が改善された.X線回折の結果,a軸長は下地の軸長の影響により伸び,これが電子キャリアの導入を促進したものと考えられる.

第4章 Sr1-xNdxCuO2薄膜の結晶構造4.1 Sr1-xCuO2薄膜およびSr1-xNdxCuO2薄膜の微細構造の解析

 p型の超伝導性を示すことが期待されるSr1-xCuO2の薄膜試料をSrTiO3基板上に作製したが,超伝導性は観測されず,電気伝導特性は絶縁体的であった.この薄膜試料を透過電子顕微鏡で観察すると,結晶のマトリクス部分は無限層構造であるが,図2に示すように,この結晶のac面に沿ってSr原子が2重になったSr2CuO3型の欠陥の挿入が観測された.また,高圧下の固相反応法で得られた,同一の組成の超伝導性を示す試料に特徴的な,ab面に平行な欠陥は全く見られず,このような微細構造の違いが伝導特性に大きな影響を与えていることが明らかになった.

図2 無限層構造の結晶(SrCuO2)中にSr2CuO3が挿入された構造

 Pr2CuO4薄膜を下地膜として形成したSr0.875Nd0.125CuO2薄膜の微細構造を透過電子顕微鏡で観察した.Sr1-xCuO2薄膜で観測されたものと同様の欠陥が存在することがわかった.この試料では下地との格子不整合がほとんどないため,格子不整合が欠陥の成因でないことが明らかになった.これに伴い,種々の欠陥の生成機構について考察した.

4.2 Sr0.875Nd0.125CuO2薄膜の結晶構造

 SrTiO3基板上に形成したSr1-xNdxCuO2薄膜試料の結晶構造を4軸X線回折法により解析した.その際,薄膜用の吸収補正法を新たに開発した.その結果,この薄膜が頂点酸素のないCuO2平面を持つ無限層構造であること,Aサイトカチオンがわずかに欠損していること,CuO2平面のねじれがほとんどないことが明らかになった.また,異方性温度因子はc軸方向に長く,この方向の結合力が面内の結合力に比べて弱いという無限層構造の結晶の特徴が見いだされた.

4.3 金属的電気伝導性を示すSr1-xNdxCuO2薄膜の結晶構造

 Sr1-xNdxCuO2薄膜の形成過程で見いだされた,金属的な電気伝導性を示し,a軸長が3.6A程度の相の結晶構造をワイセンベルク法で解析した.その結果,この結晶は正方晶で,a=11.08A,c=3.66Aの格子定数を持ち,空間群はP421mないしはP4212であり,La2Sr6Cu8と良く似た結晶構造を持つことがわかった.この結晶構造では,Cu配位多面体がランダムに並んでおり,面内に酸素欠陥が存在していることが特徴である.

4.4 気相成長で生成するSr-Nd-Cu-O系の結晶構造の特徴

 気相合成で生成する相は,熱平衡状態の固相反応で得られる相とは大きく異なっている.気相合成で生成するSr-Nd-Cu-O系の結晶構造には次の3種すなわち,(Sr,Nd)14Cu24O41相,無限層構造,(Sr,Nd)8Cu8相,が存在したが,これらのどれもが,カチオンの面内配列は基本的には同じであり,Sr,Nd-イオンは基板材料のSrTiO3のSrイオンの直上,CuイオンはTiイオンの直上に位置する.このことから,気相法による銅酸化物の結晶成長の特徴は基板材料のカチオン配列との整合性がとれるカチオン配列を選択的にとるところにあるといえる.

第5章 Sr1-xNdxCuO2薄膜の熱電能5.1 Sr1-xNdxCuO2薄膜の熱電能のNd置換量依存性

 Nd置換量を変化させたSr1-xNdxCuO2薄膜試料の熱電能の温度依存性を測定し,キャリア濃度に対する熱電能の変化を調べた.熟電能の符号は負で,絶対値はNd置換量の増大に伴い減少した.これより,主たるキャリアが電子であることがわかった.熱電能の温度依存性は下に凸のピークをもち,他の銅酸化物超伝導物質系の熱電能の温度依存性とよく似ている.しかし,この挙動をうまく説明するモデルは今のところ見いだされない.

5.3 Sr1-xNdxCuO2薄膜の熱電能に及ぼす下地材料の影響

 Nd置換量が0.05でa軸長を変化させた試料の熱電能は,試料相互で系統的な差は見いだされなかった.これに対し,Nd置換量が0.125の試料ではa軸長が長い試料ほど熱電能は増大し,下地にPr2CuO4を用いた試料では熱電能の符号が正になった.また,温度依存性の曲線も変化した.

 Nd置換量が0.125の試料に見られた下地の格子長の変化に対する熱電能の変化の原因は2通り考えられる.一つは,格子長の増大による内部応力の減少に伴ってより電子がドープされやすくなり,これがCuO2面内の酸素欠損量の増大を誘ってキャリア数を増大させたという考え方である.この場合,同様に内部応力の変化が期待されるNd置換量0.05の試料で熱電能の試料間の変化が小さいことをうまく説明できない.もう一つは,内部応力の減少,Cu-O-結合長の増大に伴って,この物質の電子状態がより遍歴的な状態に変化していくという考え方である.熱電能の大きさを考えると,Nd置換量が0.1付近では伝導電子が局在的なホッピングの状態から遍歴的な金属的状態に変化していくと考えられるため,この説明がより確からしいと考えられる.

審査要旨

 本論文は,銅酸化物超伝導物質のなかで最も単純な結晶構造を持つが故に酸化物超伝導物質のモデルとなりうるが,通常の固相反応法では合成困難な無限層構造鋼酸化物という物質を,非平衡相の合成が可能で,結晶性の良好なエピタキシャル薄膜が得られる,パルスレーザー堆積法(PLD)を用いて合成し,その結晶構造と電気伝導性について解析を試みたものである.取り扱った試料形状は薄膜であり,新規物質の評価では必須の結晶構造解析が,バルク物質に比べて困難になるため,電子顕微鏡による微細構造の評価を行うと共に,単結晶X線構造解析の技術を薄膜の構造解析に応用した.その結果,超伝導性を示す無限層構造の薄膜試料が作製可能なこと,伝導特性に与える格子不整合の影響,薄膜試料特有の欠陥構造,キャリアドーピングと面内結合距離および伝導特性の間の関係において,新規な知見が得られた.本論文は6章で構成されており,試料の作製と高品質化,結晶構造の解析,伝導特性の解析とに分類されている.

 第1章は序論で,本研究の背景と目的について述べている.

 第2章は実験方法であり,本研究で用いた手法について説明している.

 第3章では,n型の超伝導体であるSr1-xNdxCuO2薄膜の高品質試料の作製について記述されている.Nd置換量xが0.125以下で無限層構造の単一相の試料が得られ,超伝導臨界温度はオンセット温度で26Kを示した.格子定数は,Nd置換量の増加に伴い,a軸長が増大し,これがCuO2平面への電子キャリアの導入に伴う銅-酸素結合距離の増大に対応する結果であることが示されたものの,基板結晶との格子不整合のため,格子軸長の増大に限界が存在することが見いだされた.格子不整合を減ずるために,Pr2CuO4を下地膜としてSr0.875Nd0.125CuO2薄膜を形成すると,特性が改善されることが示され,格子不整合の低減により電子キャリアの導入が促進されたものと解釈された.

 また,成長条件によっては,(Sr,Y)14Cu24O41と同一の結晶構造を持つと考えられる,新規な斜方晶の結晶が成長することが明らかになり,この結晶の配向性について議論がなされた.

 第4章では,透過電子顕微鏡を用いたSr1-xCuO2およびSr1-xNdxCuO2薄膜の微細構造の解析,4軸X線回折法によるSr1-xNdxCuO2薄膜の結晶構造解析,ワイセンベルク法を用いたSr1-xNdxCuO2の新規な結晶相の同定が行われている.

 Sr1-xCuO2は高圧下の固相反応で合成されたバルク試料がp型の超伝導性を示すことが知られており,薄膜試料でも超伝導性を示すことが期待されたが,電気伝導性は絶縁体的であった.この薄膜試料を透過電子顕微鏡で観察すると,無限層構造の結晶のac面に沿ってSr原子が2重になったSr2CuO3型の欠陥の挿入が新たに観測された.超伝導性を示すバルク試料に特徴的な,ab面に平行な欠陥は全く見られないことから,ホール供給層が存在しないことや,頂点酸素を持たないことが伝導性を生じさせない原因と解釈された.また,Pr2CuO4薄膜を下地膜とすることにより格子不整合をなくしたSr0.875Nd0.125CuO2薄膜においても,同様の欠陥が存在することが明らかになり,これに基づき,欠陥の成因について議論がなされた.

 薄膜用の吸収補正法を新たに開発し,Sr1-xNdxCuO2薄膜試料の結晶構造を4軸X線回折法により解析した.そして,この薄膜が頂点酸素のないCuO2平面を持つ無限層構造であること,Aサイトカチオンがわずかに欠損していること,CuO2平面のねじれがほとんどないことを明らかにした.また,異方性温度因子はc軸方向に長く,この方向の結合力が面内の結合力に比べて弱いという無限層構造の結晶の特徴が見いだされた.

 Sr1-xNdxCuO2薄膜の形成過程で見いだされた,金属的な電気伝導性を示し,c軸長が3.6Aの新規な相の結晶構造をワイセンベルク法で解析し,この結晶が無限層構造と全く異なる,酸素欠損型ペロプスカイト構造であることが見いだされた.また,これまで見いだされたSr-Nd-Cu-O系の気相成長で形成される相の結晶学的な特徴が考察された.

 第5章では,Sr1-xNdxCuO2薄膜の熱電能測定を通じて,元素置換により与えられたキャリアの量と,結晶格子の内部応力が伝導特性に与える影響について考察された.そして,同一の置換濃度で,格子不整合に伴う結晶の圧縮応力が減少した場合に伝導電子の遍歴性が増大する可能性が指摘された.

 第6章は結論であり,本研究で得られた知見についてまとめ,今後の展望について述べている.

 以上,本研究は気相成長により,新規な銅酸化物超伝導物質の探索がなされ,結果的に新超伝導物質の発見には至らなかったものの,気相成長によりのみ形成される新規な相が見いだされ,単結晶X線構造解析の薄膜試料への適用がなされた.また,薄膜特有の格子不整合の制御による内部応力の人為的な変化が電気伝導性に影響を与えうることが検討された.これらの知見が今後の酸化物超伝導物質の探索において,その指針や解析の道具を与えることになると考えられる.

 よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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