本論文は7章から成る。第1章は序論、第2章は実験方法、第3章ではアルミニウム表面への水素吸着、第4章でアルミニウム及びルテニウム表面へのアルカリ金属吸着層の構造及び電子状態、第5章ではアルカリ修飾アルミニウム表面へのCO吸着、第6章ではアルカリ修飾ルテニウム表面へのCO吸着、第7章では全体を通しての結論が述べられている。 第1章では、金属単結晶の清浄表面及びアルカリ修飾表面への水素及びCOの吸着に関するこれまでの研究の概観を通して,"coincident desorption"(共脱離)を示す系が多くの未解決の問題を残している点が指摘され、それに対する本研究の目的が述べられている。 第2章では、実験に用いた装置、試料調整法及び主たる実験方法である高分解能電子エネルギー損失分光法(HREELS)の特徴について述べられている。 第3章では、表面構造の異なる二つのアルミニウム単結晶表面(Al(111)とAl(110)への水素吸着について検討した結果について述べられている。H/Al(111)系では吸着水素が下地のアルムニウム原子とともに室温付近で脱離してくる共脱離が見られる。この水素吸着表面に対するHREELS等による詳細な研究の結果、脱離が始まる直前の温度でterminal水素とbridge水素からなる固相のアルムニウム水素化物に近い構造を持った表面水素化物が形成されることが明らかになった。また、表面水素化物に加え、内部に潜り込んだ水素も見られることから、この水素が表面層のアルムニウム原子の下地との結合切断と水素化物としての脱離を容易にしていると考えられる。一方、H/Al(110)系では、アルミニウムと水素の共脱離は見られず、水素のみが脱離し、吸着様式もAl(111)面と著しく異なることが見いだされた。これは、アルミニウムの表面構造の違いからAl(111)面と同じ様な水素化物を形成できず、表面下の水素も存在しないためであることが明らかにされた。以上のような表面水素化物の生成・脱離とその強い面方位依存性は極めて珍しい現象であり、その原因が詳細に検討され、明確にされたことは注目に値する。 第4章では、5、6章で述べるアルカリ修飾表面における水素及びCOの吸着研究を行うにあたって、アルカリ金属のみを吸着させた系の性質を明確にする目的で、アルミニウム及びルテニウム表面におけるCs及びK吸着層について、構造及び電子状態について系統的に検討・整理した結果について述べられている。特にアルカリ吸着層の熱誘起構造相転移に伴う電子状態の急激な変化について興味深い知見が得られている。 第5章では、アルカリ修飾Al(111)面への水素吸着について検討した結果について述べられている。CsでAl(111)面を修飾して水素を吸着したH/Cs/Al(111)系では、Csと共に高温で脱離してくる安定な水素が見いだされている。この水素にはアルミニウム原子にジェミナル構造で結合しており、CsAlH2という新規表面化合物の形成が示された。このことから高温で水素とCsが共に脱離してくるのは、このような安定な表面化合物の生成及び分解によることが明らかになった。超高真空下の金属表面上の水素は通常下地を殆ど乱すことなく金属配位数の高いサイト(hollow site)に吸着する傾向があるが、このような表面化合物形成に伴うジェミナル構造の表面水素が見いだされたのはこれが初めての例である。 第6章では、アルカリ修飾Ru(001)へのCO吸着について検討した結果について述べられている。1原子層のCsで修飾したRu(001)表面にCOを吸着した系では、CsとCOが1:1の比で共脱離するにも関わらずC-O伸縮モードが全く見られない奇妙な現象が観察された。そしてこの原因が一部の単独で共脱離の前に脱離するCsの存在にあることがつきとめられている。これらのことから、CO分子は1層敷き詰まったCs層の一部のCs原子を上に押し上げ,Cs/Cs+CO/Ruというような2層構造を形成し、2層目のCsがCOの双極子を強力に遮蔽しているモデルが提案された。このように、重いアルカリ金属原子を2層目に移動させながらCO分子が置換吸着する要因として、1層目の1:1のCsとCOによる安定な2次元擬イオン結晶の形成が指摘されている。金属表面においてこのようCO分子による置換型吸着が観測されたのは初めてである。 最後の第7章では、全体を通しての結論として、共脱離から推測される表面での強い相互作用はそれぞれの系で性質は異なるものの、いずれも表面化合物の形成が深く関与しており、それによって特異な吸着状態が誘起されることが指摘された。 以上を要約すると、本論文の提出者 近藤 寛氏は、これまで未解決な点が多かった共脱離を示す水素及びCOの吸着系の吸着状態を明らかにする目的で、HREELS、昇温脱離、その他の電子分光法を駆使して対象とする共脱離系を詳細に研究し、多くの注目すべき成果を得ている。この研究成果は、一般に比較的単純な吸着系とみなされている水素及びCOの吸着系の非単純性を示す実験的証拠として更なる実験的・理論的研究を喚起するものであり、表面吸着現象の研究の今後の発展に寄与するところ大である。 したがって、近藤 寛氏は博士(理学)の学位を授与される資格を有するものと認める。 なお、本論文に述べられている研究成果は共著邦文の形で公表済みであり、共著者は研究の指導者、研究協力者であるが、論文提出者の寄与が最も大きいと判断される。また、共著論文の内容を学位論文にすることについては、全ての共著者の承諾を得ている。 |